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蹴りたい背中
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蹴りたい背中の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.63pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全112件 41~60 3/6ページ
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おもしろかった。ハツという女子高校生の目で見た高校生活。 ハツは、陸上部に所属する。その部活の女子高校生の生態の描写がおもしろい。 ブラジャーの観察が、そういう風に見るのだと思ったりして、 しかし、ハツは、いつも仲間はずれになっちゃう。 オリチャンというモデルのアイドルを媒介にして、にな川という同級生と 知り合いになる。 にな川は、「味噌汁の、砂が抜けきっていないアサリをかみしめて、 じゃりっときたときと同じ、ものすごい違和感」があるという。 「醤油を瓶ごと頭にこぼしてしまったかのような 重く黒く長すぎる前髪の奥から、警戒するような光る瞳」をもっている。 そのにな川は、オリチャンが死ぬほど好き。 オリチャンは、27歳。特技は「卵焼きをキレイに食べること」 ハツはにな川の家に行って、オリちゃんのことをはなし、 オリちゃんのコンサートにまで一緒に行くが、ハツは、にな川に対する気持ちがわずかに揺れ動く。 ハツは、にな川の「もの哀しく丸まった、無防備な背中を蹴りたい。 痛がるにな川を見たい。」という欲望に駆られる。 「愛しいよりも、もっと強い気持ち」で、背中を蹴りたくなる。 なにかその衝動が、妙に共感がもてる。 いまの私も、そんな風に背中を蹴られるような、 もどかしい自分であるかもしれない。 若々しい眼で、いまのもどかしさ。少しの焦り。をうまく表現している。 背中を蹴ろうとするところに、なにか希望を見つけたような気がした。 | ||||
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年数が経っているわりにきれいでした いっきに読みました 作者の作品シリーズで購入したいと思います | ||||
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テレビで芥川賞を獲った綿矢りさが出て「可愛い子だな〜」と思って読んでみました。 自分は今まであんまり小説読んでこなかったけど、 表現が上手いし読みやすく、主人公に筆者の顔が浮かびやすくイメージし易い感じで 結構面白くすんなり読めました。 あんまり本読んでこなかった人には挑戦し易い小説。 | ||||
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小玉重夫『難民と市民の間で』(現代書館)を読み始めていて、その214頁で「スクールカーストもの小説」の「先駆的な作品」として紹介されている本書を一読。いわゆる露骨ないじめという状況ではないものの、自我と恋愛感情の芽生えの中で、他者に容易に溶け込めない(溶け込ませてもらえない)息苦しい女子高校生の内面が、若々しくも瑞々しい文体で掬い取られており、(自分は男性ですが)昔の自分との比較でいろいろと考えさせられましたね。 「私は、余り者も嫌だけど、グループはもっと嫌だ。できた瞬間から繕わなければいけない、不毛なものだから」(22頁)。 「この、もの哀しく丸まった、無防備な背中を蹴りたい。痛がるにな川を見たい。いきなり咲いたまっさらな欲望は、閃光のようで、一瞬目が眩んだ」(76頁)。 「さっきの男子の態度、あれは同級生じゃなく、一段低い者への態度だった。掃除当番を押しつけようとしている感じ、といおうか、こちらが萎縮して当然と思っている態度」(84~5頁)。 「授業も教室の喧騒も灰色にくすんで、家に帰っても学校で何があったかよく思い出せない。たまった緊張のせいで背骨がきしむような痛みだけが残っている」(86頁)。 「私は、見ているようで見ていないのだ。周りのことがテレビのように、ただ流れていくだけの映像として見えている。気がついたら教室から体育館に移動しているし。もちろん廊下を渡ったり階段を降りたりしてここまで来たんだろうけれど、自分の内側ばっかり見ているから、何も覚えていない。学校にいる間は、頭の中でずっと一人でしゃべっているから、外の世界が遠いんだ」(89頁)。 「存在を消すために努力しているくせに、存在が完全に消えてしまっているのを確認するのは怖い」(100頁)。 「認めてほしい。許してほしい。櫛にからまった髪の毛を一本一本取り除くように、私の心にからみつく黒い筋を指でつまみ取ってごみ箱に捨ててほしい。人にしてほしいことばっかりなんだ。人にやってあげたいことなんか、何一つ思い浮かばないくせに」(109~10頁)。 「絹代の顔色が変わった。グループの他の子たちの目つきも。