カメレオンのための音楽
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表題の「カメレオンの音楽」は、貴婦人が弾くモーツァルトのソナタに誘われて庭からカメレオンが集まってくるという、フランス領マルティニーク島を舞台に繰り広げられる奇妙な短編小説です。カポーティの伝記作家クラークいわく「カメレオンの音楽」は至高の、それこそ神技に近い集中力の産物なのだそう。読者は現実とも虚構ともつかない不可思議な領域に引き込まれていきます。帝国主義時代のまとわりつくような気だるさが見事に描かれた作品です。 | ||||
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すらすらよみ進めるいい訳ですが、誤訳と思われるところがあります。「モハーベ砂漠」p.61の夫は「また、何を着てもよく似合い」というところです。原作の「he was worth dressing for」というのは、前の「夫は女性の外見によく気づく男で、一暼で全体の雰囲気を掴める(個人下手な直訳)」という内容を受けて、この男のためになら、「自分はわざわざ着飾った甲斐がある」というような意味で捉えたほうが妥当でしょう。 | ||||
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1980年出版の十四中・短編集である。 『冷血』で、ノンフィクション小説というジャンルを切り開いたカポーティの、また新しい 試みであり、実験的分野としての作品集である。レイモンド・チャンドラー的で、E・A・ポ ー風の要素も含まれている。また、日本芸術の能、歌舞伎、映画を参考にし、三島由紀夫、 美しい花火の話題もある。著者は、「フィクションとノンフィクションは二つの大きな河の ように合流していくし、文章世界ではますますこの傾向が強まる」と、『カポーティとの対 話』のなかで述べている。本作品は、散文、脚本など、著者がこれまで書いてきたあらゆる 異なった形式、すべての技術を同時に適用している、と云える。短篇について、「短篇の芸 術家にとっては、短篇はもっとも難しい」と云い、作品に対する最大の「制御力」と「精確 さ」を必要とするとも述べている。『カポーティとの対話』を併読すると一層理解しやすい。 構成は、十三の短篇と一つの中篇である。「カメレオンのための音楽」を含む六短篇は、 一人称小説であるが、「わたし自身の存在を完全にけしさることだ」と序文で書いているよ うに、カポーティの存在を感じさせない。各物語は不思議で、奇抜で、奇怪な内容である。 わたしの友人が死んだカリブ海の島、老婦人が弾くピアノでカメレオンたちが部屋に集ま ってくる。友人の死と関係あるのだろうか。身体障害者のソ連のスパイらしき人物をモスク ワで見かけ、彼は健常者であったこと、ジェーン・オースティンの『エマ』を読む夫人が猫 好きで、冷凍庫に猫の死体を保存している話、夫に女性を紹介し自らも不倫をし、三角、四 角関係の人間模様の話など、非日常と恐怖の世界に迷い込む。 第二部の中編小説「手彫りの柩」は、牧場をめぐる利水権争いで、手彫りでミニチュアの 柩が送られてきた人物が殺されていく。犯人の目星はついているが、追い詰められない。ア メリカ人作家の紹介もある。レイモンド・チャンドラー、マーク・トウェン、グレアム・グ リーンなど。「牧場主の手がラフマニノフの手に似ている」と面白い表現もある。すこし、 長い作品であるが、まさしくレイモンド・チャンドラー風である。 文体としては、会話、地の文、かっこ付き( )文章で工夫している。かっこ付きは、写生 、心理描写である。 第三部は「会話によるレポート」、七短篇である。カポーティは「TC」と表示され、主人 公たちと会話しながら物語を紡いでいく。著者が「いちばん気に入っている」という「一日 の仕事」は、黒人掃除婦に同行しながら他人の部屋を観察する。著者「TC」が質問している が、ノンフィクションかフィクションか判断が困難で、著者の「会話体小説」という新ジャ ンルと思いたい。 しかし、マリリン・モンローを主人公にした「うつくしい子供」は『カポーティとの対話』 でも取り上げられているノンフィクションである。モンローの言葉の表現力、頭の回転の はやさ、優雅な顔の表情などが著者の繊細な筆力で描写されている。 「あたしがどんな女か、そう人に聞かれたら?」の問いに、カポーティは、「何もかもがな んで決まりきったように消えてなくなるのだろうか。人生ってなんでこんなにいまいましく くだらないのだろうか?」と、モンローに質問している。消えていく美しいモンローの死を 予感していたのだろうか。 アルファベットも完璧に言えず、数学音痴で引き算ができないカポーティであるが、抜群 な知能指数で、本を逆さにして読むことができる特技もある。カポーティの才能や、人脈を 窺い知る作品集でもある。 | ||||
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アメリカ的犯罪のノンフィクション解釈と副題がつけれれた「手彫りの柩」は,「冷血」同様読み出したら止まらない。 アメリカの片田舎で事件を担当する刑事ジェイク・ペッパーから興味を引く事件の話を聞かされる。 ある夫婦のもとに届いたミニチュアの柩。中には夫婦の写真が。 その後二人が家を出て車に乗り込んだとたん,ひと群れのガラガラヘビが電光石火の勢いで二人を襲う。蛇にはアンファタミンが注射され,極端に興奮した蛇が夫婦の身体にところかまわず噛みつき,夫婦は即死する。 その後,同様に写真入りのミニチュアの柩が届いた人物は,かならず何らかの手段で殺害または死亡してしまう。 「冷血」同様現実の事件をもとにしていますが,登場人物を再構築し,かつカポーティー自身がTCという形で全面的に登場する点が「冷血」とは大きく違う点です。 作者自ら前書きで,「あえて自らを中央舞台に位置せしめ,ありふれた人との普段の会話を,地味にまた簡潔に再構成してみた」とあるとおり, 「手彫りの柩」以外の作品においても,カポーティーがおもてに出る私小説風作品集とも言えそうです。 「手彫りの柩」においては,その技法によって,自らに及ぶ危険や恐怖が増幅されているように思われます。 こんな事件が本当にあったということ自体驚きですが,それを見事に再構成させたカポーティーの文体はさすがです。 | ||||
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翻訳者に魅かれて、若い頃に読んだのだが、やはり印象に残っているのは「美しい子供」。 マリリン・モンローには何故か惹き付けられるものがあって、様々な写真や本を集めたが、 私の印象は最初から変わらず「迷子になった子供のような」人だった。 彼女の僅か36年の人生を考えても、ずっと自分を保護してくれる父親を求めていたような気がする。 イノセントで傷付きやすく、しかしその魂を包む肉体への偏見から逃れられなかった人。 誰もが羨む外見を持つ美形というものは、内面を評価してくれる伴侶という存在を得難い気がする。 カポーティの筆から浮かび上がるのは、見たままのマリリンの姿。途方に暮れたような、美しい子供。 カポーティだから見られたのかも知れないし、カポーティにしか見えない姿だったかも知れない。 いずれにせよ、孤独な大女優の素顔の一部を知る、貴重なスケッチだと思う。 | ||||
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