ヘヴン

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評判

ヘヴンの評価:

3.42/5点 レビュー 157件。 B ランク

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平均点3.42pt

Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全314件 81〜100 5/16ページ
No.234
(2pt)

これ、あり得ない。読後感も悪いです。

彼女の頭の中で作っちゃったストーリーですね。イジメる方の性格設定や描写が現実離れしています。二宮や百瀬みたいなタイプは、積極的にイジメる方には普通ならないよ。百瀬君の議論もすごい不自然であり得ない、説得力がない話ですね。
コジマもねえ。斜視の手術を言い出したのに、がっかりするシーンにはこちらもがっかり。

やっぱり、もう少し綿密な取材を重ねて、いじめられた子供たちの声とか、背景をちゃんと描いてあげないと。結局、読者は作者が何を言いたかったのか、意味不明な読書になってしまいました。妙に暴力シーンを具体的に描いているだけに、読書中も読後感も不快感の固まりになりました。 

まだ読んでない人には、この本は読まないことをお勧めします。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469
No.233
(2pt)

これ、あり得ない。読後感も悪いです。

彼女の頭の中で作っちゃったストーリーですね。イジメる方の性格設定や描写が現実離れしています。二宮や百瀬みたいなタイプは、積極的にイジメる方には普通ならないよ。百瀬君の議論もすごい不自然であり得ない、説得力がない話ですね。
コジマもねえ。斜視の手術を言い出したのに、がっかりするシーンにはこちらもがっかり。

やっぱり、もう少し綿密な取材を重ねて、いじめられた子供たちの声とか、背景をちゃんと描いてあげないと。結局、読者は作者が何を言いたかったのか、意味不明な読書になってしまいました。妙に暴力シーンを具体的に描いているだけに、読書中も読後感も不快感の固まりになりました。 

まだ読んでない人には、この本は読まないことをお勧めします。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.232
(5pt)

衝撃的な展開と筆力

2009年に出版されたものだが、いまになってはじめて川上未映子の作品『ヘヴン』を読了する。だが、いま読みおえても10年間の隔たりはまったく感じられないことがわかる。
本著はきわめて衝撃的な作品とはいえ物語の構図はきわめてシンプルといえる。つまり、苛める側とそれを受ける側のはっきりした二極化で構成され描かれているのだ。だが、この作品がおもしろいのは苛めの対象となった二人が接近しコミュニケーションをとりながら過酷な状況をのりこえようとするところだろう。
生々しい苛めの描写だけでなく読者をひきつける力強さと緊張感その筆力はきわだっていて説得力もある。それゆえに作品のインパクトは衝撃的でさえある。
ひと言で苛めといっても現代社会が抱える特異な病理現象のようにみられがちだが、ある意味で私たち人間が抱える普遍的な命題とも考えられるのである。

ここでは周囲の人とは少しちがう些細なことから苛めの対象とされたコジマとロンパリとよばれるぼくが設定される。つまり、ぼくは斜視でコジマは汚れた容姿をもつだけで一方的に苛められ抵抗さえできない状況にあるのだ。しかもその過酷な状況はクラスの全員で共有されていて“外”には決して洩れ伝わることも家族に知られることもない。二人は手紙を通じて互いに言葉を交わし、ときどき会って話すようになっていくが二人への苛めはますますエスカレートする。二人の関係は手紙のやりとりで少しずつ心の支えともとれる存在に変わっていく。
コジマは自分の家族について離婚した父と母の暮らしと目茶苦茶になっていく家族の関係について感情をぶつけるように語る。別の人と再婚して裕福な暮らしを自分と母はしているけれど、靴も作業着も汚れたままひとりで暮らす父への思いについて熱く話すのだった。

「・・・わたしがこんなふうに汚くしているのは、お父さんを忘れないようにってだけのことなんだもの。お父さんと一緒に暮らしたってことのしるしのようなものなんだもの。・・・」(p94)

