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文学部唯野教授



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【この小説が収録されている参考書籍】
文学部唯野教授
文学部唯野教授 (岩波現代文庫―文芸)

文学部唯野教授の評価: 4.35/5点 レビュー 60件。 Aランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.35pt


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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全60件 41~60 3/3ページ
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No.20:
(5pt)

現代文芸批評論はこれでマスター

このお話の「季刊へるめす」への初出が1987年9月というから、当時日本はバブル経済真っ盛りの時期。文学部唯野教授のお話も絶好調バブル経済にあわせるかのように、疾風怒濤の勢いでシュトルム・ウンド・ドランクしまくっている。まさに悲喜こもごもの悲喜劇パロディである。

 唯野教授の文芸批評講義を受講できる我々読者は幸せである。臨場感溢れる早治大学と立智大学での唯野教授の講義の内容は、要領を得ていて、とてもわかりやすい。内容に誤りはなく(多分)、注記も充実していて、いやもう大騒ぎ。

 「芥兀賞」候補になった匿名作家・野田耽二の作品「象牙」と「海霧」を読者は読むことができないのが、残念である。ちなみに本書では、筒井作品につきものの「三和土」が登場してこないがこれも少々残念である。また収録されている講義が前期のみで、後期に予定されているフェミニズム批評とか、精神分析批評が載っていないのも残念である。さらにもっというなら、榎本奈美子が最初と最後にちょこっとしか登場してこないのも少々どころか、非常に残念である。
文学部唯野教授Amazon書評・レビュー:文学部唯野教授より
4000020153
No.19:
(5pt)

〈一つの比喩〉――〈潜在夢〉と〈顕在夢〉、強烈なフロイト臭

この作品の一つの流れとして、主人公である唯野教授が、自分の手になる文芸作品――文学賞を受賞した――を出版する、という筋がある。
 唯野教授はペンネームを用い、作品を投稿するのだが、そのペンネームは、自分の本名のアナグラムである。〈アナグラム〉。この時点からしてすでに、フロイトの臭いが、ほのかに漂ってくる。単なる気のせいだろうか?
 筒井さんはフロイトの説を逆手に取った。フロイトは人が夢見る現象を本が出版される過程にたとえた。私たちが目覚めているとき、夜見る夢の材料が潜在意識に蓄えられる。これは&lt;潜在夢>と呼ばれる。この&lt;潜在夢>は&lt;夢の検閲>と呼ばれる一種の&lt;翻訳>によって、元の意味が縮小されたり、拡大されたり、あるいは完全に欠落したり、逆の意味になったりする。これが、〈顕在夢〉である。そもそも人が〈顕在夢〉を見るのは、目覚めているときには味わえない充足感を寝ているときに味わうため、&lt;願望充足>を実現させるためだという。
 筒井さんはこの本を通して、文学を読む際の心構えを説いたのではないかな、と私は思うのだ。小説にはいつも謎があり、謎を解くとなると、起源をたどらなければならない。起源をたどるための方法、批評するための方法が、この小説の形を借りた文芸批評方法論としての『文学部唯野教授』によって示されているのではないか。〈一つの比喩(たとえ)〉を挙げよう。
 この作品には、太宰治の短篇小説「佳日」がパロディ化された一節がある。この「佳日」において大隅と語り手をつなぐのは、二人の共通の恩師瀬川先生である。私のカンでは、筒井さんは、大隅・語り手と、瀬川先生との間にある師弟愛に、キリスト教における師弟愛、キリストとその弟子との間にある愛を見たのだと思う。それが〈夢の検閲〉による〈翻訳〉を経て、『文学部唯野教授』の一節を形作った、と私は見る。この場合、太宰「佳日」が〈潜在夢〉、『文学部唯野教授』の一節が〈顕在夢〉だ。詳述は避けるが、「佳日」は中国と日本とがキリスト教によって友好的に結びつくことを願い、太宰が創作した作品(「惜別」のヴァリエイション)として読める(藤原耕作氏の論が私の〈潜在夢〉として残っていたことを白状する)。
 附記。どなたも触れていないのは、当然過ぎて、書かないのか、あるいは、私の読みがとんちんかんに過ぎるのか、判然としないのだが、――この作品は、一章(講)〜九章(講)の構成になっているけれども、このまとまりは同時に、第十回目の講義ではないのか。私のおぼろな記憶が確かならば、十回目の講義は、フロイトがどうの、というものだった気がするのだ(いや、私の記憶違いか?)。ただしかし、私の印象からすれば、この作品からは、強烈なフロイト臭が漂ってくる、という事実だけは、指摘しておきたい。
 ちなみに、太宰治と筒井康隆氏との類似性は、平野芳信氏により、すでに指摘済みである。

