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(短編集)
たったひとつの冴えたやりかた
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たったひとつの冴えたやりかたの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.00pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全50件 1~20 1/3ページ
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他の本は読んでいないのだが、この本の中で、特に「たったひとつの冴えたやりかた」では、主人公が普通に考えたら選ばないかもという選択をする。 話は、ちょっと親に内緒で冒険に出かけた女の子が宇宙を自分の船で飛んでワクワクしているところから始まるので、結構明るい話のように思えるが、最後に重い話になる。 あとがきで作者が自分の夫と心中したということを知って、もしかしたら作者は迷っている自分を奮い立たせるために主人公がそういう決断をする話を書いたのかなと思った。 | ||||
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本書は1987年10月に日本で3番目に出版されたジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの作品集である。ハヤカワ文庫では同年8月の『愛はさだめ、さだめは死』に次いで2番目に出版されている。 本書は短編集とされているが、3つの中短編を小文でつないだ連作集である。その構成は本書と同年に出版された『すべてのまぼろしはキンタナ・ローの海に消えた』と良く似ている。 本書のオリジナル版は米国で1986年に著者6番目の短編集として出版された。長編を含めると8冊目である。 評者は翻訳された日本語版を基本的に米国での出版順に読んでいるので本書が7冊目のティプトリーになる。 本書は日本で出版されたティプトリーの作品の中で一番読まれているらしい。絶版も多くなったティプトリーの著作の中で今でも増刷されていることや、書評やコメントの数が格段に多いことがその証だろうが、今回実際に読んでみてその理由に納得した。 読み易く、面白く、そして感動的。しかし、ティプトリーらしいとはちょっと言い難い。 本書の特徴は、良くも悪くも本書の標題にもなっている短編「たったひとつの冴えたやりかた」が収録されていることだ。極端な言い方をすれば、本書はこの短編のために出版されたと言えるかもしれない。本書に関する解説、評論、コメントの7割ぐらいがこの短編についてのものではないか。そのことを考えると、この短編だけを収録した新版が出版されたことも理解はできる。(賛同しないけど) ハヤカワ文庫、そして翻訳者の浅倉久志氏が2番目に本書を選んだのは早川書房の販売戦略的には正解だったのだろうが、ティプトリー的にはどうだったのだろうか? 小説というものは、どのような順番であれ読まれてこそのものなので、読者を増やすことが一番なのだろうが、本書を読んで初めてティプトリーのファンになった人たちにとって、その後は結構厳しかったのではないかと思う。 評者は、最初のティプトリーとの出会いが短編「愛はさだめ、さだめは死」だったし、文庫本は米国での出版順に読んできたので、ティプトリーの作風やそのバリエーション、また年代的な変化をある程度は理解しているつもりだが、最初に本書を読んだ人が、ティプトリーという作家はこういう物語を書く人だ、ティプトリー大好き。と考えたとしたら大変だなと思う。 大きなお世話かもしれない・・・。本書を読了した後、あちこちのコメントを読んでみると、本書をきっかけにSFを読むようになったという声を結構見かけた。ティプトリーも本望だろう。 もちろん、これもティプトリーだ。本書にはティプトリー自身が幼かった頃から大好きだったSFに対するオマージュが顕われていると思う。極初期の作品に見られたようなオーソドックスなSFに対する指向が復活したと言えるのかもしれない。 一方で、ちょっと気になったのは、解説でも紹介されている、本作に対する、「この小説を読み終わる前にハンカチがほしくならなかったら、あなたは人間ではない」というある書評家の評である。 