「わたしは君の目がすき」とコジマは言った。
「まえにも言ったけど、大事なしるしだもの。その目は、君そのものなんだよ」とコジマは言った。(p139)

さらに、コジマは弱いからされるままになっているのじゃなく、状況を受け入れることによって意味のあることをしているという。やや自虐的なロジックに聞こえるけれどそれなりに説得力はある。
苛めの状況はさらにエスカレートしていく中でぼくはある日、二宮とともに苛める側にいる百瀬と激しく言い合うことになるが物語は思いがけない展開をみせる。病院の医師から斜視の手術のことをすすめられそのことをコジマに打ち明けるがコジマは大きく動揺し混乱する。
最終章の雨の日のくじら公園でのできごと、斜視(しるし)の手術をすることへの決断、物語はいよいよクライマックスを向かえていく。
本著は表面的には権力、暴力、欲望、支配というおよそ人間の理性とは対極にある行動原理のあやまちと正当性について問いかける作品ともいえそうだが、最近のトレンドでいえば反知性主義とでもいったところか。
なるほど、この圧倒する筆力と読者をひきつける凄まじい展開は衝撃的であり見事というほかない。川上未映子、並々ならぬ才能とすぐれた言語感覚を持ちあわせた作家であることはまちがいない。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.231
(5pt)

衝撃的な展開と筆力

2009年に出版されたものだが、いまになってはじめて川上未映子の作品『ヘヴン』を読了する。だが、いま読みおえても10年間の隔たりはまったく感じられないことがわかる。
本著はきわめて衝撃的な作品とはいえ物語の構図はきわめてシンプルといえる。つまり、苛める側とそれを受ける側のはっきりした二極化で構成され描かれているのだ。だが、この作品がおもしろいのは苛めの対象となった二人が接近しコミュニケーションをとりながら過酷な状況をのりこえようとするところだろう。
生々しい苛めの描写だけでなく読者をひきつける力強さと緊張感その筆力はきわだっていて説得力もある。それゆえに作品のインパクトは衝撃的でさえある。
ひと言で苛めといっても現代社会が抱える特異な病理現象のようにみられがちだが、ある意味で私たち人間が抱える普遍的な命題とも考えられるのである。

ここでは周囲の人とは少しちがう些細なことから苛めの対象とされたコジマとロンパリとよばれるぼくが設定される。つまり、ぼくは斜視でコジマは汚れた容姿をもつだけで一方的に苛められ抵抗さえできない状況にあるのだ。しかもその過酷な状況はクラスの全員で共有されていて“外”には決して洩れ伝わることも家族に知られることもない。二人は手紙を通じて互いに言葉を交わし、ときどき会って話すようになっていくが二人への苛めはますますエスカレートする。二人の関係は手紙のやりとりで少しずつ心の支えともとれる存在に変わっていく。
コジマは自分の家族について離婚した父と母の暮らしと目茶苦茶になっていく家族の関係について感情をぶつけるように語る。別の人と再婚して裕福な暮らしを自分と母はしているけれど、靴も作業着も汚れたままひとりで暮らす父への思いについて熱く話すのだった。

「・・・わたしがこんなふうに汚くしているのは、お父さんを忘れないようにってだけのことなんだもの。お父さんと一緒に暮らしたってことのしるしのようなものなんだもの。・・・」(p94)

「わたしは君の目がすき」とコジマは言った。
「まえにも言ったけど、大事なしるしだもの。その目は、君そのものなんだよ」とコジマは言った。(p139)

