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ねじまき少女
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ねじまき少女の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.12pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全23件 1~20 1/2ページ
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古典SFは科学の限りない発展による遠い未来(輝くものとは限らない)の世界を夢見たが、 サイバーパンク小説はもっと近い未来、不完全で人をゆがめるような技術と、巨大資本による世界支配を予測した。 ある意味で、それはもう現実化しつつあるように見えるが、 現実・現代の環境破壊は、そんな歪んだ世界さえ滅ぼしてしまいそうな勢いで進んでいるようにも見える。 パオロ・バチガルピが紡ぐ物語、エコSFなどとも呼ばれた作品群は、そんな差し迫った危機を描いて見せる。 世界を経済的に支配するために遺伝子操作された作物、害虫、病気がばらまかれる世界。 しかし、現実でも遺伝子組み換え作物の是非を問うまでもなく、通常の農作物や店頭で普通に売られている種苗ですら、不稔化されて植物・生物の本来の性質を失わされた上で商品化されたものであり、本来の種子は失われる方向にある。 地球環境が破壊されていると言う情報に懐疑的な人々は実際多いし、 人類は(科学者の一部が言うようには)滅んだりしないのかもしれない(オゾンホールもふさがるそうだ)。 しかし、確かに今も飢えや貧しさだけでなく土地の浸食などで困窮している人々は多く居る。 (全ての報道が偽りでないなら。) 破壊とまで呼べる環境変化が実際には起こっていない、少なくとも人類の所為じゃない、としても、日常の生活用品や食品の値上げをぼやかずに居られない層なら、 その「燃えている対岸」に落とされる可能性は限りなく高いと思う。 例えば「渚にて」に描かれるような静かで、ある意味安らかな終末をむかえられるとは思えない。 「いずれすべては海の中に」も環境破壊の末の終わりとしては希望を持ち過ぎのように感じる。 喧騒と貧困と暴力と汚染の絶望に満ちた世界で、うだるような暑さの不快感に苛まれながら生きるために(稼ぐために)足掻かずには居られない、そんな人々を描くこんな作品こそが、今、読んでおくべき物語ではないか、と言えば大げさだと笑われるだろうか。 (世界が物語のように破壊されるとは限らないけれど、 物語のように都合よく世界を救う手段が見つけられるとも限らないのが現実だと思うのだが。) | ||||
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"きみたちはいま、過去にしがみついてるせいで死んでるんだ。わたしたちはいまごろ、全員ねじまきになっているべきだったんだ。初期バージョンの人間を瘤病から守るよりも、瘤病に耐性を持つ人間を作るほうが簡単なんだから。"2009年発刊の本書は、SF賞を総なめにしたディストピアSF傑作。 個人的にも少し縁のあるタイ、バンコクを舞台にした本書。群像劇的に展開する上巻の途中で挫折していたのですが、今回ようやく読み終えました。 さて、そんな本書は【石油が枯渇しゼンマイ仕掛けの機械(とそれを巻く遺伝子改造された象)エネルギーが普及した】世界、また意図をもって創り出された【疫病が蔓延する一方、それに対応した穀物を法外な値段で売りつける】カロリー企業が牛耳っている世界を舞台に複数の登場人物の視点で物語がバラバラに展開していくのですが。 率直に言って、以前は【ややあやしい翻訳】それと【エネルギー資源問題、ウイルス、遺伝子操作】と現在地球上で懸念されている事態がことごとく最悪の形で実現した】ようなディストピア設定を読み込むのに一苦労したのと(この点は確かに帯通りにニューロマンザーと近い感覚)また、そこで日本企業の遺伝子操作により労働者として生まれた新人類"ねじまき少女"ことエミコが【度々性的に虐げられている場面】に嫌悪感を覚えて【上巻で挫折してしまっていた】のですが。 今回【途中から最後まで無事に読み終えて】そのエミコが自らとった行動によって【全てが加速して、見事に収束しているラスト】に拍手を贈りたくなりました。また一方で、エミコも含めた個性豊かな登場人物を勧善懲悪的ではなく【それぞれに偏らずに描いている】点も含めて面白かったです。 また東洋的なモチーフが取り入れられた似たようなディストピア世界だとブレードランナーとかを想像しがちですが。SF作品には珍しく?タイを舞台にしていることで、また違った【熱帯的な暑さや雑多感を感じさせてくれている】のも新鮮かつ本書の特徴的なところではないかと思いました。(しかし、こんな破滅の予感しかない酷い近未来が、どこかしらありうるかも?と今は思ってしまうのが怖い。。) よく練られた設定、世界観を感じさせるSF作品好きな方へ、またSFならではのディストピア世界に浸りたい方やタイに縁ある方にもオススメ。 | ||||