評者のようなすれっからしになると、こういう言葉も、ひとつのキャッチフレーズ、書評におけるレトリックに過ぎないと思うが、これに対して、「自分は感動できなかったので人間ではないのだ。」という声を何回も見かけた。もちろん皮肉で言っているのだろうが、どこまで拗らせているのか?と思っていたが、ふと、自分が、ここまで本書を読まずにいたのもこの言葉に束縛されていたためではないかと気付いた。 今回読んだのは、1990年に買っていた旧版(表紙:川原由美子)の6刷だが、当時既にすれっからしになっていた評者も、当時この言葉を知って、自分は人間ではないと思わせられることを恐れて、読まないまま封印してしまったような気がする。もちろん読まなかったのはそれだけが理由ではなかったし、結果的にはそんなことはなかったが・・・ 本書(特に第一話)が読み易いのは、ティプトリーの特徴である実験性、攻撃性を廃して、オーソドックスなSF冒険小説の枠組みで書かれていることと同時に、ヤング・アダルト向けの作品となっていることだろう。 全体を繋いでいる小文の登場人物は若い大学生のカップルだし、第一話は16歳の少女の冒険と友情の物語だ。第二、第三話の主人公は少年少女ではないが、どちらかといえば若く行動的なキャラクターが選ばれている。脇役には中年、初老のベテランが配されており、彼ら、彼女らに託されて作者の心情が語られている部分もあるので、ヤング・アダルト・オンリーではないが、これまでの作品とはかなり異なる。 第一話を読んだ時には、正直、これがティプトリーの作品だとは信じられなかった。 評者が注目するのは、このような作風の変化がいつ頃から現れたもので、そのきっかけは何だったのだろうということだ。 振り返って見れば、『輝くもの天より堕ち(1985)』と『すべてのまぼろしはキンタナ・ローの海に消えた(1986)』を読んだ時には、明らかにそれまでのティプトリーとはちょっと違うものを感じた。短編で言えば『星ぼしの荒野から(1981)』に収録されている「たおやかな狂える手に(1981)」を最後に、それまでの尖がった攻撃性は姿を潜めたように思う。 1982年から1984年の間、ちょうど“キンタナ・ロー”の作品群を書いていた頃、著者になんらかの心境の変化があったのではないか? もしかしたら、“攻撃的で実験的な作品はもう十分書いたので、これからは子供の頃から大好きだったオーソドックスなSF、楽しめるSFを書こう。”と思ったのではないか? 第一話の短編「たったひとつの冴えたやりかた」は、長編『輝くもの天より墜ち』と同年に発表されている。本書のプロローグでも言及されているが、両者は同じ世界線に属する物語であり、時代的にはかなり離れているようだが、共通する用語や設定も多い。解説でもふれているが独自の新しい未来史の構築を考えていたようだ。 なお、過去の作品で言えば、第四短編集『星ぼしの荒野から(1981)』に収録されている短編「われら〈夢〉を盗みし者 (1978)」に同じ製造過程で作られる銘酒〈星の涙〉が登場するが、これは同じ未来史とは考えにくい。設定の流用だと思う。 これで、翻訳された未読の作品集は『あまたの星、宝冠のごとく(1988)』一冊だけになってしまった。収録されているのはどんな作品なのだろうか? 期待が大きくなり過ぎるのがちょっと心配・・・ 以下、収録作について記載しますが、ストーリー展開に触れているので、未読の方は注意願います。 全体の構成 コメノの大学生カップルがヒューマンの歴史資料を求めてデネブ大学の図書館を訪れる。主任司書のモア・ブルーは二人のために3点の資料(小説)を探し出すが、貸し出せるのは一度に1点ずつ。ブルーは毎回、読後の感想を聞きながら貸し出した資料の返却を受け、簡単な説明と共に次の資料を貸し出す。二人の学生はその資料(小説)によって徐々にヒューマンの文化に対する理解を深めていくのだが、同時に、自分たちの歴史がヒューマンと深くかかわっていること、異星人であるにも関わらずヒューマンと自分たちの間には共通点が多いこと、ブルーが自分たちのために最高の資料を探し出してくれたことを理解していく。冒頭の対話の中で『輝くもの天より墜ち』のダミエムと〈星ぼしの涙〉の話が語られている。 主任司書モア・ブルーは作者自身、二人の学生は読者かな? 第一話 たったひとつの冴えたやりかた 宇宙探検に憧れる少女コーティーは16歳の誕生日に両親から宇宙艇をプレゼントしてもらい、万全の準備を整えて未踏星域〈北部大星溝(グレート・ノース・リフト、通称リフト)〉に向かって飛び立つ。