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くっすん大黒
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くっすん大黒の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.33pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全63件 21~40 2/4ページ
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実家にあったので、パラパラ読んでみたのですが、1ページ目から(面白い!)と思わされました。 あ〜、仕事したくないなぁ、一生ブラブラしていたいなぁ・・・、そんなこと誰でも思ったことあるのでは? そんな、あなたの分身がこの作品には描かれています。 笑っちゃう部分、意味不明な部分、擬音の多用、こんな文学ありなのか!? 僕もダラダラ生きたい!!(涙 うぎゃあ。 | ||||
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町田康作品で初めて読んだのが本作。 くせになる文体、ストーリーともにはまってしまいました。 以来、ファンの一人です。 | ||||
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もう三日も読んでいないのであって、実になんというかやれんよ。ホント。本を読ましやがらぬのだもの。屈辱ポンチやら夫婦茶碗やらでいいのだが。あきまへんの?あきまへんの?ほんまに? と、くっすん大黒風に書いてみたが、いやあ、はまったね。町田康。すごいよ、ほんまに。 中毒性がある。読み出したら止まらない。この作家のすべての作品が読みたくなる。 その類似性が指摘される太宰治や織田作之助、坂口安吾、石川淳といった戦後無頼派の作家たちの作品も、これまでかなり読んでこましたが、きっと、その当時の読者が太宰らに対してもった共感のようなものを、現代における読者が町田康に対して感じているのではないか。 町田康の作品における主人公は、いい加減なようでいて、その実やさしさをもっており、読んでいて実に気持ちがいい。 読みやすい文体で平易に書かれているようで、実は再読に耐えうるレベルの高い文学として成立している。 とかなんとか書いたけど、これからもとにかく町田康を読む。 読んでこます。 | ||||
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このレビューの高さと友人からのオススメから、期待して読んでみましたが、そこまで面白く感じませんでした。 しかし、登場人物の語り口調とか言葉の表現が面白いと思いました。しかし、ストーリー全体としては、そんなに面白くはなかったです。 特に面白いシーンは主人公と天田はま子との絡み合いです。天田はま子のキャラクターが憎らしいったらありゃせん。しかし、この主人公とはま子のやり取りや会話とかが目に浮かぶほどリアルな感じで読んでてとても面白かったです。 | ||||
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街中でたまにいる「この人なにやってる人なんだ?どうやって生きてんだろう・・・」と想像もつかない人物をたまに見かけますよね?!ふらふら歩きながら独り言を言っていたり。やたら笑顔浮かべながらヨレヨレな服着て缶ビール飲んでるおっさんとか。そんな人たちの日常生活をのぞかせるようなお話。書き方や内容など起承転結な物語というより、飲み屋でダラダラ知らないおっちゃんの話を聞いてる感じ。途中で飽きて寝ちゃいました。んでまた続き・・・。そんなダラダラした空気感。こういうダラダラした感じに程遠い意人ほど面白いと感じ、近い人ほどつまらないと感じるのじゃないかなと思った。レビュー主がどっちか想像してください。 | ||||
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浪花のよっぱらいのプータローが呂律が回らないままに起こったことをひたすら語る。 面白いかどうかなんて気にならないくらい、大阪ミナミの場末の匂いが、しかも天王寺、鶴橋、上本町付近(ローカルな話題で失礼しました)の匂いです。 大阪ミナミの場末の匂いが苦手な人はすごく嫌がりそうだけど、好きな人平気な人はまあ大丈夫でしょう。 特に登場するおばちゃん複数人はエキセントリックだけど、大阪ミナミだと妙にマッチするエキセントリックさです。 作者は大阪市の生まれらしいけど、大阪市のどこに生まれたんだろう? 正直面白いとは思えません。奇抜なだけといえば奇抜。面白い、ユーモアがある、と思う人は、笑いもトークも関西より低レベルな東京もん?(差別発言失礼しました) 芥川賞候補になれたのは珍しさだけ、としか思えません。しかし、大阪人にしか書けない作品です。 | ||||
