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ティファニーで朝食を
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【この小説が収録されている参考書籍】
ティファニーで朝食をの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.10pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全72件 21~40 2/4ページ
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名前だけが一人歩きし、25歳になる私からすると「古き良き昔の映画」というイメージでした。 役者あとがきにも書いてありますが、映画からはなるべく離れたところで物語を楽しむべきであり、映画を見たことがない私としても激しく同意ができる内容でした。 ホリー・ゴライトリーの描写は常に丁寧に描かれており、読み進めるごとに頭の中には、少女と女性の中間を目まぐるしい人生に逆らいながら生きる彼女の姿を描くことができました。 映画を見る前に、小説を読むことができて本当に良かったと思います。 | ||||
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この本にもクリスマスを含んだ短編が含まれていて、読んだはずなんですが、カポティのよさが理解できなかったなあ。「あるクリスマス」と「クリスマスの思い出」、それぞれ単独の別の本(挿絵が入っていていい本です)を読んで初めてカポティの味というか良さがわかりました。「ティファニーで朝食を」は好きでDVDも買いましたし、英語版も買いました。しかしこれだけでカポティを評価しないでください。 | ||||
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買って良かった | ||||
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オードリー主演の映画を観た人のうち、100人に1人もこの小説(原作)を読んだ者はいないであろう。原作者は、映画の出来具合に大不満だったと聞くが、原作を読むとよく分かる。私は、映画も小説もどちらも好きだが、全く別の物語と考えた方が良い。 | ||||
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オードリーヘップバーン主演の「ティファニーで朝食を」の映画が好きで、小説も読みたいと思い購入。 原作の作者はトルーマンカポーティ。有名な「生きている過去」の著者です。 さらにこの原作を和訳しているのは、村上春樹。 原作が良いのはもちろんですが、そこに村上春樹の才能も加わり、表現や句読点等非の打ちどころがない作品です。書き出しの「以前暮らしていた場所のことを、何かにつけてふと思い出す。」が頭から離れません。 映画の主題曲のムーンリバーを聞きながら読むことをお勧めします。 | ||||
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『ティファニーで朝食を』の英語の原書にルビ訳が付いた書籍。 ページ数は、126ページ程度で、英語の学習には適している。 ルビ訳がついているから、基本的には、辞書は必要はないと思うが、それでも、固有名詞など、分からない単語に出くわすことがある。 短い作品だから、きっちりと辞書で分からない単語を調べて読むのもいいし、読書のリズムを崩さないように、分からない単語は、前後の文脈から推測しながら読むか、完全に無視してもいいと思う。 英語の試験のテキストに使うわけでもなく、英文学の研究者でもなければ、文章の6割程度の意味が分かれば、ストーリーの全体像は分かると思う。 この作品は、オードリーヘップバーンの主演で映画化もされていて、世界の映画史の中でも有名な映画で多くの日本人が映画を観ているだろうから、今更、ストーリーを紹介するまでもないと思う。 ただし、原作と映画では、少しストーリーが違う。 映画のもっとも印象的なシーンは、オープニングで、オードリーヘップバーンが演じる、ホリーが、ティファニーのウインドーを見ながら、朝食のクロワッサンを口に運びコーヒーを飲んでいるシーンだろう。 このシーンは、何を意味しているのだろう。 ホリーはティファニーで朝食ができるくらいに、ティファニーが似合うゴージャスな女性だという意味だろうか。 もっとも、いくらオードリーヘップバーンでも、ティファニーで朝食はできなかった。 ところが、つい最近、実際に、ティファニーでは朝食が食べられるようになった。 