(短編集)

老いたる霊長類の星への賛歌



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老いたる霊長類の星への賛歌 (ハヤカワ文庫SF)

1989年06月01日 老いたる霊長類の星への賛歌 (ハヤカワ文庫SF)

理想の植民星を発見した探査船ケンタウルス号。だが、その唯一の帰還者で、異星生物を持ち帰った女性生物学者の報告が明かす恐るべき真実とは?…性心理を探求する「一瞬のいのちの味わい」、太陽フレアにまきこまれ、NASAとの接触を失ったサンバード号の乗務員が見た未来の地球の異様な姿を通して、ヒューゴー、ネビュラ両賞受賞の栄冠に輝く「ヒューストン、ヒューストン、聞こえるか?」など、つねにSF界に衝撃を与えつづけたティプトリーが、現代SFの頂点をきわめた傑作中短篇7篇をここに結集!(「BOOK」データベースより)




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No.5:
(5pt)

作風が変わってきた第三短編集

本書は、ティプトリーの第三短編集“STAR SONGS OF AN OLD PRIMATE (1978)”の全訳である。
 日本では当初、ティプトリーの最初の短編集として1986年にサンリオSF文庫から出版されたが、その後、同文庫がなくなったため、1989年にハヤカワ文庫SFから、「たったひとつの冴えたやり方」に次ぐ三番目の作品集として出版された。

 本書には比較的初期の作品ではあるが既出の2冊に収録されなかった2つの中短編と1976年に発表された4つの中短編が収録されている。
 ル・グィンによる巻頭の序文と巻末の鳥居定夫氏による解説で詳細に説明されているが、本書が出版された前年、1977年にティプトリーが女性であることが明らかになった。その意味で本書は“(第一の)ティプトリー・ショック”の時期に出版された作品集ということになる。
 評者は、今回、ティプトリーの短編集を原著の出版順に読んでいるので本書が三冊目になる。この順番で読むと作風の変化をだいたい執筆順に沿って読むことができるが、一方で、多分彼女の作品の中で多分一番有名な作品である「たったひとつの冴えたやり方」を、まだまだ当分読めそうにないという欠点がある。
 なお、評者にとって先に読んだ二冊は再読だったが、本書以降は長い積読から解放されることになる。

 ル・グィンの序文は、男性作家だと信じられていたティプトリーが女性だとわかったことによって起こった混乱について、自分自身が感じたとまどい、驚きを告げ、自分が知っている彼女について紹介した後、作家を性別によって理解しようとすることに意味はあるのかと問う。そして、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアという男性名をつけられた作家自体もアリス・シェルドンの創作物の一つかもしれないが、アリス・シェルドン本人と共に確かに実在しているのだと主張する。
 一方、巻末の鳥居定夫氏による解説は、その序文を受けてなぜアリス・シェルドンがジェイムズ・ティプトリー・ジュニアという男性名の作家を創作したのかという問題に迫っているのだが、さすがにティプトリーの名前をもじって自分のペンネームにしているだけのことはある。その解釈には納得させられるところが多かった。というか、先の二冊を読んだ時、初期の作品があまりにバラエティに富んでいるような気がすること、さらに、それぞれの作品の語り口が単に技巧派だという以上に達者なことに圧倒されて戸惑った理由が以下の文章で見事に説明されている。
 “アリス・シェルドンというひとは、自分をさらけだしたくて、SF作家になったひとではない。このひとにとってSFは、自分自身の(とほうもない)日常と隔絶されたところにひろがる夢の国だったのである。彼女にとって、SFを書くということは、一種のオマージュ、過去に読んだ作品をもういちど自分の声で語りなおしてみたいという、ただそれだけの、ものすごく純粋なファン活動でしかなかったのである。”