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主人公の楠木正行(この忠君愛国な名前が皮肉である)は3年前、ふと働くのが嫌になってミュージシャンを辞めた。以来、酒浸りの毎日を送っていたら、ついに妻の夏子が家を出ていってしまった。散らかった部屋に転がる「五寸ばかりの金属製の大黒様」は珍妙な面つきと言い「自立できない」点といい、自分そっくりで全く不愉快。自堕落な生活にピリオドを打つべく、ついに今日こそはこの大黒を捨てようと決意した・・・ユーモラスな語り口と奇妙な形で噴出する鬱勃たる感情が話題を呼び、日本近代文学の伝統であった私小説を現代に再生させたと絶賛された町田康の処女作「くっすん大黒」ほか1篇を収録。 一見デタラメなようでいてリズミカルな地の文にそこはかとなく漂う詩情、上方落語や漫才を彷彿とさせるキビキビとした会話の心地良さは、絶品である。八方破れの主人公がどこかシャイな点は高橋源一郎を、登場する中年女性が揃いも揃って横暴で自己中心的でヒステリックな点は筒井康隆を思い起こさせる。 表題作主人公の楠木は大黒の捨て方など些末なことには異様なほどに粘着するくせに、日常生活を無難に送るための世俗的な知恵は決定的に欠落している。その意味で彼は落伍者、生活破綻者、社会不適応者であることは疑いないのだが、彼の社会に対する醒めた視線は存外に的確で、その諷刺精神は意外に真っ当なものだったりする。はっきり言って、彼が行く先々で出会う俗物たちの方が明らかに人間として終わっているのである。こんな奴らに媚びてまで生きたくない、と思っている彼はあえて社会的成功に背を向けていると言えよう。この社会に対して意味のあることを決して行うまいという、徹底的な無為・不毛を心に固く誓っているかのようである。 つまり楠木を突き動かしているのは凄まじいまでの反骨精神である。クールなパンクバンドをやってファンから拍手喝采を浴びるなんてのは、本当の「パンク」ではない、という認識がそこにはある。「愚にもつかぬたわごとをレコードに吹き込んだり、命じられるままにカメラの前で右往左往したり飛んだり跳ねたりという三年前までの自分の仕事」は真の意味での「反逆」ではない、と。 しかし町田康は「私小説」の形式を導入することで、話者・町田康と主人公・楠木正行との距離を巧妙に測定し、楠木の鬱屈と反抗に満ちた自意識過剰な語りをも笑いの対象にしている。これは言うまでもなく町田康自身のナルシシズムを相対化する作業に他ならない。この辺り、やはりタダモノではない。 | ||||
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町田康の小説に登場する主人公は、基本的にクソマジメであることが多い。 だけど、おそらくその反動で、冗談みたいな価値判断基準(パンク)に従っていたりする。 もちろん、クソマジメに。 そんなクソマジメな与太者が、社会に見捨てられるギリギリのところで、なんとか生きてゆこうとする物語。 それが、この「くっすん大黒」なのだ。 当面の生活費を稼ぐため主人公は、たったひとりの友人をともなって、あやしげなクエストに立ち向かってゆく。 しかしそこに立ちふさがるのは、ちゃらんぽらんなる権威主義者たちであった。 はたして彼らは無事に帰ってこれるのか・・・ 帰ってきたところで成長は望めないし、帰ってこられなくても笑い飛ばしちゃうけどね。 なぜなら、パンクだから。 そんな、絶望的ビルドゥングス・ロマンなのであります。 | ||||
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読み終えて、腕組みしてしまった。う〜ん、この本にコメントを…と言われても、表現できないのである。そのくせ町田康が頭からはなれなくなってしまった。町田康、町田康、町田康… まずいことになったぞ、これは。 出てくる人々が、とことん自堕落。おまけに、赤・青・黄色と原色ベッタリ塗りたくったような濃すぎる人々だらけ。普通なら「今のままではいけない」とあせるか、「まあ、しょうがないさ」と開き直るか、どちらかの展開を予想するのだが、町田康の世界はそのどちらでもない。それなのに、だよ。えらくまっとうなことを、ところどころで登場人物に語らせるんだよな。それも、かなりふざけたシチュエーションおよび語り口で。とにかく句読点無視、文法無視、言葉が次から次から追っかけてくる表現は、ド迫力。 町田康が中原中也の軌跡をたどる、みたいなNHKの番組を見たことがあるんだけど、非常にナイーブで繊細な印象を受けた。それと作品の大きなギャップ。 ふざけているのか、まじめなのか。狂気なのか、天才なのか。ただ私が町田康中毒に陥ったことだけは間違いない。 | ||||
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つまらなかった。中身がないし、語りが面白いわけでもない。確かにリズムはいいが、中身のない妄想を口語でリズム良く書くだけで、どうして高い評価を得ているのか、理解できない。これが文学なら、文学の書ける人は世の中にゴマンといるだろう。自分で試していないから気づかないだけで。 このサイトの閲覧者には、批判的なことが書いてあるのを見ると「いいえ」を押す習慣があるらしい。レビューが、ではなくて「はい」「いいえ」の数が参考にならないことは明らかなので気にしません。どうぞ。 | ||||
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表題作「くっすん大黒」は、日々をだらだらと過ごすおじさんと、同じくプータローの大学生が主人公の物語。 こんな二人が主人公なら、いかにも彼らのだるくてゆるい生活が描かれるのかと思えば、まったく違う。 異常なテンションの周りの人間に取り囲まれ、ぐるぐると引っ張りまわされる怒涛の日々。 特に女性が誰一人まともな人がいないのがすごい。 タコを磔にしてみたり、絶叫したり、亀を爆発させてみたり(これは主人公がやるのだが)。 あのプー二人組が、まともに思えてきてしまう。 いいハイテンション、クレイジーぶりで、巧妙な語りに一時も飽きることがなかった。 非日常な出来事が日常化しているおもしろさを味わえる。 | ||||
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何とも言えないくせがあり、力が抜ける。 表題のくっすん大黒は、正直理解不能でわけわからんかったが、後半の河原のアパラは、町田康の文章に慣れたためか、ちょっとおもしろかった。 因みに著者の町田康さんはパンクロッカーらしいが、どんな音楽を作っているのだろうかとちょっと気になった。 | ||||