この小説で、ずっと気になっていたことが、三つある。 まず、この小説に登場する、写真家と思われる日本人の名前。 英語表記では、『Yunioshi』となっている。 『ユニオシ』と発音すればいいのか、『ユニヨシ』と発音すればいいのだろうか。 どちらの発音にしても、日本人の名前としては、実に、不思議な名前だ。 映画では、『クニヨシ』と発音しているようにも聞こえた。 『国吉』なら、日本語の名前としては、ありえる。 江戸末期の浮世絵絵師の、『歌川国芳』を連想した。 ただ、原作者のカポーティが、歌川国芳を知っていたとは思えない。 ユニオシは、出っ歯でメガネをかけている、典型的なこっけいな日本人のように描かれている。 なぜ日本人が登場するのか。 日本人に対する人種差別の意識の表れなのか。 二つ目の、気になっていたことは、ホリーの職業。 ホリーは女優を目指しているように思えるが、その一方で、誰かの愛人か、高級コールガールのようでもある。 オードリーヘップバーンが娼婦のような役では、オードリーヘップバーンのイメージが悪くなると思うのだが。 男を手玉に取る、小悪魔的な悪女を演じるにはオードリーヘップバーンは線が細い。 もっとグラマーな女性が演じるのが、ホリー役には適している。 三つ目の、気になっていたのは、登場人物の一人が、ホリーのことを、『She isn’t a phony because she’s a real phony.』 と表現したこと。 日本語に訳すと、『彼女は、偽物ではない。なぜなら彼女は本物の偽物だから』。 本物の偽物だとはどういう意味だろうか。 彼女は、現実逃避をして、偽物の世界で生きているという意味なのだろうか。 ホリーが本物の偽物というより、そもそも小説そのものがフィクションである。 この世界は、脳が創り出した幻想だ。 | ||||
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ここひと月半ほど、村上春樹訳の 《海外文学》を集中的に読んでます。 『ティファニーで~』と聞いて まず映画の方が思い浮かぶ不敬の輩たる小生。 本書も“ムーンリバー”を鼻歌で口ずさみながら読み進めました。 世間では当たり役のように言われてる ヘップバーンが、ホリー役にそぐわないという点では 訳者・村上センセイに同感デス。 舞台で大当たりをとった『マイフェア・レディ』の主役を 映画化でヘップバーンにかっさらわれた ジュリー・アンドリュースが演じてたらどうだったろうか? 表題作以外の短編3篇も堪能デキました。 最後の 「クリスマスの思い出 A Christmas Memoriy』 のクリスマスを迎えるまでの ウキウキした感じと、終盤のもの悲しさのギャップが 現実に体験してきた幼き日のクリスマスにまつわる 思い出とシンクロしてくるみたいで心地よかったです。 | ||||
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トルーマン・カーポティは初めて読みましたが、村上春樹訳で読めてよかったです。 カーポティの表現の美しさ、ユニークさを十分楽しめました。 また、表紙のティファニーカラーも読む気分を上げてくれました。 「ティファニーで朝食を」は映画とはまた違う印象で、カーポティの世界に引き込まれました。 | ||||
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有名作品なので読んでおこうと思い、映画も内容も知らず、手に取った。 純粋だが、破天荒で破滅的な、それらが相まって魅力的な女性ホリー、それに振り回される主人公。 ニューヨークの猥雑さや、セリフ回しが魅力の作品なのだろうが、自分には 刺さらなかった。村上ファンではないが訳はすごくいいと思う。 エミール・ゾラの「ナナ」を思い出した。「ナナ」の方がインパクト強いかな。 短編の「クリスマスの思い出」は素晴らしかった。祖母のような年齢だが従兄弟で親友でもあるおばあさん と協力してクリスマスの準備をする場面は微笑ましい。自分も祖母と暮らしてみたかったなを思わせてくれた。 おばあさんが僕に言う。「誓ってもいいけどね、最後の最後に私たちは悟るんだよ。神様は前々から私たちの 前にそのお姿を現しておられたんだと言うことを」(p260)。 最後の別れが物悲しい。 | ||||