しかし、気がついた時、コーティーの頭の中には未知の異星人が寄生していた。 シロベーンと名乗るその異星人はまだ幼体らしく、その控え目な態度に好感を抱いたコーティーは、意思疎通を図る中で親近感を感じていくが、その生態が明らかになってくるにつれてシロベーンは未来に脅えるようになる。コーティーはシロベーンを励まして二人で“たったひとつの冴えたやりかた”を選択する。 物語は、コーティーの報告書を受け取ったパトロールの辺境基地の対応と併せて語られる。 宇宙探検には避けることのできない悲劇が発生する場合がある。それは、どれほど慎重に準備したとしても避けることができない。また、それは探検隊の規模や経験には関係ない。ただ、それを悲劇と考えるか、それ以外のこともあったのだと考えることができるのか答えることができるのは当事者だけ・・・ 本編の注目ポイントは、なによりもまず主人公コーティーのキャラクター。聡明で、慎重で、ちょっぴり無謀だけれど勇敢で、好奇心旺盛で、感受性豊かな性格は読者が想像する作者本人のようだが、その慎重さは自ら衝動的だったと語る本人の性格とはちょっと異なるようだ。高齢になった作者が創造した理想の少女像なのだろう。 そして、異星種族イーアの個体シロベーン。コーティーはそれが自分に良く似た性格の未成熟体だったため、シロベーンを自分と同じ少女だと考えて友情関係を育む。 ファースト・コンタクト。異星人の生態。コーティーの報告を聞くパトロール隊司令とコーティーの父親。すべてが慎重に設定され配置されている。まさにベテラン作家の技だ。 シロベーンの生態、性格を読んで岩明均『寄生獣』のミギーを思いだした。 第二話 グッドナイト、スイートハーツ 〈リフト〉で遭難船の“回収救難”に従事する自営業者レイブンの物語。戦争のトラウマ治療によって過去を失い、冷凍睡眠を繰り返しながら星の少ない辺境星域で働く彼は100歳にもかかわらず30歳の若さを維持していた。ある日彼は燃料切れで遭難したパラディン男爵の豪華ヨットの救援に向かうが、そのヨットにはグリッド・ワールドの美人スター、イリエラが同乗していた。レイブンは彼女が全身の美容外科手術を受けた高齢者であることに気付き、失われていたレイブンの記憶が甦る。イリエラは同級生だったレイブンと別れてグリッド・ワールドに向かった昔の恋人だった。 燃料の補給を終えてレイブンの救援船から去って行った豪華ヨットは〈暗黒界〉の宙賊に襲われる。レイブンは再び救援に向かい、用意した装備を使って宙賊船に乗り込み宙賊たちを眠らせて男爵やイリエラたちを解放する。 イリエラは宙賊船に捕まっていた自分のクローン、イレーンを発見する。宙賊は植民星を襲ってイレーンを奴隷としていたらしい。イレーンはイリエラがレイブンの恋人だった頃そのままの姿だった。 レイブンは束の間イリエラとイレーン、かつての恋人とそのクローンと共に暮らす未来を夢見るのだが、男爵の友人の僧侶が宙賊の頭を解放したために形勢が逆転してしまう。 レイブンはどのようにしてかつての恋人たちを救出するのか?また、レイブンはイリエラとイレーンを前にして、どのような未来を選択するのだろうか? 本編の注目ポイントはレイブンのキャラクター設定だろう。歳は取っているが美貌を保っている昔の恋人本人と、当時の彼女の姿そのままだが当時の記憶を持っていない彼女のクローン。その二人を前にして都合の良い妄想に浸る主人公は、男に違いないと思われていた作者の本領発揮だ。結末も・・・ 本書における本作の役割は、〈暗黒界〉の恐怖を予感させる布石としてのインター・ミッション・・・ 第三話 衝突 〈リフト〉に近い辺境の連邦基地では〈暗黒界〉の宙賊による植民惑星への侵略が問題になっていた。そんな時、基地に古いメッセージ・パイプが届く。それは一世代前に〈リフト〉の調査のために送られた探査船リフト・ランナー(R・R)1号が20年前に〈リフト〉深部から送った中間報告だった。そこには〈リフト〉の対岸には未確認の文明圏が存在するらしいことと、隊員たちが奇妙な現象に襲われていること、さらに調査を継続することが記載されていた。 ちょうど同じ頃、〈リフト〉の対岸では〈調和圏〉の本拠惑星ジールタンの異星種族ジーロたちが、辺境を脅かしているジューマン、またはジューマノールと自称する未知の種族への対抗策を検討していた。 以後、両文明圏の状況が交互に語られる。