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"きみたちはいま、過去にしがみついてるせいで死んでるんだ。わたしたちはいまごろ、全員ねじまきになっているべきだったんだ。初期バージョンの人間を瘤病から守るよりも、瘤病に耐性を持つ人間を作るほうが簡単なんだから。"2009年発刊の本書は、SF賞を総なめにしたディストピアSF傑作。 個人的にも少し縁のあるタイ、バンコクを舞台にした本書。群像劇的に展開する上巻の途中で挫折していたのですが、今回ようやく読み終えました。 さて、そんな本書は【石油が枯渇しゼンマイ仕掛けの機械(とそれを巻く遺伝子改造された象)エネルギーが普及した】世界、また意図をもって創り出された【疫病が蔓延する一方、それに対応した穀物を法外な値段で売りつける】カロリー企業が牛耳っている世界を舞台に複数の登場人物の視点で物語がバラバラに展開していくのですが。 率直に言って、以前は【ややあやしい翻訳】それと【エネルギー資源問題、ウイルス、遺伝子操作】と現在地球上で懸念されている事態がことごとく最悪の形で実現した】ようなディストピア設定を読み込むのに一苦労したのと(この点は確かに帯通りにニューロマンザーと近い感覚)また、そこで日本企業の遺伝子操作により労働者として生まれた新人類"ねじまき少女"ことエミコが【度々性的に虐げられている場面】に嫌悪感を覚えて【上巻で挫折してしまっていた】のですが。 今回【途中から最後まで無事に読み終えて】そのエミコが自らとった行動によって【全てが加速して、見事に収束しているラスト】に拍手を贈りたくなりました。また一方で、エミコも含めた個性豊かな登場人物を勧善懲悪的ではなく【それぞれに偏らずに描いている】点も含めて面白かったです。 また東洋的なモチーフが取り入れられた似たようなディストピア世界だとブレードランナーとかを想像しがちですが。SF作品には珍しく?タイを舞台にしていることで、また違った【熱帯的な暑さや雑多感を感じさせてくれている】のも新鮮かつ本書の特徴的なところではないかと思いました。(しかし、こんな破滅の予感しかない酷い近未来が、どこかしらありうるかも?と今は思ってしまうのが怖い。。) よく練られた設定、世界観を感じさせるSF作品好きな方へ、またSFならではのディストピア世界に浸りたい方やタイに縁ある方にもオススメ。 | ||||
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複数の登場人物の視点から未来のバンコクを描く。いきなり創作世界固有の用語がなんの説明もなく出てくるので、決して読みやすいとは言えない。ここまで説明のための一文を省く長編小説は初めてである。読みやすさが犠牲になったが(いやー疲れた!)、そのために黙示録的、叙事詩的な雰囲気が邪魔されずにいきている。とも言えるかもしれないが、やはり分かりづらく没入感を阻害するので独りよがりとの謗りは免れ難い。 いわゆる隠された世界の秘密を暴くタイプのSFではない。遺伝子操作がこの世界のキーテクノロジーであることは序盤から明らかだが、遺伝子操作についての技術的な解説やガジェットは、伝説的?遺伝子リッパーが登場しても、ほとんど語られない。グレッグイーガンなどのハードSF作家とは違い、そんなことにはあまり興味がない作家なんだろうと思う。背表紙にもエコSFと書かれていたが、それは間違いではない。ギブスンやイーガンではなく、フランクハーバートの『デューン』の系譜の遠い親戚に連なる作品なのである。ただ、同作は巻末に「事典」が付いているので、世界観はもっと伝わりやすいが。 エミコがなぜ本能に抗ってサバイブできたかとか、ギボンズの生命観とか人類観みたいなものを、もう少し語って欲しかった気がする。ホクセンやカニヤはほとんどねじまきとの接触もないので、彼らのパートはどうしてもSF感が薄い。アマゾンでいろいろ書いている人たちの期待ハズレ感も、ほんとはそのあたりにあるのではないか。 SF感の薄さと入り口の狭さはあるが、物語としてはよく練られていて面白かった。 追記 作家の上田氏によれば、これはノワール小説であって、皆が何かを求めてあがくが、ついに誰もそれを手に入れられない、という。なるほど、全くその通り | ||||
