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(短編集)
遠野物語
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遠野物語の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.98pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全46件 1~20 1/3ページ
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本は説明の通りです。 | ||||
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中身を覚えていない。京極さんの本は似たようなタイトルがあって、こんがらがる。 | ||||
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これを読んで、遠野物語を読んだ気分になれるなら幸い。ネタバレになるが、よく出るのが座敷童のお話。印象的なのが座敷童が出て行った家はつぶれ、座敷童が入った家は繁盛したというお話。読むと結構不気味。狐話などは、日本版聊斎志異か。 | ||||
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私も山に分け入ってマヨイガに、出会ってみたい。遠野とは関係ないですが、猟師の話を集めた本にも、マヨイガや山の神に会った話が載っていて、そういったものはどこの地方にもあるのか、それとも遠野物語のパクリなのか?と思いました。 | ||||
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読みやすくて面白かったしためになった | ||||
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原作に比べ現代文なので読みやすく 関連がある順になっている 情景も時代も想像しやすかった | ||||
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『今昔物語』を読み終えた後、『遠野物語』が読みたくなった。随分前に柳田國男先生の原作を読んだことはあるのだが、Amazon検索していたら、私の好きな京極夏彦先生バージョンを見つけたので、迷うことなく購入した。 賛否両論のある人であることは承知であるが、私は柳田國男先生も好きである。それでも京極バージョンの方が読みやすく面白いと感じた。もちろん、内容は柳田版も京極版も同じである。集められた民話を同系列に並べ替えるだけ(「だけ」と言っては失礼であろうが)で、ここまで読みやすくなるとは思わなかった。読みやすいから頭にスッと入り、面白みがより濃厚に感じられる。 〈remix〉の次は〈retold〉に手を伸ばしたくなる。ちなみに〈remix〉と〈retold〉というサブタイトルから、映画『マトリクス』のサブタイトル、〈reloaded〉と〈revolution〉を想起するのは私だけだろうか。 | ||||
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すごく良い本です」 | ||||
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最近 小説は ラノベのような 内容のモノしか読まないので なかなか読めない 挫折しました(笑) | ||||
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面白かったです。読みやすいし、原本にも配慮して | ||||
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N.S.Pとあんべ光俊さんの遠野物語をより深く理解できました。 非常に読みやすいです | ||||
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2013年に出た単行本の文庫化。 柳田国男の『遠野物語』(※拾遺はふくまない)を、京極夏彦がremixしている。話の順番を変え、現代的な言葉遣いにし、改行を増やし、再話したものとなる。 原典と付き合わせてみると、かなりの程度で変更が加えられている。原典の持ち味を損なわず、読みやすく、なおかつ京極っぽくするという、なかなか困難な仕事が見事に達成されている。 こうした試みもおもしろい。 | ||||
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「山怪」のブームに乗ってかの有名な「遠野物語」も読んでみました。 まず先に角川ソフィア文庫の「遠野物語・付遠野物語捨遺」を読みました。 古典文体が全く読めなかったら困ると思い、ソフィア文庫版と同時に現代語訳版として買ったのですがソフィア文庫版の「遠野物語」が思っていたより意味のわかる文章で、現代語訳版を読む必要はそこまでないような気はしたのですが、せっかく買ったので読み比べようと思って読んでみました。 ソフィア文庫版の原文と比べると、すごく読みやすい文章で、最初のほうは怖がらせようという意図があるような訳に感じて気になりましたが、最初の一部以外は、原文の「遠野物語」の良さを損なうことなく簡潔でわかりやすく訳されていて、読み進めるうちに話の面白さに引き込まれていきました。 ただ、一番最初に思ったのは、目次がなくて困る、ということでした。 この「遠野物語remix」はソフィア文庫版の「遠野物語」の物語の一話一話に振られた番号を、似た話ごとに順番を入れ替えて掲載されているのですが、せっかく似た話ごとに順番を入れ替えたのに中見出しがありません。ソフィア文庫版は話の番号が離れていても、話の内容ごとに河童の話なら「カッパ…○○、△△(話の番号)」と、わかりやすい目次があって親切でしたが、この「遠野物語remix」は目次がなく、話の順番も入れ替えてあるため、ソフィア文庫版との読み比べもしづらい…。 最後の解説を見ると、「遠野物語」を新しい視点で再編成したもの、というイメージで、CDで言うところのベスト盤みたいな感じなのかな?と思いました。わりと「遠野物語」通向けか、あるいは逆に「遠野物語」を初めて読む人向けの本で、「遠野物語」既読初心者向けではないのかもしれません。 古本で買ったため、本の中盤に濡れたような指紋がべったり着いていて、そこは少し残念でした。すごく安く買ったので仕方ないですね。 | ||||
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京極夏彦氏の作品のファンです。柳田くにお氏の遠野物語も難しいですが、これもまた不思議な世界です。 | ||||