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"ティファニーの店内にいるみたいな気持ちにさせてくれる場所が、この現実の世界のどこかに見つかれば、家具も揃え、猫に名前をつけてやることだってできるのにな。"1958年発刊の本書は、無駄のない文章、イノセンスなヒロインの存在が、映画とはまた違う魅力を伝えてくれています。 個人的には、とはいえ、どうしても大ヒットした映画版のオードリー・ヘップバーンの姿がタイトルを目にした瞬間に浮かんでしまうのですが。そう言えば、ちゃんと原作は読んでないこと、また【安定の村上春樹訳】だったことから本書を手にとりました。 まず感じたのは、後書きで村上春樹も指摘している様に、確かに本書におけるヒロインのホリー・ゴライトリーはオードリー・ヘップバーンとはイメージがちょっと違うかな?という印象【より退廃的で無軌道さが際立つ】感じがしましたので。もちろん良い意味で。 また"空を見上げている方が、空の上で暮らすよりはずっといいのよ。空なんてただからっぽで、だだっ広いだけ、そこは雷鳴がとどろき、ものごとが消え失せていく場所なの"などのサラッとしつつも、随所に散りばめられた【お洒落な言葉運び】にも洗練されたリズム感を感じて、読みながら楽しかったです。(原文と比較はできないのが、もどかしいですが) 映画ファンの誰かに、また第二次大戦下のニューヨークの雰囲気を感じたい誰かにもオススメ。 | ||||
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村上春樹のカポーティのテクストに基づく換骨奪胎を読む位なら原書を読んだ方がいい。 中学生の英語でも読めるからだ。現に私も中学時代に RANDOM HOUSE の SIGNET版で読んだ。 それに村上春樹は「カート・ウェール」をクルト・ヴァイルに直す事は出来ても、彼の DIE DREIGROSCHENOPER の歌手がどんなイギリス映画に出ているかは知らないだろうし、 カポーティが、どの時点でのマリア・オイスペンスカヤを描写しているのか、その彼女の 出演している映画さえ知らないと思う。 極めつけは「花盛りの家」という誤訳だ。これは”House of Flowers”だから、龍口訳の 「わが家は花ざかり」の方が余程打倒だ。村上なら知らない筈は無いと思うが、これに、 あの「虹のかなた」のハロルド・アーレンが曲を付け、ミュージカルとしてブロードウェイ で大ヒットしたのだ。この中の一曲”The sleepin' bee”はスタンダード・ナンバーとして 定着し、多くの歌手に歌われている。 1984年に発売されたCD:WITH A SONG IN MY HEART ではボストン・ポップスをバックに、 ジェシー・ノーマンが歌っている。編曲・指揮は勿論、ジョン・ウィリアムズ。プロデュー サーはジョン・マックルーアだ。 さて龍口直太郎 訳だが、私はこれを文庫版ではなくハードカヴァーの初版で持っている。 田中一光氏の洒落た装丁で Capote の表記も「カポーティー」となっている。下品な話 で申し訳無いのだが、フランス語で capote とはコンドームの事を指す。 初版発行は1960年2月29日。あとがきは僅か3ページで文庫版の昭和四十三年七月三十日 発行に比較すると、龍口さんがニューヨーク周縁の文化関係を如何に緻密に取材なさった かが判る。それは勿論、本文にも反映されているという訳である。 | ||||
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村上春樹のカポーティのテクストに基づく換骨奪胎を読む位なら原書を読んだ方がいい。 中学生の英語でも読めるからだ。現に私も中学時代に RANDOM HOUSE の SIGNET版で読んだ。 それに村上春樹は「カート・ウェール」をクルト・ヴァイルに直す事は出来ても、彼の DIE DREIGROSCHENOPER の歌手がどんなイギリス映画に出ているかは知らないだろうし、 カポーティが、どの時点でのマリア・オイスペンスカヤを描写しているのか、その彼女の 出演している映画さえ知らないと思う。 極めつけは「花盛りの家」という誤訳だ。これは”House of Flowers”だから、龍口訳の 「わが家は花ざかり」の方が余程打倒だ。村上なら知らない筈は無いと思うが、これに、 あの「虹のかなた」のハロルド・アーレンが曲を付け、ミュージカルとしてブロードウェイ で大ヒットしたのだ。この中の一曲”The sleepin' bee”はスタンダード・ナンバーとして 定着し、多くの歌手に歌われている。 1984年に発売されたCD:WITH A SONG IN MY HEART ではボストン・ポップスをバックに、 ジェシー・ノーマンが歌っている。編曲・指揮は勿論、ジョン・ウィリアムズ。プロデューサー は「ブルーノ・ワルター復刻」で有名な、あのジョン・マックルーアだ。 さて龍口直太郎 訳だが、私はこれを文庫版ではなくハードカヴァーの初版で持っている。 田中一光氏の洒落た装丁で Capote の表記も「カポーティー」となっている。下品な話 で申し訳無いのだが、フランス語で capote とはコンドームの事を指す。 