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*Kindle版で読みました。 誤訳が多いと聞きましたが、Kindle版は紙本の第5版を底本にしており、読みづらさは感じませんでした。もし紙本を買う場合は、うっかり古い版を買ってしまわないようご注意を。 *「ねじまき少女」のスタイルとして、造語を説明なしでポンと出し、時間をおいて、または別の登場人物の視点で説明することが多いです。わからない言葉はいったんスルーする技術が必要かも。私は、同じ作者の短編集「第六ポンプ」に収められている、「ねじまき少女」と同じ世界が舞台の短編「カロリーマン」「イエローカードマン」を先に読んだため、<ねじまき世界>にはすんなり入れました。この読み方はおすすめですが、一方で、いきなり「ねじまき少女」から読み始めて混乱するのも楽しかったかだろうなあと思います。 なお、作者のホームページには、「ねじまき少女」(米国版)の新版に、「カロリーマン」「イエローカードマン」が収録されていると書かれていました。難しいのは承知ですが、こういうことやってくれないかなあ、ハヤカワさん? *2016年のいまになって、作者をグレッグ・イーガンやテッド・チャンと比べる方もいらっしゃらないと思いますが、少なくともイーガンとは書くことがまったく異なるので、比べても意味がありません(チャンは未読なので不明)。少なくともバチガルピの登場人物は、卑小で、利己的で、感情的で、でも時にすばらしく高潔なことを衝動的にしてしまう、21世紀初頭と変わらないひとびとです。 *<ねじまき少女>エミコと同様、読者は、いきなりタイ王国に放り出された存在です。5人の主要な登場人物に悪霊のように取り付き、彼らが抱えている問題と、彼らが引き起こすとんでもない騒ぎを見守るだけです(群像劇であって、特定の主人公はいませんので、アンダースンやエミコをヒーローやヒロインと思いこんで読むと、あとでがっかりするかも)。 エミコを含め、5人ともくせがある主要人物ですが、元華僑の老人ホク・センがいちばんのお気に入りです。社会最底辺の難民としてかろうじて仕事とあばら屋を手にしただけですが、あらゆるチャンスを利用して金を貯め、情報を売り、もう一度成り上がることを夢見る人物です。このあきれるほどのヴァイタリティーが自分にも欲しいです。 *というか、私がこの5人の誰かの立場だったら、たぶんストレスで1ヶ月と持たないでしょう。誰も彼もエネルギッシュで前向き。 *また、スピリチュアル(?)なネタが絡むのも、「ねじまき少女」の特徴です。悪霊が某人物に取り付く(本当に悪霊なのか、取り付かれた人の良心の声なのかは説明されません)のもそうですが、「輪廻」する魂たちに対して、魂を持たない<ねじまき>は何を支えに生きていくのか。業(カルマ)を背負うのは個々人か、人類全体か。<ねじまき>達、新人類は、生まれながらに業から解放されているのではないか。 *そして、「ねじまき少女」というタイトル。結局本作の2大仕掛けである「遺伝子操作」と「石油資源に変わって社会を支えるゼンマイ」の両方の象徴なのでしょう。 さらに、あのすばらしいラスト。 *結論。誤訳がほぼなくなり、文句なしの傑作に。 *おまけ。原書の表紙イラスト。エミコにフォーカスした日本版と違い、世界観が伝わるイメージですね。[・・・] 参照。 | ||||
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現在地球上で懸念されている事態が、ことごとく実現した世界。 タイトルの「ねじまき少女」とは遺伝子操作を駆使して人の手で作られた新人類である。 石油が使えないこの世界では、ゼンマイを人力や動物の力によって巻き上げ、それを解放することによって起きるエネルギーを利用して生活している。このイメージから「ねじまき」は現在の感覚で言うロボットという風に受け取れるが、実際はロボットのような特徴を遺伝子的に持たされた人造生命体である。 上巻では『ねじまき少女』の仮想世界設定が400ページかけて徐々に明かされてきた。ばら撒かれた歴史や設定を読み込むこの作業に一苦労したのだが、全体像の見えないなにかを少ない手がかりで解読していく作業は、小説読みにとって快感そのものの作業でもあった。 さて下巻では、タイの心臓ともいえる「種子バンク」への侵入を狙うファランと、タイの実権を握ろうと画策する通産省(外務省・経済産業省的な役割)の動きが引き金となって、怒涛の変革が首都を襲う。 上巻の後半で活躍した環境省(検疫を司り実行部隊も抱えている)のカリスマ的存在“バンコクの虎”と称されるジェイディー・ロジャナスクチャイ隊長の死に激昂する環境省が、首都バンコクを震撼させる。 下巻からはカニヤ(ジェイディーの部下の女性)の視点が物語の背骨を作ってゆく。非服従の誇りか、寄らば大樹の安寧か。天秤をふいに手渡された彼女の心も大きく揺れ動く。 “ねじまき少女”エミコは人間の所有物である現在の境遇と習性から脱するために跳躍する。その衝撃波が世界に揺さぶりをかけ、時代が大きく動くことになってゆく。 章ごとに語り手が変わり、どちら寄りに立つわけでなく語られてきた物語が、最後の最後にグワッと読者の心を鷲掴みにする瞬間がやってくる。感極まり、まるっきり他人事だと思えなくなる。それまで気づかないふりでそらしていた目を、顎をつかんで振り向かせられた感じ。 終わってみると、エミコの生き様とカニヤの生き様は、相反するようで似通っている。 自然か反自然か、そんな二元論では語りきれないのが我々の未来なのだと、悪魔的な神がつぶやいて終幕をむかえる。 本作が書かれる前に発表された作者の短編集『第六ポンプ』には『ねじまき少女』と共通の仮想世界に属する物語「カロリーマン」と「イエローカードマン」が収録されている。 それを読むついでに他の作品も拾い読みしたのだが、少女や若い女性が物語の鍵を握っているのが印象に残った。彼女たちの決断がカタルシスへ至る最後の一石を投じた形となる、破壊と再生の女神といった趣であったのだ。 本書における“彼女たち”、エミコ・カニヤ・マイもそれぞれ働きは違えど上記のようなバチガルピ・ガールの性質を備えていた。 一見ディストピアを描いた暗い話のように思えるが、バチガルピの物語はどれも結末が妙に清々しい。多くの者がはらわたをぶちまけて死んでいく傍で、死者と等しくとるに足りない存在である語り手が、殻を破り生気をみなぎらせてどこかへ出発してゆく。そんな印象の作品であった。 | ||||
