■スポンサードリンク
(短編集)
たったひとつの冴えたやりかた
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
たったひとつの冴えたやりかたの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.00pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全5件 1~5 1/1ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
20世紀アメリカのSF作家ジェイムズ・ティプトリ―・ジュニア(1915-1987)によるスペースオペラの連作中編集、1986年。どの話も好きになれない。 ※ 以下内容に関わる記述が含まれますので、未読の方はご注意下さい。 ※ □ 第一話「たったひとつの冴えたやりかた」 集団のために自分の生命を犠牲にする行為を有意味かつ美しいものとみなす「英雄主義」の感性、そうした犠牲者を称揚する「英霊主義」の感性は、もしそこに政治的な思惑がないとするならば、ただの独善的な自己陶酔でしかない(もちろん、政治的な思惑がないからといって、政治的な効果をもたないということにはならない)。いかにも「日本人受け」する物語であろうとは思ったが、アメリカ本国でもそれなりに評価されているらしい。要は「特攻隊モノ」。この物語と同族のヴァリアントはいたるところで目にするありふれたものだが、そのプロトタイプは歴史的にどこへ/どこまで遡ることができるのかという点には興味がある。自己犠牲の物語が異様にひとを惹きつけるものであるのは事実であるから。「この小説を読み終わる前にハンカチがほしくならなかったら、あなたは人間ではない」と評されたそうだが、「感動」というのは確かに生理現象に近いものなのかもしれない。 なお原題は、”The Only Neat Thing To Do.” □ 第三話「衝突」 この物語は、他者との関係性を構築しようとしているのではなくて、自己の内なる疑心暗鬼を他者に投影し、実際は不可能な正義の振舞いに自己を同一化させただけのものにしか思えなかった。そこにあるのは、他者を他者としてみることができずにいる、あくまで自己を主体として他者を劣位の客体のままに固定しておこうとする、独善的な植民地主義の眼差しであり、欠けているのは、自己を対象化する反省的な眼差しではないか。 第一話と第三話は、どちらも末尾における後日譚の語られ方に、物語の残念な正体が暴露されてしまっているように感じた。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
セリフの言い回しが流石に古臭く、80年代にカッコイイ言い回しなんだろうなという感じ、 当時は本当に宇宙人がいると思ってる人がほとんどだったので、宇宙に対する憧れや、 アメリカ映画特有の必要以上に大げさで格好つけた感じの言い回しが、今見るとちょっと違和感が強い。 内容的にも名作といえるほど感動もなく、大ドンデン返しがあるわけでもなく、えっバッドエンドかよ、後日談なしかよ。 という物足りなさ。 SF的なものが好きな人いがいには面白いと言えない内容でした。 キュンと来るものが無かったので星1つです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
会話が変。読みにくい。現実を忘れるような驚きや別世界にいるような感じはない。SFではない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
作者の死亡方法とタイトル、及び 『この小説を読み終える前にハンカチがほしくならなかったら、あなたは人間ではない』 とまでいわしめた作品ということに興味をひかれて、この本を手に取りました。 率直にいって残念。少しも感情移入できませんでした。 *以下、内容の核心に触れている部分があります。 主人公とエイリアンの関係に関して 主人公が肉体的快感、情動を動かせる相手に寄生されているにもかかわらず 二人の関係を”友人”と表することが疑問。 私には一方的な関係に思え、二人の会話が虚ろに聞こえ、 単純に二人の”友情関係”を認める気にはなれませんでした。 最終的な決断に関して ・主人公は結局死が見えている(脳が食べつくされる)。 ・エイリアンは生存が可能だが、”友人”である主人公が死んでしまうことになる ・エイリアンの生存は他の生物にとって、危機になりかねない。 という条件下で、「たった一つの冴えたやり方」を選択するわけです。 エイリアンは生存か、死か というジレンマを抱えますが、 主人公はどのように死ぬのか、という判断を迫られていますが、ジレンマは存在しません。 彼女は被害を拡大しないこと、を選択しますが もとより彼女は死の運命にあるわけですから、自己「犠牲」ではありません。 整理します。 エイリアンはジレンマを抱え、死を決断した。 主人公は死ぬ方法を、大勢を救う方法にした。 ここだけを見れば、”どちらも冴え”ていて”高潔”なやり方に見えるのですが 主人公が死ぬ前提を作ったのはエイリアンであると言うことを、忘れてはなりません。 つまりもっと彼女は、エイリアンを責めていいはずなのですが この本にそういったシーンはでてきません。 この本ではその答えを、二人が友人になっていたから、というところに着地させようとしているように見えます。 そこで先ほど書いた「主人公とエイリアンの友人関係が疑問」、という部分と関わってくるわけです。 異星間交流において、寄生のような状態がさして珍しいものではない、という記述もないし 主人公が責めてもしょうがないと思っていた(=達観していた と思うには 最初の出航の動機からして彼女はあまりに幼く、奔放です。 以上 友情関係に疑問、主人公の謎の達観 によって、のめりこむことができませんでした。 もっともSFになれていて、設定を違和感なく感じられる方には違った物語に感じられるだろうと思います。 減点式で星2つとさせていただきました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
手に取る人を選ぶ、かわいらしい?この表紙。思い切って読んでみてから、まさに読者を選ぶ内容だからこそのカバーイラストなんだ、ということがわかりました。 一作目しか読んでいないうえでの感想ですが、タイトル作の主人公は昔のコバルト文庫を思い出すキャラで、読む人によってはハードルがそうとう高め・・・。 少女らしいというか、ガキっぽいモノローグ・・・、「も!消えちゃってよ」とか、「ぎゃは」とか、しゃべり方が古くさいのはしかたないとしても、イラッとするのは私だけ? このポジティブ元気少女にいくらかなりとも共感できれば、そりゃあラストに感動もするのでしょうが、キャラがダメだともう全部ダメ。そういう意味では正しいキャラクター小説なのかもしれません。 ノリに乗れないままだと、売りである「友情」も、エイリアンが親友というよりけなげなペットのように思えてきて、なんかひっかかります。この地球外生命体に、あなたはそれで本当にいいのか、と問いたくなります。 だいたい、変わった生き物でもいい奴はいるんだ!っていうの、ちょっと無邪気すぎない? そういう前向きで単純な考え方も必要だけど、未知とか異端とのお付き合いという問題を徹底して問題にしない話は、今どきいい大人が素直に読んだらやりきれないです。徹底しすぎて、夢物語と読むこともできませんでした。 子供同士が努力を必要とせずに友達になるようにしてしか、宇宙人と友好的な間柄になれないのだ――という、逆説的な?メッセージは得たような気がしますが。 そして、美しいイメージで終わるラストですが、主人公の選んだのはそんなに「たったひとつの冴えたやりかた」なのかどうか。驚きもないし、もはや人間らしくもないし・・・。 表紙と、自分が何を求めてこの本を読むか、の相性をよく見極めて読めば、「冴えてる!」と思える読後感が待っているのかもしれません。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!