文学部唯野教授Amazon書評・レビュー:文学部唯野教授より
4000020153
No.18:
(5pt)

警世の書

大学学長までがセクハラで捉まるなど、大学教員たちのセクハラや愚行が治まらない。 日本の将来はどうなるのかと心配だ。 退屈と怒りを同時に癒そうとて、もう一度笑いたくて、怒りたくて、本書を読んだ。 教師になる前、若いときに読んだときは、ただあははあははと笑っていたが、読み返すほど、本書は大学人の資質や本性を底の底から予測的に描き出していたのではないかと、慄然とした。 ドタバタナンセンス、せいぜいパロディとして読んだ向きは、今一度本書を警世の書として読み直すことをお薦めしたい。
文学部唯野教授Amazon書評・レビュー:文学部唯野教授より
4000020153
No.17:
(4pt)

文学評論とは、

文学評論とは何か?に気持ちよく答えてくれて、その上1990年代の大学内の様子も面白おかしく(もちろんオカシクさせる為の誇張した部分と、オカシイために誇張しない部分がフィクションとして混じっていて、その混じり方が最高!)読めます。

パロディとしても、メタフィクションとしても、もちろん小説としても面白くて1度読み始めたら止められないです。

でも、結局のところ、文学に限った話しじゃなく、それ以外の分野でも同じなトコロ、ここ日本が恐くなります。登場する権威ある大学教授やそれに類する人々の、誇張はあるけど、心の底ではそう思っていて言わないだけの様な人々が他の分野でもたくさんいますから。

できたら、いつか(筒井さんはもう書くこと無いと巻末でお話しされていますが)後期の講座分も読みたいです。
文学部唯野教授Amazon書評・レビュー:文学部唯野教授より
4000020153
No.16:
(5pt)

今こそ読まれるべき大学人の化けの皮をはぐ怪著

ちょっとしたきっかけで(「最高学府はバカだらけ」(光文社新書 石渡 嶺司著を読んで)、いったい何年(十何年、いやもっと)ぶりで、本書を手に取った。
前に読んだのは、オーバドクターで(大学教員としての)職に飢えていた頃の気がするから、ここに語られる大学人の実態はショックだった。

しかし、筒井の書きっぷりがあまりに見事で、あまりにおもしろくって、これが全く事実であるとは、みな思わなかったんだな。
あんまりのことで。
この大げさに描かれた所が面白いと。。。

そうして今度、今、大学教員のまっただ中にいる自分にはわかる。
実は、ここに書かれた事は、事実の百分の一にまで薄められているのだと。
それだけ薄めても、こうしてみな驚く、大学人のバカっぷり。

さすがの筒井も控えたのかしら、そのまんまを描くのは。
事実は小説より、バカなり、ってね。
それとも、この20年ほどでもっとすざまじくバカになってしまったのか。世の大学人と大学は。
そこらは、上に書いたの『最高学府はバカだらけ―全入時代の大学「崖っぷち」事情』あたりで検証する事なのかな。

とにかく、本作は20年の時を経てなお、幻想の大学の実態を余す事なく暴く、大学生全入時代の今こそ改めて読まれるべき好著(怪著)だと思われます。
文学部唯野教授Amazon書評・レビュー:文学部唯野教授より
4000020153
No.15:
(5pt)

大学って恐ろしい・・・と思ってしまう

物語の構成が「大学内部のドタバタ劇」と「唯野教授による文学批評講義」でワンセットになっています。

前半のドタバタ劇と後半の講義のテンションの違いが非常に印象的です。私が読んだのはハードカバー版ですが、本のカバーやレイアウト、注釈の部分まで学術書のパロディになっているところも面白かったです。

