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ヴォイド・シェイパ
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ヴォイド・シェイパの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.42pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全6件 1~6 1/1ページ
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ヴォイド・シェイパ。何とも不思議な響きのタイトルだ。シェイパは「シェイパー」と伸ばしたいところだが、森博嗣はなぜかいつも長音符を好まない。voidは使用済みパスポートにガチャッと穴を開けられるアレと同じ綴りだし、さてどんな意味だろう? と思って翻訳アプリで訳してみたら、「空の形削り盤」と出た。うーむ、分かったような、分からないような…。 本書の中で、主人公ゼンとキグサという老婆が、「理屈だけでは、形にならない」「形がなければ、ものが動かない」というような会話を交わすのだが、これは「剣の道は、いかに刀を隠すかにあり」といった難しいテーマにも通じていて、この辺りにタイトルにこめた作者の思いが見え隠れしているようにも感じる。しかし、はっきりとは分からず、どこか茫としてつかめない。 というように、本書は禅問答のような部分も含めての剣豪小説であり、ゼンという青年のビルドゥングスロマン(自己形成物語)である。個人的な好みでは手に取らない類の小説だが、今回、人に勧められて読んでみた。好みの問題に還元するなら、「まあ一回読めば十分かな」というのが正直な感想ではあるが、これにハマる人の感覚もそれなりに理解することはできる、と思った。 | ||||
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あまり登場人物に魅力がない。良くも悪くも淡々としている。作品には関係ないが文庫版の表紙のセンスはちょっとない。文字の影のつけ方もダサい。ウィリアムモリスかそれの類似かわからないがこの作品とは合わない気がする。オリジナルの装丁が素晴らしいだけに残念。 | ||||
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え?これ森先生の作品の作品?という感じです。 ちょっと拍子抜けでした。 | ||||
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小説にしろ時代劇にしろ、近年の刀モノはあの妙に刀の軽そうなチャンバラ劇に終始しきっていることは、お気付きだろう。 この風潮の意義を唱えたい人はたくさん居るのではないだろうか。その欲求を井上雄彦の「バガボンド」に託しておられる方々は少なくないはずだ。 でなくても、囲碁の試合や禅的な概念を含有している事柄で、その欲求を満たさんとする人は、わりと多いと思う。 僕自身がそうだ。 それにしても僕個人的な意見としては、全的な概念や哲学をどうにも武術に関する事を通して楽しみたい気持ちがどうしてもある。 釈迦の語ったダンマや、ヴィッパサナー瞑想に代表される「気づき」の感覚を、何かしらの物語を通して間接的に体感した気になりたい、ということである。 そこでこれでもかというようなタイミングで(僕にとって)出版されたのが、本書である。 森博嗣、さすがだなあ、と読む前にもう既に過大評価していた僕である。 ところがどっこい、読み終わってみれば、あまりに軽度な禅的表現ばかりで、一瞬で読み終えてしまいました。 もっと言えば、あまりに言葉的に過ぎるし、こうなればこうなり、こうなります、という杓子定規な縁起が、比較的簡単な数式をつらつらと記述されているような印象でした。 ただし、バガボンドを除き、小説として時代劇的チャンバラ本ばかりが蔓延するこの現代日本において、真っ先に軽度であれども禅的体感を侍を通して言葉で記述する、という誰もが思いつきそうな形式を、いち早く小説として発表された森博嗣の先見に、星3つです。 基本的に、そこだけにこれは対する評価です。 | ||||
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まず、ジャケットが美しい。けれど、その美しさは、他の陳列されている、俗っぽい、売る事のみしか考えていない本ばかりの中では、逆に滑稽ですらある。 本の内容も、硬質で美しい。この文体は正にこの筆者以外書き得ない種類のものだ。 ただ、ここに楽しさは無い。ここにあるのは一人の求道者の姿であり、そこに美しさを見出だす人間は稀ではないか。 金でも、地位でも、名誉でも、女でもなく、ただ、強さを求める。美しいが、限られた人間にしか理解されないだろう。 いや、理解を求めないがゆえの美しさなのか。僕には真似できない。 何かを求める事の美しさが描かれている、それこそが、森博嗣の小説のオリジナリティなのかもしれない、と思った。 | ||||
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書店で本書を見かけたら、ぜひ最初のページをめくってみて欲しい。 重畳する山々が描かれた美しい装丁と、 物語の1ページ目に描かれる、主人公の侍「ゼン」が朝霧に包まれた山を下るシーンとが見事に噛み合って、 静かな世界を効果的に演出している。 さて本書に始まる森博嗣の新シリーズだが、これは スカイ・クロラと対になるシリーズなのではないか、と思う。 スカイ・クロラにおいてキルドレたちが握るのは機銃のトリガーである。 これで敵の戦闘機を攻撃・撃墜しても、 黒煙を噴き上げ海に堕ちていく機体を見て、相手の死をイメージすることは難しいだろう。 一方、ヴォイド・シェイパの侍 ゼンが握るのは一振りの刀である。 これで敵を殺傷する場合、ゼンは相手の呻き声を聞き、返り血を直接浴びることになる。 そのため、生の人間の死をより強烈に意識せざるを得ないのである。 つまり、戦闘機と刀を比べたときに、 注目すべきは火力の差ではなく、その射程距離(”間合い”)の差である スカイ・クロラのキルドレたちは、照準器の遙か先に”間合い”を持つからこそ、 死は希薄になり、躊躇なく相手を撃墜できる。 そしてヴォイド・シェイパのゼンは、 相手の息遣いすら聞こえる近距離の”間合い”を強いられるからこそ、 相手が罪人であっても生命を気遣い、戦闘を極力避けようとしているのではないか。 相手と対峙する時の物理的”間合い”の差から生まれる、生と死に対する意識の差こそが、 スカイ・クロラシリーズと、この新シリーズの対となるテーマなのではないだろうか。 | ||||
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