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老人と海
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老人と海の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.13pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全187件 121~140 7/10ページ
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レビューのどこかに書いたが、僕にとって、アーネスト ヘミングウェイは特別な作家だ。 20年以上、最も好きな作家で、読み直すたびに、さらに好きになっていく。 ただ、「老人と海」は今まで原文で一回、そして日本語で本の半分までを一回読んでいるが、 実は、良い印象を持っていなかった。 今回、原文The Old Man and the SeaをDonald Sutherlandの朗読を聞きながら読んだが、実にすばらしい朗読で、ほれぼれとした。 そして、文章のどこにも無駄がなく、海と自然と人間を描き切っていることに気付かされた。 読み終えた後、作品の描写が心に与えた印象はあまりにもrealityがあり、 僕の記憶の中では、自分の実体験の一部になってしまい、現実か読書か判別できない、そんな感じになった。 そして、内容の理解の確認を含めて、その後、本書で通読を試みたが、欠点は、uniさんが書いていることにつきると思う。 逆に言えば、一冊の本、全体で、skin cancer(日に焼けたところに皮膚癌がThe brown blotchesとして出るのは普通のことなので、そのまま翻訳すればいいと思うのだが。。)と カツオノエボシやホンダワラなどの動植物の名前を使用していない点以外に、欠点は見つからず、 特に老人の独白の口調の翻訳文が良く、原文に忠実で、かなりレベルの高い翻訳だと感じた。 そして、以前、福田恆存氏が翻訳した「老人と海」を半分まで読んでいるはずだが、 その時は翻訳文に対して、自然の描写の瑞々しさに欠け、重苦しいと感じ、 半分まで読んだところで本を置いたことを覚えている。 作品の感想については、いろいろな意見があると思うが、自然の美しさと諸行無常と諸法無我それに一切皆苦、 そして少年の存在が、港につき自分の小屋で昏々と眠る老人に、戦士の休息をあたえ、 静かで、すがすがしい読後感を与えていると思う。 「老人と海」、こんな素晴らしい作品だったのですね。 この翻訳、僕はかなり好きです。 | ||||
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この本を手にするまで、和訳としての「老人と海」を読んだことはありませんでした。 若い頃に、英文で読んだだけでした。 今回和訳を読んで見て、その時の印象から大きく変わることはありませんでした。 「訳者あとがき」に“aloud”“out loud”についての訳者の見解が述べられていますが、私の印象としては、老人が独り言を言って鳥やカジキや鮫に話かけるのですが、これらは老人の頭の中の話で、それがたまたま口をついて出ている様な感じで英文を読んだ様に思います。 作品については、老人の人生の最後に何らかの「記念碑」を建てようとする意思が強く感じ取れます。 私もそれなりの年齢になって思うのですが、自分が生きた意味、存在した意味を確認しておきたくなります。 老人のこの「三昼夜」は、まさにそれであった様に思います。 従って、頭と骨だけの巨大なカジキと共に帰ってきた時、満足な眠りについて終わりますが、それはそうしたことを老人が満足した結果だろうと思います。 なかなか身につまされる部分のある物語でした。 | ||||
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中学時代、釣りに熱中していた私にとって、本作の核心はサンチャゴと大魚との長い長い闘争にあった。しかし、今読み直すと、そうではない。サンチャゴと少年マノーリンとの心の交流が、本当に、涙の出るような暖かい交流が、もっとも私の心をうつ。互いの労りが愛おしい。ハバナの浜辺の貧しい生活は、好き好んでの暮らしではないだろう。しかし彼らの幸福は、物質文明に浸りきった私たちから、ずいぶん遠くにあって輝いている。 この少年を青年と誤認した新訳があるらしい。本訳でも 「大シスラーの親父さんは貧乏じゃなかった。あの親父さんもぼくくらいの年のときには、もう大リーグにはいっていたんだよ。」(p.21) 「大シスラー」はGeorge Harold Sisler (1893年生。