さらに、コジマは弱いからされるままになっているのじゃなく、状況を受け入れることによって意味のあることをしているという。やや自虐的なロジックに聞こえるけれどそれなりに説得力はある。
苛めの状況はさらにエスカレートしていく中でぼくはある日、二宮とともに苛める側にいる百瀬と激しく言い合うことになるが物語は思いがけない展開をみせる。病院の医師から斜視の手術のことをすすめられそのことをコジマに打ち明けるがコジマは大きく動揺し混乱する。
最終章の雨の日のくじら公園でのできごと、斜視(しるし)の手術をすることへの決断、物語はいよいよクライマックスを向かえていく。
本著は表面的には権力、暴力、欲望、支配というおよそ人間の理性とは対極にある行動原理のあやまちと正当性について問いかける作品ともいえそうだが、最近のトレンドでいえば反知性主義とでもいったところか。
なるほど、この圧倒する筆力と読者をひきつける凄まじい展開は衝撃的であり見事というほかない。川上未映子、並々ならぬ才能とすぐれた言語感覚を持ちあわせた作家であることはまちがいない。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469
No.230
(5pt)

面白いです。テーマはイジメそのものではない。この状況に意味があるのかないのか。その意味を見出すのは誰なのか。

主人公の「僕」は斜視で、それが原因で二ノ宮とその取り巻きたちからイジメを受けている。そしてクラスメートのコジマという女子も、女子グループから「汚い、臭い、貧乏」ということでイジメを受けている。
イジメの内容についての描写はかなりあるが、イジメそのものを扱った小説ではないと思う。
コジマは「私と君は仲間だと思う」ということで手紙を書いてきて、二人の交流が始まる。

世界をどのように見るのか。その状況や自分の行動に対して意味を見出していくのか、それとも単一の意味などは存在せず、欲求のみが存在するという見方をするのか。

例えば、イジメという自分に降りかかってきた理不尽な状況をどのように受け止めるか。

コジマは「僕」と立場を同一視するが、微妙な違いがあり、その違いによって物語は展開する。
コジマは実の父親との繋がりを自分の人生の中に位置付けて確認するために、「あえて」汚く貧しく臭い格好をしている。それを理由にしてイジメを受けても彼女は不抵抗であることを決める。このスタイルは自分が選びとっている。抵抗したり、逃げ出したり、その格好を止めることは、彼らの正しさを認めることであり、それは負けることであると。そしてこの非抵抗によってイジメに立ち向かうことは、いずれ必ず大きな意味を持つことになると。意味をもたずに空気だけでイジメに加担している子達よりも、意味を理解しながらその状況を受け入れていくことは「強いこと」であると、ひどいイジメを受けた後の「僕」に諭す。そこには神が人となっても神の子であるというアイデンティティは失わない、受肉の優しさと強さも感じさせる。

「僕」がイジメられる理由は、斜視にある。彼は幼い頃に手術を受けるが失敗し、一生治らないものと思って、そのイジメを受け入れていく。「私は君のその斜視の目が好きだ」とコジマから言われ、自分のこの斜視には意味があるという言葉に励まされるが、同じように不抵抗で状況を受け入れることに次第に限界を感じていく。
そして、医者から斜視は簡単な手術で治るもので、費用も一万五千円ほどであることを知る。斜視であることにアイデンティティを見出そうとしていた「僕」はコジマに相談するが、コジマは拒絶し、そのように逃げる者は自分の仲間ではないとして関係を絶たれてしまう。

斜視の相談と前後して、「僕」は二ノ宮のグループの百瀬と話す。なぜ自分をいじめるのか、そこにどんな意味を見出しているのか、という質問に対して、そんなのに意味なんか感じていないしそんなことはどうでもいい、たまたまその状況にあるだけで、欲求に従っているだけだ、君も嫌なら不登校なり周りに訴えるなり仕返しをするなりすればいいのだ、それをしないということは、意味の存在しないこの世界にあっては欲求に従える人間と従うことのできない人間がいるというだけの話だ、と平然と言ってのける。意味を見出そうとするのは、意味がないという真実に耐えられない弱い人間がすることであって、この世界には意味ではなくただ欲求のみが存在するのだと。