ヒューマン側については間隔をあけて到着するメッセージ・パイプの報告と、それを受け取る辺境基地の対応が。また、ジーロ側については、その事件に対応する異星人たちの行動が描かれる。 何十年か後、〈調和圏〉がジューマンに脅かされていることなど知らないR・R1号は、発見した未確認文明圏の中心惑星ジールタンに着陸する。 当初は単なる未開種族がまたやって来たぐらいに思って、おざなりの対応をしていたジーロたちだったが、お互いの言語を教え合っているうちに相手の言語がジューマノールに似ていることに気付いて態度を変える。R・R1号の隊員たちはそれに気づいて逃亡するが、燃料不足でとても逃げきれそうにない。また、何とかして彼らの誤解を解かなければ種族間戦争という大きな悲劇が起こるだろう。 R・R1号のアッシュ船長は追跡してくるジーロの戦艦のクリムヒーン艦長に、自分たちヒューマンの文明は平和的交渉を求めており、ジューマノールはジーロの敵だが同時にヒューマンの敵でもあることを信用させるしかないと決意する。 本編も第一話と同様にファースト・コンタクトとコミュニケーションがメイン・テーマ。 本編の注目ポイントは、なによりもクライマックスのアッシュ船長がクリムヒーン艦長を説得する場面。何とかして悲劇を避けようと、不自由な銀河共通語を使って説得を繰り返す。この努力には頭が下がる。 設定としては、異星種族ジーロの生殖形態が凄い。“性動物”ムルヌー(乳母)など、数々の異星人の生態を描いてきたティプトリー以外にはなかなか考えつかないのではないか?もしかしたら黒人の乳母とティディベアの合成ではないかと想像するのだけれど・・・ 〈暗黒界〉のジューマン(ジューマノール)を利用したストーリー構成は見事。 宇宙探検と未知種族との接触において、なんらかの犠牲はつきもの。不可避であり、覚悟が必要・・・ 自分が相手の種族になってしまったように感じる“精神感応力”の設定は面白いけどちょっとご都合主義過ぎる。でもこの設定がなければ、この物語自体が成立しないか・・・ | ||||
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『たったひとつの冴えたやりかた』は表題作を含む3篇で構成されています。 表題作が最も有名、印象的、感想も分かれるものと思いますが、3篇読み直すことで感想が少し変わり得るのではないかと思います。 表題作を読んだだけでは、切なくてセンチメンタルな気分になったのみでしたが、残り2篇を読むことで「個の選択によって、歴史やいまを生きる社会が作られているのだ」という気持ちにさせられます。 たとえば、コーティが「冴えたやりかた」をとるか否かによって、連邦に訪れる危機やその後の連邦(社会)の在り方も大きく変わったのではないかと思うのです。 コーティがその選択をしたことが良いか悪いかは視点によって異なると思いますが、コーティの選択によって連邦の運命が大きく左右される状況であったことには間違いないのではないでしょうか。 まさに「全体の命運を左右するような大問題が、その瞬間瞬間には、個人のささやかな行動のうえにのっかっている(p.367)」ことを1冊を通して実感させてくれる名作であり、翻って私たちの生きる社会もそうなのだと思わせてくれました。 SF作品として面白いだけではなく、示唆にも富んだおり、さすが広く長く読まれている作品だなぁと思います。 | ||||
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20世紀アメリカのSF作家ジェイムズ・ティプトリ―・ジュニア(1915-1987)によるスペースオペラの連作中編集、1986年。どの話も好きになれない。 ※ 以下内容に関わる記述が含まれますので、未読の方はご注意下さい。 ※ □ 第一話「たったひとつの冴えたやりかた」 集団のために自分の生命を犠牲にする行為を有意味かつ美しいものとみなす「英雄主義」の感性、そうした犠牲者を称揚する「英霊主義」の感性は、もしそこに政治的な思惑がないとするならば、ただの独善的な自己陶酔でしかない(もちろん、政治的な思惑がないからといって、政治的な効果をもたないということにはならない)。いかにも「日本人受け」する物語であろうとは思ったが、アメリカ本国でもそれなりに評価されているらしい。要は「特攻隊モノ」。この物語と同族のヴァリアントはいたるところで目にするありふれたものだが、そのプロトタイプは歴史的にどこへ/どこまで遡ることができるのかという点には興味がある。