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ティファニーで朝食を



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ティファニーで朝食をの評価: 4.10/5点 レビュー 72件。 Cランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.10pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全5件 1~5 1/1ページ
No.5:
(1pt)

村上春樹氏にはそもそも小説を読む力がない

『ティファニーで朝食を』の冒頭のパラグラフです。

I am always drawn back to places where I have lived, the houses and their neighborhoods. For instance, there is a brownstone in the East Seventies where, during the early years of the war, I had my first New York apartment. It was one room crowded with attic furniture, a sofa and fat chairs upholstered in that itchy, particular red velvet that one associates with hot days on a train. The walls were stucco, and a color rather like tobacco-spit. Everywhere, in the bathroom too, there were prints of Roman ruins freckled brown with age. The single window looked out on a fire escape. Even so, my spirits heightened whenever I felt in my pocket the key to this apartment; with all its gloom, it still was a place of my own, the first, and my books were there, and jars of pencils to sharpen, everything I needed, so I felt, to become the writer I wanted to be. (Breakfast at Tiffany’s, Truman Capote)
以前暮らしていた場所のことを、何かにつけふと思い出す。どんな家に住んでいたのか、近辺にどんなものがあったか、そんなことを。たとえばニューヨークに出てきて最初に僕が住んだのは、イーストサイド72丁目あたりにあるおなじみのブラウンストーンの建物だった。戦争が始まってまだ間もない頃だ。一部屋しかなくて、屋根裏からひっぱり出してきたようなほこりくさい家具で足の踏み場もなかった。ソファがひとつに、いくつかのむくむくの椅子、それらはへんてこな色あいの赤いビロード張りで、いやにちくちくして、まるで暑い日に電車に乗っているような気がした。壁はスタッコ塗りで、色あいは噛み煙草の吐き汁そっくりだ。浴室も含めて、いたるところにローマの遺跡を描いた版画がかかっていたが、ずいぶんな時代もので、そこかしこに茶色のしみが浮き出ている。窓はひとつしかなく、それは非常階段に面していた。とはいえ、ポケットに手を入れてそのアパートメントの鍵に触れるたびに、僕の心は浮き立った。たしかにさえない部屋ではあったものの、そこは僕が生まれて初めて手にした自分だけの場所だった。僕の蔵書が置かれ、ひとつかみの鉛筆が鉛筆立ての中で削られるのを待っていた。作家志望の青年が志を遂げるために必要なものはすべてそこに備わっているように、少なくとも僕の目には見えた。 (『ティファニーで朝食を』村上春樹訳、新潮文庫)

この訳は非常に問題ありです。一文ずつ解説していきます。

I am always drawn back to places where I have lived, the houses and their neighborhoods.
以前暮らしていた場所のことを、何かにつけふと思い出す。どんな家に住んでいたのか、近辺にどんなものがあったか、そんなことを。

drawn backと受動態でalwaysもついているので、懐かしさをイメージさせる「思い出す」はふさわしくありません。言外に「今live住んでいるところは居場所ではなく、live生きているとはいえない」という含みがあります。以下、カポーティの「読者だまし」のオンパレードです。

For instance, there is a brownstone in the East Seventies where, during the early years of the war, I had my first New York apartment.
たとえばニューヨークに出てきて最初に僕が住んだのは、イーストサイド72丁目あたりにあるおなじみのブラウンストーンの建物だった。戦争が始まってまだ間もない頃だ。

East Seventies(マンハッタン島のイーストサイド70丁目から79丁目まで)は高級住宅街のイメージです。

アッパー・イースト・サイドは富裕層の住宅街として知られ、高級住宅地として有名である。またこの地域の住民のための私立学校もある。20世紀以前は大富豪の屋敷が並んでおり、現在はセントラルパークに面する住宅街とパーク・アベニューの周辺を中心に高級アパートメント、コンドミニアムが並ぶ。(ウィキペディア)

すくなくともブラウンストーン張りをするのは高級建築です。建物の古さを考えると、19世紀の大富豪の戸建てです。たぶん添付画像のような家です。there isと現在形になっているのは、現存するからでもあるし、主人公がdrawn backされたからでもあります。時制には意味があるのです。apart-ment「親元から離れて一人でいる心(mentalとのダジャレ)」という意味もあります。