 なお、本書を読む際、参考にするために、解説等で触れているSFM‘89年12月号掲載のチャールズ・プラットによるティプトリー・インタビューも併せて読む。

 以下、個々の作品について感想など ( )内は初出。【ネタバレの感想は最後にまとめています。】

汝が半数染色体の心 (Analog 1969/09)  約113枚
 御者座イプシロン星Vの地球型惑星エスザアに派遣された2人の地球の調査官。当地の支配的種族エスザアンは、フレニと呼ばれる集団をひ弱な種族として保護の名目で抑圧しているが・・・
 作品の冒頭に作者からの簡単な紹介文が掲載されており、本篇をソフトウェア科学を用いた純粋な性・生物学のミステリーであって、同じように性心理というテーマを扱った「一瞬のいのちの味わい(1976)」の前駆的作品と説明している。
 全体の雰囲気はル・グィンの文化人類学テーマのSFに似ている。『闇の左手』の初版発行が1969年の3月なので、その直後ということになるが、影響を受けたのだろうか?
 銀河連邦と社会の構造、生物学的アイデア、サスペンス、ロマンスが程よくミックスされており、高く評価されているのは理解できるが、評者は、主人公と同僚のコミュニケーション・ギャップが事態の収束を遅らせてしまったのではないかというモヤモヤを感じた。それは、作者がミステリーを意識し過ぎたために謎の解明を後回しにしたためではなかろうか。
 しかし、世界観はともかくとして、生物学的アイデアはこれまでのティプトリーの作品には見られなかったタイプのもので、評者は立派な科学的アイデアだと思う。作者はなぜかソフトウェア科学と呼んで卑下しているようにも見えるが、ハードウェア志向のSFに対してコンプレックスでもあるのだろうか?それとも単なる皮肉なのか?

エトセトラ、エトセトラ (Phantasmicon 6 ファンジン 1970)  約13枚
 オリオンに向かう旅客宇宙船内の情景を描写した掌編。社会の閉塞感を感じる大人たちと未来を目指す幼児の姿を対比しているのだが・・・
 ショート・ショートなのか? 最後の記述はオチなのか? 既知の宇宙を制覇した文明社会の閉塞感は小松左京の初期の短編「彼方へ」を思い出した。

煙は永遠にたちのぼって (FINAL STAGE - The Ultimate Science Fiction Anthology 1974)  約60枚
 1942年、14歳のピートは初めて手に入れた自分の12口径で山の湖の鴨を狙っていた。次の場面は1944年、16歳になったピート。次はポトマック河畔、朝鮮戦争から帰ってきたピート。そして1984年、ベセスダ郊外のNIHの研究室にいるピート。そして再び14歳のピートは故郷の山の湖に・・・
 本書の中で本篇だけは再読。1982年3月に創元推理文庫の『究極のSF -13の解答-』で読んだ記録があったが、記憶は全くなかった。正直なところ今回も一度読んだだけではまったく理解できなかった。
 『究極のSF』は、SFの代表的なテーマをそれぞれ代表的な作家に任せて作品を書いてもらうという仕組みのアンソロジーで、ティプトリーの担当は“ホロコーストの後”というテーマ、ということを読んで、なんとなく納得する。そうか、そういうことであればあの訳の分からなさについても納得するしかない。
 『究極のSF』には、本文の後にティプトリー自身による“あとがき、解説”が付いていて、本作のテーマは、SFにおける最後の審判日テーマだという。つまり絶滅後、すなわち人類破滅テーマ。
 ティプトリーはこう書いている。”SF史的に見れば20世紀前半まで(破滅テーマのSF)はごくわずかしかなかったが、ヒロシマ以後、ありとあらゆるものが語られ始める。 連鎖反応、温室効果、帝国主義、多産、etc。 その後、主題は発生した事象よりもむしろ原因の人間的メカニズムへ、サバイバルに向けられる。
 本篇はキャリントンの著作に影響されている。彼は、非常に強力な精神構成物はすなわち“善”であり、それらは時間を越えて、あるいは停止した時間の中で存在している。”と。
 しかし、ティプトリーは指摘する。”人間の記憶に残りやすいのは、善よりもむしろ、屈辱、怒り、失望、失恋、などの拒否反応ではないか。キャリントンの著作がもし正しいとしたら、不死というのは想像を絶した地獄に違いない。”と。