物語のクライマックス、「僕」とコジマは二ノ宮のグループに囲まれ、ここで二人でセックスしろと求められる。それだけは許してくれと懇願し以前コジマが言っていた意味で「屈する」一方で、手に入れた石で反撃をするチャンスがあっても百瀬に指摘されたようにそれをすることができない「僕」。コジマは不抵抗を貫き、彼女は自らと全裸となってその状況を受け入れて見せ、笑いながらその囲んでいる者たちの顔を撫で始める。その「強さ」にほぼ全員が逃げ出し、二ノ宮と百瀬は立ち尽くす。しかし我に帰った二ノ宮は全裸のコジマを倒すが、その時通りがかりの人に目撃されてイジメが発覚することで、物語の展開は終わる。その後、コジマや二ノ宮グループがどうなったかは描かれない。

エピローグ、「僕」は母親と相談して斜視の手術を受けることに決める。アイデンティティのように大切な者であるなら、それはなにをしても意識の中に残るし、そうでないなら残らない。どちらにせよ、解決できることは解決した方が良いと勧められ、手術を受ける。手術後、斜視でなくなった「僕」はよく見える世界の美しさに感動して、物語は終わる。

自分の目の前の出来事には、自分の選択には意味があるのかないのか。ただの欲求の総集に過ぎないのか。外から意味を教えられても自分のものとして受け取ることはできないこと。納得できない状況を解決できるならば、それまでの問いが意外に小さいことであったという実存的な雰囲気も感じられる作品。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.229
(5pt)

面白いです。テーマはイジメそのものではない。この状況に意味があるのかないのか。その意味を見出すのは誰なのか。

主人公の「僕」は斜視で、それが原因で二ノ宮とその取り巻きたちからイジメを受けている。そしてクラスメートのコジマという女子も、女子グループから「汚い、臭い、貧乏」ということでイジメを受けている。
イジメの内容についての描写はかなりあるが、イジメそのものを扱った小説ではないと思う。
コジマは「私と君は仲間だと思う」ということで手紙を書いてきて、二人の交流が始まる。

世界をどのように見るのか。その状況や自分の行動に対して意味を見出していくのか、それとも単一の意味などは存在せず、欲求のみが存在するという見方をするのか。

例えば、イジメという自分に降りかかってきた理不尽な状況をどのように受け止めるか。

コジマは「僕」と立場を同一視するが、微妙な違いがあり、その違いによって物語は展開する。
コジマは実の父親との繋がりを自分の人生の中に位置付けて確認するために、「あえて」汚く貧しく臭い格好をしている。それを理由にしてイジメを受けても彼女は不抵抗であることを決める。このスタイルは自分が選びとっている。抵抗したり、逃げ出したり、その格好を止めることは、彼らの正しさを認めることであり、それは負けることであると。そしてこの非抵抗によってイジメに立ち向かうことは、いずれ必ず大きな意味を持つことになると。意味をもたずに空気だけでイジメに加担している子達よりも、意味を理解しながらその状況を受け入れていくことは「強いこと」であると、ひどいイジメを受けた後の「僕」に諭す。そこには神が人となっても神の子であるというアイデンティティは失わない、受肉の優しさと強さも感じさせる。

「僕」がイジメられる理由は、斜視にある。彼は幼い頃に手術を受けるが失敗し、一生治らないものと思って、そのイジメを受け入れていく。「私は君のその斜視の目が好きだ」とコジマから言われ、自分のこの斜視には意味があるという言葉に励まされるが、同じように不抵抗で状況を受け入れることに次第に限界を感じていく。
そして、医者から斜視は簡単な手術で治るもので、費用も一万五千円ほどであることを知る。斜視であることにアイデンティティを見出そうとしていた「僕」はコジマに相談するが、コジマは拒絶し、そのように逃げる者は自分の仲間ではないとして関係を絶たれてしまう。

