■スポンサードリンク
寒い国から帰ってきたスパイ
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
【この小説が収録されている参考書籍】
寒い国から帰ってきたスパイの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.08pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全56件 21~40 2/3ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
冷戦期を舞台にした有名なスパイ小説。 前半は、比較的のんびりという印象だったが、後半のどんでん返し以降、残り10%くらいが、はらはらしてとても面白い。 と同時に、正義よりも国家の理屈が優先し、善良な個人が翻弄され、なんとも言えない気持ちになる。 冷戦とは何か感じられる本。おすすめ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
大学生になったばかりの頃、本書を読んで魅了され、引き続きスマイリー三部作を読んでジョン・ル・カレのファンになりました。 当時の私は「自分はスパイ小説好きなのだ」と思っていたのですが、社会人になってしばらくした頃、ジャンルとしてのスパイ小説が好きな訳ではなく、ル・カレという特定の作家の作品が好きなのだ、という結論に達しました。 ...いくら他の作家を読んでも、ついぞこの作家、この作品を超えるものに出会わなかったからです。 イギリス人らしさ、人間臭さがより現れている、という点で、個人的に好きな作品としてはスマイリーものの方が上ですが、スパイという特定の職業と、この特定の時代、国家--色々な要因がプロットに落とし込まれているストーリー展開の水際立った処理など、作品としてのインパクトとしてはこちらの方が上だと思います。古さについては、むしろこのくらい時代が変わってしまうと逆に気にならないで読めるのではないでしょうか。 その後も愛読者としてル・カレの作品は読み続けていますが、ファンのひいき目を抜きにしてお薦めできるのはやはり本作とスマイリーものです。スマイリーはイギリス人特有の価値観が鼻につくと思われる方もいらっしゃるでしょうから、まずはこちらをどうぞ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
アメリカならハードボイルド小説、日本なら時代小説、そしてイギリスならスパイ小説といったところであろうが、007のような超人的スパイではなく生身の人間としてのスパイを取り上げ、国家と個人の関係性(=個人の感情をも利用し尽くす最終的な非人間性、非人道性)に関する犀利な洞察と告発を込め切った上に、二転三転するプロットで、騙す者と騙される者との攻守所を変えまくる虚々実々の駆け引きと法廷劇(圧巻は第22章)、そして男女の愛を描き切った、古典のみが持つ独特のオーラに満ちた真の傑作。(日本の推理小説でいえば、松本清張の登場とでもいったところか。長らく読もう読もうと思ってきた一冊ですが、この三連休でようやく宿願を果たせました。) 「死刑の宣告を言いわたされると、だれもがかえって元気づくといわれている。炎のなかへ飛び込んでいく蛾とおなじで、身の破滅と希望の達成とが同時に行なわれるわけだ。リーマスも胆をきめたとなると、それに似た感情が意識された。束の間のものとは知っていたが、しばらくは心のやすらぎを味わった。が、そのあとすぐに、また不安と焦燥がおそってきた」(176頁)。 「そこから、隣室の彼を見張っているのであろう。が、監視されたくらいで、動揺するリーマスではない。・・・ ぼんやりしていたのでは、ひどい目にあうこともあろうが、けっきょくそれは、相手がかれのうごきを注視していることのあらわれで、これがあることによって、かえって相手の手がかりをつかめるというものだ。・・・ わずかの隙に、かれらの正体を見てとることができた」(248~9頁)。 「けっきょく、みじめなやつは、おれたちふたりさ」(356頁) 宇野利泰氏の訳はところどころ意味が取れず、原文に当たりたくなったが、(私見では)後半はスムーズ。個人的には、1985年にベルリンの壁を訪問し、チェックポイント・チャーリー(Checkpoint Charlie)を越えて東ベルリン市街を歩き回ったときの記憶と重ね合わせて読みましたが、とにかく心にずっしりときましたね。星5つでは足りない、正にヨマシネの一作。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