自己犠牲の物語が異様にひとを惹きつけるものであるのは事実であるから。「この小説を読み終わる前にハンカチがほしくならなかったら、あなたは人間ではない」と評されたそうだが、「感動」というのは確かに生理現象に近いものなのかもしれない。 なお原題は、”The Only Neat Thing To Do.” □ 第三話「衝突」 この物語は、他者との関係性を構築しようとしているのではなくて、自己の内なる疑心暗鬼を他者に投影し、実際は不可能な正義の振舞いに自己を同一化させただけのものにしか思えなかった。そこにあるのは、他者を他者としてみることができずにいる、あくまで自己を主体として他者を劣位の客体のままに固定しておこうとする、独善的な植民地主義の眼差しであり、欠けているのは、自己を対象化する反省的な眼差しではないか。 第一話と第三話は、どちらも末尾における後日譚の語られ方に、物語の残念な正体が暴露されてしまっているように感じた。 | ||||
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たった一つの冴えたやりかたの意味がわかった時の 何とも言えない心の感じがもやもやとくすぶっている | ||||
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SFマニアには物足りない、出来ればハイテクや重厚やひねりのSFを読む前に読んでほしい本 シンプルで正統な物は子供の頃に読むべき 自分も中学生くらいでこの本を読んで共感したかった 何故か昔にやってたアニメ世界名作劇場を思い出した そういう感じの話 | ||||
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この作品の日本語版が出来た直後に(前々からの取り決め通りに)夫を殺した上で71才でピストル自殺をした著者の事を考えながら読むと、3つの物語をまとめた短編集で構成された本書の最初のエピソードにして名作の「たったひとつの冴えたやりかた」のヒロインと宇宙人の友情といったSF的な展開とは別に”生と死”についての普遍的なテーマが込められている様にも感じてしまう。 そしてネットもEメールも存在しない時代、情報を伝達するメディアとして「宇宙船」内で「カセットテープで録音」という描写に、思えば遠くへきたもんだ的な懐かしさを絵柄と共に感じさせます。 中編SF小説の名作を探している誰か。そして古き良きSF小説を懐かしく思う誰かにオススメ。 | ||||
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表題の最初の話だけのレビュー。 レビューをみて購入きめてワクワクして読んでみたけど、 私にはウーン…なんかモヤる、となった。 図書館で異星人がヒロインの本を読む下り、機器の操作の描写などは まわりくどく感じたり、堅苦しかったり、ちょっと倦厭してしまった。 こういった描写が醍醐味なのかもだけど。 では、内容の感想。 私は主人公の女の子に共感できず泣けなかった。 実際にいたら関わりたくないし、友達になりたくないな。 宇宙に飛び出す独りよがりで周り見てない身勝手さが気になった。 頭良くてしっかり者で優しい子は、こんなバカなことしないよ。 少なくとも私の周りではそう。 あと、ヒロインの言動が淡々としていて、喜怒哀楽も人より 欠如してる風にみえて、なんだか冷たく感じた。 「しっかりしてるから」っていえば聞こえはいいけど。 友人エイリアンに対しても、本人はそのつもりなくても 自分の命がかかってるのに、お人よし的な感じ?だし。 周りの事は考えないのに、いきなりの友達?に対しては真逆。 余計に偽善的に見えちゃったりしなくもない。 最後も、ホントは生きられたのに人類のために犠牲に、という 流れでもなく、死は確定事項だったわけなので。 涙を誘うといわれてるのも、なんか少し違う気がする。 普通だったら、頭もよく行動力あってサバサバしてる人って 好感持てるし好きなんだけどな。 誰かに迷惑かけない限りは。 でも、このヒロインはいくら頭よくたって、 人類や友達のこと考えたって、そもそも両親や周りに迷惑を かけるとかは本気で理解してないし、気にしてない。 両親に謝る言葉も一切ないしね。 全く後悔してないゆえの行動なのかもだけど。 自分の探求心が一番でもいいけどさ。 もっとやり方あったよねと思うし、冴えてないよ。 