1915-30年大リーグ在籍)ではない(彼の父は大リーガーではなかったはずだ)。前頁で話題に上っている彼の長男Dick (Richard Alan Sisler: 1920年生)である。そして本書の訳文を信じるなら 「Georgeは貧乏じゃなかった。Georgeもぼくくらいの年のときには、もう大リーグにはいっていたんだよ。」 となるが(その場合「ぼく」は少なくとも22歳)、これでは意味を成さない。ナンセンスだ。 「大シスラー(Dick)がぼくくらいの年のときには、親父さん(George)はもう大リーグにはいっていたんだよ」 という意味のはずである。では「ぼくくらいの年」とは何歳か。Dickが10歳のときGeorgeは引退した。だからせいぜい10歳前後、である。 最後に、作品の「時」はいつか。現役の大ディマジオは不調だったらしいから、1949年または1951年(引退の年)だろう。Dick SislerのPhiladelphia Phillies在籍は1948-51年。「老人と海」発表は1952年だから、1951年 (文中記載から9月)、と考える。 | ||||
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子供の頃に読んだが、猟師がマグロとサメと戦うだけで、印象に残らなかった。 大人になったいま読み返すと、色んな経験が交錯して引き込まれ、本を手放すことができなくなった。 「人間は殺されるもしれない。でも(誇りを失わない限り)負けないんだぞ」 「何を言うんだ、お前にはお前しかついていない。何としてもやるんだ」 自問自答の形で、老人に言わせたヘミングウェイの言葉の数々。 苦しいとき、大変なとき、貴方を奮い立たせてくれるでしょう。 | ||||
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「おれは死ぬまで、お前につきあってやるぞ」 やつもおれにつきあう気だ。 老人の言葉で、思った。 自分は人間社会の中で、生きている、 オブラートに包んだ会話や 保険を掛けた生き方が、身についる。 しかし、彼を見ていると、 体にドスンっと、一撃をもらった。 「そりゃ、人間は殺されるかもしれない。 けれど負けやしないんだぞ」 すでに、彼は4日間の死闘の末、銛もない。 それでも…. 読み応えのある作品である。 | ||||
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いやー渋い! かっこいい! 会話がろくにない小説なのですが、穏やかな海、日差し、荒々しいメカジキとの闘い…、それらの情景が 映画のように浮かびます。 読み終わった後、「ああ、そういえばこれは小説だった」とようやく思い出したほどです。 訳も自然なので、ただでさえ薄いこの小説があっという間に読めてしまいました。 ハードボイルドの大家、ヘミングウェイの表現力はここに極まれり、ですね! | ||||
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この本は何度読んでも読むたびに違った感想が思い浮かぶ不思議な魅力あるれる名作。 | ||||
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言わずと知れたヘミングウェイの代表作。カジキマグロとひとりで死闘する老人の姿は誇り高く美しい。そして儚い。 簡潔な文体で描く海という大自然とマッチョな主人公はヘミングウェイ小説の真骨頂。 | ||||
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老人は今日も酒に酔った勢いで昼近くまで寝て、友達の少年に起こされて目覚める。そして、「また新しい一日が始まるわい」と今日を生きる意欲を燃やし始める。昨日のことはすっかり忘れて、今日の算段をはじめるのである。そして、昼飯を食べ終えると今日もまた天気が良ければ舟を駆り出し相も変わらず、漁に出かけていくのである。別に漁で儲けようとか欲を持たずに一匹も釣れなくても構わないと、船に帆を張り舵を取りつつ櫓を漕ぎ出すのである。もちろん獲物は大きい方がいいがと考えてはいるが。沖に出るに従って緊張し、もしも、大きな獲物がかかった時のために何度漁に出ても身構えてしまうのである。物語の中では超大物のカジキマグロを捕らえるのであるが、しかし、老人も今まで釣ったことのないような大物であり、予想もしなかった苦労が始まるのである。舟の側舷にくくりつけたカジキマグロは無残にも魚の餌食になって、骨だけになってしまう。老人は戦いのためにすっかり疲れてしまい港に帰ってきた時には、もう、日はとっくに暮れてしまっていた。しかし老人は満足し、自分の小屋にようやくたどり着くと友達の少年に挨拶をして「じゃぁ、またあしたなぁ」と言って飯も食べずに昔、港港で遊んで名を挙げたアフリカ時代の夢を見ながら深い眠りにつくのだ。彼は幸福だった。 | ||||