一瞬のいのちの味わい (New Atlantis 1976)  約302枚
 短い長篇といっても良いぐらいの長さの中身の濃い中篇。
 地球人口は2百億人を突破。物語の舞台は植民星を求めて10年前に出発した宇宙船ケンタウロ号の内部。乗員は60人。主人公はドクター・エアロン・ケイ。ケンタウルス座に到着して2年。2組の調査隊が向かった2つの惑星は見込みがなく乗員一同落胆していたが、3組目の調査艇チャイナ・フラワー号が一人だけを乗せて帰ってくる。乗っていたのは主人公エアロンの妹、生物学者のロリー。隊長と他の隊員を惑星に残し、異星生物を乗せた狭い調査艇で一年かかって・・・
 人口過剰で破滅に瀕している地球にとって最後の希望であるケンタウルス星系植民の可能性を探る調査計画。そこで発生した事件が描かれているのだが、まず、詳細な設定に驚く。恒星間植民のための調査でこれほど適切だと感じられる作品はハードSFと言われている作品も含めて、あまり読んだことがない。
 例えば、恒星船は船内時間で10年かかってケンタウルス座に到着し、そこから3つの惑星に調査隊を派遣するのだが、星系内の移動にも年単位の時間がかかる。星系内の移動が化学推進によるものであれば当然だろう。
 また、船長は隊員を集めて歴史上の初期植民地の悲劇について語る。アメリカへの植民を始めとして歴史上では植民地の全滅が繰り返して発生している。それは異星上でのことではなく、地球上の温暖な場所で現在では繫栄している場所においても同様である。初期の植民においてはわずかなことでも致命的になる。それゆえに油断してはならないと。ティプトリーも評者と同様に、安易な植民SFに反感を持っていたのかもしれない。また、異質な環境との接触に際しては防疫面でも可能な限りの注意が払われる。それが役立つことはなかったけれど。
 過去2冊の短編集を読んだ限りにおいては、ティプトリーが、こういう自然科学的にストレート(? 哲学的)なSFを書くとは、また、書けるとは思わなかった。彼女は、自分が好きだったSFを、自分も書くのだ。と挑戦してみたのかもしれない。しかしそれは、単純なストレートSFにはならず、複雑な人間関係の物語になってしまった・・・
 中篇とは言え長い小説なので多くのテーマが盛り込まれている。基本テーマは宇宙における生命活動の驚異を描くことだと思われるが、サブ・テーマはやはり作者の専門である人間心理の問題だろう。
 一つは家族、主人公エアロンと妹ロリーの兄妹の物語。もう一つはその他の様々な人間関係の物語。例えば主人公と同僚のコビーの微妙な関係の同僚、上司と部下の物語。あるいは主人公と船長のイエラストンの医者と患者の物語。同時にリーダーとフォロワーの物語。また、ソランジをめぐる主人公と通信主任のレイ・ブスタメンテなど、船内の人間関係の物語。
 さらに、長期間の閉鎖環境のストレスが60人の隊員たちの心理に様々な影響を及ぼす。

ヒューストン、ヒューストン、聞こえるか? (Aurora : Beyond Equality 1976)  約187枚
 船長のノーマン・デイヴィス少佐、バンハード・ガイアー大尉と主人公のオーレン・ロリマー博士の3人が載ったアメリカの太陽周回宇宙船「サンバード・ワン」は、周回時に太陽フレアに接近した後、ヒューストンとの通信を失ってしまう。しかし、それに代わるように〈エスコンディータ〉という宇宙船からの通信が入ってくる・・・
 最初、ストーリーの枠組みが把握できず、しばらくは何が語られているのかわからなかった。その点はいかにもティプトリーらしい。
 まさに実験心理学者アリス・シェルドン博士の面目躍如という中編だけど、それを抜きにしても結構悪趣味ではないかと思う。
 ヒューゴー賞/ネビュラ賞受賞なのでタイトルは以前から知っていた有名な作品だが、まさかこんな話だとは思わなかった。