成人して正規ルートで探査チームに入るとかさ。 私には無鉄砲で単に自己中な人にみえてイライラした。 そんで勝手な行動をした結果、お涙ちょうだい的な哀しい結末に。 (悲劇まっしぐら、と読んでて先が分かりすぎたし) でも、そこでも違和感。 生きたい、やりたいことがもっとある、仲が良い親がいるっぽい、 もしかしたら周囲にも親密な人たちがいるかも?…だとしたら、 あんなアッサリ淡々と即断即決、サクサク悲劇に進むかな? なんだか納得がいく心情描写が少ないためか、あまり胸に届かなかった。 SF小説って専門的な描写や淡々とした描写が常かもしれないけど。 そのせいだとも言えないような。 (でも、最近よんだ他のSFは心理がちゃんと理解できるように 描写してあって、ちゃんと感情移入できた) 人類からみれば英断だろうし、友達エイリアンとの友情アツイ!となり そこだけフォーカスすれば、切ない!ってなるのかもだけど。 でも読んでて、全体通して根底ではずっとモヤモヤしてた。 ヒロインの持ち前の強さや潔さのせい?で彼女の怖さや不安を あまり感じず、淡々とした感じにみえちゃう。 頭よすぎてサバサバしてるのはいいけど、もっと葛藤とかさ… もっとこう、複雑な心情とかさ…もちょっと人間味ほしいよ。 泣けないのは人間じゃない、と言われてる作品だそう。 そうなんだ…ビックリだ、、 …作者さんの最後を知って、また色々考えた。 死を伴うあまりにも強固な意志において、そういった意志を持てる人なら その生きざまやプロセスにおいて、人様に迷惑かかろうがなんだろうが もう色々と超越してしまうかも。 そんな確固たる意志をもてる作者さんがこの小説を書いたって考えると、 その頃もう自分の幕引きを悟っていたなら、こう突き抜けたヒロインが できあがるのは納得かも。 あと、想像力が豊かすぎると、もしかしたら死に対して、そこまで 世間一般でいう恐怖や不安レベルまで感じないのかもしれないな、って。 | ||||
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表題作のみならず他の所収作も感動的なものばかりである。旧版を購入したが、本文に相俟って川原さんの挿絵も素晴らしい。近年、訳者が幾たびか改訳を試みているとのことであるが、元のままでも特に日本語として不自然とは感じなかった。 | ||||
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表紙買いしたので内容にはあまり期待していなかったのですがそんなことはありませんでした。内容については他の方のレビューを読んでください。私からはとにかく読めとしか言えません。 翻訳の文体は古めかしいので馴染みのない方はつまずくかもしれません。僕は少しつまずきました。しかし得られるものは大きいはずです。 | ||||
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主に表題作についての感想です。思いっきりネタバレしますので未読の方は読まないでください。 発想とか展開自体は面白いと思うのですが、著者の泣かそうと言う意図を感じて不快でした。 いや、泣ける話じゃねーだろと思っちゃって。 途中からおかしいなとは思ってたんですよ。全く感動する様な予感は無く、寧ろ何か恐ろしい結末に向かってるような気がしていたから。そしたら案の定ですよ。 天真爛漫な少女が無鉄砲な宇宙旅行に行った挙句脳内生物に脳を食い破られる話に感動しろって? 面白い作品だとは思うけど、これで泣けたとか言う読者にはついていけない。どちらかと言うと恐ろしい話では?何だったらSFホラーと言っても良いと思うが。 「これで泣けなかったら人間じゃない」? 逆にこれを泣けるとか言っちゃう人間の方がどうかと思いますわ。 多分少女の最後の自己犠牲について泣けると言いたいのだろうけど、取って付けたような理由で少女の死を正当化してるようにしか思えません。 そもそもこの少女がこんな目にあったのは世の為人の為ではなく、親に内緒で無鉄砲な旅に出たからな訳で、その結果死んで親を悲しませる事に対してこの子最後まで謝罪の言葉すらないんですね。 「パパ、ママ、愛してます」じゃねーだろ。ごめんなさいだろ。 少女は最後人間にとって脅威をもたらす脳内寄生生物と共にその付近の太陽に突っ込んで死ぬのですが、その自己犠牲の精神には歪なものを感じます。 