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非常に体たらくな男楠木の目を通して行われる日常的な、非日常との境目を露にさせる不思議な世界の話しです。妻にも出て行かれ、酒びたりで生活手段も無く、お金も無い主人公楠木が以前から気になっていた据わりの悪い置物の「大黒」を捨てに行く話しなのですが、日常の話しなのですけれど、非常に不思議な味わいのある出来事が立て続けに起こる(あるいは起こらない)物語です。ちょっと変わった物語で、ついグイグイと読まされます、読みやすいです。中篇2本で出来た本作はもう一つの「河原のアパラ」もかなり読ませる作品です。中島 らもさんの新作はもう出ないとお嘆きの方にオススメ致します。またはトイレやレジなどの列を作って待つという際にフォーク並びの出来ない人々に対する憤りを感じていらっしゃる、ぅあなた にオススメ致します。この、ぅあなた、というしゃべり方をするオバハン、チャアミィの凄まじいまでの生態についても興味をもたれた方にもオススメです。 ココからちょっとだけネタバレあり しかし、この語り口と可笑しな出来事や可笑しな人物の描写のギャップがたまりません。しかも途中まで気づきませんでしたが、この語り口は「供述調書」的なんですね! | ||||
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パンクのヒトだけあってか破壊的で?テンポのよい文章。 とても読みやすいです。「愛すべきダメ人間」の話が2作品。 読後に心に残ったのは、河原のアパラの中で、川にいたおじさん が主人公らに焼肉を焼いてくれたところ。あれ結局何の肉? なんで焼肉?ディープな世界やねえ。 | ||||
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まず初めに、この小説を読んでも年収は10倍にはならないし、 人生がうまくいくようなエッセンスは恐らく一つもありません。 しかし、とにかく面白い。 駄目人間が、自分より輪を掛けて駄目な人達と関わり合う事によって、 あれ、結局何も変わってないよねってお話が二つ。 手垢がついていないからこそ滲み出る、純粋な「言葉」による面白さ。 娯楽小説として、これ程に優れた作品もそうそうないのでは。 「うるせぇ、ちょっと、このザッパを止めろ」 "ルー・リードみたいなおばはん" などの音楽ネタも、個人的にはツボでした。ははは。 | ||||
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たとえば、この小説のあらすじがまったく違ったものだったら、野間文芸新人賞を受賞できなかっただろうか?菊池も吉田のおばはんもチャアミイも桜井も上田もでてこなかったなら駄作に終わっただろうか? あらすじは突拍子もなく、キャラクターは濃厚の極みだが、町田康の小説の最大の魅力はもう少し根本的だ。解説にもあるように太宰治を思わせる退廃的な生き方だが、その生命力の強さは常人の比ではない。あらゆるものに反発を抱きながら、それを受け入れ、酔っ払い、また明日が来る。なぜこの小説を読んで、生きる力が湧くのか?これぞジャパニーズパンク。 | ||||
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文庫本になっているのかと思って、再読してみたら、いややっぱりおもしろい。 漫然と生きている人物が右往左往しているだけのハナシであるのに、ほのかに土着的な聖性とでもいいましょうか、神々しいすごみがある。そいでそれは単に「大黒」や日本神話的なことばが使われているためではない。 まあリクツはさておいて、なんともいえぬ良い小説なのです。 | ||||
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小説ってなんておもしろいんだろうとおもいましたわたしは。ろーどむーびーのようですし。いろんなわけのわからないひとたちが出てきてきしょくわるいのですがとても会話がゆかいで自由自在できぶんがいいのですよ。おまけになんかいよんでもえがおになりますししわがふえます。これではまるで自分がだいこくさまになったようでまちださんのおもうつぼですね。 | ||||
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思わず助けたくなるくらい不器用な主人公。 そしてとてつもなく濃厚な登場人物たち。 なんだか馬鹿げたストーリー。 落語のような語り。 どこかズレた感じがする小説なのだけれど、 滑稽さと可愛らしさが絶妙にブレンドされていて、 わき腹をくすぐられているような感覚です。 「たにし」を罵言として愛用する町田氏らしい、 怒っているのか、笑わそうとしているのか、わからない、 なんともこそばゆい小説です。 | ||||
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「くっすん大黒」116回芥川賞候補(1996年)となった作品であり、落選はしたものの筒井康隆氏が本作を絶賛しました。 1997年には第19回野間文芸新人賞、第7回ドゥマゴ文学賞を受賞しています。 と書くと、さぞかし「凄い作品」なのだと思うでしょうが、ここでも町田氏の脱力ぶりと下降志向は健在です。氏の芥川賞受賞作である「きれぎれ」やその他の作品よりも狂気や陰惨さは少なく、快活で滑稽な作品に仕上がっています。小説を読みながら久しぶりに「ゲラゲラ」と笑ってしまいます。それでいて計算づくの恐るべき小説でもあります。 | ||||
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