初版発行は1960年2月29日。あとがきは僅か3ページで文庫版の昭和四十三年七月三十日 発行に比較すると、龍口さんがニューヨーク周縁の文化関係を如何に緻密に取材なさった かが判る。それは勿論、本文にも反映されているという訳である。 さて村上春樹であるが、どうしてノーベル賞が獲れないのだろうか?それは、彼が罪深い人 であるからである。村上は、神戸・三ノ宮の「後藤書店」に大変に恩義がある筈だ。否寧ろ、 後藤書店こそは村上春樹の育ての親なのだ。村上は Penguin版の、ポオのアンソロジーを 「後藤」で購入したのを忘れたのか?それがあるからこそ、今現在の、作家・翻訳家として の村上春樹が在る筈だ。しかし非情なことに村上は、金を唸る程稼いで居ながら、「後藤」 に対してなんの恩返しもしなかった。「後藤」が阪神淡路大震災で傷付き、復興はしたもの の、昨今の古本屋不況で遂に倒産に到ってもなんの援助も行わなかった。そんな村上に対し、 神はお怒りになっているのだから、村上春樹がノーベル賞を受賞出来なくても実に当たり前 の事なのだ。だから、カズオ・イシグロなんかに持って行かれてしまう。 この際だから村上は「反ノーベル賞」キャンペーンを立ち上げるべきだ。あの iPSの山中伸弥 が受賞するくらいである。「ノーベル賞」の選考基準自体がおかしいのだ。もし生きていたら、 アインシュタインだって、「ノーベル賞」からの除名を希望したであろうから。 | ||||
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本書はカポーティの代表作「ティファニーで朝食を」と3つの短編から構成されています。 訳者の村上氏は、本書がカポーティにとって「カウンターポイント」になったとあとがきで解説しています。 【イノセンス(純真なる心)を巡る短編3作品】 花嫁は魔術的な試みを乗り越えてそれを取り返し、囚人の男は裏切りに出逢って再びそれを失う。 そして少年は追憶のインセンスを封印して、苛酷な社会への第一歩を踏み出します。 3篇とも流れるような語り口で、まるで一息で読ませるような強力な吸引力を放っています。 【ティファニーで朝食を】 第二次大戦下のニューヨークを舞台に、特異なパーソナリティーを抱えた女性像が描かれます。 可憐で大胆、社会やモラルの束縛から自由なホリーを、村上氏は「戦略的自然児」と名付けます。 先の3篇とはがらりと作風が変わり、何らかの新境地の下で生み出された息づかいが伝わってきます。 彼女は長い放蕩の末に安住の地に辿り着くのか、はたまた真のアイデンティティを見出すのか・・・⁉ ホリーのキャラクターには、そんなありがちな予定調和に代わる別の未知なる可能性が漂います。 カポーティの荒れ果てた晩年を思えば、本作には小説の革新性だけでなく、ままならない人生への儚い希望が託されているようにも感じられてきます。 粋な会話と端正な文章、高尚な描写から不道徳まで、すべてがドラマチックな読後感でした。 | ||||
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何故ティファニーか という話題があったことを思い出し中古で購入しました。 きれいな状態で満足です。(昔の田舎の本屋は表紙が日に焼けたような本も売っていた) | ||||
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違和感を覚えながら読んでいたが、97ページのこの箇所に至って、いくらなんでも――と思った次第。 他は、くまなくチェックした結果ではなくて、時々メモったところを書きだしてみたのみ。 P.97 私は彼の言葉をまともに信じた。いかにもすじが通っていて、疑う余地がなかったからだ。 p.64 (Penguin Books "Breakfast at Tiffany's") 'Do you believe what I'm saying is so?' I did. It was too implausible not to be fact; P.103 「日曜ぐらいゆっくりしたっていいでしょ。それにあたしゆうべからまだ寝てないの」と彼女はベルにいってから、こんどは私にそっと、「ほんとに眠らなかったのよ」とささやいた。そしてパッと顔を赤らめ、うしろめたそうに、そっと視線をそらした。 p.68 'But it's Sunday, Mr Bell. Clocks are slow on Sundays. Besides, I haven't been to bed yet,' she told him, and confided to me: 'Not to sleep.' She blushed, and glanced away guiltily. P.150 しかしその言葉は、とぎれとぎれにしか聞こえなかった。