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たゆたえども沈まず
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たゆたえども沈まずの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.16pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全158件 41~60 3/8ページ
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ゴッホと弟の関係について、いつもモヤモヤした気持ちでいました。なので、この作品に興味を持って読み始めました。 二人の関係は、確かに作家の想像力の及ぶ様なものだったのではないか?と思い至りました。そして、ずっと気になっていた、ゴッホがどこで拳銃を手に入れたのか?と言う疑問が、“さもありなん”と少し解けた様に思われてきました。 ゴッホの強い日本への憧れが、この話のように、パリの日本人との関わりにあったら嬉しいのにな〜と、このストーリーが真実であって欲しいと感じました | ||||
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フィンセント・ファン・ゴッホと、その弟で画商のテオのパートと、日本の画商・加納重吉(かのう じゅうきち)と林忠正(はやし ただまさ)のパート。大きく、二つのパートに分かれた話が、同時進行で進んでいきます。 四人を結ぶ運命の糸、心が通い合う様が生き生きと、臨場感をもって描き出されていたのが素晴らしかったです。 わけても、テオが兄のフィンセントを気遣い、心配する姿と、重吉こと〈シゲ〉とテオの友情の温かみに、心を揺さぶられました。 また、フィンセント・ファン・ゴッホのイメージにしっくりくる描写が見事で、ゴッホその人がそこで息をし、佇み、会話をしている‥‥、何かそんな気持ちになりましたね。 一点、残念に思ったのは、本の表紙カバーの装丁です。ゴッホの『星月夜』の絵の上に、タイトルと著者名を記した長方形の枠が載っています。これは、本を手にとった時から、「どうして、ゴッホの絵の一部を消すように四角の枠を載せたのか。タイトルと著者名を、絵にかからないように載せることはできなかったのか」と、残念な印象を持っていました。本作品でも重要な意味を持つゴッホの名画を、一部とはいえ隠してしまうこの装丁は、私にはちょっと納得がいきませんね。 | ||||
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ゴッホの激しい生きざまは大体知っていたつもりだったが、影で支えた弟のテオについてはほとんど知ることがなかった。美術館にゴッホの絵が飾られた時、解説を読んでも「献身的に支えた弟」くらいの印象しかなかった。 むしろ、そんなに売れない絵を描き続ける兄をどうして支え続けることができたのだろうと不思議に思っていたが、本書を読んで2人の強い結びつきが伝わった。コインの裏表にように2人は切っても切り離せない存在だった。 天才の影にはたいていはその才能を信じて支える人がいるものだが。 それにしても2人の存命中には、あの数々の素晴らしい絵画が売れなかったなんてあまりに悲しすぎる。 | ||||
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正直、私はゴッホが嫌いだ。 初期の絵はなんだかヘンテコだったのを覚えている。このヘンテコがどうしてこうも世の中を震わせたのか理解ができなかった。数々の絵を見てきたけれど息ができないほど重すぎた。故に拒絶した。 原田さんの小説を読みフィクションだからこその装飾がゴッホという人を豊かにしてくれた。食わず嫌いしてないか?最後まで読んだ後、無性に美術館に行きたくなった。 ゴッホ、貴方はどんな人なのだろう | ||||
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ゴッホが日本贔屓なのは知っていて、日本人もゴッホ大好きだけど、当時どういう経路で浮世絵と関わりがあったのかイメージしづらかった。それがこの本を読んで当時の空気感が想像できました。 日本画のどういうところに海外の方は惹かれてたのかもわかって、歌川広重や葛飾北斎の絵も改めてちゃんと見てみたくなりました。 ゴッホの絵がなんでそんなに売れなかったのか今となっては本当に不思議だなぁ…。 | ||||
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稀代の天才画家、ゴッホとその弟を中心に物語は展開していくが、その確執そして愛情には驚かされる。また、それを描ききった原田マハにも驚きと敬意を抱いた。ゴッホの数々の荒々しいタッチの絵が、ゴッホの存命中は、全然評価されていなかったことは知ってはいたが、あまりにも壮絶な生き様に本当に驚かされる。原田マハの小説の中でも、傑作の部類に入るのではないか⁉️ ゴッホの絵に改めて向き合ってみたいと思わせた。興味のある方は是非、一読して頂きたい名作である。 | ||||