It was one room crowded with attic furniture, a sofa and fat chairs upholstered in that itchy, particular red velvet that one associates with hot days on a train.
一部屋しかなくて、屋根裏からひっぱり出してきたようなほこりくさい家具で足の踏み場もなかった。ソファがひとつに、いくつかのむくむくの椅子、それらはへんてこな色あいの赤いビロード張りで、いやにちくちくして、まるで暑い日に電車に乗っているような気がした。

たとえ戸建てでなかったとしても、ニューヨークの高級アパートがワンルームマンションのはずがありません。主人公は高級住宅の一部屋だけを借りて下宿したのです。atticは屋根裏ではなく、「アテネ風の、古典的な、高貴な」という意味です。ニューヨークの高級住宅は屋根裏を物置にはしないのです。村上氏はparticularとpeculiarを見間違えたのかもしれませんが、普通に訳せば「特別に赤いビロード」です。itchyだからへたってはおらず、ピカピカの高級調度なのです。また、ビロードの肌理が微粒子particleを散らしてキラキラしているイメージになっています。hot days on a trainは「栄光の日々の連続」です。訳からは狭い部屋しかイメージできませんが、かつては大勢の人が集まった社交場だったのです。広いのです。

The walls were stucco, and a color rather like tobacco-spit.
壁はスタッコ塗りで、色あいは噛み煙草の吐き汁そっくりだ。

スタッコは化粧漆喰のことです。煙草を噛んで吐いた唾は茶色です。変色したのではありません。漆喰でイメージされる白ではなく、最初から茶色に着色しているのでratherですが、訳せていません。この小説にはbrownということばが、最初のページにだけ3回出てきます。おそらく小説を通じてなんらかの意味があるのでしょう。

Everywhere, in the bathroom too, there were prints of Roman ruins freckled brown with age.
浴室も含めて、いたるところにローマの遺跡を描いた版画がかかっていたが、ずいぶんな時代もので、そこかしこに茶色のしみが浮き出ている。

風呂場に版画をかけるアホはいません。紙が濡れたり湿気たりします。風呂場の絵はフレスコやレリーフなどです。作者は「よく読めばありえない」描写をしています。このprintsは「印象」です。ローマの旧跡みたいなので建物は古いように見えますが、部屋はボロくはなく、きれいに維持されています。freckled以下はruinsにかかり、壁にシミがあるわけではありません。

The single window looked out on a fire escape.
窓はひとつしかなく、それは非常階段に面していた。

窓の下には折り畳み型の避難器具があったようですが、なんにせよ大富豪の邸宅なので屋外の非常階段なんて無粋なものはありません。またlock outのダジャレです。読んではいませんが、この小説は

Flanked by potted plants and framed by clean lace curtains, he was seated in the window of a warm-looking room: I wondered what his name was, for I was certain he had one now, certain he'd arrived somewhere he belonged. African hut or whatever, I hope Holly has, too.

とwindowの話で終わります。

Even so, my spirits heightened whenever I felt in my pocket the key to this apartment;
とはいえ、ポケットに手を入れてそのアパートメントの鍵に触れるたびに、僕の心は浮き立った。

家は大邸宅で、部屋は広いし、ローマの旧跡みたいで、豪奢なイスがあるから、主人公は皇帝気分なのでしょう。村上訳は浮ついた感じでよくありません。spitとprintsとspiritsがダジャレになっています。apartmentは原文に二回出てきますが、訳には「アパートメント」が一回しか出てきません。これをなんとかしなければいけせん。

with all its gloom, it still was a place of my own, the first, and my books were there, and jars of pencils to sharpen, everything I needed, so I felt, to become the writer I wanted to be.
たしかにさえない部屋ではあったものの、そこは僕が生まれて初めて手にした自分だけの場所だった。僕の蔵書が置かれ、ひとつかみの鉛筆が鉛筆立ての中で削られるのを待っていた。作家志望の青年が志を遂げるために必要なものはすべてそこに備わっているように、少なくとも僕の目には見えた。

gloomは「さえない」ではく「薄暗い」です。gl-+roomのダジャレで、gl-は「光る」という意味の接頭辞です。物理的には暗くても、主人公にはキラキラして見えます。stillは「ホッとする」です。firstは