斜視の相談と前後して、「僕」は二ノ宮のグループの百瀬と話す。なぜ自分をいじめるのか、そこにどんな意味を見出しているのか、という質問に対して、そんなのに意味なんか感じていないしそんなことはどうでもいい、たまたまその状況にあるだけで、欲求に従っているだけだ、君も嫌なら不登校なり周りに訴えるなり仕返しをするなりすればいいのだ、それをしないということは、意味の存在しないこの世界にあっては欲求に従える人間と従うことのできない人間がいるというだけの話だ、と平然と言ってのける。意味を見出そうとするのは、意味がないという真実に耐えられない弱い人間がすることであって、この世界には意味ではなくただ欲求のみが存在するのだと。

物語のクライマックス、「僕」とコジマは二ノ宮のグループに囲まれ、ここで二人でセックスしろと求められる。それだけは許してくれと懇願し以前コジマが言っていた意味で「屈する」一方で、手に入れた石で反撃をするチャンスがあっても百瀬に指摘されたようにそれをすることができない「僕」。コジマは不抵抗を貫き、彼女は自らと全裸となってその状況を受け入れて見せ、笑いながらその囲んでいる者たちの顔を撫で始める。その「強さ」にほぼ全員が逃げ出し、二ノ宮と百瀬は立ち尽くす。しかし我に帰った二ノ宮は全裸のコジマを倒すが、その時通りがかりの人に目撃されてイジメが発覚することで、物語の展開は終わる。その後、コジマや二ノ宮グループがどうなったかは描かれない。

エピローグ、「僕」は母親と相談して斜視の手術を受けることに決める。アイデンティティのように大切な者であるなら、それはなにをしても意識の中に残るし、そうでないなら残らない。どちらにせよ、解決できることは解決した方が良いと勧められ、手術を受ける。手術後、斜視でなくなった「僕」はよく見える世界の美しさに感動して、物語は終わる。

自分の目の前の出来事には、自分の選択には意味があるのかないのか。ただの欲求の総集に過ぎないのか。外から意味を教えられても自分のものとして受け取ることはできないこと。納得できない状況を解決できるならば、それまでの問いが意外に小さいことであったという実存的な雰囲気も感じられる作品。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469
No.228
(1pt)

作者の視点はいじめの被害者から最も遠い

作者に弱者の気持ちは理解できないし、
理解しようとしないということがよくわかりました。
作者は加害者側の視点の筆致のほうが生き生きとしているようでした。

インタビューで、もっと主人公をひどい状況に追い込みたくなったと言っていましたし、
それが作者の本質なのではないでしょうか。

クラスのヒエラルキー上位の人間が書いたような話で、
肩透かし、怒りを覚えるような作品でした。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.227
(1pt)

作者の視点はいじめの被害者から最も遠い

作者に弱者の気持ちは理解できないし、
理解しようとしないということがよくわかりました。
作者は加害者側の視点の筆致のほうが生き生きとしているようでした。

インタビューで、もっと主人公をひどい状況に追い込みたくなったと言っていましたし、
それが作者の本質なのではないでしょうか。

クラスのヒエラルキー上位の人間が書いたような話で、
肩透かし、怒りを覚えるような作品でした。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469
No.226
(1pt)

いじめの現実を知らない作者のマスターベーション

作者は実際にいじめを受けたことのない人だということだけは理解出来ました。
いじめを題材にして違うテーマを書くことは止めて頂きたかった。
書くのであればいじめにより壊れていく人間の精神世界等きちんといじめと関わりのあるテーマで純文学をするべきだと思いました。
実際に酷いいじめを受けていた人間が読むとヘドが出るほど理想論な世界です。
作者はされる側ではなくした側だったのかなと疑念を抱いた程でした。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.225
(1pt)

いじめの現実を知らない作者のマスターベーション

作者は実際にいじめを受けたことのない人だということだけは理解出来ました。
いじめを題材にして違うテーマを書くことは止めて頂きたかった。
書くのであればいじめにより壊れていく人間の精神世界等きちんといじめと関わりのあるテーマで純文学をするべきだと思いました。
実際に酷いいじめを受けていた人間が読むとヘドが出るほど理想論な世界です。
作者はされる側ではなくした側だったのかなと疑念を抱いた程でした。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469
No.224
(4pt)