ネズミに残酷なことのできない心理学者 (New Dimensions 6  1976)  約83枚
 主人公のティルマン・リップシックは、自分のへんてこな名前にうんざりしながら、動物実験を続けている若手の実験心理学者。同僚たちは成果を上げるために平然と実験動物を虐待するかのような研究を遂行していたが、彼はそのようなことはできなかった・・・
 中盤辺りを読んでいた時に予想していたのと正反対の方向で終わった。このドライさ(?)がティプトリーなのかも。
 この時期にこの作品を発表したのは何故だろう。
 一つ想像したのは、いくらティプトリーと言えども無限の才能を持っているわけではなく、デビュー直後を除くと、それなりに新作のテーマやアイデアを求めるようになり、この時点で、以前から気になっていた実験動物虐待テーマの本篇を書いたのではないかと邪推するが、どうだろうか。
 動物虐待の話が出てくるのは本篇が初めてだけど、主人公と上司や同僚との関係の物語と考えれば、決してそれまでの作品と無関係ではないと思う。周囲の人間との疎外感を感じていた作者の本心が描かれているのだろうか?

すべてのひとふたたび生まるるを待つ (Future Power 1976)  約45枚
 プロローグは白亜紀か?ペリコサウルスの子供が母親の静止を振り切って巣から外に出たことによってハドロサウルスの襲撃から生き延びる。歴史の中で同じような生と死のドラマが何度も繰り返される。続いて本篇の物語が始まる。
 本篇の主役となる少女は先天性色素欠乏症によって盲目で生まれたためスノーと名付けられる。スノーはその障害にもかかわらず健康に成長し、盲目とは思えないほど活動的で村の役に立ったので、幼い頃は疎外されることはなかったのだが・・・
 設定については、冒頭に登場したぺリコサウルスとハドロサウルスは白亜紀に実在した恐竜らしいが、後半には未知の飛行生物も登場するので、遠未来を想定しているのかもしれない。SFというよりは寓話か、ファンタジーに近い作品。本篇もそれまでのティプトリーの作品の傾向とは少し違ってきているような気がする。‘70年代辺りからセカンダリー・ユニバースやファンタジー的なSFが増えているので、これもSFと言えるかもしれない。ティプトリーも自分のSFの枠を広げようとしていたのだろうか?

【以下、ネタバレの感想】

汝が半数染色体の心
 染色体が半数であるがゆえに、青年も少女もその特徴が普通の人間以上に発現しているということなのだろうか?少女フレニャの妖精のような姿が印象に残るが、その代償が番うまでのわずかな期間の儚い若さだとしたら悲し過ぎる。

エトセトラ、エトセトラ
 この後に収録されている「一瞬(ひととき)のいのちの味わい」を読んだ時にも小松左京の初期の短編「彼方へ」のアイデアとの類似を思った。一冊の短編集に収録されている二篇の短編が同じ短編と似ている。これは本当に偶然なのか? 「エトセトラ、エトセトラ」に似ているのは冒頭部分で、「一瞬(ひととき)のいのちの味わい」に似ているのはクライマックスのオチの部分だけれど、発表された時期は「彼方へが」1966年12月なので4年ほど早い。似ているのは偶然としか考えられない。

