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ランドマーク
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ランドマークの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.53pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全6件 1~6 1/1ページ
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登場人物の多さに辟易しながら読み進めていくうちに設計士の犬飼と作業員の隼人が並行して語られるようになります。 そしてこの2人どこで交差するのだろう、どの部分で収斂していくのだろうと楽しみにしながら読み進めます。 しかーし、この2人の接点は私の理解した範囲では佐田良治という作業員とO-miyaスパイラルという建築物だけです。 そしてその建築物の説明が素人には理解し難いところが残念で、だからこの小説はあまりピンときませんでした。 | ||||
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なんというか・・・話は薄っぺらい感じがしないでもないのに そう感じさせないのが、この人の筆力だなって思う。 最後に自殺しちゃうひとがいるんだけど 「あ、あの人でしょ」って思ってる人とは、まったく違うひとで え?なんで?? 自殺しちゃう人って、実はこうなのかしら。 この人の持つ、文章の情緒とかは、相変わらずで美しいなって思うし スラスラ読めるけど 村上龍氏が、この本に寄せた 「倒壊の陰にある希望、裏切りと同意語の救済。閉塞と共存する解放、虚構に身を隠す現実。」 はああ。まったく意味わかりません。外国語のようです。 そんな大袈裟なものなのか。 薄っぺらいと感じたわたしが、まだまだなのか。 | ||||
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吉田修一は最近では珍しい、“現代社会”と向き合う作家である。最近の小説は、「過去」と「現在」あるいは「現実」と「幻想」を行き来する“ヴァーチャル”で“おたく”なアプローチが流行りである。そんな中で吉田修一はあえて、“リアル”みたいなものにこだわっている気がする。浜崎あゆみの歌詞を引用する作家なんて他にはまずいないだろう。陳腐で同じ内容を呪詛のように繰り返す浜崎あゆみの歌は文学的には評価されないだろうし、出来れば目をつぶりたい存在だ。だがメガヒットも、求めている大衆がいるということも“リアル”である。良し悪しや好き嫌いではなく、現代社会の風俗をスーパーリアリズムに写し取る、というのがこの作者の姿勢だと思う。先行する作家に村上龍がいると思うが、村上龍初期のダイナミズムや、近年のギミックといったわかりやすさは吉田修一にはあまり感じられない。 本作は、まさに現代日本を象徴するような都市“大宮”のランドマーク・タワーの建築に携わる2人の人物が主役である。2人は同じプロジェクトに関わりながらお互いを知るわけではない。建築家と鉄筋工、妻帯者と独り者、都会人と地方出身者と対照的な2人の“リアル”は、しかしながらパラレルの関係にある。このランドマークが象徴するように2人のそれぞれの“リアル”はちょっとした設計ミスで弾け飛び、一気に崩壊してしまう危うさを抱えているのだ。 本作が残念なのは、現代社会の活写だけで読者に伝えるべきニュアンスに、時々作者の説明が蛇足的に加わってしまう点、そして小説の最後がまるで舞台演劇のようにシンボリックな終わり方をする点だ。 それでも、あえてヴァーチャルという手口を使わずに現代の“リアル”を捕捉しようとする作者の姿勢と力量は十二分に感じ取ることが出来る。紛れも泣く現代の“リアル”を描いた作品だ。 | ||||
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「大宮スパイラル」は各フロアがねじれながら、 巨大な螺旋を描いて天を衝くような構造のビル。 このビルに投影されて描かれるのは、都市生活の秩序と整合性、そしてその中にある個という、 相反する要素が内包する矛盾と歪み、そして今にも崩壊してしまいそうな危うさである。 ただ、対象が巨大ビルというものであったために、 ある程度 建築工学的な説明を展開せざるを得なかった面が見られ、それがやや鬱陶しい。 勿論人物の叙述を使うなどしてそれを読者に意識させないようにはしているものの、 作者としても「これが伝わるのか?」という迷いがあったように感じてならない。 最終局面におけるくどいまでの反復は、そのあたりが表面化しているのではないだろうか。 そういった作為的な面を読者に感じさせてしまう面、完成度の高い作品とは思えなかった。 ここ最近の吉田作品を見ていてどうしても気になるのが、 映画、曲、ブランド、などといった固有名詞から人物の横顔や空気を 描こうとする点である。 共感を呼ぶにはリアルだとは思うものの、これが「同時代性」を失った時には、 あっという間に陳腐化してしまう危惧がある。 リアルな現代を描き出すということに対する拘りであるならば、 それも良いのだが、普遍的な表現でもそれは達成できるはずである。 吉田修一の筆力をもってすれば。 | ||||
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吉田修一は最近では珍しい、“現代社会”と向き合う作家である。最近の小説は、「過去」と「現在」あるいは「現実」と「幻想」を行き来する“ヴァーチャル”で“おたく”なアプローチが流行りである。そんな中で吉田修一はあえて、“リアル”みたいなものにこだわっている気がする。浜崎あゆみの歌詞を引用する作家なんて他にはまずいないだろう。陳腐で同じ内容を呪詛のように繰り返す浜崎あゆみの歌は文学的には評価されないだろうし、出来れば目をつぶりたい存在だ。だがメガヒットも、求めている大衆がいるということも“リアル”である。良し悪しや好き嫌いではなく、現代社会の風俗をスーパーリアリズムに写し取る、というのがこの作者の姿勢だと思う。先行する作家に村上龍がいると思うが、村上龍初期のダイナミズムや、近年のギミックといったわかりやすさは吉田修一にはあまり感じられない。 本作は、まさに現代日本を象徴するような都市“大宮”のランドマーク・タワーの建築に携わる2人の人物が主役である。2人は同じプロジェクトに関わりながらお互いを知るわけではない。建築家と鉄筋工、妻帯者と独り者、都会人と地方出身者と対照的な2人の“リアル”は、しかしながらパラレルの関係にある。このランドマークが象徴するように2人のそれぞれの“リアル”はちょっとした設計ミスで弾け飛び、一気に崩壊してしまう危うさを抱えているのだ。 本作が残念なのは、現代社会の活写だけで読者に伝えるべきニュアンスに、時々作者の説明が蛇足的に加わってしまう点、そして小説の最後がまるで舞台演劇のようにシンボリックな終わり方をする点だ。 それでも、あえてヴァーチャルという手口を使わずに現代の“リアル”を捕捉しようとする作者の姿勢と力量は十二分に感じ取ることが出来る。紛れも泣く現代の“リアル”を描いた作品だ。 | ||||
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始めて吉田修一さんの小説を読みました。紹介文に引かれて読んだのですが、なんか勘違い!?、さっぱりテーマがつかめませんでした。 確かに現代をうまく描けているとは思いますが、その裏に隠されている何かを見つけないと、この人の小説は面白くないのかも知れませんね。とにかくすべてのエピソードが抽象的で、つながりそうなのにバラバラだったりと、感性の鋭い人向きの小説ではないかと。 感性普通人の私には、現代人の生活を一部分切り取ったところを見せられたくらいにしか感じませんでした。悲しい・・・・・。 | ||||
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