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毎年、夏が来ると、決まってこの物語が読みたくなります。 そう感じるのは私だけでしょうか? うだるように蒸し暑い、蝉のうるさい夏の日の照る午後にこの本のページをめくると、なぜか、自分が見たこともないはずの遠野に立っているような錯覚を覚えます。 どこまでも深く峻厳な岩手の山々にとざされながら、人々は古代のような素朴な生活を営み、1年をさまざまに彩る伝統行事(田植や神様を祀る祭など)を村人総出で行う。 また、空を突くように高い山には背の高い天狗が暮らし、森の狐は行き逢う人をたぶらかし、海で人は時に死んだ妻に会い、時には神様が困った人を助けてくれる・・・。 このような、現代では想像出来ないような土地に、この物語で描かれる人々は住んでいます。 しかもその遠野に語り継がれているという物語はフィクションではなく、本当に誰かが体験した出来事だというのです。 柳田国男さんは、そのような遠野に息づく不思議な逸話の数々を、1冊の本にまとめました。 それが『遠野物語』です。 そしてこの文庫は、その『遠野物語』を人気作家の京極夏彦さんが、柳田国男さんの詩的な擬古文の原文を、現代的な口語文に訳されたものになります。 一読すれば分かるように、原文では読みにくかった古風な文章が、京極さん巧みな筆致で原作の雰囲気はそのまま、見事に生まれ変わっています。さすが京極さんですね。 ところで、この作品には遠野をめぐる様々な短いエピソードが数多く収録されていますが、どちらかと言えば、民俗学の資料集と言うより小説の連作短編集を思わせます。 個人的にはこの作品の続編に当たる『遠野物語拾遺』と同様に、魔術的リアリズムという言葉を思い出しました。 魔術的リアリズムは、ノーベル賞作家のガルシア・マルケスをはじめとする、南米の作家の開拓した、リアルな写実描写と幻想の共存する小説のことです。 (マルケスの『百年の孤独』やカルペンティエールの『失われた足跡』など) ところで、この魔術的リアリズムですが、ときどきファンタジーとの境界が議論の的になります。 魔術的リアリズムは本来、現代美術の用語だそうですが、しかし文学の世界では恐らく、近代的リアリティの視点を持つ書き手によって語られる、前近代のリアリティの世界(脱魔術化以前の世界観)の作品を、魔術的リアリズムと読んでいるようです。 事実、初期作家のガルシア・マルケス、カルペンティエール、アストゥリアスは皆ヨーロッパに住んだ経験があり、現代的な価値観と、前近代的な故郷の世界観の両方を並存させていたようです。 そのため、現代的な世界観の中にしれっと非科学的な現象が現れます。そして、舞台となる土地の価値観=リアリティは一つの歴史の上に作られるので、必ずそのような土地の歴史が詳細に語られます。 (後続作家はその限りではありませんが) つまり今読むと、柳田国男さんの『遠野物語』は、現代でいう魔術的リアリズム文学の要素をすべて持っているといえます。 しかも幻想的な遠野という世界を、そこに伝わる無数のエピソードを連作的に描く事で、独自の文化や歴史を持った土地として立体的に浮かび上がらせています。これはもうソール・クリプキのいう【名指し】ですね。 意図せず、柳田国男さんは、近代的リアリティの視点で魔術的リアリティの土地を描き出すという現代文学の技法を実践し、マルケスより半世紀以上も前にこれほどのクオリティを持つ作品を完成させていた、ということではないでしょうか。 魔術的リアリズムの元祖と呼んでも間違っていないと思います。 無意識とはいえ、すごいですね。 柳田国男、そして京極夏彦さんは、現代人の目を持って古代の世界を描く。その神の視点のような目で書かれた文章を通して、読者は知らずの間に、当時の人々の目で見た幻想と現実の混在した景色の中に立っている・・・。 そこには古代のような手付かずの深い森や川が広がり、神々の住まう空がある。平野の村の屋敷のどこかに座敷童子が隠れ、多くの子供たちの遊ぶ山、亡霊のさまよう浜、古代の遺跡が散在する。大小たくさんの祭があり、夏になれば田植えがはじまる・・・。 そこには遠野が在る。 今年ももうすぐ夏が来るので、この『遠野物語』を読み返そうと思います。 読んだことのない人は、ぜひ、この現代訳版で読んでみてください。 百年以上前の遠野の世界が、今も変わらずそこにあります。 おもしろいですよ! | ||||
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まず、とっつきやすい点が良いと思います。 1ページ1ページがとても読みやすく、好きです。 | ||||
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製品の状態はとても良い 遠野物語は京極さんがわかりやすく書いても難しかったが、原作よりも読みやすかった。 | ||||
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いつか読まねば、の一冊を、なんと大好きな京極夏彦が新釈版を出したとのこと。早速、原典も未読のまま、飛びついた。 ・ ・ ・ うわあ、何と言っていいか幽玄の世界が覆いかぶさってきて、、、ぶるる。 はるか東北の山の奥、遠野の里に語り継がれた、ゆめうつつの物語。 さすがは京極、テンポ良く、あっさりと、奥深く不思議すぎる謎を投げかける。しかもそれはすべて、我々の記憶にある世界。。。 我々の知っている現代の日本とはあまりにも違う、が確かに日本、の物語。 山の民、山神様、鬼、などは、大陸から流れ着いたロシア人やユダヤ人のように解釈すれば何とかなりそうだが、河童って一体 “何” だ? 少年時代、、、 「河童に水の中に引きずりこまれるから、あの山の沼には近づくな」 と言われて眠れなくなった恐怖の夜が、ふとよみがえって眠れなくなった。 日本の奥深いところを語る上で必読の物語。原典もいつか読もうっと。 | ||||
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遠野物語は以前から好きですが、昔あった話として読んでいました。リミックス版は、かつてあったことというより、すぐそこで起きたことのように感じられるのです。言葉の力の強さを感じます。 | ||||
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まず、読みやすくて感動しました。 柳田翁の作品の雰囲気を壊さずに、 見事に現代的に読みやすくなっています。 流石は京極氏といったところでしょう。 ただし、 本作はあくまでも柳田翁の遠野物語であって、 京極夏彦氏の作品ではありませんので、 スリルもサスペンスも、謎解きもどんでん返しもありません。 柳田翁が見聞きした記録が 淡々と続くのみです。 そのあたりをはっきりとさせておいて読むべき作品ですね。 | ||||
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