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舞台は近未来のタイ。 温暖化による海面上昇、病に冒された食物が人の命をおびやかし、石油の枯渇により動力源が生き物の物理的運動に頼るほかなくなった日常。 あるいは人間が、あるいはメゴドント(体高4.5メートルの遺伝子操作により生まれた象からの新生物)が、物理的運動によって動力を供給する。 またはゼンマイを巻き上げて、それを解放することによって起きるエネルギーを利用して生活している。 安全な食物が乏しく、それらは世界企業に掌握されている。 自由貿易で利益を得ようとする外国企業と、かつてそうした者たちからもたらされた疫病で国内の作物が全滅に追い込まれたタイ。 章が改まる毎に視点が変わる。 タイ人視点の時は「ファラン」、日本人の時は「ガイジン」というように、異国人、特に西洋人を表す言葉が変わるのに気がつく。 タイ人、中国人、日本人、アメリカ人(?)が出て来るが、各国の歴史背景を持った思考と行動原理の書き込みにも圧倒される。 場の力を掌握している側と、被支配の立場の双方の視点から語られ、組み上げられた世界の緻密さ揺るぎなさが圧巻だ。 そしてそれは立場が違うだけじゃない、カルマ(宿業)が違うのだとジワジワと伝えてくる。 日本人から見ても日本人の描写が門切り型でなく、日本らしい本質の側面を捉えていてドキリとする。 それはタイ人にも、虐殺を生き延びた難民の中国人にも言えるのではないかと思う。(私の各背景への理解度ではアヤシいのだが) アメリカ人のこの作家の、異文化へのシンクロ度はなんなのだろう!というのも、この作品において瞠目すべき点だと思う。 その日本が作ったねじまき少女エミコ。 遺伝子操作により生まれた人工生命体、新人類だ。 セクサロイドとしての「生まれつき」を持たされた彼女は嬲られることを「当然」と感じつつ、独立した一個の生命としての希求も併せ持つ。 そのせめぎ合いが丹念に描かれ、切実に迫ってくる。 奇病の蔓延、遺伝子汚染、人工生命体、新種の奇妙な果実、熱と臭いのこもる工場、不快な湿度、人種の弾圧、虐殺の記憶、宗教観、倫理観様々な要素が絡み合いくい込み合って、凄い密度の曼荼羅を描き出している。 新奇な視点を打ち立てたSFではないように思う。 この作品の素晴らしさは、この世界の病も、人類存続の瀬戸際を感じさせるあらゆる問題も、すべて現時点から遠くない地続きの未来だと感じさせることだ。 21世紀の今、核の脅威よりもっと現実的と言えるかもしれない。 こうした仮想世界の設定が上巻400ページのなかで徐々に明かされていく。多くの人物の視点の中にばら撒かれた歴史や設定を読み込むだけでも一苦労する。 だが全体像の見えないなにかを少ない手がかりで解読していく作業は、小説読みにとって快感そのものの作業でもあるのだ。 私の実力では手にあまる部分もあって、かなり時間がかかったが、非常に深い満足を味わうことができた。 こうした「解読する快感」が帯にあげられていた『ニューロマンサー』に近いものがあるかもしれない。 文章が立ち上らせるイメージも鮮やか。 タイには馴染みが無い私だがすっかり物語世界に浸ることができた。 ドラマチックな映画的シーンもあったり。 空港襲撃から登場する白シャツ隊長ジェイディーの活躍するシーンは、スピード感や人物のもつ熱量のボルテージが高く、胸が躍る。 登場人物たちのここに至るまでの時間、思いをつぎ込んだ結晶として場面が展開し、高密度の世界に取り巻かれて息が詰まりそうになる。 下巻も楽しみだ。 | ||||
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エコ・ディストピア小説。気候変動と遺伝子操作生物により生態系が激変し、 従来の農業経済が崩壊した近未来。世界は遺伝子改良作物を供給する少数の 「カロリー企業」によって牛耳られていた。その中でタイ王国は厳重な検疫と 秘匿された「種子バンク」によって辛うじてカロリー企業からの独立を保っていた。 カロリー企業の社員アンダースンは種子バンクの在り処を突き止めようと 調査をする中、輸入が禁じられた遺伝子改変人間、「ねじまき」のエミコに出会う。 微笑みを失った微笑みの国を舞台に、陰鬱で不穏な空気を漂わせる上巻。 | ||||