最後にルカレの作品を読んだのは「繊細なる真実」、もう1年半前になる。ルカレも御大85歳になるはず、なかなか新作も期待できない。ということで ルカレの名作中の名作、彼の出世作である「寒い国から帰ってきたスパイ」を再再読することにした。と言っても、最後に読んだのはたぶん20年 程前、作品の詳細はすでに忘れ、ただあっと言わせる最後の100ページの展開だけが非常に衝撃的であった記憶だけが残っている。初めて この作品を読んだとき、ああこんなプロットの小説があるのかと思い、一気にルカレファンになった。3度目となると詳細は忘れても、最後のプロットの 流れは残念ながら(?)覚えていたものの、そのプロット以外のところでルカレが我々読者に感じさせようとした「国家の利益を追求する巨大な 機構に巻き込まれたスパイの悲劇」というテーマが、実は彼の最新作である前述の「繊細なる真実」において、「体制や大義が個人を蹂躙して 行くことへの大きな怒り」というほぼ変わらぬ形で維持されていることに新鮮な驚きを感じる。 これ以後書かれるルカレの小説に共通する、やたら詳細に拘ったり、内省的な人間の葛藤の部分は、まだこの「寒い国から帰ってきたスパイ」 においては余り見られない。その分読みやすくはあるが、その後のルカレ作品に慣れさせられた読者には、やや物足りなく思うだろう。まあ、 それだけルカレが同じテーマを描きながらも、より純文学に近い作風を指向していったということと理解している。いずれにせよ、私の今の希望は ただ一つ、ルカレよ、せめてあと一作、新作を読ませて欲しい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
再読と思ってよんだら、以前読んだ著者の他の作品と取り違えていたらしい。ジョン・ル・カレの著作はかなり読んだが、これは本当に傑作のひとつと思う。 彼の小説はひたすら暗く重く細部にこだわるので読むのに時間がかかる。 冷戦のもと、東側や共産主義への批判が多いが、今読むと当時の新進作家が情況へ迎合するためだったのでは?と思える。 それよりも貧しい女共産党員のみじめな生活とか、人種・民族・階級(ユダヤとかアイルランド人とか)へのこだわりの描写などが、今なお非常にリアルである。 おそらく20世紀を代表する小説として残るといっても過言ではないかもしれない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
流行の新刊を読まない私には、古典的かもしれないですがロングセラーのこちらは大満足でした | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
大学生のときに初めて読みました。スパイものと言えば007のような娯楽的で華やかな世界しか知らなかった身には、ここに描かれるどこまでも暗くて、寂しさが重く残るスパイの物語は衝撃でした。その後、辞書を引き引き原書も読み、これはスパイ小説というよりも文学ではないかと思っています。ペンギンのモダン・クラシックス版には、007映画の脚本も手掛けた小説家、ウィリアム・ボイドによるイントロダクションが付いていますが、これがとてもよい。「寒い国」を字義通りに冷戦下の旧東側諸国とのみ捉えるのではなく、スパイとして生きることに必然的に伴う「非人間性」も含意されているとの解釈を知ると、あのラストに救いが見えてきます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
スパイの世界は、何重にも騙し合いが絡んでいて、とても危険な仕事であることが読み取れる。 全体として、話の流れは読み取ることができるが、地理的なことなど、理解の難しいところも有った。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
最近の映画や小説では、スパイ物といえばアクション物とセットになっているが、本書は、しんみり系のスパイ小説である。インターネット、スマホに慣れた世代には、退屈かもしれないが、この本が持つ緊張感は、スパイ小説の真髄を描いている。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
よくできています。そうだったのかと思わせるのですが、かといって、爽快感はなく、読後は、「1984年」や「わらの女」を読んだ時のような、やりきれない感じです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
ジョン・ル・カレ以前の英国のスパイ小説は、ハネイやジェームス・ボンドのように勇敢で行動的、自身に満ちた人物が主流だった。 カレはこの小説によって暗く反英雄的な展望、西の民主主義が東の共産主義よりも道徳的に優れているという意識など微塵もない世界を描き出す。 緊張感が無くむさくるしいスパイの世界、敵の裏をかこうとする複雑な作戦。 何が現実で何が幻想なのか、主人公リーマスも自分がただの駒でしかないことに気づく。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
スパイとは敵を欺くために、味方も欺く。その組織戦が、今世界で繰り広げられている。 日本人の感覚からすれば、”そこまでやるのか”という冷酷さ、計画性、非常さを感じる。 しかし、世界の常識は、非情で冷酷そのものなのだ。 日本人もその現実を感覚として知って居なければならない。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
冷戦下の諜報戦を描いた名作。その時代の緊張感が伝わってくる。 スパイであるがゆえに、感情を抑え込み、隙を見せない。 本作に出てくるスパイは、非情さとその裏にある人間性が見えることで、リアリティが増す。 味方なのか、敵なのか。何が真実なのか、嘘なのか。 敵を欺いているつもりが、自分が欺かれている。 伏線も多く、読み応えのあるスパイミステリー。 ぜひ映画を見てみたい。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