「みみずくは黄昏に飛びたつ」で知って

確か自分自身の事をフェミニストといい、その手の話題になると感情的になることから若干マイナスのイメージで読み始めたのですが、正直読みやすく、どちらかと言えば面白かったです。ただ自分としてはもう少し違った結末、展開を期待したし、性的な表現もちょっと違うかな、と。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.223
(4pt)

「みみずくは黄昏に飛びたつ」で知って

確か自分自身の事をフェミニストといい、その手の話題になると感情的になることから若干マイナスのイメージで読み始めたのですが、正直読みやすく、どちらかと言えば面白かったです。ただ自分としてはもう少し違った結末、展開を期待したし、性的な表現もちょっと違うかな、と。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469
No.222
(2pt)

小賢しい小説

元ホステスらしく、裏と表を使い分けるのが上手そうな作家らしい小説です。この人は被害を受けた経験はまずないでしょう。加害者側か若しくは傍観者タイプの人が書いたことが分かる内容でした。
村上春樹風に書いて、それらしく見せかけていますが、何の個性もなく、また虐めのテーマでは何も読者に伝えることが出来ていません。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.221
(2pt)

小賢しい小説

元ホステスらしく、裏と表を使い分けるのが上手そうな作家らしい小説です。この人は被害を受けた経験はまずないでしょう。加害者側か若しくは傍観者タイプの人が書いたことが分かる内容でした。
村上春樹風に書いて、それらしく見せかけていますが、何の個性もなく、また虐めのテーマでは何も読者に伝えることが出来ていません。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469
No.220
(5pt)

ストイック

しばらく前に読んだ作品です。稚拙な独りよがりの可能性もありますので、他のレビューと相照らして読んでください。
「完全な善と完全な悪の対峙」というのがテーマの一つとして挙げられますが、それだけでは内容が薄いでしょう。(倫理や哲学では昔から議論されてきたテーマだと思います。私はその分野に詳しいわけではないですが)
いじめの中身も一方的で、凄惨なものですが、決していじめの評論のような作品にしようと思って書いた訳でもないでしょう。(いじめを取り出すのであれば、加害者側の心理描写や周囲の環境なども書くはず)
では、この本の”本流となるテーマ”はなんなのでしょうか?正直私にも分かりません。
ただ、そのヒントは、コジマと主人公の間にありそうです。つまり、この二人の関係性、あるいは主人公の言動や思考の中にこの作品の核心があるとみて良いでしょう。そして、その核心が姿を表す描写は最後に集中しています。主人公は、最後の方でコジマを思い浮かべながらマスターベーションをします。(女性には少し理解しがたい場面かもしれません)この描写が大きな意味を持つように私は考えました。なぜなら、主人公のコジマに対する捉え方、つまり、自分から見たコジマの立ち位置がその時に変化したものだと推測できるからです。主人公はいままで、コジマを思い浮かべながらマスターベーションしたことはなかったと言っています。また、公園に呼び出された後の一連の描写とも関係性があると思います。
最後、主人公は斜視を直して銀杏並木を見るところで終わります。陳腐な考え方をすれば、前の方でコジマが「あかし」を持っていたのと同様に斜視こそが彼の「あかし」であり、その「あかし」から逃れることにより世界をまっすぐに見ることができた、という解釈になりますが、なんか腑に落ちない…考えると深みにはまります。
ちなみに、ストイックというタイトルは、描写の苛烈さ、この作品を書いた川上さんの苦痛(私の想像)からつけたものです。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.219
(5pt)

