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ゲームの王国
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ゲームの王国の評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.99pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全69件 61~69 4/4ページ
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| ポルポト政権に残虐な歴史があったことくらいしか知りませんでした。 フィクションとはいえ、何か下敷きになるものがあったのでしょうか。 日本も嘗てはこのような恐怖政治が行われていたのだから、他人事ではないと思い読んでみることにしました。 真実のように迫ってくる物語に引き込まれました。 とても素晴らしい本でした。 | ||||
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| 本書を手に取ったのは、舞台がカンボジアでポル・ポト派による大虐殺の時代という極めて珍しい設定であったからだ。 上巻は期待に違わない出来で、どのようにポル・ポト派が政権を取り、理想の共産国家を設立するために、大虐殺が行われたのかが物語を通じてわかるようになっており、共産国家になる前から腐敗していたこの国が、革命後更に悪化する様を興味深く、そして国をよくしようという試みがすべて悪い結果に繋がるこの国の様子を哀しい気持ちで読んだ。 下巻になると舞台はいきなり2025年という近未来に飛ぶ。そこでは、ゲームを通じてカンボジアを変えようとした二人の主人公の姿が描かれるが、上巻にあった緊迫感はなくなり、物語全体が矮小化したような印象を受け、結末も概ね予測できたため読み進めるのが苦痛になってしまった。 | ||||
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| 「クメール・ルージュ」の単語検索で「ゲームの王国」が出てきたので読みました。 下巻最後に記載されている「主要参考文献」のほとんどは、 私も過去に読んできました。 作者さんは「1986年」生まれなので、 ニュースで毎日のように「ポル・ポト派」の単語が流れ、 幼稚園児未満にさえも刷り込まれた世代の「後」になります。 幼心に「とんでもない事が起こって大人が騒いでいる」と、 不穏な空気を体感した事もないでしょう。 「クメール・ルージュ」等カンボジア内戦は、 「あくまで小説の主題のネタ」として中途半端に描かれます。 「外部者の日本人ごときが面白がって創作して、何を偉そうに」と 読み進めるうちに、実に白けた気持ちになりました。 若い日本人作家のフィクションSFは、 私にとっては「興味の対象外」でした。 | ||||
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| 本作の上巻にはSF要素は全くない。少しのマルケス風のマジック・リアリズム要素はある。70年代カンボジアのロン・ノル政権からポル・ポト政権当時のいくつかの家族の受難劇である。主人公の少年と少女はそれぞれの人生での重大な時点でたった2回しかすれ違うことはなかった。全体の印象は冒険小説であろうが、何しろ人民抹殺で有名なポル・ポト政権下での話だから、登場人物の死亡率もかなり高い。人物の行動を決定する動機が、えったったそれだけで、と思える点がいくつかあったが、シーンの描写力が高いので読ませてしまう力がある。大きな破綻もなく複雑なストーリーを一気に展開する。評者は引き込まれてグイグイ読んでしまった。 | ||||
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| 下巻は21世紀の現代カンボジアに舞台を移す。かつての少年と少女は大人になり、それぞれの人生を歩んでいる。SF的ガジェットとして、脳波と記憶、それからその応用としてのゲームが出てくるが、それ自体はよくある感じで、やはり人間関係のもつれが中心だろう。そういう意味では普通の小説で戸口は狭くない、ただ舞台がカンボジアだからその意味では読者を狭めているかもしれない。ますます気が変になっているソングマスターだった人物、土を食べて土地の生産性を予言するコンサル業で大儲けした人物、正義感でボッキするおかしなTV製作者の登場などのマジック・リアリズム風エピソードは秀逸。それなりに衝撃的な結末まで大いに読ませるが、SFとしての展開を求めすぎない方が良い、上巻の惹句で大森さんが言っているのはそういうことだろう。 | ||||
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| 以前、クメール・ルージュによって殺された人々の、骸骨が積み上がった村の虐殺現場に行った。 同族殺し、それは戦争の悲劇とはまた違って、カンボジアでは中高年は、その時代を語らないと言われていた。 生きているということは、殺したということだから。 舞台はカンボジア、時代はまさにクメール・ルージュが台頭してきた頃から始まり、そうか、この不条理さはSFが描いてきたそのものだったと思う間もなく、ぐいぐいと世界に引き込まれた。 SFには詳しくない。だが、人間の不条理を、この世界の混沌を描く中で、「ルール」が確固としてあるゲームに救いの光を見出すのと、この著者がSFという手段を見出したのは、必然だったのかもしれないと思った。 | ||||
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| ゲームにはルールがある。ゲームに勝つためにはルールの枠内で相手を上回るか、自分たちがルールを支配すれば良い。では、鬼ごっこに勝つには相手を北極まで追いかけていけば良いのか。チェスの対戦相手を撃ち殺せば、勝ったことになるのか。他の全ての政治家が不正を行っている状況下で、選挙に勝つために不正を行うのは。相手を告発しないと自分が告発され殺される収容所国家で行われる虐殺に不作為を決め込むのは。 ややメタフィクショナルなテーマを、歴史小説、教養小説、魔術的リアリズム、ピカレスク、SF、ボーイ・ミーツ・ガールの要素をふんだんに盛り込んだ娯楽小説です。特に上巻のクメール・ルージュという史実を下敷きにしたムイタックとソリヤの成長物語は出色。下巻の脳波モニタリングによるゲームというアイデアも面白かった。上下2巻800ページ弱を、文章力で飽きずに一気に読ませてくれます。 | ||||
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| 上巻は、ポルポト時代のカンボジアが、それこそ”まるで見てきたように”生き生きと丁寧に表現され、このような苛烈な歴史を負った国をゲームに繋げてゆくことに興味も沸き、下巻を期待しておりましたが、ちょっと期待外れでした。 まず脳作用をゲームに応用する、またゲームを通じてプレーヤーの脳作用に意図的に影響を与えるというSFとしてはメインとなるテーマが、あまり説得性のある小説とはなっておりませんでした。 いかにファンタジーとはいえ、それらしき説得性は必要と思います。 次に終わり方が唐突で、「死」で全てを終わらせることに、作家の無責任さを些少ながら感じてしまいました。 | ||||
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| こんなに熱中して小説を読んだのは久しぶりです。寝不足になるくらい、とても楽しい時間を過ごせました。 なぜか高橋和巳の邪宗門を思い出しました。 アモックってどんな料理だろう、と調べながら読んで味やにおいを想像しました。 もしかしたら以前に食べたあの料理に似ているのかもしれない。きっとこんな味だろう。 そうすると、あたかも過去にアモックを食べたことがあるかのような気がしてきました。 【感想を追加します】 | ||||
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