その瞬間、絹代たちがみんな同じ顔に見えて、背筋が寒くなった。私を、「外」のものを見る目つきでみている」(113頁)。 「授業の合間の十分休息が一番の苦痛で、喧騒の教室の中、肺の半分くらいしか空気を吸い込めない、肩から固まっていくような圧迫感。・・・ 自分の席から動けずに、無表情のままちょっとずつ死んでいく自分を、とてもリアルに想像できる」(166~7頁)。 「オリチャンに近づいていったあの時に、おれ、あの人を今までで一番遠くに感じた。彼女のかけらを拾い集めて、ケースの中にためこんでた時より、ずっと」(171頁)。 「なぜ、彼女はにな川の背中を蹴ったのか。いろいろな解釈が可能ですが、身も蓋もないことをいえば、これは一種の性的な衝動なんですよね。性を暴力に転化する男の子ならまあまあいた(いっぱいいた?)でしょうけれど、こんな形で衝動をぶつける、ないしはモヤモヤをふりきろうとする女の子が、かつての日本文学に存在したでしょうか」(181頁、斎藤美奈子氏解説より)。 「二人の「痛い高校生」は青春小説的世界そのものを「蹴る」ことにすら成功している。この小説が何より衝撃的なのはその点ではなかったでしょうか」(182頁、同上)。 「青春前期は潔癖なのです。読者の共感すらも拒絶するほど潔癖なのだ、と申し上げれば、わかっていただけるでしょうか。「青春」が苦手なこの二人が、私にはとてもチャーミングに感じられます」(183頁、同上)。 長谷川初(ハツ)実(90頁、14頁、19頁)と蜷(にな)川智(さとし)(24頁、115頁)、そして小倉絹代(9頁、160頁)のその後が読みたくなりました。 | ||||
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にな川という男子、いまいちつかみどころのないやつです。 にな川は普通の人なら当然怒ることをされても、さらっと受け流してしまいます。かといってただ鈍感なやつという訳ではなく、非常に周りが見えてて、やさしい男です。 そんなにな川の背中をなぜか主人公は「蹴りたい」と思います。蹴りたいだけではなくにな川の不幸を願う場面もあります。 これは一種の愛情表現なのでしょうか、 好きというより愛くるしい。愛くるしすぎるがゆえにいじめたい。 なんとなくわかる気がします。 | ||||
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結婚して、まあまあ年数の経った主婦の間では、共感している人が多いです。 時に、なんとも表現でき無い、旦那の背中を蹴りたくなる心理で、解るわ〜〜って。 男性や、若者には、解りずらいかもですが、女性にはいつか、アレだ!と腑に落ちた、と言う時が来るかもしれない内容。 | ||||
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読書週間なので、この本をチョイスしました。 難しくなく、読み切りました。良いです。 | ||||
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にな川はオリチャンのファンをやってたはずだったけどいざ目の前にすると遠すぎる存在だと知る叶わない愛情、ハツはにな川が傷つくのを見たいという歪んだ愛情。どっちも不器用であり、それを切り取ることに成功してる作品だと思う。 僕が思うに愛情の真の姿はそういうところではあるやろうけど、彼らがこの先の人生を幸せだったり上手だったりして生きていく未来が見えない。それは未だに僕も分からないこと。 | ||||
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とても楽しく読んだ。この文章力と表現と読ませる力は19歳とは思えない。 読了後、「結局なんなんだ?」みたいなのが残ったが、まあそういう作品なんだろう。 まず思ったのが、ハツの内面描写の揺れ動き。とても繊細でリアル。自信がわからない思春期の不安定さもあった。 印象に残ったのが、にな川の部屋で桃を食べるシーン。少し性的な匂いを感じた。ハツの支配の欲求みたいなのが見える。 それと、絹代の使い方がうまい。彼女がいる事で、ハツは皮一枚孤立はしていないし、彼女にハツはにな川の事が好きだと勘違いさせることで、ハツの気持ちの揺れを強固にしている。つまりにな川に対する恋愛感情は曖昧にさせている。 作者はおそらく全てを曖昧にしたいのだと思う。関係性やヒエラルキーや感情など、読み間違えてなければ、小説ないで、はっきりさせていることは何もないように思う。 しかしながら、小説の軸はやはりどう考えても、ハツのにな川に対する、気持ちというか内面なのだから、恋愛でもなく、友達でもなく、悪なども感じさせない。自分の中で整理すると「母性」ということが残った。 | ||||
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目の前の大事な人に向き合わず、芸能人に夢中になる男子が気になる主人公女子。面白く読みました。 その男の子の家の親の主人公への対処がとても温かくて良かった。人のウチに黙ってあがっちゃいけないことを注意しつつ、友だちを受け入れてくれる姿勢に感動しました。 でも、その男子の名字に意味を持たせるなら、ありそうにない名字だったらもっと良かったと思います。 | ||||