ストイック

しばらく前に読んだ作品です。稚拙な独りよがりの可能性もありますので、他のレビューと相照らして読んでください。
「完全な善と完全な悪の対峙」というのがテーマの一つとして挙げられますが、それだけでは内容が薄いでしょう。(倫理や哲学では昔から議論されてきたテーマだと思います。私はその分野に詳しいわけではないですが)
いじめの中身も一方的で、凄惨なものですが、決していじめの評論のような作品にしようと思って書いた訳でもないでしょう。(いじめを取り出すのであれば、加害者側の心理描写や周囲の環境なども書くはず)
では、この本の”本流となるテーマ”はなんなのでしょうか?正直私にも分かりません。
ただ、そのヒントは、コジマと主人公の間にありそうです。つまり、この二人の関係性、あるいは主人公の言動や思考の中にこの作品の核心があるとみて良いでしょう。そして、その核心が姿を表す描写は最後に集中しています。主人公は、最後の方でコジマを思い浮かべながらマスターベーションをします。(女性には少し理解しがたい場面かもしれません)この描写が大きな意味を持つように私は考えました。なぜなら、主人公のコジマに対する捉え方、つまり、自分から見たコジマの立ち位置がその時に変化したものだと推測できるからです。主人公はいままで、コジマを思い浮かべながらマスターベーションしたことはなかったと言っています。また、公園に呼び出された後の一連の描写とも関係性があると思います。
最後、主人公は斜視を直して銀杏並木を見るところで終わります。陳腐な考え方をすれば、前の方でコジマが「あかし」を持っていたのと同様に斜視こそが彼の「あかし」であり、その「あかし」から逃れることにより世界をまっすぐに見ることができた、という解釈になりますが、なんか腑に落ちない…考えると深みにはまります。
ちなみに、ストイックというタイトルは、描写の苛烈さ、この作品を書いた川上さんの苦痛(私の想像)からつけたものです。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469
No.218
(5pt)

コジマ・・・・・

消化不良気味に終わってしまうので「なんでやねん?」って、大阪弁風味いっぱいの気にもさせるけど、「ま、これでええかも!」っていう気にもさせる佳作品。大阪弁を離れたのも、いじめのメッカともいえる標準語使用地域が舞台だから!っていうことなのかどうかは、さておき、ここでも「ま、ええか!」っていうことなのか。

 デビュー2作品は立て続けに読んでしまったけれども、テーマがテーマだけに、今まで積んどく状態だったこの御本。
へヴンてなんやねん? コジマはどうなったん?二ノ宮は?百瀬は?って、気にもなるけど、継母は継母であってもそれなりに母親!っていうことが、最後にわかるところがいいここでも佳作品。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.217
(5pt)

コジマ・・・・・

消化不良気味に終わってしまうので「なんでやねん?」って、大阪弁風味いっぱいの気にもさせるけど、「ま、これでええかも!」っていう気にもさせる佳作品。大阪弁を離れたのも、いじめのメッカともいえる標準語使用地域が舞台だから!っていうことなのかどうかは、さておき、ここでも「ま、ええか!」っていうことなのか。

 デビュー2作品は立て続けに読んでしまったけれども、テーマがテーマだけに、今まで積んどく状態だったこの御本。
へヴンてなんやねん? コジマはどうなったん?二ノ宮は?百瀬は?って、気にもなるけど、継母は継母であってもそれなりに母親!っていうことが、最後にわかるところがいいここでも佳作品。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469
No.216
(4pt)

途中までは良かったけど

途中までは良かったけど、後半以降読むのがキツくなってきました。
救われないとか、そういう感情的な部分を抜きとして
段々、非現実的に感じ始めたからです。
ヘヴン Amazon書評・レビュー: ヘヴンより
4062157721
No.215
(4pt)

途中までは良かったけど

途中までは良かったけど、後半以降読むのがキツくなってきました。
救われないとか、そういう感情的な部分を抜きとして
段々、非現実的に感じ始めたからです。
ヘヴン (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: ヘヴン (講談社文庫)より
4062772469