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外国企業の活動を制限しようとする環境省と、自由化を進めたい通産相の間の対立が激化し、 タイ国内は一触即発の様相を呈していた。そんな中、差別によって虐げられ、 環境省による摘発に脅えていた「ねじまき」のエミコが自由を渇望するあまりに とった行動によって国中が騒乱に巻き込まれていく。暴力、陰謀、裏切り、腐敗、 憎悪、差別、破壊ばかりが描かれる、救いのない物語は、しかし最後に絶望的な希望を 示唆して終幕する。それは人間よりも清らかな魂を持つねじまきたちが、 やがて人類にとってかわるかもしれないという新たな人類進化の未来である。 | ||||
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上下巻ともイッキに読了。 舞台は未来のタイ。石油は枯渇し、海面は上昇し、疫病がはびこった挙げ句、人間が生きられる世界は縮小している。 結果、ローテク化している。ねじまきを巻くのに、ゾウを遺伝子操作したメゴドントという動物を使役している。タイらしく(?)僧侶の権威が高いのが面白い。 環境省の白シャツ隊、経産省(カロリー企業)と移民たちの三つ巴の戦いが暴力的に描かれる。これらのトリガーとなるのが、日本製のねじまき少女=エミコだ。新人類ねじまき少女のスピードがすばらしい。(マンガ「FSS」に出てくるファティマをイメージしてしまった) カロリー企業の経営者アンダースン・レイク。 白シャツ隊隊長のジュディー、その部下カニヤ。その世界にどっぷりと浸かれば、面白いと思う。 防疫のためには非常にならなくちゃならない。白シャツ隊の苦悩ったら想像できない。国民を守るためには、外国人には排他的にならざるを得ない。 ・・・恐ろしい世界だ。 | ||||
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舞台がタイというのがいいです。タイならこんなことあるよなあきっと、みたいな思い込めるところがありました。 | ||||
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大変面白いがイーガンやチャンのようなSFではなく、それをいえばパラニュークの「サバイバー」(世界ではじめてのアイデアのお話)の足元にも及ばないが、ディックとバラードとギブスンからその弱点を取り去って合成したような面白さがある。まずストーリィに破綻がない。下巻で話が単調になるが、内乱だから致し方ない。ついでストーリィに厭きが来ない、およびストーリィが先まで読めるということがない(特に前半)。「アンドロ羊」というよりは「ブレラン」のレプリカントにも似たエミコというガイノイド(by コールター)のピュア振りが物語の清涼剤にもなっているが、やはり支配女子は殺人を起こさなければ定められた運命からは自由になれないようだ。「燃える世界」の暑さと「ニューロマンサー」の喧騒がある。また後半は幽霊が登場人物(処理的には妄想だが……)となって最後にストーリィを牽引するところが素晴らしい。カロリー企業のアンダーソンの予想とは異なって実現のこととなるエピローグの水の描写が涼しげだ。遺伝子学者で不具の神ギブセンは伝説上のアベンゼンが住むとされた高い城のような屋敷に住んでいる。彼の諧謔さはディック自身を見るようだ。ディック経由でリチャード・コールターも入っているのかもしれない。同じデッド・ガール(ガイノイド)が主人公でもあるのだから…… 一方、ワトスンの後に日本で刊行された処女作(こちらもデッド・ガールが主役で「どろろ」の百鬼丸初登場の目玉のシーンまである)とはまったく似ていないところはイーガンやチャンではないのと同じ理由。訳が悪いと言う意見もあるが、筆者は特に気にならなかった。単純な視点の話に慣れた人にはきついかも…… さらにラノベのようだという意見もあるようだが、いまの面白い話は皆ラノベらしいから、褒めているのだろう。重力さんの表紙が素敵! 最も良い読み方は上巻を読んで下巻を脳内補完することかもしれない。だが、エピソードは読もう! | ||||
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この小説をどう評価するのか、結構難しい。というのは、読者がこの小説に求めるものが何なのか、によって印象はかなり変わるからだ。すでに多くのレビュアーの方々が指摘されている通り「ネビュラ、ヒューゴー賞などSF4賞を受賞」という肩書が、いたずらにこの作品に対する期待値を高めてしまっていて、さらにハヤカワがつけたあおり文句「グレッグ・イーガン、テッド・チャンを超えるリアルなビジョンを提示した〜」が拍車をかけてしまう。 それなりに面白い小説ではあるのだが、本当のところ先入観なしで読むのが一番いいのでは、と思う。 この物語は、石油資源が枯渇し世界のエネルギー構造が激変、「ローテク化」した未来を舞台にしている。一方でバイオテクノロジーが急進化し、DNAを改変した生物などによって生態系が破壊され地球環境が激変、新たな伝染病が蔓延している。