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ティファニーで朝食を
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【この小説が収録されている参考書籍】
ティファニーで朝食をの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.10pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全72件 41~60 3/4ページ
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龍口訳が原作に忠実で良いと色々なネットで評価されていて、どうしても読みたくて探していました。(村上春樹訳しか本屋は置いてなくて)状態も良かったし、表紙がヘプバーンなのもとても気に入りました。 | ||||
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とにかくホリー・ゴライトリーが魅力的。彼女は奔放で野性的、そしてなによりも非常に不安定な女性だ。現実で身近にいたら関わり合いになりたくないと思いつつも魅かれてしまうんだろうなと思う。 訳者あとがきにもあったが、彼女が「嫌ったらしいアカ」から解放されて安寧を手に入れることはないような気がする。彼女は一生不安定なままで、いつか決定的に転落してしまうのだろう。なんて儚い女性だろう、そしてそれゆえに美しい。 主人公が安易にホリーと恋愛関係にならないところがいい。主人公は明らかにホリーに魅かれているのだが、あくまでも友人関係で終わる。それだからこそ主人公はホリーという人間の核のようなところを垣間見ることができたのではないかと思う。 また、本書では「ティファニーで朝食を」以外にも三篇の作品が収録されていて、そちらも面白い。特に「花盛りの家」は結末が好きだ。著者は野性的で奔放な野兎のような女性を描くのが上手いなと思った。 | ||||
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村上春樹の訳もいい。ところどころ原文と比べてみたが、とてもじゃないがこんな日本語には訳せないと思った。 | ||||
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村上春樹という最高の訳者を得て、生まれ変わった本作。 子どものころ先に映画を見てしまい、そのイメージが鮮烈だったので、原作である本作を読み「えっ」とびっくり、そして、「ローマの休日」と比べてティファニー映画はあまり好きでなかったので、ああ、諦めずに原作を読んでよかったと得心しました。 はっきり言って、映画のティファニーは、ヘプバーンのプロモーションビデオにしてしまっていたと思います。 孤独で、危なっかしくて、彼女なりの価値観で行動するため世間からはおよそ「身持ちの悪い女」としか扱われないはすっぱな主人公。これは、清楚でエレガントなヘプバーンのイメージとは全く違うと思います。そして、多分に無理があった映画バージョンより、原作のほうがよほど格好よく素敵ですし、彼女に翻弄される作家志望の内気な青年の内面もよくわかります。 なんでこれがへプバーン主演なんだ! アイドル映画にするつもりだったんでしょうね。キューポラの吉永小百合と同じ。原作では不良で、野性的で、そこが魅力的な少女を、当代の清純派アイドルが演じるとすごく変な気がします。 清純派とファムファタルはどうしても両立しない。とまれ、映画見て読んだ気になっている方は(私もそうでしたが)、すごくもったいないです。一緒にホリーに翻弄されましょう! 切ないのは村上春樹の解説。作品だけでなくカポーティの生涯に触れているのはさすが。カポーティというのは、「年上のはすっぱな女性に翻弄される少年」しか描けなかった人で、また「草の竪琴」といい、本作といい、初期作品がすごく成功してしまったから、少年という柄でもなくなった中年以降、小説が一行も書けなくなった。何が彼を殺したのか、じっくりと問い詰めていく春樹解説、悲しい。 | ||||
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古本屋のワゴンから拾ってきたやつで、評判の村上訳はとりあえず無視。 オードリー・ヘプバーンの映画はわずかしか観てなくて、なんとこれは未見です。 きらいじゃないけど数世代前の女優さんだと思うから。 自由奔放、きまぐれ、現実的な処世、既成価値観の無視など型やぶりな淫婦ホリーの言動を追い、 ちょっとアタマおかしいんじゃないの、と危ぶむ。反面、破天荒な生きざまにあこがれてしまう。 彼女は実兄フレッド以外、何者も愛さないし、他者からの愛情も求めず、愛や結婚を手段に自由を満喫し、 各地・各国を転々とする。 ヒロインの個性が強烈すぎて、他の作中人物がかすんだ感は否めないが、軽妙ながら奇怪な印象を受ける。 ※ 写真・自己紹介は無視して下さい | ||||
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同じアパートメントに住む、美しくて自由で奔放なホリーに作家の僕は夢中になっていきます。 ホリーの話は交友関係の話題がひきこまれるし、持論もかわいらしいです。 作家の僕もホリーの行動をくまなく語ってくれるので、きっと読んでいるうちにホリーに興味がわいてくることでしょう。 闇の部分を持ちつつも、光を求めて必死に生きているホリーに慰められ、勇気をもらえます。 | ||||