講義は純粋な講義としても楽しめるものになっていて、文学部出身の私としては当時の雰囲気を思い出しながら読んでしまいました。

同様に大学に通っていた当時の先生方の顔を思い出しては、「あの人たちもこんな馬鹿馬鹿しいことやってたのかな?」と多少本気で考えました。助手が刃物を持って暴れまわるところや、エイズ差別の部分は多少現実離れしていますが、その他いろいろな細かい部分で妙なリアリティを感じさせます。
文学部唯野教授Amazon書評・レビュー:文学部唯野教授より
4000020153
No.14:
(5pt)

後期分も読んでみたいものだ

本書を再読して感じるのは、本書が発表された当時の日本は

麗しくもおぞましい「バブルの時代」真っ只中にあり、

本書の採り上げる「知の世界」もその只中にあったということだ。

当時のキャンパス(人文系)では、ポスト構造主義なんだよと前フリして

カタカナ(その多くはフランス語だった)のテクニカルタームを

矢継ぎ早に吼えていれば知的人物だと見られていたフシがある。

(もちろんそんな軽チャーを相手にせず、地に足をつけて

研究に励む若者もいたが、その多くは変わり者とみなされていた)

そんな知的引きこもりと退廃に、

強烈な嘲笑と批判を浴びせているのが本書である。

もちろん西洋思想史を完全に理解された上で

パロディ化・作品化する手腕は

知の巨人、筒井康隆ならではのものだ。

真面目な部分はためになり、

かつ抱腹絶倒の上質エンターテイメントである。

講義は前期で終わってしまっているのであるが、

後期分も読んでみたいものだ。(書かないだろうけど)
文学部唯野教授Amazon書評・レビュー:文学部唯野教授より
4000020153
No.13:
(4pt)

野望は果たされか

本書は、いうまでもなく、テリーイーグルトンの代表的著作のひとつ「文学とは何か」の模倣である。いわゆる「文学」には固有の領域があるわけではなく、政治的社会的文脈をもつイデオロギーなのである。「ポスト構造主義」におけるデリダとその追従者たちとの評価の区別という、ポストモダン評価・批判の論点してはいまやあたりまえのイーグルトンの主張をもほぼ踏襲しているが、1987年という「ニューアカ」全盛期にこれが一体どう受け取られたのか興味深い。多分日本のポストモダニストは、気付かなかったろう。なにしろいまだにイーグルトンを「ポストモダニスト」と思っているむきもあるんだから。

 イーグルトンの文学批判・批評は、もちろん大学アカデミズムに対してもむけられていて、本書における「文学部」にたいする冷笑的批判もそれはそれであたっていないわけではないが、「古典的」文学者像に批判が集中していて、ニューアカ的文学者像に対しては甘いといわざるをえない。イーグルトンの批判派その両方に対して向けられているのであって、その点、本書とは一線が画される。

 そのことともかかわるが、本書はイーグルトンに依拠しすぎていて、日本の文脈が全く反映されていない。欧州と日本では、文学が果たしてきたイデオロギー的な機能はかなりちがっている。「後発資本主義」「天皇制」「戦後」というキーワードだけでも、その違いは鮮明である。もちろんこれは著者の責任ではなく、日本でこうした文学整理がほとんどやられてこなかったからだ。わずかな重要著作としては、津田左右吉、加藤周一があげられるだろうか、というか日本のアカデミズム文学批評は一体なにをやってきたんだろうか・・・。

 80年代にはこういうアカデミズムの重みはまがりなりにもあった。そういう時代にはこうした批評は意味があったが、イーグルトンもいっているように、こうしたものも「ないよりはあるほうがまし」だった。いまや文芸批評・「文学」は完全に死んだ。通俗的批評の海にとけ込んでしまったいま、なにものこっていない。最後にみせた唯野教授の野望は果たされていないのだ。
文学部唯野教授Amazon書評・レビュー:文学部唯野教授より
4000020153
No.12:
(5pt)