飛行機や自動車といった移動手段はほとんどなくなってしまい、世界を「時間単位」で移動できたのははるか昔のこと。パソコンは「足こぎ」の自家発電で何とか駆動し、インターネットなどもおそらく無くなってしまっていると思われる。代替エネルギーは超強力な新型ゼンマイによってまかなわれ、それを巻いているのは、象を遺伝子改変したメゴドントという生物。ただ、ゼンマイによって駆動する機械などのパワーは、石油エネルギー時代のエンジンの足元にもおよばない・・・。近未来SFというよりは、スチームパンクからレトロな味わいをなくした世界観、といった方がイメージとしては近いかもしれない。 『ねじまき少女』といいつつ、この物語は何人かの登場人物によって展開する群像劇。舞台は東南アジアのタイである。 アンダースン・レイク: 改造型ゼンマイを開発しようとする工場のオーナー ホク・セン: その工場で働く、中国系難民の(かつては豪商だった)老人 “ねじまき少女”エミコ:遺伝子工学によって造られた日本製アンドロイド。 “ねじまき”というのは動きがぎくしゃくしているため、アンドロイドに対してつけられた蔑称である。 ねじで駆動している訳ではない。 ジェイディー: タイ王国環境省の検疫取締部隊「白シャツ隊」の隊長。陽気で快活、いかなる買収にも応じない鋼鉄の男。 カニヤ: 「白シャツ隊」副隊長。暗い過去を持つ、無表情な女性。 物語は、各キャラクターを中心に章ごとに展開。正直、上巻は世界観やキャラクター紹介に項を費やすため展開が遅く、中々物語の全容が見えてこない。何しろねじまき少女のエミコが登場するまで80ページもかかる(苦笑)。上巻で投げ出してしまったという人も結構いるらしいが、それも判らなくもない。ただ、下巻は一気に急展開を迎え、物語のテンポも上がり、けっこう読ませる。 ドラマは、こうした荒廃した未来のアジアを舞台にした、活劇風の物語 ― バイオテクノロジーの利権などをめぐる政治的な陰謀や内戦、クーデターといったものである。熱気にうだるバンコク。屋台が立ち並び、難民が占拠する廃墟のような高層ビルなど、猥雑な雰囲気はとてもよく出ているのだが、実はSF好きがSF小説に求めているものとはちょっと違うのでは・・・世界観の設定がSF、という点を除くと、東南アジアを舞台にした活劇ものの小説を読んでいる気分、といった印象に近い感じがする。たぶん、ここが好みの別れるところなのだと思う。 また、未来の世界観も「リアル」というよりは「奇想」に近く、「グレッグ・イーガンを超えるリアルなビジョン」というよりは、南米文学のマジックリアリスムとSFが融合したようなイメージ・・・何しろ後半では、あるキャラクターに霊が取りつき、その霊と会話をするというような「非SF的」描写が普通に描かれたりして、SF読者の多くは当惑するのではないだろうか(筆者は却ってそういうところが面白かったが)。 作者のパオロ・バチガルピは1973年生まれ。恐らく「マンガ・アニメ」を通過してきた世代なのだと思う。 東アジア学を専攻し、中国に暮らしていた事もあるというが、この小説の中で描かれているものはリアル、というよりはアニメやゲームで描かれる世界観に近い気がする。 ただ、ここから先はSF小説好きの方の多くは異論があるかもしれないが、筆者は正直なところ、「サイバーパンク」以降のSFには苦手意識が強かった。コンピューターやデジタル技術、ネットといった価値観にがんじがらめにされてしまった未来世界のイメージに、不自由さを感じるタイプの人間だった。「デジタル」技術があまりにも便利で、現代人はそれなしの生活がもはや考えられない故に、SFというジャンルから自由な創造力が奪われてしまった・・・『ターミネーター4』で、未来の世界で情報をやりとりする媒体が相も変わらずUSBだったのには、ガックリしてしまった。どんだけ想像力ないんだよ!と言いたい。 だから、この『ねじまき少女』は、SFの未来世界をサイバーパンクの呪縛から解き放った「ポスト・サイバーパンク」の新潮流を提示した、という点において筆者は最も評価したい、と思う。 最後に、出版元のハヤカワに対して言いたいのは、この小説は、特殊な専門用語も多く、キャラクターの名前も憶えにくい。海外の小説を読み慣れていて横文字アレルギーはほとんどない筆者でも、メインキャラはともかくその他の周辺キャラクターは、誰が誰だか判らなくなって一瞬混乱する事が多かった。 ハヤカワが出版していた小説は必ず巻頭に「登場人物紹介表」が記載されていたと思うのだが、いつからそういう事をやめてしまったのだろうか?特にこの『ねじまき少女』に関しては、専門用語の解説表もどこかに記載してほしかった。結構大事です。これがないために「途中で放り出してしまった」人もいるのでは? 今後の課題として。ぜひご検討を。 | ||||