I had my first New York apartment

を受けていますが、「最初の」だけでなく「(人生で、絶対的に)最高の」という意味があります。jarは「つかみ」よりは多く、jarsは「ひとつ」よりは多いです。主人公が鉛筆をsharpenするとも、鉛筆が主人公をsharpenするともとれますが、大事な意味はもちろん後者です。so I feltもeverythingにかかります。「自分のなりたい作家になるために必要なものすべて、つまり作家になれると感じられるものすべて」という意味です。everythingは本と鉛筆だけでなく、ここで描かれているものすべてを含みます。とくにspiritsは重要です。現代では滅んでしまったギリシャやローマの古典の技巧=「だまし」を継承、再興しようという自負や、脱出路を断つ心構えも読み取れます。

I felt in my pocket the key to this apartment
everything I needed, so I felt

apart-mentも必要なものです。作家はだてにおなじことばを使わないのです。二つのfeltは同一か、非常に近いことばに訳さなければ、読者はそこのとがわからなくなります。村上氏は一般論にしてしまいましたが、the writer I wanted to beはどんな作家でもいいのではなく、 ジェイン・オースティン やジェイムズ・ジョイスのような、「だまし」を駆使する作家のことです。カポーティも見事そうなれました。村上氏にはspiritsもsplitもありません。

村上春樹氏は最初のパラグラフを、ただの一文もまともに訳せませんでした。しかしカポーティの真価はこんなものじゃないのです。
ティファニーで朝食を (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:ティファニーで朝食を (新潮文庫)より
410209508X
No.4:
(2pt)

傑作とされる小説

オードリー・ヘップバーン主演の映画で有名な作品だが、私は映画を見たことがなかった。そのため、映画の先入観なしにこの本を読めた。

一応、あらすじを書いておくと……。

女優のホリーは「私」と一緒によくジョーの経営するバーに行っていた。「私」とジョーは特に親しくはなかったが、ホリーという共通の友人で繋がっていた。ジョーは気難しい男で、ひとり者だった。

ジョーの店は静かで、ネオンサインもテレビもないのが売りだ。そのジョーが、「私」を呼んでおかしなことが起こったと言う。ジョーは「I.Y. ユニオシ」という日本人の紳士のことに触れる。ユニオシはファッション雑誌のカメラマンだ。ユニオシはアフリカでホリーに似た彫像を見つけ、塩や腕時計と引き換えにそれを手に入れた。どうやら、ホリーがアフリカで木彫り師を気に入って一夜を共にし、自分をモデルにして彫像を彫らせたようだ。確かな話ではないが、ホリーならそんなこともしそうだ。

そもそも、「私」がホリーの存在に気づいたのは郵便箱だった。「ミス・ホリデー・ゴライトリー、旅行中」という札が付いているのを見たのだ。ホリーがアパートで夜中に大きな音を立てていて、ユニオシが注意した。その時、彼女は19歳ぐらい。男と一緒だった。しかし、ホリーはその男を振り、アパートの自分の部屋に引っ込む。かなり奔放で小悪魔的な女性のようだ。

「私」は同じアパートに住んでいるだけで、ホリーと話したこともないのだが、彼女と街や階段などで出くわすことはよくあった。アパートで彼女がギターを弾きながら歌うのを目にしたこともあった。

その後、「私」とホリーは会話をするようになる。「私」が作家の卵であることも明らかになる。人の家に上がり込んでおいて、お腹が空いたといってリンゴを食べ、何か飲み物を作ってほしいと言い出す。かなり図々しい女である。しかし、美人らしく、「私」はホリーを見てドキドキしてしまう。