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ホリーは、少女をみそめて結婚した変態おじさんの犠牲者だった。子供の将来や子供の最善を考えないで、自らのニーズのために子供を犠牲する大人たち。ホリーがまともな女になれるわけない。この作品は、大人に蝕まれ健全な少女時代を奪われた子供たちが、どういう大人になってしまうかを描いた悲劇だ。 | ||||
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ホリーは、少女をみそめて結婚した変態おじさんの犠牲者だった。子供の将来や子供の最善を考えないで、自らのニーズのために子供を犠牲する大人たち。ホリーがまともな女になれるわけない。この作品は、大人に蝕まれ健全な少女時代を奪われ子供たちが、どういう大人になってしまうかを描いた悲劇だ。 | ||||
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ホリーは、少女をみそめて結婚した変態おじさんの犠牲者だった。子供の将来や子供の最善を考えないで、自らのニーズのために子供を犠牲する大人たち。ホリーがまともな女になれるわけない。この作品は、大人に蝕まれ健全な少女時代を奪われた子供たちが、どういう大人になってしまうかを描いた悲劇だ。 | ||||
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イノセンス。 それは清らかな、たましい。 「ティファニーで朝食を」「花盛りの家」「ダイアモンドのギター」「クリスマスの思い出」の4つで編まれたこのアンソロジーには、そのイノセンスのきらめきと、そして避けえないその消滅が描かれている。 訳者によればこの小説はトルーマンカポーティの「第二期」に苦難の末に生み出された作品なのだという。 恐るべき子どもと呼ばれた早熟な「第一期」、彼は自らの内側からあふれ出るようにやってくる物語たちをそのペンで受けとめ、時代の寵児となった。 やがてその天然の栄光は去り、小説を書くという苦行を引き受けながらしかし彼は、このような永遠の輝きと、それにひとしい重みのある陰を持った作品を上梓することとなる。 この短編集は、不思議な後ろ髪を引く力に充ちている。 通読する間、なぜこれが現代の古典となりうるのかが良く分からなかった。例えば同時代を生きたアーウィン・ショー(夏服の女たち)やサリンジャー(ナインストーリーズ)と比べると、こころを動かす力が弱いように思えた。それは自分とこの小説のチューニング(同調)が取れていないのかもしれないな、と思いながら読んでいった。ページを手繰るスピードも、さほど上がらなかった。 しかし一つ目の中編小説(ティファニー)を読み終えてから、不思議と胸に響くものを感じ始め、後の3編はすらりと読みとおすことになった。 本を閉じて、登場人物たちが心の中に居残る。 ニューヨークの社交界の妖精でありまた、あばずれ仔猫である、ホリー・ゴライトリーは、小さな竜巻のように周囲に迷惑をかけながらも、その天性のイノセンスですべての人々を魅了し、虜にする。 ハイチの娼館のオティリーはどんな境遇にいても夢見ることをやめず、生涯を囚人として過ごすミスタ・シェーファーは遠い目をして気まぐれな若い友だち(失った彼自身のイノセンスそのもの)を思い出し、そしてクリスマスを心待ちにする老婆は、世間や親族からどんなにないがしろにされても、自らのこころの中の純潔を捨てることだけはしない。 やがてくる、人生との別れ、イノセンスとの離別の時まで―――。 その影があるからこそ、輝きはよりいっそう美しさを増し、そして切なさとともに読み手のこころに刻まれる。 我々は、あらかじめ失われることを決められている美しさを持って、この世にやってくるのだ、ということを。 それはすなわち、カポーティ自身が苦難の末にたどり着いた持論なのだろうと思う。だからこそ、そのメッセージは重く、また同時に、クラッシック(古典)として永遠の輝きを得た。 美しい短編集だ。 | ||||
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「ティファニーで朝食を」も勿論よかったのですが、最後の「クリスマスの思い出」は、静かな夜に読んで思わず涙させられた静謐な佳品です。 表題作目当てで読んだ一本でしたが、期待していなかった分本当に衝撃でした。表題作よりも、私は今でもこちらの方が印象に残っています。 若かりし時の思い出です。 | ||||
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すぐに届き、満足でした。 映画、訳者のファンなので楽しみです。 | ||||
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「ティファニーで朝食を」は原作と映画がかなり異なるので、映画ファンの方は「えっ」と思われる作品だと思います。(逆に私は原作が先だったので、映画を見た時は「ええっ!」でした) 他に3編、龍口氏の翻訳と同じ作品が入っています。 龍口氏の訳を高校生の時から愛読していましたが、正直「うーん」と思っていました。翻訳された当時に「わかりやすいように」という工夫だとは思いますが"Champion"を「大関」など、世界観を損ねてしまうような言葉が次々出てきていました。 今回村上氏の訳でそういった点は改められ、戦中のニューヨークやハイチの雰囲気をきちんと出していたのがよかったと思います。 「クリスマスの思い出」も、龍口氏の「子供の視点からの語り口調」に馴染んでいたために、最初違和感を感じましたが、原文を優先して訳せばこうだよなあ、と思い直すきっかけになりました。 確かに「村上風」とでもいうのでしょうか、あっさりした文体や独特の言葉もありますが、完全に「村上春樹の文章」にはなっておらず、味わい深い仕上がりになっていると感じます。 | ||||