煙は永遠にたちのぼって
 評者の解釈はこうだ。 クライマックスで訳の分からないことになったのは、主人公が霊になっていたからということなのだろう。つまり、“終末=審判の日”の訪れによって、まっとうに人生を終えることができなかった主人公の意識が“霊=残留思念”として残って、様々なことがあった過去をしのんでいるということなのだろう。
 本篇の設定として、まず、主人公は死んでいる。また、地球も滅亡している。時代は遥かな未来で年代は特定できない。その地球に何者かが訪れて、NIH(国立衛生研究所)別館の廃墟等を調査し、観察か追悼か何らかの意思エネルギーが加えられたために、死後不活性化されていた主人公の記憶の中で強烈に残っていた部分が活性化したということなのだろう。例えるならば、彼の人生が記録されたDVDのようなものがあって、そこから印象的な部分だけが読みだされたようなもの。例えば、それは博物館を訪れた鑑賞者が特定の文物を鑑賞するたびにその記憶が活性化されるようなものなので、主人公はそれが過去も未来も繰り返されると考えているのではないだろうか?
 ところで、英語タイトルが“Her”で始まるのは何故だろう? 彼女って誰だ? 日本語タイトルの“煙”は主人公のことだと解釈していたのだが。

一瞬のいのちの味わい
 本篇については描写とアイデアに驚かされた。
 描写については、これからハッチが開かれるという場面はしつこいまでに長く、詳細に語られているが、論理的、かつリアルに描かれているため、何かが起こりそうという緊張感、スリルとサスペンスが盛り上がる。ティプトリーにこんな描写ができるとは思わなかった。(『愛はさだめ、さだめは死』に収録されている「最後の午後に」を読んだ時も、同じように思った。) が、その後のクライマックスはちょっと予想外。それまでのストーリーの展開から評者なりに予想はしていたのだが、予想以上のアイデアと、予想以下の展開があった。
 まず、予想以下の展開というのは、肝心のカタストロフの場面。それまでの緊迫感のある描写に対して、事件発生後の描写は妙に迫力に欠ける。視点である主人公のエアロンが事件の現場に背を向けて逃げる立場なのでやむを得ないが、個人的で、受動的で、消極的な態度にちょっとイラつく。
 また、なぜエアロンだけが誘惑に対抗できたのかというのは大きな疑問。医師としての義務感が強調されていたが、それだけでは説得力に欠ける。さらに、全体的にエアロンの心の中の個人的な問題が優先され過ぎているように思うが、それは本篇の主題が事件を描くことではなく、エアロンを描くことであるためなのかもしれない。
 一方で、予想以上のアイデアというのは、人間は単なる配偶子に過ぎず、人類初の恒星間探査は生殖活動に過ぎなかったという発想。基本的に小松左京の初期短編「彼方へ」と同じ。テーマと設定は若干異なるが、不思議なことにアイデアはまったく同じ。
 小松左京の「彼方へ」は、乱暴に要約すると、汎宇宙文明の閉塞感に満足できない若者たちが衝動を抑えきれず宇宙の果てにある特異空間に挑戦したところ、空間の脈動と共にどこともわからない場所に押し流されるが、それは宇宙の射精ではないかという話で、青春期特有の感情と巨大な宇宙を並立させた小松らしく規模壮大でユーモラスな大傑作の短編だが、当時若かった評者はそのスケールとアイデアに圧倒された。
 本篇では、地球の人類文明全体が一個の生命体であり、ケンタウルス座という異性(星)に向かって射精されたのが恒星間宇宙船ケンタウロ号という設定だが、小松の「彼方へ」では、この宇宙文明全体が一個の生命体であって、それが成熟した時、多くの生命体を乗せた無数の宇宙船が他の宇宙に向けて射精されるという設定だった。ティプトリーが小松の作品を知っていたとは思えないので、おそらくは全くの偶然の類似だろう。
 また、本篇では、異星生物は光か何かでフェロモンのようなものを出して異種生命体を引き付ける。一方、配偶子を放出した後の人類=地球文明はどうなるのか?昆虫や魚類のように一回の繁殖行為が終わったら寿命が尽きて干からびていくことが暗示されており、これはこれでまた凄い発想。
 それはそれとして、本篇を読んで感じたのは、似たようなアイデアの作品でも、年齢によってずいぶん印象が異なるということだった。
 小松左京の「彼方へ」を読んだのは中学生の頃だったと思うが、主人公は若者たちで、それを書いた時の小松自身も若かった。舞台となっていた汎宇宙文明は成熟していたが、当時の評者がその物語に感じたのはエネルギーに満ちた成長する宇宙だった。
 一方、ティプトリーの「一瞬のいのちの味わい」の主人公は成年で、それを書いた作者も成年である。そこでは地球文明全体をひとつの生命と考えて宇宙での生殖行為を描いているのだが、主人公は、配偶子を放出した後の地球は生命が枯れていくのではないかと想像する。それは昆虫や魚類のように生涯でただ一回の生殖行為が終わると最後の力を振り絞った後の命が朽ち果てていくようだ。そのように感じるのは評者の年齢のためだけではないと思う。