そして「私」はホリーの奔放な生き方をつぶさに知るようになる。彼女は、男を手玉にとって楽しんでいるかのようだ。それでも惹かれてしまうのが男の弱さだろうか。

読み進んでも、やはり普通の感覚を持った女性とは思えない。愛してくれる人からも逃げだし、欲望のままに生きている。

そんなホリーとのひとときが描かれる。

そううまくはいかないだろう、と思っていると、やはり大きな展開がある。しかし、ホリーはどこまでもホリーだった。カポーティーは、どんな状況になろうとも自分らしさを貫くことの大切さを訴えたかったのかもしれないと感じた。

manila envelope(マニラ紙の封筒)といった表現に時代を感じる。英文としてはそれほど難解ではない。しかし、フランス語やスラング、ちょっとラフな英語などが混じっているため、ルビ訳がなければ読むのに苦労しただろう。傑作という評価になっているが、気に入った作品ではなかった。
ティファニーで朝食を [英語版ルビ訳付] 講談社ルビー・ブックスAmazon書評・レビュー:ティファニーで朝食を [英語版ルビ訳付] 講談社ルビー・ブックスより
4770023774
No.3:
(1pt)

何故ノーベル賞が獲れない村上春樹

村上春樹のカポーティのテクストに基づく換骨奪胎を読む位なら原書を読んだ方がいい。
中学生の英語でも読めるからだ。現に私も中学時代に RANDOM HOUSE の SIGNET版で読んだ。
それに村上春樹は「カート・ウェール」をクルト・ヴァイルに直す事は出来ても、彼の 
DIE DREIGROSCHENOPER の歌手がどんなイギリス映画に出ているかは知らないだろうし、
カポーティが、どの時点でのマリア・オイスペンスカヤを描写しているのか、その彼女の
出演している映画さえ知らないと思う。
極めつけは「花盛りの家」という誤訳だ。これは”House of Flowers”だから、龍口訳の
「わが家は花ざかり」の方が余程打倒だ。村上なら知らない筈は無いと思うが、これに、
あの「虹のかなた」のハロルド・アーレンが曲を付け、ミュージカルとしてブロードウェイ
で大ヒットしたのだ。この中の一曲”The sleepin' bee”はスタンダード・ナンバーとして
定着し、多くの歌手に歌われている。
1984年に発売されたCD:WITH A SONG IN MY HEART ではボストン・ポップスをバックに、
ジェシー・ノーマンが歌っている。編曲・指揮は勿論、ジョン・ウィリアムズ。プロデューサー
は「ブルーノ・ワルター復刻」で有名な、あのジョン・マックルーアだ。          

さて龍口直太郎 訳だが、私はこれを文庫版ではなくハードカヴァーの初版で持っている。
田中一光氏の洒落た装丁で Capote の表記も「カポーティー」となっている。下品な話
で申し訳無いのだが、フランス語で capote とはコンドームの事を指す。
初版発行は1960年2月29日。あとがきは僅か3ページで文庫版の昭和四十三年七月三十日
発行に比較すると、龍口さんがニューヨーク周縁の文化関係を如何に緻密に取材なさった
かが判る。それは勿論、本文にも反映されているという訳である。           

さて村上春樹であるが、どうしてノーベル賞が獲れないのだろうか?それは、彼が罪深い人
であるからである。村上は、神戸・三ノ宮の「後藤書店」に大変に恩義がある筈だ。否寧ろ、
後藤書店こそは村上春樹の育ての親なのだ。村上は Penguin版の、ポオのアンソロジーを
「後藤」で購入したのを忘れたのか?それがあるからこそ、今現在の、作家・翻訳家として
の村上春樹が在る筈だ。しかし非情なことに村上は、金を唸る程稼いで居ながら、「後藤」
に対してなんの恩返しもしなかった。「後藤」が阪神淡路大震災で傷付き、復興はしたもの
の、昨今の古本屋不況で遂に倒産に到ってもなんの援助も行わなかった。そんな村上に対し、
神はお怒りになっているのだから、村上春樹がノーベル賞を受賞出来なくても実に当たり前
の事なのだ。だから、カズオ・イシグロなんかに持って行かれてしまう。        
この際だから村上は「反ノーベル賞」キャンペーンを立ち上げるべきだ。あの iPSの山中伸弥
が受賞するくらいである。「ノーベル賞」の選考基準自体がおかしいのだ。もし生きていたら、
アインシュタインだって、「ノーベル賞」からの除名を希望したであろうから。      
   