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ずいぶん前の芥川賞で読んだ人も多いでしょうから、今更って感じですが、当時読まず嫌いだった私も納得な一冊でした。蹴りたい背中を二度蹴りますが、その意味を考えると面白いと思います。 | ||||
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さびしさは鳴る 秀逸なこの一文から始まる。 随所に散りばめられている表現が素晴らしいです。 但し、文末の書評は酷すぎる。 | ||||
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空気感とか雰囲気を作るのが非常に上手い作家さんだと思いました。 読んでいるうちに、自分が高校生の頃を思い出します・・・。 | ||||
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かなりの良作なのだが、案外評価が高くなくて驚いた。 現代病である”ぼっち”がテーマに据えられたトコといい、狂信的なドルオタであることといい、いかにも若い作家が書きましたってカンジ。 本当の意味での現代の若者の感性は現代の若者にしか書けないと思うのだが、この小説はそれが書けている。 得体の知れないラストシーンも、好き。 | ||||
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さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締め付けるから、せめて周りには聞こえないように、私はプリントを指で千切る。細長く、細長く。紙を裂く耳障りな音は、孤独の音を消してくれる。 冒頭のこの書出しに衝撃的なデビューを飾った本著のすべてが感じとれる、といえば大袈裟に聞こえるだろうか。確かにこの作品を青春小説のカテゴリーで新鮮な感覚やその特異性について論じることは可能かもしれないが、個人的にはむしろこの小説の力強さと否応なく現在(いま)を顕わにするその言語感覚に驚嘆する。 高校生の他愛のない日常を描いているに過ぎないといえばそれまでだが、圧倒的な筆力で読者をひきつけ一気読みさせる文体には誰でもこの書き手の稀有な才能と可能性を感じるだろう。 斎藤美奈子さんもそのことについて、著者の五感、とりわけ聴覚と視覚が異様に研ぎ澄まされていることに注目してほしいと解説している。ぼくはさらにその後につづけられるスタンスという言葉に注目してみたいと思う。冒頭の一文はこのようにつづけられている。 気怠げに見せてくれるしね。葉緑体?オオカナダモ?ハッ。っていうこのスタンス。あなたたちは微生物を見てはしゃいでいるみたいですけど(苦笑)、私はちょっと遠慮しておく、だってもう高校生だし。ま、あなたたちを横目で見ながらプリントでも千切ってますよ、気怠く。っていうこのスタンス。 遠慮しておくというこのスタンス、自分を取り巻く環境や人との関係のもち方、その立ち位置について考えてみると、否応なく自ら「余り者」として振る舞う孤独なポジションを選択していることが分かる。干渉されたり気づかったり周囲との関係を著しく警戒しなければ自分の存在が埋没してしまうことを恐れるようにしらけている。 だが、一人称で語られる「私」の内面はけっして充足された気分とは云えない。現実はその逆で方向性を失ったままやり場のない感情とそれゆえに研ぎ澄まされた五感(センサー)を使って必死で自分の存在を確認しようとする状況が伝わってくる。この作品の主題はむしろそのことかもしれない、ぼくはそう思う。 無防備な「余り者」として私と共通の話題(ファッションモデル=オリチャン)をもつにな川という同級生や周囲との関係性を抵抗なく受け入れられる同級生絹代が設定され、物語は奥行きと厚みをましてテンポのいい展開をみせる。 タイトル『蹴りたい背中』とは研ぎ澄まされた五感で世界と向き合う私が、余り者同士でありながら盲目的にオリチャンに関心をもつにな川の無防備な姿に対して衝動的に加えた彼の背中へのひと蹴りのことだが、まぎれもなく同時代の気分を象徴的に描いたものであり文学史上の衝撃的な事件(最年少19歳で芥川賞)となったことも分かる気がする。 綿谷りさ、おもしろいです。次は処女作『インストール』を読もうーっと。 | ||||