ヒューストン、ヒューストン、聞こえるか?
 SFM‘89年12月号の伊藤典夫氏のティプトリー特集の解説に本篇について書かれている部分があった。その解釈を読んで目からうろこが落ちた。
 本篇は、女の集団には男社会のように“つつき順位”はないというアイデアを核に、男をそれぞれ制度、性能力、知性の面でライバルに優越しようとする三つのステロタイプに分け、その方向に未来はないと断じたフェミニズム小説、だそうだ。また、作中に出てくる女社会は、全体像が絶対に見えない仕掛けになっているという。

ネズミに残酷なことのできない心理学者
 最初は、ネズミの王と共に暗い闇の世界に入って行って終わるのかと思っていたのだが、そうはならず。では、残されて悲嘆に暮れるのかと思うが、そうもならず、結局、意識を取り戻した主人公は、それまでの苦しみと逃れるための作業がまったくの夢(又は悪夢、幻)だったかのように冷たく合理的な判断を行ったので驚いた。
 この頃の作品は、初期の作品とは異なって、なにか割り切った結論に終わるものが多い気がする。

すべてのひとふたたび生まるるを待つ
 ストーリーでは、とある事件で生まれつき持っていた能力を示したために社会から疎外されるようになった少女の孤独を描いている。これを運命とするなら悲し過ぎるが、ティプトリーはその姿を突き放したように描いている。もしかしたら、本篇においても、少女の姿は鏡に映した自分なのだろうか?
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4150108269
No.4:
(4pt)

古びない

ティプトリーのヒューマニズムには泣けるものがある。
ル・グウィンの序文もたいへんよい。
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4150108269
No.3:
(4pt)

執筆時期は違っても、

七編共通の突出テーマは「性」で、現在より性役割圧力が強い時代、著者(女性)が男性名で著していることと無縁ではなさそう。
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4150108269
No.2:
(4pt)

作品の内容を伝えられない、「奇書」

この本は恐ろしいことに
物語の内容がどうなのかを
明確に伝えられない、
ある種の奇書のような本です。

おそらくそう思ってしまうのは
割と全体に盛り上がりがなく
平坦なまま終わってしまうのにも
原因があるのだと思います。

ただし、その文章は悪くないのはいえること。
人という概念を別視点から見ていますし
人というものを遠目で軽蔑している
作品もありますし…
人によってはちょっときついかな。

いえることは、SFをこなした人向きの作品だということ。
なので要注意。
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4150108269
No.1:
(5pt)

ティプトリーの衝撃はここから

この中短編集は、1986年にサンリオSF文庫から刊行されました。当時ティプトリーのまとまった作品集はなく、これが本邦初訳でした。序文は、ル・グインが寄せています。めぐり巡って早川から再刊され、再読しましたが、改めてすごい作品集といえます。SFの古典的な題材を取りながら切れ味鋭い感覚でストーリーを組み立てていく手腕がすばらしい。特に「ヒューストン、ヒューストン、聞こえるか」「一瞬の命の味わい」によく表れています。当時その男性的な文体から女性作家とは思われなかったようですが、ジェンダーを超えた普遍性のある作品といえるでしょう。SFファンは必読です。
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4150108269



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