あの状況下で他に方法が無いのは分かりますが、たった一つの冴えたやり方とは思えません。 親に無断で旅に出ない、と言う常識的な選択肢を取らなかった結果起きた状況なので。 しかも腑に落ちないのはこの最後、作者もまたこの話を泣ける話として片づけてるような描写がある事です。 SF作品には出版社や映画会社が作者の意図をねじ曲げて、原作を単純なお涙頂戴作品として宣伝している作品が多々ありますがこれはそれらとはちょっと違うように感じます。 あとがきで、この著者の死を知りましたが、それで納得いった気がします。 その死に対して「その苦しみについて考えたら単純な罪悪では語れない」とある人は言うかもしれません。 しかし私に言わせればそれはあべこべな考え方だと思います。 逆にその最後の選択は、著者がそれを単純な正義と考え自分の行動に酔っていたからこそああいう行動に走りこう言った独善的な話を描いたのでしょう。 私にはそれが「たった一つ」で「冴えたやり方」であるかどうか考えるだけの視野を持たず、自己犠牲の精神を無条件で単純なお涙頂戴にしている作者の姿勢はどうも独善的であり嫌悪感すら感じます。 どうしても好きになれない作品です。 | ||||
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片山若子さんの表紙に惹かれて買いました。活発で明るい少女と姿の見えないエイリアンとのやり取りが微笑ましい。このまま少女の思うような人間との新しい交流が出来るのだろうかと思いましたが…。彼女が今精一杯出来る事を考えやった事。悲しい話のようで彼女の温かさも通して伝わってくる話でした。 | ||||
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単なる物語として読んだら面白くもなんともない、ライトノベルと大差ない凡作である。1985年の発表以来、SF入門書として特に日本で読み継がれている理由はおそらく他にある。 本作が書かれた時、作家の夫は老人性痴ほう症におかされていた。その翌々年、かねてからの夫との約束どおり夫をショットガンで射殺、自らもその銃で頭を撃ち抜き自殺した悲劇をふまえて読むべき予告的作品である。 おそらく主人公コーティの脳に寄生したエイリアンは、作家の夫の脳をおかしていた病巣のメタファーであり、小説に書かれている“たったひとつの冴えたやり方”とは、無理心中という“たった一つの解決法”を意味するのではないか。 夫の病気がこのまま進行すればそれ以外他にとるべき手段のないことを、心臓疾患の持病があったティプトリーは予感していたのではないだろうか。 大学在学中に中絶手術を受けたせいで子供を生めない体になっていたティプトリーは、男性名で小説を書き続け、母親の死亡記事がきっかけでようやく女性であることが判明したという。 本作における性描写(交尾)や、胞子をばらまこうとするエイリアンの本能に作家自身の嫌悪感が滲みでているのも、そんな作家の実人生とけっして無縁とはいいきれないであろう。 コーティーのサクリファイス的決断に対し無批判に賛辞を送る科学者たち。くじけそうになる心中の意思を自ら鼓舞し続けた作家の“痛み”が伝わってくる作品である。 | ||||
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第一話の主人公コーティ、明るくて好奇心お旺盛で、勇気があり魅力的な少女だった。 脳を汚染する胞子を、故郷の惑星に持ち込むのを防ぐべく、自ら太陽に接近していく。 コーティからのメッセージを、基地の職員と共に聞いているコーティの父親の気持ちを思うと 自分も同じ年頃の一人娘がいるだけに、心が痛んだ。 第三話は特に、素晴らしかった。惑星間大戦争を防ぐべく、命を投げ出す隊員、言葉もろくに通じないエイリアンを 相手に、諦めずに何度も説得を試みる船長。 現実に立ち返ると、民族間、国家間、宗教間で様々な対立が続いている。その緩和のためには、 相互理解を少しづつでも深めていくことが大切だと教えてくれる。 それに第一話でも第三話でもそうだが、全体の為に、自らを犠牲にする、他者への愛というか強さというか、 心打たれた。日本の特攻隊も似た精神であったのだろう。 自分なら、他者への大きな悲劇を回避すべく、同じ行動が取れるだろうか。気持ちは持っていたい。 本作を執筆して、一年ほど経って原作者は自殺したらしい。本作には作者の深い思いが込められてるだろう。 | ||||