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おじさんにはついていけないのかも さん、他皆さん 誤解が多い様なので「気怠い」ですが書きます!笑 本は、少しでも開いて、ご覧になってから購入された方が良かったかもしれませんね。そうじゃないと、大体の内容がわからない。 だから、おじ様の様に最後まで読まない。読んでないでしょ?読めばわかります。「蹴りたい」の意味が! それで、読んでない方が評価をする。蹴りたいの意味を間違えて。 選考者を「蹴りたい」との事ですが、本当にそうなら、かなり、今回の選考者や、作品を「評価されている」のですね!読んだ者にはその様に取れます。意味まで書くといけないのでこの辺で。 自分は、読んでいて、最初は「気怠かった」ですが、徐々に面白くなっていき、一日で読みました。本を一日で読み切る事は殆どありません。 笑う事もありました。自分的には、まずまず面白かったと思います。 芥川賞や直木賞等の意味は正直知りません。選考内容も。 でも、読んでみたら、面白かった。それで良いのでは? 大人の方は、意味とか、意義とか、名誉とか、賞に似つかわしいか、とか考えておられるから落胆されるのでしょうか? 自分は、読んでみて、まずまず面白かったから良いのではと考えてしまいます。 賞の名誉や肩書を重要視されている方には申し訳ありませんが。 実際、自分も、この作品が、芥川賞に選ばれてなければ、多分、読んでいません。 その意味では、賞のお陰ですが、皆さんが言われるほど悪くはないのでは? 結局は、ご自身で最後まで読んで、ご判断ください。 途中で止めずに。嫌になれば読まないのは勿論ご自由ですが、 あまり「クチコミ」を投稿されない方が良いのでは? だって、最後まで読んでないなら、本の全容を知らないんだから! | ||||
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著者は、『蹴りたい背中』で芥川賞を最年少で受賞した綿矢りさ。 (2007.4.20 – 2012.4.30 30刷発行) 長谷川初美は、モデルのオリチャンファンであるにな川に部屋に招待される。 クラスの“余り物”同士の奇妙な関係の中で初美が見つけた世界とは…。 『蹴りたい背中』という怖い題名から、いじめられている少女の逆襲物語と勝手に想像していたけれど、内容はそうではなく、初美はいじめられないもののクラスでは相手にもされないスクールカーストでは最下層の少女である。 高校の時はへらへらと周りに合わせていたけれど、高校ではそんな態度を辞めて孤独の道を選び(ある意味厨二病の最たるものだが)、中学で唯一仲良しだった絹代にも群れていることに軽蔑の眼をむけるようになってゆく。 そんな時に偶然仲良くなった(?)にな川に奇妙な興味を抱いてゆく。 『蹴りたい背中』とは少女のグロテスクな感情ではなく、性的な、少し歪んだ青春の発露としての『蹴りたい背中』だったのだ。中々奥が深い。 読み終わって、芥川賞を受賞するのはちょっと意外な感想だけれど、世の中の大人たちに今の(スクールカーストの最下層の)少女たちのリアルを、陰湿な世界ではなく、ほろ酸っぱい青春をうまく表現できたところが評価されたのかもね。 ───でも彼は絶対に地震が起こらないことが分かっている、絶望的な瞳をしている。こんなにたくさんの人に囲まれた興奮の真ん中で、にな川はさびしい。彼を可哀想と思う気持ちと同じ速度で、反対側のもう一つの激情に引っ張られていく。にな川の傷ついた顔を見たい。もっとかわいそうになれ。(p.148-149) | ||||
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ハツとにな川・クラスの”余り者”同士の普通ではない”青春”を描いてチョーベストセラーになった2004年芥川賞作品。10年ぶりに読み返してみると、当時は今ほど、というか、高校生にはスマホどころか、ケータイすら普及していない、固定電話で事足りていた時代。iPhoneが出るのが2007年だから、まだ先の話、いじめもブームになる前で、今ほど過激でない、むしろ、言葉遊びで、大人の痴話げんかの方がかしましい。 エビチャンはどうだったのか?オリチャンが出てきてもう一方の”余り者”、にな川がおたくになる……それに興味を持つ「私」が、絹代に冷やかされてつつ、ついて行く!って寸法・・・・・おじさん、おばさん、さらに加えて、じじ&ばばが中心の選考委員からすれば、スポコン・ドラマでもない、夕陽に向かって駆け出すでもない、「これって、新鮮!」っていう基準で受賞してしまった芥川賞!って感じい、みたいな。 | ||||
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昔読みました 2,3回読んだと思います かなり笑いました 最後の終わり方もすごく良かったと思います 蹴るは”つっこみ” 京都人ということで、関西人のつっこみのノリがあったんじゃないでしょうか 思春期の女性の精神性みたい解釈は私にはよくわかりません 評価が低かったので、ネタばれしない程度に書いてみました | ||||
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若い時って中々本腰いれて小説書いてみよう、って気になる人いないんじゃないかな。そんな中著者は、まだ若いのに凄い。 | ||||
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