ただ者ならざる唯野教授の異常な日常

大学版『大いなる助走』、今度のターゲットは大学教員=文学評論家。 文芸批評理論の講義と、講義外での生活が同時進行的に叙述される。 講義は面白く為になり、大学でのドタバタ劇は相変わらず楽しい。 しかしながら研究そっちのけで大学での権力闘争にうつつを抜かす大学教員というのは、当時はどうだったか知らないが、少なくとも今ではあり得ない。 大学が痴者の楽園であった時代は終わったのだ。 しかし大学教員のマスコミ・コンプレックスというのは、ある程度は当たっていると思う。
文学部唯野教授Amazon書評・レビュー:文学部唯野教授より
4000020153
No.11:
(3pt)

文芸評論の何たるかを知る

大学内の醜聞を面白おかしく楽しみながら、難解な文学理論も学べる一石二鳥の書です。 本格的文芸評論など、一般の人にとっては、こんな本がない限り接することのないような話なので、 一読の価値はあります。 ただ、学内ゴシップ話は、出版当初は衝撃的な内容だったのかもしれませんが、 今となれば、こんな先生もいるかなという程度に思えるのは、時代の変化ということでしょうか。
文学部唯野教授Amazon書評・レビュー:文学部唯野教授より
4000020153
No.10:
(5pt)

冒険的で入門的?

なかなかの読みごたえ。 冒険的な小説だと思う。 こういう小説を書いてゆくのは、かなりの労力がいることではないかと思う。 唯野教授の日常と、文学批評理論の解説が同時に行われていておもしろい。 解説は分かりやすいが、完全に理解し尽くすには、原書(それぞれの)を読まねばならない。
文学部唯野教授Amazon書評・レビュー:文学部唯野教授より
4000020153
No.9:
(5pt)

本物より優れた贋作としての思想入門書

もし、文芸評論や現代思想がどのようなものか、勉強してみたいと思ったら、筒井康隆氏による本書をお奨めしたい。 実は本書は大学・アカディミズムの風刺であり、文芸批評・思想の研究のパロディなのであるが、筒井氏の力量によって凡百の入門書を見事にまとめあげてしまったのである。 まさに贋作が本物よりもすばらしいできばえだったというメタ・ノンフィクションと言えよう。 19世紀の文豪フロベールのマイナーな短編「ブヴァールとペキュシェ」の現代版の感もある。 固い批評はぬきにしてパロディ・ユーモア作家の大家である筒井氏の作品だけのおもしろさは保証できる
文学部唯野教授Amazon書評・レビュー:文学部唯野教授より
4000020153
No.8:
(5pt)

「一般解」への終りなき度

全9講(章)からなる本書は、大きく2つの物語から構成される。
 一つは、「9講」という章立てからも分かるように、文学部教授である唯野先生の文学批評論の講義。これが教授の語り言葉でライブ進行して行く部分。
 もう一つは、大学と文壇という「いわゆる世間の常識とはちょっと異質な」社会を面白可笑しく描いた部分で、これが出来の良いソースのように、講義に絡まりながら進行して行く。
 内容についての詳細は控えたいが、個人的に感銘を受けたのは前者の講義パートである。
 すべからく学問というものは、物事の本質を説く解を探す行為であると思う。そして、そのアプローチや、そのための艱難辛苦に人々は畏敬の念を感じるのだと思う。ところが、いわゆる理系分野に比べ、文系分野では、それを分かりやすく見せてくれる題材が極めて少ないのが現状である。
 本書は、「文学批評」という、ともすれば読み手の好みだけで左右されがちな文学評価を、どうやって「客観的に評価」すべきかを探求してきた道程を、門外漢にも分かりやすく教授してくれる。
 文学を専門とされる方にとっては、その内容の是非が気になる部分もあろう。一方、そうでない多くの人にとっては、この道程を本書と随走することにより大いに知的好奇心が刺激されるであろう。
 そういう意味でお奨めの一冊です。
文学部唯野教授Amazon書評・レビュー:文学部唯野教授より
4000020153
No.7:
(4pt)

唯野教授は超優秀&かなり変

唯野教授の授業は1流大学では大教室かもしれないが、 2、3流大学ではせいぜい中教室での講義となると思う。 それだけ講義内容は難しく私にはついていけなかった。 ただ、わからないなりにも出席したくなる面白く癖のある 講義だと思う。 唯野教授は、饒舌で偏屈な男だが超優秀 な学者である。 タダの教授ではない。 題名からお堅い本かと思われてしまいがちだが、お茶らけた 部分が多い。 特に唯野教授の突拍子のない会話が失笑を 誘った。 他にも変な教授がたくさん登場する。 文学論とか考えず、文学マニア唯野教授の人間観察ができ とても面白かった。 少なくとも私は唯野教授に親しみを覚えた。
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4000020153
No.6:
(4pt)

