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浴室には誰もいない
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浴室には誰もいないの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.67pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全3件 1~3 1/1ページ
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かの英国「諜報部員」さまを、かくのごとくおちょくってよいものでしょうか。文庫本の法月綸太郎解説をみますと、作者のワトソンは、英国ミステリ評論も論じており、ジェームス・ボンドの生みの親イアン・フレミング作品をつぶさにリサーチしているとのことです。 舞台は架空の町ですが、わたしは実在するのかと思っておりました。それほど田舎くささが人物から、立ち上ってくるのです。ワトソンは、女性や紅茶や、スパイの小道具や、スーツの似合うしゃれた男が好きなんでしょうねえ。そしてそういう好きなものが出てくるとき、底意地の悪い筆が冴えまくります。 もちろんその上品なからかいの下から、人間社会への風刺がちらりのぞきます。 コリン・ワトソン…ひとくちに申して近所に住んで欲しくない人物ですね。でも、小説は読みたい、はい。 | ||||
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英国本格推理の人気作家ディヴァインに続けとの願いが込められた最近の要注目株で創元推理文庫イチ押しの実力派作家ワトスンの期待の邦訳第2弾です。最初に少し野暮な事を書いて申し訳ありませんが、本書を手に取って感じたのは「昔ならこれぐらいの薄さの本は200円台で買えたのに今では当然の如く1000円超になるのだな」というやや無念な思いでしたね。それはさておき、まあこれだけの確かな実力派作家が今まで紹介されなかったのは誠に不運としか言い様がないですが、女流の大家ロラックさんらと共に過去の遅れを取り戻して今後どんどん翻訳が進む事を心から願いたいですね。またディヴァインとは対極にあると思える人間愛とは無縁の冷徹な作風はブラックな味の愛好家にとっては堪らない魅力でしょうけれど、反面その徹底した冷たさが読者を選ぶかも知れないとも考えられますが、でも今の世知辛い世の中でイヤミスがもてはやされる風潮を思えば結局心配は要らず見通しは十分に明るいだろうなと思えますね。 普通に見えて実は尋常ではない町フラックスボローでまたもや奇妙な事件が起きた。警察への匿名の手紙によって不可解な「死体なき殺人」事件の幕が切って落とされたのであった。 本書は著者のシリーズ第3作で、二作目の紹介が飛ばされたのはやや残念ですが、まあ面白い物から先にと考えられたのかも知れませんし、きっとそこはいろいろと事情があるのでしょうね。まず冒頭の場面を読みながら思ったのは、例えば日本の推理小説では森村誠一氏の作品なんかだと死体発見時の状況について様々なパターンを考えてシーンの描写に凝られていましたが、著者は大胆にも今回そういった面倒をすっぱりと省略して捜査側に事実らしき筋書きの手掛りを気前良く与えているという点ですね。ここで原題「ホップジョイはここにいた」について考えますと、第一作の時よりもあからさまなヒントにはなっておらず両面どちらとも取れる意味深なタイトルだなと感じましたが、同じ事を言っている様でも微妙に違う今回の訳題「浴室には誰もいない」は洗練されたスマートさを打ち出すのと同時に焦点を絞らせる事を避ける意味もあったのだろうなとも思いましたね。この2冊を読んで得た結論は著者が大勢の容疑者達から真犯人を暴くというごく普通のスタイルのミステリーを書く事に全く興味がなく巧緻な企みを仕掛けて読み手をまんまと術中に嵌めるというテクニックで勝負するタイプの作風であるという事実ですね。本書の真相を見抜くのは手に負えないという程ではなく、まぐれ当たりも含めて比較的に容易ではありますが、でも「男女の三角関係のもつれ」をテーマとして思い込みによる錯覚を誘う心理的なトリック(欺瞞)が見事な秀逸さでしたね。また前作でも感じた事ですが、本作ではさらにある意味でえげつなさを増した悪人の末路の無慈悲な描写には、(2作連続の偶然とは絶対に思えず)著者の決して悪を許さない強い正義感と信念を実感しましたね。その他の読み所としては情報部員二人が架空の町フラックスボローの(何処の町内にも何人かいそうな)変わり者の住人達と繰り広げるドタバタ騒ぎと何が何でもスパイに関連づけて強引に「これは陰謀なのでは?」と疑惑を抱く偏狭その物の思考の可笑しさですね。でも著者は無理に笑いを取りに行っているのではなく、あくまでさり気ない書き方であり、「どうぞ笑いたい人は笑ってくれればいいし、そうでなければ別にいいですよ」と言っている様で、例えて言うなら大阪のコテコテのベタな笑いではなく外国の上品な乾いた笑いが連想されまして、丁度今年読んだ仏作家カミの「ルーフォック・オルメスの冒険」の馬鹿馬鹿しさとは異質で完全に真逆の方向性ですね。さて、主人公の名探偵パーブライト警部は海外のミステリー・ファンから殆ど認知されておらず、シリーズ名も探偵名ではなく〈フラックスボロー・クロニクル〉と呼ばれる位なのが誠にお気の毒だと思いますね。彼については事件に対し全身全霊でもってとことん打ち込み今後も私生活に触れる事など全くありそうにない(余談ですが逆に現代ミステリーでは探偵のプライベートにまで踏み込んでじっくりと内面が描かれるので自然に頁数が増えるのでしょうね)アク(個性)のなさが災いしているのだと思いますが、その確かな実力と手腕は相当の物ですし加えて本書の終章で二人の偉そうな態度の情報部員を前にしても臆する事なく「なめられてたまるか!」とばかりに地方警察の意地を見せ堂々と推理と自説を披露する姿がとても頼もしくカッコよくて改めて惚れ直しましたので、私としてはこれからも熱く応援しながら読み続けて行こうと思いますね。 | ||||
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アントニイ・バークリーのお気に入りだったのも納得、彼直系の探偵小説におけるシニシズムの極みというべき作品。 先に邦訳された『愚者たちの棺』(1958年)も 捻れたプロットの展開とオフビートな笑いが魅力だったが、死体無き殺人を巡って二転三転する本書の捻くれ具合は遥か上を行く。伏線の張り方も巧妙で、事件の構図を反転させる手際も見事。 発表当時、大ブームになりつつあったスパイスリラーを揶揄するパロディめいたパートは相当に人が悪いが、往時を知らぬ読者が今読んで可笑しいかどうかは微妙だ。(因みに原著が刊行された1962年に007シリーズの映画第1作『ドクター・ノオ』が公開されている) 間違いなく読者を選ぶ作品だが、常にセオリーの裏をつこうとする企み、右往左往する登場人物たちを描写する作者の皮肉な筆致は英国ミステリ・マニアには堪えられないだろう。 | ||||
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