確かに古典といって良い作品だと思う。裏切りに、また裏切り。誰が信用できるのかわからない状況。そして、ちょっとした人間らしさが罠となって破滅へ向う展開、と。 1963年に書かれた作品ということなので、もう半世紀も前ということだ。事前知識として、冷戦期の知識はある程度いるかもしれない。「寒い国」=東側から帰ってきたものの、スパイという仕事を選んだ人間に、普通の生き方を選ぶという選択肢があるわけもなく、といった状況に哀愁を感じさせる。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
第二次大戦以降の資本主義陣営(ヨーロッパでは西側、イギリス・西ドイツ等)と 共産主義陣営(東側、ソ連・東ドイツ等)の対立である冷戦を背景にしたスパイ小説。 敗戦国であるドイツは米、英、仏、ソ連が4分割。その後西側地域はドイツ連邦共和国、 ソ連占領地域はドイツ民主共和国となる。(チャーチルは東側を「鉄のカーテン」と称した。) ベルリンの壁が築かれたのが1961年、作品が書かれたのが1963年。 (1963年、日本では鉄腕アトムが放映開始された) ネタバレになるかもしれませんが、訳者あとがきのル・カレのインタビューが、 端的にこの作品を紹介しています。 「僕がこの小説で、西欧自由主義国に示したかった最も重要で唯一の物は、 個人は思想よりも大切だという考え方です」 自由主義国に生きる私にとっては共産主義は遠くまるで悪かのように思っていましたが、 ル・カレの作品を読み進めて行くと、 どちらの思想も幸せに暮らす方法を必死に模索して出来た物で、 そしてどちらの思想も個人を犠牲にする権利は無いなあと感じました。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
読み応えのあるスパイ小説でした。ストーリーかしっかりしておりまた、リアリティーある内容に時間を忘れました。これからも、このような読み応えある作品を低価格で提供するとKindle ファンは増えるでしょうね。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
昔なつかしい冷戦中のスパイものは如何にも有りそうな感じが楽しめます。 元々スパイ物が好きな人にはお薦めです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
昔、映画でみた原作を読んで、改めて面白かった。 現実に近い展開だと思うが、実際は不可能だろう。 スパイと二重スパイ入り乱れた諜報活動の一端が伺えて興味深いが、実際はこんなことでは誰もだまされないだろう。 小説は小説だが、面白かったのは事実だ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
この本は、主人公の超人的身体能力で敵側の重要な情報を入手、敵を撹乱殲滅するという007等のスパイものとは違い、知性を使い、敵に対して、謀略を仕掛けるスパイが描かれています。 小説の視点がコロコロと変わるので読みにくいのは確かです。 しかし、それを補うだけの、国際的な謀略が、緻密に、時に、大胆に展開されていくので、読者は引き込まれていきます。 ところどころに、散りばめられた伏線が、また、読み進める中の楽しみとなります。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
やや古いスパイ小説だ。孫崎享氏が『日米同盟の正体』で「間接的アプローチ」の教本として紹介されている。 1960年代の冷戦の頃、イギリス情報部中枢は、東ドイツ情報部の重要幹部の抹殺を狙って、ある作戦を発動する。しかし、抹殺と言っても、相手は、情報部の奥の院に鎮座するトップであるから、ゴルゴ13のように路上で暗殺するわけにはいかない。そこで、イギリス情報部が考案したのが、東ドイツ情報部の防諜機関に、その幹部がイギリス側のスパイ、内部通報者であるかのような偽情報を信じ込ませ、敵側による粛清を仕組むという戦略だった。どうやるかは読んでのお楽しみだが、この小説の結末は、もうひとひねりしてあって、イギリス情報部中枢が欺瞞しようとした対象が、実は全く相反していたという展開が用意されている。この戦略も素晴らしい。 偽情報を信じ込ませ、強制ではなく、自発的意思により、相手を誤った行動に誘い込み、自滅させる。しかも、戦略の目標とする対象そのものが、欺瞞工作によって巧妙に隠される。相手方に、Aが目標と信じ込ませ、偽情報によって誤った行動に誘い、真の戦略目標であるBを獲得する。間接的アプローチの真髄だ。 対日開戦時の米国は、日本の南部仏印進駐を阻止するためと見せかけて、対日石油全面禁輸を行い、真珠湾奇襲攻撃を誘いながら、その実は、ヨーロッパ戦線における対ドイツ参戦のための世論喚起を狙っていた。モンロー主義のもとで米国がヒトラーと戦うためには、日本との開戦が必要だったわけだ。 このような間接的アプローチは、TPP信仰にのめり込んだ野田佳彦首相には、もちろん「想定外」だろう。真の目標は、北方領土であり、TPPは、欺瞞工作であるのなら賞賛するが、これは能力的にあり得ないな。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!