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今までもゴッホの絵が(色使いが)一番好きだったけど、これからは絵の見え方が変わりそうな気がします。原田マハさんの小説の中で楽園のカンヴァスの次に好きかもしれません! | ||||
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--おれはアルルへ行く。そこに、おれの「日本」があるんだ。 原田マハの描くゴッホと言えば、2021年、『リボルバー』を読んでいたのだが、もう一作、別のゴッホ作品があったことを本書で知ることになった。『リボルバー』は、画家で言えばゴッホとゴーギャンの二人に焦点を当てていたのだが、本作はゴッホを主題とした単独作品である。 ちなみに本作中にもリボルバーという銃器は登場する。この頃に後作のアイディアが既にあったのか、孵化したばかりだったのかは不明だが。 本作の目線に浮上するのは、ゴッホだけではない。実は当時知られざる日本の、知られざる美術である浮世絵が、世界的に評価をされ始めた時代でもあり、本書では、日本美術を世界評価に繋げる動きに貢献した人物として、パリの実在の美術商・林忠正が描かれる。 作者の創造した愛すべきキャラクター加納重吉が、林忠正の影響を受けパリにゆき経験してゆく物語が一つの縦軸であり、もう一方の縦軸は、テオを中心とした物語として、不遇な兄であるファン・ゴッホとの深い兄弟の絆を描く。本作で最も心が許されるのはテオの兄へのあまりに献身的な人生であるかもしれない。 重吉とテオの物語は時々交錯しつつ、パリの美術界と、その歴史的推移となるエポックとしての日本画・また新しい印象派の画家たちの登場による美術界の価値変革が、セーヌの流れの如く雄大に描かれてゆく。 後半になり、『リボルバー』と重なる時期が描かれる。アルルに画作の新天地を見出したファン・ゴッホと、彼の狂気にも似た耳切り事件が描かれる。 ゴーギャンとの共同生活。その後の耳切り事件。ゴッホは、孤独とニヒリズムを抱えながら、熱情を絵筆に変え作品を作り出してゆく。彼の生きている間には認められることのなかった強烈な個性と才能をカンヴァスに叩きつけてゆく。それをパリから見守り、無心に援助する弟テオの愛情が、とにかく心に痛い。物語でありながら現実に即した事実でもあるからこそ、なお。 ぼくはパリのセーヌ河畔やアルルの跳ね橋の辺りなどを、この物語で語られた歴史的事実を事前によく知らぬまま、旅情ばかりを胸に抱いて訪れたことがある。折々のガイドによる説明を聞きながら、片耳のないゴッホの胸像を見つめた。真に生きた人間ゴッホ、またその弟テオの物語として、そのとき眼にしたものが今、蘇る。 本書はパリという町やセーヌ河畔の活気を美しく描きながらも、恵まれぬゴッホの生涯と狂気を、また恵まれ過ぎたかもしれない弟テオとの兄弟愛とを描きつつ、世界の美術が大きな転換点を迎える時代、評価され始めた日本美術の存在などをぐいぐいと読ませる力作である。 原田マハという稀有な作家の<読ませる力>は、凄い。日本作家でありながら世界を駆けるスケールの大きな物語を、元キュレイターという作家自身の体験と歴史的事実の上に積み上げて読ませる作品力が、何とも頼もしく感じられる一作であった。 | ||||
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なんとドラマテイックな人生、でもゴッホの精神性に心揺さぶられます。せつない‼️ | ||||
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ゴッホの生前の境遇がよく理解できた気がします。彼の作品が理解されず、恵まれない生涯を送り最後は自死するに至った悲劇は衝撃的だった。 | ||||
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華やかなパリを舞台に、人間が抱く寂しさや孤独感、憧れがゴッホ兄弟や主人公を通して描かれています。 ゴッホ展の年表などで見たことがある史実も織り交ぜて描かれていて、へぇ〜!あの出来事はそういう理由が背景にあったのかもしれないなぁ〜と美術史に詳しくない人でも楽しめます。 | ||||
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ゴッホの名画誕生までを描いた史実に基づくフィクションの物語。 一つ一つのファクト(史実)に対して意味付けをすることでストーリーを作り上げる原田マハさんのお家芸を思う存分堪能できる。 ”アート=芸術品への解釈”とすると、本ストーリー自体がアートそのもの。想像力で芸術品を楽しむことの魅力を伝えてくれる、アートに興味がない人にこそ読んでほしい一冊。 | ||||