大学という名の温床

”大学教授ゆうても、こんなエゲつない人間だっておるんでっせー” ということがおもしろおかしく(?)書いてあります。 筒井さん、大学 関係者をものすごく敵に回してるかもしれません。 (笑)
文学部唯野教授Amazon書評・レビュー:文学部唯野教授より
4000020153
No.5:
(5pt)

理屈はいらない!!必読の書

初めてこの本の情報に触れる方はおそらくかなり「お若い方」が多いだろう。
その方々にアドバイスさせていただければ、この本を「文学理論」ばかりで捉えず、鼻くそでもほじくりながら読んでいただきたいと思う。
実際、著者の筒井氏は、この小説について、当時の思想状況から色々なことを模索していたのだと思うが、今となっては、それへのこだわりは我々同世代で読んだ者の「ノスタルジー」に過ぎない。今から読もうとする人は「何も考えず、唯面白いから」読んでもらいたいのである。
たたみかけるペース、展開の速さ、人物のデフォルメ、どれを取り上げても、いささかも古びていない。筒井氏のSFティンパニー的真骨頂である。
理屈に塗れず、小説の面白さに浸っていただきたい「必読の書」である。
文学部唯野教授Amazon書評・レビュー:文学部唯野教授より
4000020153
No.4:
(4pt)

二次的に文学理論に触れたい場合に最適

私は、デザインを学ぶ者ですが、文学理論から発展し、デザイン理論へ適用されたものの起源を知る為に重宝しました。 このような二次的な理由で文学理論に触れたい場合、ボリュームが適度です。 ちなみに、学者肌の大学教授ほど、この本が気になるらしく、読んでいる人が多いようです。
文学部唯野教授Amazon書評・レビュー:文学部唯野教授より
4000020153
No.3:
(1pt)

語り口の後味

文学理論を教授である主人公の大学講義という形で挿入しただけの本。 メタ小説、前衛的手法だとの評判があるらしいが、実際のところはパロディにも達しない、ストーリーに文学理論はめ込みの単純な構成で、両者の間のつながりは特に見出せない。 筋自体は単なるドタバタもの。 なんと言っても主人公のみならず登場人物全ての語り口が歯切れ悪く、気持ち悪いのだけが後味悪くも印象に残った。
文学部唯野教授Amazon書評・レビュー:文学部唯野教授より
4000020153
No.2:
(5pt)

傑作である

何回読んでもおもしろい。 マスコミや大学の世界を舞台に筒井康隆得意のドタバタ劇が繰り広げられる。 涙がでるほど笑ってしまう。 私はこのてのドタバタ劇が大好きである。 唯野教授の講義とドタバタ劇が交互に繰り返されるが、講義もわかりやすくてよい。 どうしても講義部分が苦手な人は読み飛ばしてもそれなりに楽しめます。
文学部唯野教授Amazon書評・レビュー:文学部唯野教授より
4000020153
No.1:
(4pt)

文学理論を愉しく学ぶ。

現代文学理論に関する本が大量に世の中に出ている中で、再評価されるべき本である。あるマルクス主義文学批評家の主著の体裁をパロディしているとか、そんな些末的なことがこの本の価値を下げることは決してない。もしあるなら、それはスノッブな偏見に相違ない。ここ100年の文学理論の経緯を勉強した上、日本の大学の内部を垣間見ることの出来る小説のおまけつき。小難しい抽象論から、そのエキスを採りだした解説は、駆け出しで文学研究を志すものにとって良い資料である。なぜ、この本が大学の教材に取り上げられないか?それはこの本意上に面白おかしい入門社が存在しないことを恥じる大学教員の心遣いもあるだろう。にしたところで、一介の小説家の階tものを大々的に取り上げては評判も下がる、という小心だ。だから、秘密を知りたければ、文学理論の錬金術を垣間見たければ、こっそり買って、カバ-をかけて読みたまえ。
文学部唯野教授Amazon書評・レビュー:文学部唯野教授より
4000020153

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