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夢の中を生きているいつまでも少女のままで時が止まった女性。ホリーはそんな女性だ。ホリーの家の表札にはトラヴェリングと何時も掛かっている。そんな個性的なというより少しお頭の弱いようにも思われる、どこかとらえどころの無いホリーは、女優の卵であるのにもかかわらず週一回刑務所に「空模様」を伝えにいくために出かけたり、軍人たちから法外なチップを貰い彼らは彼女の家へと押しかける…、そんな不可思議な謎に満ちている。そして主人公僕は彼女の上の階の高級マンションに住むようになって、彼女と出会う。 物語は何年も前に消息を絶った彼女に生き写しの木製の彫像を日本人のユニオシ氏が文明から遠いところにいて自然と共に暮らしているようなアフリカ人が持っていたのを目撃するところから始まる。僕は以前のマンションで行きつけだったホリーとの共通の親友であるバーのマスターからその話を聞き、彼女のことを回想するのだ。そこで彼女に振り回されながら、恋した日々を…。 物語としてはとてもコンセプトのはっきりした小説で、フィッツジェラルドのようなストーリーよりも描写の美しさを重視した小説とは異なっている。しかしホリーの天衣無縫さがとても愛らしく神々しささえ感じられる。扱っている宝石はどうでもよいがティファニーのようなところで過ごすことが出来たなら幸せだ、彼女は言う。ティファニーの落ち着いた佇まい。働く人間のセンスのよさ。牛革の財布やベルトの匂い…。それが彼女に人生の意味、生きがいを感じさせるのだ。しかしそのくせそこいら辺に転がっている彼女をシンデレラにしてくれるチャンスには目もくれようともしない。そして彼女はついにその機会を掴むことは出来ずに僕の前から姿を消すことになる。 彼女の相棒の猫とのお別れのシーンはほろっとさせられる。僕たちよりもかけがえの無い親友の彼に注がれたホリーの優しさは美しい。そんな猫氏はさておき、しかし男ならば読者として僕の立場に立てる僕らは喜ぶべきことなのかもしれない。天衣無縫の美女とのまさに特権的なトラヴェリングは想像力の豊かなカポーティによってしか実現し得ないだろう。実際にそんな体験が出来るなど望むべくも無い。この文明の世の中彼女のような天衣無縫な女性が生きていくにはアメリカのハリウッドはさぞ住みづらくなったことであろう。ホリーは今どこへとトラヴェリングをしているのであろうか…。 | ||||
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映画しか知らなかったので、読んでみた。 (恥ずかしながら) なんとも言えず原作の方が、淡く儚くて美しい。 旅に持って行こう。 何度でも、読み返したいと思った。 | ||||
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映画の字幕スーパーの様なルビ訳になっているので、意訳表現が多く見受けられる。知らない単語があれば辞書を引いて確認するのも良いと思う。 | ||||
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村上春樹訳ということで興味を持って読んでみた。主人公ホリーも物語も文体もすごくお洒落な、スタイリッシュな小説だった。もっともこのお洒落な文体がトルーマン・カポーティによるものなのか、村上春樹訳によるものなのか正直自分には分からないのだけれど、素敵なことに変わりはない。 他の方も書かれている通り、映画はまったく別物になっている。オードリー・ヘップバーン演ずる映画の主人公に原作のホリーが持つ自由奔放でありながらどこか寂しげな感じはないし、映画のジョージ・ペパードにも原作の「僕」が持つ振り回されっぱなしの華奢な感じはない。エンディングが異なれば物語も異なるわけで、どちらが良いという以前に、抱く感想は「まったく違うね」だった。 表題作に続く3つの短編の中では、切ないながら清々しさを残す『クリスマスの思い出』が良かった。 | ||||
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そうしか生きられない人間の痛切な物語。映画化に当たっての改作に最後まで異議を唱えたという原作者カポーティー。ラスト、消息を絶ったホリーの、彼女が望む本当のしあわせを思う。ハリウッド映画には描けなかった本物の自由。ホリーに幸運を。 | ||||
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内容ではなく、このシリーズのよさについての評価です。 ペーパーバックの紙の悪さと開きにくさを、気にする人ならこれがおすすめ、文庫本のサイズで読みやすく紙の質もよく、おまけに脚注も最後についているので参考になる。ルビがふってあったり対訳だったりいろいろなシリーズが各社からでているがこのシリーズがおすすめ。このシリーズで何冊か持っているが、変色もせず何度でも読める。昔買ったペーパーバックの ”日はまた昇る” なんか変色だけならまだしも紙がくずれて読めないので、このシリーズを見つけ購入しました。名作はこのシリーズがおすすめ在庫がないのが多いけど、講談社も、もう少しがんばってこれに力を入れてほしいですね。 | ||||
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村上春樹の日本語訳と比べるとなかなか面白い。特に筆者本人が書いている「あとがき」には、映画版の辛辣な批判があり、とても面白い | ||||
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