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フィンセント・ファン・ゴッホ、テオ兄弟と、パリの日本人美術商の物語。 美し過ぎる兄弟愛と友情がつづられていますが、そこはフィクションということで。本作品と同時代の画家たちが主役の短編集『ジヴェルニーの食卓』も併せて読むと、絵画史におけるこの時代の位置付けについて理解が進む。 本作品は、ゴッホの生涯に、林忠正を絡ませて、よりドラマチックに仕上がっている。実際に、ゴッホ兄弟と林に交流があった事実は見つからないそうだが、著者の想像としてもリアリティを強く感じるだろう。タイトルの意味が印象的だ。 | ||||
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畢生の大作と呼ばれるものを、完成させたい。 他の誰とも違う、自分だけの表現を形にしたい。 このために生きているという実感の中で生活したい。 3日と空けずに記録する。 | ||||
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フィクションと分かっていながらもゴッホの人生に寄り添うことができる素晴らしい作品でした。 | ||||
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アートフィクションと聞くと、安っぽく思われてしまうかもしれないが、これはあくまでも人にフォーカスした小説です。 ルソーしかり、ゴッホしかり、生前認められなかった画家もいうものは少なからずいると思います。 そんな画家たちが文字通り命をかけて作品を創る様が、その身近な人々を通じて描かれています。 終盤、自然と涙がこぼれました。たくさんの愛を感じる作品です。 読み終えたあとは、是非序章を読み直してほしいです。 | ||||
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まるで自分が明治時代の頃のパリにいるかのような、主人公と一緒にパリにいるかのような気持ちで見ることができた。後半、読んでいる途中に、以前行ったゴッホ展が賑わっている様子を思い出し、テオとフィンセントの願いが叶ってよかったという気持ちになり涙が出てきました。 | ||||
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悪くはないけど、暗幕のゲルニカや楽園のキャンバスと比べると、ちょっと深みに欠けます。アメリカ人やヨーロッパ人や白人やら色んな人に囲まれて暮らしてる自分からすると、違和感あるようなエピソードもあり。作者の願望がかなり入ってます。でも、ゴッホへの愛は伝わってきました。 | ||||
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値段も買い求めやすい | ||||
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フィクション(ストーリー)としては他の辛口レビュアーの何人かの方と一緒で、可もなく不可も無くくらいが妥当と思います。 一方で、ゴッホの人生を辿るノンフィクションとしては(著者自身も述べている通り)加納重吉という架空の人物の設定をはじめ該当しないでしょう。 そういう背景から、本書の位置づけは、ゴッホ兄弟と林忠正の邂逅が生んだ人類史上の奇跡へのオマージュということになるのかと。 その意味で、私は本書と出会えたことに感謝しています。正直なところ、ゴッホは関心あれどどこか食わず嫌いで、世間が持ち上げるほど(オークションで史上最高値での取引があったなどのニュースとか)真価を理解したいとも思っていませんでした。いわんや、一歩踏み込んでその壮絶な画家人生や、活動の地を訪れるなど彼の作品が生まれた背景などを知る由も無かった。 実は、家族がパリ郊外のゴッホ終焉の地オワーズ川流域の大学に留学していたことがあり、一度その地を訪れたことがあったのですが、今となってはゴッホのことを知っていればもっとセンチメンタル・ジャーニーになったのではと後悔までしています。 本書の力は、当時を生きるゴッホ兄弟の視点で世界を感じられることでしょうか。着飾った文体や、蘊蓄過多で辟易とすることがなく、あくまでも主人公達の心情を慮った暖かい筆致に好感が持てました。 蛇足にちょっとだけ苦言を。 憧れのパリに渡り、粉骨砕身で日仏のカルチャーの橋渡しに奔走する林と加納の二人の生き生きとした描写は良いが、第三者に委ねるなどして、もう少しフランスのコミュニケーション文化の検証や監修をきっちりとさせた方がリアリティが上がったのではないでしょうか? アメリカではあるまいし、初対面はおろか、多少面識がありそれなりに親しかったとしても、ビジネスの現場でファーストネームで呼び合うことは決してありません。ましてやニックネームもご法度。プライベートで食事に呼ばれでもしない限り、会話の相手とは貴方・貴殿という代名詞(vous)を用い、呼びかけもムッシュゥ+「苗字」ということ以外は考えられません。よって最初からシゲ、テオとは呼び合いません。ここに関しては臥龍点睛を欠き残念でした。 | ||||
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