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セリフの言い回しが流石に古臭く、80年代にカッコイイ言い回しなんだろうなという感じ、 当時は本当に宇宙人がいると思ってる人がほとんどだったので、宇宙に対する憧れや、 アメリカ映画特有の必要以上に大げさで格好つけた感じの言い回しが、今見るとちょっと違和感が強い。 内容的にも名作といえるほど感動もなく、大ドンデン返しがあるわけでもなく、えっバッドエンドかよ、後日談なしかよ。 という物足りなさ。 SF的なものが好きな人いがいには面白いと言えない内容でした。 キュンと来るものが無かったので星1つです。 | ||||
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SF古典に当たる本作だが、入門書としてもオススメ。 何よりも読みやすいし、ここからSFにハマるきっかけにもなる。 それにしても『たったひとつの冴えたやりかた』の読後感は切ない・・・ | ||||
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会話が変。読みにくい。現実を忘れるような驚きや別世界にいるような感じはない。SFではない。 | ||||
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最初はとっつきにくいかもしれませんが、後半に近づくに連れて恐怖と不安と悲しさと苦しさが押し寄せてきます。 けれども確かに名作でした。 | ||||
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■「 たった1つの冴えたやり方」 これは、なんていうか、抜群に面白いです。 子供の頃読んでたらヤバかったなあ。鳥肌立ちました。 溢れんばかりの好奇心と圧倒的行動力を小さな船に詰め込んで、 家出同然、たった1人で未開の宇宙に飛び出す16歳の女の子の話。 少女らしい明るさと、聡明さと、キラッキラした眼差しで、 人類にとって極めて重要な問題に立ち向かい、 たった1つの冴えたやり方を見いだします。 それがあんなに切ないものだとは。 理性ってなんだろう。 ■「グッドナイト、スイートハーツ」 打って変わってハードボイルドもの。 タフで孤独なサルベージ業の男が、 華麗に業務を遂行していく中でうっかり自分の過去と向き合う羽目になり みっともないほどうろたえる話。 1話目の主人公よりずっと経験のある、百戦錬磨の成熟した男なのだけれども それだからこそなかなか冴えたやり方を選び出せません。 幸福ってなんだろう。 ■「衝突」 未知の高度文明と接触する時、 相手が明らかな敵意を持っていた場合でも戦争は回避できるのか。 というデリケートな話。 ともあれ古典的な設定を使って、ユーモアを持って描かれるので 緊迫したシチュエーションとのギャップが面白いです。 文化も体質も違う、言葉も通じない、戦力も不明の不気味な相手に 針に糸を通すような交渉を試みる艦長同士 (ただし人類は探査船、先方は駆逐艦)の交流が熱い。 この状況を空想する事自体が面白いし、結果幸せな気分になれます。 しかし、この作者の想像力ってすごいなあ。 いったいどんな生き方してたらこんな話が書けるんだろう。 と思っていると、 最後の訳者あとがきで最大級の衝撃が走ります。 マジか。 作者の有り余る想像力が、その人生の終盤で 凶器となったのではないことを祈ります。 それじゃあんまりだ。 | ||||
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化物語シリーズの何かで、ディックの「アンドロイドは電気羊の夢を見るのか」ハインラインの「月は無慈悲な夜の女王」と、この「たったひとつの冴えたやりかた」をあげていたのがきっかけで読んだ。 ディックの作品はいくつか読んでたから、権謀術策渦巻く推理バトルとかなのかなって思ってたけど、装丁見てなんか違うぞって思って、読んでみたらほっこりしながらも感動するいい作品だった。 短編が緩やかにつながっていて、長編作品とはまた違う読みやすくて、読後感の爽やかなSF。 装丁の色使いは読んでいる時の気分がよく表れているなぁと個人的には思っています。 | ||||
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