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モナドの領域
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モナドの領域の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.66pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全29件 21~29 2/2ページ
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数多い傑作を有する筒井作品の中では、最高だとは思わないが、それでも超一流に面白い^_^ 頭の体操にもなった。 | ||||
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筒井 康隆さんの著書なので買いました さすが作者さん自身が最高傑作というだけありますよね 素晴らしい内容と感じました | ||||
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筒井氏の著作は昔から、哲学的な内容を含んでいるものが多いのですが、今回はついに神の概念を展開する作品でした。 神の発言を描くということ自体、作家としては最難関へのチャレンジと言ってもよいのではないでしょうか。 なおかつ、リアリティがあり、読者がついていけないといけない。 レビューによっては哲学と違うなどと見当はずれの批判がありますが、作品としてはストーリー上、哲学を利用しているのであって別に哲学の説明書ではありません。 神について語る時に、既存の哲学書もきちんとさらっているというに過ぎません。 いきなり人の腕が茂みに落ちているという始まりを、どう回収するのか想像もつきませんでしたが、読後、「なるほど、やられたぁ」というすっきりした感じもありました。 読み始めたら時を忘れ、用事を放り出し、筒井氏が長年培ってきた小説を読む楽しさの円熟の技を十分に楽しみました。 ありがとう、筒井康隆。 | ||||
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このたび著者の作品を初めて読破しました。 なかなかのもので感動しました。 | ||||
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河川敷で発見された人間の片腕、引き続き片足も見つかった…。 一方で、犯人しか知りえないはずの腕の形や大きさ、そのままのパンが 近くのパン屋で売り出され、やけにリアルだと人気になっている。 捜査にあたる上代真一警部がそのパン屋を訪ねると、妙に視線の 落ち着かない美大教授、結野に出会い、物語は不思議な方向に展開 してゆく。 宗教と神、人間を結ぶ繋がりとは一体どうあるべきか? 現代のイスラムテロなどの事件を底辺におきつつ、神と人間との 関係をトマス・アクィナスなどを引きながらストーリーを展開、 キリスト教国やイスラム教国と違う日本の宗教観とのギャップも 正直に示しながら、熟練の筆が走る。 | ||||
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昼に読み出して夕方に読了。 「いただきます。 ごちそうさま。 自然に感謝・・・」「原発の後始末は捨てたら終わりじゃダメ・・・」に共感。 支配・制御型社会から共生型社会へ変わる時期に出るべくして出てきた作品かな。 | ||||
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小さなでも不穏な出来事が起こり、平穏な日常が徐々に変化し始める。 温厚な老教授は人相が変わり、彼の公園での子供との会話から始まる人間との関りは、すぐに集会となり、次に大集会となり、やがて法廷での弁論陳述となり、とうとうテレビ番組での特番へと巨大化していくのだった・・・。 宇宙も時間も全て超越した存在の彼(GOD)の前では人間はあまりに無力だが、でも彼は最後に言うのだ「愛している」と。 彼(GOD)以外の登場人物は、それぞれ皆作者によって絶妙に特徴付けられ登場時間の大小に関わらずみんな個性が立っている。 かつての文学部唯野教授の哲学講義のような難解な論議も、また楽しく、「このラストは『時をかける少女』のようだ」と書かれ実際その通りのように結ばれるラストの読後感の心地良い切なさ。 どうでしょう、少し興味持ってもらえましたか? 私は面白くて、一気に読みました。 多くの方におすすめする筒井さんのSFです! | ||||
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まさに老齢と経験蓄積のみがなしうる円熟味と、肩肘はらずにムダをそぎ落として、シンプルに自らの到達した境地を綴った作品。 当然、作者の若いときのぶっとんだ発想力や大胆なストーリー展開を期待すべくもない。私は、ある程度の諦念をもって、この作品を ポジティブに評価するけど、昔の作風を求めるような人には、期待外れかもしれない。 奇想天外がSFの専売特許だった幸せな時代から第一線をはりつづけ、宇宙物理学や量子力学の成果で、ある意味現実自体が奇想天外で あることになってきている昨今の難しい状況でもなおかつ、人類の知の最前線を作者の力でしっかり消化して、平易なことばでアウトプット できる力はさすがです。たいした展開もない中、作中人物の語りに引き込まれます。 「集大成」というより「境地」がぴったりくる作品。 私は、好きです。多分手元に置いて何回か読み返すでしょう。おすすめです。 | ||||
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本の帯に「わが最高傑作にして、おそらくは最後の長篇」とある。表題中の「モナド(=monad)」とは主に計算機用語で「(計算用の)デザイン・パターン」程の意味を持つ。即ち、「モナドの領域」とは「神(作中ではそれを超越した絶対者<GOD>)のデザインの範囲内」の意で、ストーリー展開を無視すれば、本作は、「この世は全て<GOD>の意志通り」というのが主旋律である。筒井の事なので、理論武装は万全で、宗教論というよりはむしろ哲学論争が繰り広げられる。特に、ラスト近くで提示される<GOD>の"論理計算式"はウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」を想起させる。 絶対者<GOD>は戦争や災害なども美しい(善である)と言う。何故ならば、それらを含め、全てのものは<GOD>が創った(デザインした)ものであるからである(しつこい様だが、「聖書」中の神による万物創造などとは次元が異なる)。読み進めるに伴い、筒井(あるいは他のSF作家)がこれまで扱ってきた多次元宇宙に近い、「可能世界」という概念が本作のテーマである事が分かって来る。私が不思議に思ったのは、哲学に関する理論武装や多次元宇宙といった筒井ファンにとってはお馴染みの題材を何故今扱う必要があるのかという事である。現代の世相に対する筒井特有のシニカルな批判も見られない。それに対する回答はラスト数頁で明かされ、ロマン溢れる感動をもたらす。筒井自身が「時をかける少女」のラストに喩えているくらいである。個人的には「我が良き狼」の詩情を思い出したが。 本作が筒井の最高傑作か否かは判断出来ないが、現代の困難な世情が本作を書かせたのではあるまいか(作中でも言及される「カラマーゾフの兄弟」中の<神になるべき>アリョーシャの<神化>を先取りした感もある)。とにかく、本作が"最後の長篇"となって欲しくはなく、これからも筒井独自の作品の発表を期待したい。 | ||||
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