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一〇年代のSFに方向性をつける傑作。 ギブスン『ニューロマンサー』のチバ・シティとサイバースペースがサイバーパンクのイメージであり、ミラーシェードグラスがアイコンであるように、メゴドントが闊歩する猥雑なクルンテープ(タイの首都、バンコク)が新たな未来のイメージであり、ねじまき少女はアイドルとなる。 「おそらくは、現代の生活レベルがピークなんですよ」とインタビューで語る著者が描く未来は、化石資源が枯渇し、温暖化により海面が上昇し、遺伝子操作による植物の疫病が蔓延した世界。カロリー企業(バイオ企業)が経済を支配し、いくつかの国家は崩壊している。タイ王国は独自の遺伝子バンクと検疫体制により辛うじてその混乱の外にある。 日本製の遺伝子操作された人造人間(アンドロイド)「ねじまき少女」のエミコ。彼女は主の日本人に捨てられた娼婦。マレーシアの華僑で難民「イエローカード」のホク・セン。企業帝国と一族の再興を夢見る。彼が仕えるカロリー企業の尖兵、「カロリーマン」アンダースン。彼はエミコにいれあげる。環境省の準軍事組織「白シャツ隊」隊長、バンコクの虎ことジェイディー。その副官で笑顔を見せない女性、カニヤ。五人の群像劇。 独立を守るタイをも膝下にねじ伏せようとするカロリー企業の野望、対するタイ当局の高官は女王に対する忠誠心は強固ながらそれぞれの利害に狂奔する。それと決して腐敗しない人ジェイディーとの確執。 人に仕えるように生まれつきながら、誰にも支配されない自由を夢見るエミコ。誰もが想像できなかった彼女のとった意外すぎる行動が、クルンテープを混乱の極に叩き込み、ねじまき少女に道を開く。 我々の未来がここにある。読むべし。 | ||||
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翻訳ものなので地名や名前がイミフメイナカタカナノラレツに見えてしまうし、企業や省庁や国が利害をめぐってせめぎあっていて、その関係を読みとくのは難しい。 とはいっても、王様のブランチのランキングに乗るような大衆向けの本と比べればの難しさであって、特別に難解ではなかった。帯で引き合いに出されるニューロマンサーのほうが百倍読みづらい。 物語は特別に面白いわけでもなくつまらないわけでもない。 この作品が賞を受けたのは物語性じゃなくて、未来の地球を生々しく描き出したこと、その風景がこれからのSF世界に影響を与えそうだと期待してのことだと思う。 | ||||
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『ねじまき少女』下巻。ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞、キャンベル記念賞などいくつものSF関係の賞を幾つも受賞している。 これだけ幾つもの賞を受賞しているとなると、読む前から相当期待値が高くなってしまうが、やはり多くの場合と同じく、プラスには働いていないと思う。結論から言えば、物足りないという印象を受ける。少なくとも、各賞総なめというほどの圧倒的な存在感は感じない(これらのうちの1つ或いは2つ位なら、まあ、わからないでもない)。 今作の魅力は、なによりもこの舞台だろう。時代背景も含めた社会情勢や技術水準、あるいは様々な人間模様などここから色々な物語が派生してくる余地がある。本書は、章ごとに異なる立場の5人の視点から物語をみている。彼らはそれぞれの表の顔を持ちつつ、それとは違った思惑も同時の持っている。そのため、ただでさえ渾沌とした世界がより一層渾沌としている。 今作は、どういう展開に向かって進んでいくのかわからないまま、最後まで突き進んでいくが、実際の事件が起きてからよりも、どちらかというと、背景となる舞台(や登場人物)を知るための章の方が多いように思う。そのため、中盤から終盤にかけての物語が加速して以降、淡白に感じるというか、やや物足りなさを覚えてしまう。 巻末の著作リストのタイトルや訳者によるあとがきを見ると、今作と共通する舞台の作品も書いているようなので、そういう意味では、この1作で完成というよりも、この同じ舞台上で展開するシリーズ作品全体を通じて、ようやく完成といえる作品だと思う。 | ||||
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『ねじまき少女』下巻。ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞、キャンベル記念賞などいくつものSF関係の賞を幾つも受賞している。 これだけ幾つもの賞を受賞しているとなると、読む前から相当期待値が高くなってしまうが、やはり多くの場合と同じく、プラスには働いていないと思う。結論から言えば、物足りないという印象を受ける。少なくとも、各賞総なめというほどの圧倒的な存在感は感じない(これらのうちの1つ或いは2つ位なら、まあ、わからないでもない)。 今作の魅力は、なによりもこの舞台だろう。時代背景も含めた社会情勢や技術水準、あるいは様々な人間模様などここから色々な物語が派生してくる余地がある。本書は、章ごとに異なる立場の5人の視点から物語をみている。彼らはそれぞれの表の顔を持ちつつ、それとは違った思惑も同時の持っている。そのため、ただでさえ渾沌とした世界がより一層渾沌としている。 今作は、どういう展開に向かって進んでいくのかわからないまま、最後まで突き進んでいくが、実際の事件が起きてからよりも、どちらかというと、背景となる舞台(や登場人物)を知るための章の方が多いように思う。そのため、中盤から終盤にかけての物語が加速して以降、淡白に感じるというか、やや物足りなさを覚えてしまう。 巻末の著作リストのタイトルや訳者によるあとがきを見ると、今作と共通する舞台の作品も書いているようなので、そういう意味では、この1作で完成というよりも、この同じ舞台上で展開するシリーズ作品全体を通じて、ようやく完成といえる作品だと思う。 | ||||