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古本屋で買った新潮文庫の物を読んだのだけど、改定前の物だと思う。同じ訳者かどうかはわからない。スラスラ読めない箇所が多かったのはヘミングウェイの魅力を半減している。 この本は単純なストーリー、描写、老人の回想、中米島国の入念な取材から出来ている。丁寧に書かれているので、著者を意識することなく、強いメッセージを感じることが出来る。訳は残念だけど、補ってスラスラ読めるほど、何度か読み返したい。 単純なストーリーが苦手な人も多いと思ったけど、高評価なのは驚いた。 | ||||
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昔映画で見たが、本の方が内容を深く把握できてよかった。 また海に出る老人の生命力に感動した。 | ||||
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海を舞台としたハードボイルドの世界。主人公の漁師サンチャゴは老いという現実に直面し、運にも見放されてしまっているが、漁師としての意地とプライドはまだまだ失っていない。 巨大カジキを釣り上げるまでの数日に渡る格闘は圧巻である。満身創痍の老いた身体に鞭を打ち、強靭な意志と豊富な経験でもって、何度も気を失いかけながら巨大魚との死闘を続ける老人の凄味、執念。とうとう老人は巨大カジキを釣り上げて漁師としての自分の意地とプライドを守り抜いた。しかし結局釣り上げた巨大カジキは鮫に喰い尽くされる。残ったのは、ズタボロになった老人と巨大魚の残骸。鮫に喰い尽くされた巨大カジキの残骸は老人そのもののようだ。 悲惨な物語である。しかしそこに湿っぽさや感傷は無い。青い空のようにカラッとしていて爽快感さえある。精根尽き果てた老人は大好きなライオンの夢を見て、その隣には老人の良き理解者である少年がいる。それで十分だと思った。 | ||||
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作品名はもちろん知っていましたが、ヘミングウェイゆかりの地「キーウエスト」を旅行する際、ガイド本とともに手にしました。 紀行物やエッセイを読んでから旅行したことはありますが、文学物は初めてでした。 ・・・こうして出会った本がこの作品でよかった、と思いました。 奥深かったです。おかげで旅行も非常に印象深いものとなりました。 ストーリーは至ってシンプルですし分厚い本ではありませんが、名作と言われる作品には人として考えさせられることがたくさん詰まっているのだな、と感じました。 | ||||
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老人の生き様が伝わり自分に置き換えて考えさせられるような気がしました。 | ||||
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ただ釣りをやってるだけだと評する人もありましたが、私にはいい作品に思えました。海、空、大きな自然が感じられ、読後感も非常によかったです。 | ||||
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ご存知アメリカのノーベル文学賞作家・ヘミングウェイの代表的な短編です。本作は数年前にすでに一度読んでいたのですが、今回英語の勉強を兼ねて原書を読んだので、邦訳も再読してみました。 原書を読んだ後に読むと、どんな邦訳でもある程度何か物足りない感じはするものですが、本作もご多分に漏れませんでした。英語の原書にみられる小気味のいいリズム感が、日本語に訳されると全く別のものになってしまいますし、また、福田訳は原書にある細かい描写を少し削いで意訳している所がちらほらあったので、その点も気になったというか「どうして?」という感じでした。 本作はただでさえ短いお話ですし、意味の強調のために書かれているような細部の描写や形容詞であっても、そのまま訳して欲しかったと個人的には思いました。ヘミングウェイはそういう一行一行を考え抜いて書いているのですし、この位の量なら読者も言葉の意味をよく考えながら最後まで読む程度の余力はあると思います。 本書を再読して、老漁師のサンチャゴの不屈の精神や、彼を慕う少年との純粋な友情、また<海>やそこに生きる生き物とサンチャゴの間にある不思議な愛憎と絆の、簡潔でありながら緻密でもある描写に感動しました。