ティファニーで朝食を (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:ティファニーで朝食を (新潮文庫)より
410209508X
No.2:
(2pt)

平成18年で73刷の実績

違和感を覚えながら読んでいたが、97ページのこの箇所に至って、いくらなんでも――と思った次第。
他は、くまなくチェックした結果ではなくて、時々メモったところを書きだしてみたのみ。

P.97
 私は彼の言葉をまともに信じた。いかにもすじが通っていて、疑う余地がなかったからだ。

p.64 (Penguin Books "Breakfast at Tiffany's")
'Do you believe what I'm saying is so?'
I did. It was too implausible not to be fact;

P.103
「日曜ぐらいゆっくりしたっていいでしょ。それにあたしゆうべからまだ寝てないの」と彼女はベルにいってから、こんどは私にそっと、「ほんとに眠らなかったのよ」とささやいた。そしてパッと顔を赤らめ、うしろめたそうに、そっと視線をそらした。

p.68
'But it's Sunday, Mr Bell. Clocks are slow on Sundays. Besides, I haven't been
to bed yet,' she told him, and confided to me: 'Not to sleep.' She blushed, and glanced away guiltily.

P.150
しかしその言葉は、とぎれとぎれにしか聞こえなかった。というのも、彼がそういうかいわないうちに、一台の自動車がバーの前にぴたりととまったからだ。

p.96
An inaccurate statement: because seconds after he'd made it a chauffeured limousine drew up outside the bar,

P.155
この青年をえらくかわいがって、彼が殴られて眼のまわりに黒あざができたりするたびに、ヒレ肉の料理をもっていってやったりしていた。

p.99
indeed she doted on the young man and supplied filet mignon whenever he had a black eye.
ティファニーで朝食を (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:ティファニーで朝食を (新潮文庫)より
4102095012
No.1:
(2pt)

期せずして、オードリーの偉大さを思い知らされる結果となった、カポーティの原作

「ティファニーで朝食を」というタイトル名は、おそらく、映画やこの原作を見たことがない誰もが知っており、また、そのうちの大半の人が、その洒落たタイトル名から、素晴らしい名作を思い描いているのではないだろうか。 

私の場合は、この作品に映画から入ったのだが、そんな先入観に反し、意外に平凡な映画であることに拍子抜けしてしまい、「オードリーが演じたからこそ、後世に残った映画」としか思えなかったのだ。ただ、総じて、原作物のドラマというものは、原作にあった大切なものが抜け落ちてしまっていることが多いものであり、私は、「カポーティの小説には、何かがあるのではないか」と期待し、この原作の方も読んでみることにしたのである。 

しかし、残念ながら、その期待は、裏切られてしまった。たしかに、映画の方では、多少の改変が行われていることはわかったものの、映画で感じた物足りなさは、そっくりそのまま、この原作の方にも感じてしまったのである。 

「この物足りなさは、どこからくるのだろうか?」と考えてみたのだが、やはり、ストーリー自体に、名作には必要不可欠の、読む者を惹き付け、捉えて離さないだけの劇的な起伏が乏しいと思う。カポーティ独特の筆致とともに、このストーリーの流れの中に身を置き、148ページを付き合うのは、私には少々辛かった。 

ホリーという女性も、漠として捉えようがなく、必ずしも魅力的な女性としては描かれておらず、むしろ、この原作のホリーを、映画の中で、あそこまで強烈な存在感を放つ女性として演じ切ってしまったオードリーの偉大さの方を思い知らされる結果となってしまったのである。

併録の三つの短編も今一つだったが、特に気になったのが、「わが家は花ざかり」だ。タイトル名とは裏腹の、ストーリー展開にさして必要とも思えないグロテスクな描写は、私には、悪趣味としか思えない。繊細な人は、読まない方がいいだろう。
ティファニーで朝食を (新潮文庫)Amazon書評・レビュー:ティファニーで朝食を (新潮文庫)より
4102095012

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