というのも、彼がそういうかいわないうちに、一台の自動車がバーの前にぴたりととまったからだ。 p.96 An inaccurate statement: because seconds after he'd made it a chauffeured limousine drew up outside the bar, P.155 この青年をえらくかわいがって、彼が殴られて眼のまわりに黒あざができたりするたびに、ヒレ肉の料理をもっていってやったりしていた。 p.99 indeed she doted on the young man and supplied filet mignon whenever he had a black eye. | ||||
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ホリーのジェットコースターのような性格と窃盗癖が形成された過去が痛ましい……。 英語は直訳風でたまに読み辛い箇所もありましたが、第二次世界大戦下の弊害が秀逸に描かれていたと感じました。 | ||||
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20年以上前の学生時代に村上春樹氏の小説に会い、熱心に読みました。「ティファニーで朝食を」は映画は観ていましたが、カポーティの小説を読んだのは初めてです。読み始めて、すぐに村上氏の小説を読んでいる感じがしてきてしまい、自分はカポーティの小説を読んでいるはずなのに、という妙な違和感が付きまとい、なんとなく楽しみ難かったです。また、「ティファニーで朝食を」は、やはり映画のオープニングシーン、ムーンリバーが流れる早朝のティファニーと黒いドレスのヘップバーンのスレンダーな姿がどうしても鮮烈で、小説よりも映画の方が記憶には残ってしまいそうです。 他の「花盛りの家」、「ダイヤモンドのギター」、「クリスマスの思い出」も楽しい作品でしたが、村上春樹的な作品という固形の観念がどうしても頭から離れない感じがする中で読んでしまいました。 | ||||
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もちろん映画も大好きなのですが、やっぱり原作は読んでおかないと! 時代背景とかいろいろな情感豊かなイメージが湧き上がってくる名作です! | ||||
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名作と呼ばれる作品には、 決まって魅力的な人物が登場する。 本作で言えば、それは間違いなくホリーだろう。 生き様や言動、性格、価値観、所作の一つ一つまで 彼女という存在に活字を通して触れることが、 日常から逸脱した体験になっていく。 「普段の世界では出会うことのできない規格外の存在」こそが 小説や映画、アニメといった創作物に人間を誘う要なのだろう。 今まで言語化できていなかった 「またこの本を読みたい」という感情は、 「またあの人に触れたい」という気持ちの表れなのだと実感した。 本を開いて、またホリーに会いにいこうと思う。 | ||||
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映画を観たあと原作を読んだ私は、ストーリーやキャラクターの違いに最初は面食らった。 オードリー演じるホリーは、車中でストッキングをはこうがシャツ一枚でうろつこうがバレリーナのような美しい動作で、どこまでも上品でキュートだけど 原作のホリーは、もっと生身の、はすっ葉でもろい女の子だ。 切ないほど安住を求めているくせに、それに手が届きそうになると怖がって逃げてしまう。 不安から救ってくれるのは大金持ちの男だと勘違いしている不器用な生き方・・・・この子は一生しあわせにはなれそうにないな~という痛々しさを感じる。 かと思えば、頭が弱そうでいてまっすぐ真髄をみつめているところもあり、とても魅力的なキャラクターだった。 主人公も映画とはまったく違う弱っちいタイプだ。 僕はホリーに恋してると言いつつも、二人の関係は性愛ではなさそうな気がする。 ニューヨークという大都会のすみっこで孤独で不器用な2つの魂が寄り添うような繊細な関係を読むと、映画の恋愛ストーリーをなんだかうすっぺらく感じてしまった。 ともあれ、女優オードリーは自分とは正反対のキャラであるホリーをあそこまで魅力的に作り上げたんだなあ~と改めて感心してしまった。 映画は映画、小説は小説、まったく別物でどちらも名作です。 | ||||
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