しかし解説にもありましたが、読後、何か描かれている内容に浅さがあるというか、魂に残るものがやや薄いという印象を受けました。どうも円や循環ではなく直線的な思想というか・・。少年の存在がサンチャゴにとって終始一貫した揺るぎのない救いであり、彼のあり方への肯定であるのは間違いありませんが、その仕組み自体がシンプル過ぎるという気もします。 また、サンチャゴは海で神に祈ることもありますが、その祈りは本当に真剣な信仰心からのものというよりは「困った時の最後の神頼み」的なものとして描かれています。作中で信仰の問題がそのようにごく軽くしか扱われていないために、どうも人間存在がもつ根本の苦悩にまで筆が迫ってはいないと感じるのかなと思います。同じアメリカ文学でも、トウェインの方が信仰の問題に対して関心が深く、その分作品にもっと深みがあるように感じるのですが・・。 ともあれ、本作がお好きな方でまだ原書を読まれたことのない方は、原書も一読されることをお勧めいたします。 | ||||
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シンプルなあらすじの物語。明確に個性が定義された人物設定。無駄がなくテンポのよい展開。老境と若者の対照。自然と人間の対比。臨場感あふれる緊張。抑制が利いた文体。いつまでも残る格調が漂う余韻を胸に残す見事な作品である。分量としては少なめの作品なので、読書にそれほどなじみのない人にも向いている。 | ||||
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原題 The Old Man and the Sea はアーネスト・ヘミングウェイの晩年の小説で世界的なベストセラーとなりました。1952年に出版されています。 1958年にはアメリカで、ジョン・スタージェス監督により映画化されています。スペンサー・トレイシー氏主演です。 青年の頃に本を読むのが嫌いだった僕は、映画化は何度か見ましたが、原書は一度も読んだ事がありませんでした。 ところで、1950年代のアメリカって、既に自由主義国のトップなのですが、文化とか芸術とか料理の面で欧州諸国に劣っていると言われていたのです。しかし、 アーネスト・ヘミングウェイのこの作品と ハリウッド映画の躍進で芸術面でもアメリカは一流になりました。 話を小説に戻しますが、「老人と海」で注目したいのは、主人公である老人サンチャゴと、彼を慕う少年の表現が巧みなところです。半世紀経った今、日本ではサンチャゴみたいな情熱を忘れない老人は本当に少ないと思います。彼を慕う純真な少年も今の日本には希少だと思います。でも、彼の文筆からはリアルに感じる事が出来るのです。流石、文豪です。何年経っても伝えられています。 独り言の多い老人は今でも居ますが、内に秘めた情熱がサンチャゴの瞳から伝わります。自分の事を最高!と信じられれば、必ずチャンスはやってくるのです。それが年老いていても。 | ||||
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老人が海に出て、巨大なマグロを相手に死闘を繰り広げる物語だ。 ヘミングウェイは、従軍したのち負傷して戦線を退いたのちに、従軍記者としてまた戦場に赴いた経歴があり、ボクシング・釣り・狩猟など男らしい趣味をたしなむ。 彼の作品にはそれが色濃く反映されている。 老人になっても、周りに何を言われても海にでる雄々しい志し。 孤独で色々な悩みと後悔を残し、武器を奪われても諦めない闘志で立ち向かう。 彼がこの作品を書いたのは53歳の時で、翌年にノーベル賞を受賞する。 老人に起こる出来事が、ヘミングウェイに起った出来事の隠喩と考え この物語の結末が受賞に繋がったのだと思うと、堪らない気持ちになる。 老人に近づくにしたがって、数年後もまた読みたくなるであろう作品だ。 | ||||
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人間が生きるとはなにかというテーマを淡々と、しかし力強い筆致で読ませてくれる本。人間の人生がどれだけ儚いものか、何をもってして生きるか(目的)、人の生命が終わるとき後世に何が残せるか、人生で大切なものは何か、が老人の漁と自然の厳しさを通していやがおうにも読者に訴えかけてきます。テーマの根底に流れるものがキリスト教的というよりも、仏教的であるのはどうしてなんだろう。そこが世界的にベストセラーになった理由かもしれません。本の終わりには涙とともに、すがすがしさに包まれます。 | ||||
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