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最近つくづく早川の帯・宣伝の質の悪さにがっかりです。 内容は資源の枯渇した近未来のお話です。 電力がない、ということをリアルに追求しており、 その文面からもむせかえるような暑さは伝わってきます。 ・・・しかし、イーガンやチャンの様な「世界観が変わるかのような 衝撃」を読書後に受けたか、と言われれば?です。 確かに世界設定は優秀ですが、今一つ追求しきれずに終わってしまいます。 もう少し、主人公のねじまきについても突っ込んでいくのかと思っていたのですが、 肩すかしでした。この作者ならいくらでも突っ込めそうなのに。 どちらかというと、お話の筋を楽しむのがメインの小説でしょうか。 理屈抜きでお話の面白さに関しては保証済みです。 私の様なold type SF fanにとっては、何かが足りない、と思ってしまうのでしょうか。 | ||||
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ギブスンのサイバーパンクは乾いていた。血や汗は流れても、いつのまにか乾いてる。 こちらは湿った熱気が強烈に匂う。血と汗、屋台の油臭や生ゴミや尿がベットリにじむ。 3Dどころか嗅覚と肌感覚まで追体験できる迫力は、確かに、傑作の名にふさわしい。 突然変異を繰り返すウィルスに冒された世界、食糧戦争に疲弊した近未来の東南アジア。 複雑に絡んでもつれる政争、取り締まりという名の暴力、悪夢めいた暴動や市街戦。 陰で蠢く欧米の巨大資本、ほとんど日替わりする勝者、命がけの勝負を張る難民。 まるで社会派告発系ドキュメンタリーのような舞台に、数人の運命が転がる、転がる。 うー、リアル。重。どうなるんだという興味は尽きない展開と筆力だけど、 あまりのリアルな混沌と猥雑さ、割り切れなさに、なんだかどんどん疲れてくる。 これをケロリと楽しむには、若さか、暴力への秘めた憧れが必要じゃなかろうか。 きわめてリアルな混沌がなんとか収まるのは、市民が去った後の破壊された街。 3.11後の瓦礫に覆われ、沈下して上げ潮に沈む海辺をほうふつとさせる光景。 理性はこの才能を知った喜びに満たされ、感性では…ほとほと疲れました。 夢の日本女性なタイトルロールは「男の夢」に過ぎません。フッ。(鼻で笑う音) お利口な日本男児ならとっくに醒めた夢だね、フフッ(宝塚男役風に微笑) それより日本人と日本企業がこの事態にスマートに対処すると思われてるのが不思議。 金持ちケンカせず? 高齢化でエネルギーなし? それもなあ… | ||||
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とにかく面白い、石油エネルギーが枯渇した近未来のタイを舞台にしたSF。海外の有名なSFの賞を総ナメにしたのも頷ける。 ただ、あまりにも前評判も良かったし、上巻も面白かったので、この下巻に期待しすぎたかも。 確かに、後半も面白かったんだけど、上巻の比較的緩やかな展開に比べて、激動の展開になってしまって、折角、上巻で用意したエピソードが完全に展開しきらず、中途半端な感じを受けてしまう。特に、この小説のタイトルにもなっているエミコという「ねじまき」については、この後半の激しい展開のキッカケをつくりはしたが、あまり活躍のシーンがなかったのが、ちょっと残念。士郎正宗ファンの自分としては、人間に従順で、その「ご主人様」である人間に捨てられ、最後には性玩具に堕ちた「エミコ」が、叛乱を起こすような展開を期待していたのだが... でも、そんな展開ではありきたりすぎたかな?むしろ、バチガルピの描きたかったのは違ったことだったのだろう。 この小説を読む前に、いくつか早川書房のSFマガジンで短編を読んで吐いたのだが、その短編から受けた衝撃的なインモラルな雰囲気は、あまり受けなかった。まぁ、それが多くの賞を受賞したり、読者を獲得した理由なのだろうが、あの、読んでいて胸が悪くなるようなんだけど、魅せられてしまう感じが薄れているのは、ちょっと物足りなく、残念に思った。 でも、やはり、今年度の翻訳SF作品のランキングでは必ず上位に入る作品だろう。 | ||||
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