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デカルトの密室
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デカルトの密室の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.00pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全23件 1~20 1/2ページ
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途中で読むのが面倒になった。初めはシンギュラリティを扱った作品かと思ったが、それは前提だった。むしろAIに心があるかどうかは外形的に判別できないというテーゼを通奏低音として、自我の解放と拡張という主題が奏でられる。AIに自我があってもよい、人間の自我がAIに置換してもよい、その自我がネットワークを通じて世界を包摂してもよいではないか。即ち、アートマンのブラフマンへの合一である。デカルトは言わばダシである。2008年当時としてはたいした作品だが、作者は自分が発狂しないために書いたのではないかと妄想した。 作中、殺人事件が発生するがミステリーではない。サスペンスの要素はあるが、読者サービスであって、本筋は思弁的なサイエンス・フィクションである(と自分は思った)。デカルトのコギトは近代の科学と哲学の出発点だし、心身二元論や機械論的生命観は重要な問題提起だが、なにより作者自身が自我の牢獄に囚われているように見える。ミトコンドリアの染色体を擬人化したデビュー作以来、久しぶりに読んだが、妄想を科学的と誤解させるほど強力で魅力的な筆力は健在である。 | ||||
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ああ、そういう事ね。 この本はMKウルトラの被害にあっている人に読ませたい一冊。 2005年の時点でこんな本があったとは。 | ||||
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難解だというレビューが多いようです。 確かに難解ですが、難解なわりに中に詰まっている知識はとても浅いです。 化学であったり薬学であったり、医学に係わるような分野が少なく、著者の専門で無いのは確かでしょうけれども 込み入った部分まで詳細に描く同著者の他作品に比べると、ひどく見劣りすると思います。 著者の持ち味が生かし切れていないばかりか なぜ登場させたのか不明な登場人物も多く、ストーリーの顛末も粗末なものだったと思います。 書かれている文章のほとんどに意味が無く、どんどん読み飛ばしても展開がわかる内容だというのは非常に残念です。 Kindleで読む最初の書籍にチョイスしただけに残念な気持ちが残りました。 価格にも見合わないと思います。これが半値ぐらいだったら、あきらめもついたかもしれませんが どうにも腑に落ちないのでレビューを書かせていただきました。 | ||||
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作家ではないので推測でしかない。 でも、この作家さんはもしかしたら、 まるで恩返しをした鶴のように、身を削って作品を仕上げているのではないか、 そしてその作品はあたかも、彼の作品世界への試金石なのではないかと思う。 正直、読みやすくはない。 科学の知識がてんこもり、さらにその文章が精緻で、 いわゆる抜けの部分が少ない。 しかも意図的に(のはずだ、多分)一人称の主語が誰を指すのかが曖昧で、 時にその時制までもが緩やか、章と章に起承転結が分かれて配置されている。 デカルトの密室というタイトルの趣旨は理解しつつも思わず、 デカルトの迷宮‥ と、間違って記憶してしまいそうだ。 いやいや、お菓子で言ったら月餅?クリスマスのフルーツケーキのように、 みっちりと重力を感じる、重たい作品。 文章に重力があるとしたら、きっとそれは作家さんの思いに違いない。 真っ向勝負で、受け止められるか? | ||||
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パラサイト・イブ及びブレイン・ヴァレーで壮大なSF長編をヒットさせた瀬名氏の、長編第3作です。 前2作が生物学的なロジックを組み上げた理屈っぽいSF作品だったのに対して、本作デカルトの密室はちょっと趣向を変えて、人間の意識・心をテーマにしたある種哲学的な作品となっています。 主人公の作ったロボットにかなり人間臭い?センチメンタルな言動をさせてみたりして、今までの作品に希薄だった心理的な機微や情念といったものを描くことにチャレンジしているのはわかるのですが、肝心の人間をうまく描き切れていないように感じてしまいます。 主人公や主人公の彼女(いずれも人間)については、状況に対してちょっと違和感を感じる言動が多かったり、心理的な内面の描写がぎこちなかったりと、要するにあまり感情移入できないのです。 人間とは何か?というテーマを描こうとチャレンジしているのですが、人間を人間的に描くことができていない、という気がするのです。 やはりこの辺りの筆力は、いわゆる本職の文系作家には遠く及ばないのかなあ、と感じてしまいます。 なおデカルト以降の近代西洋哲学の議論をベースに形而上学的な議論がけっこうなボリュームで展開される(しかも本筋に大きく関係してくる)ので、哲学論にあまり詳しくもなく興味もない人にとっては、読むのがちょっと大変かもしれません。 厳しいことを書いてしまいましたが、瀬名氏は個人的に大好きな作家なので、感動的なヒューマンストーリーを描くよりも、やはり理屈で押しまくる理系SFの方が向いているのではないか、と感じさせられた1冊でした。 | ||||
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ロボットである「ケンイチ」とロボットの知能にまつわる膨大な議論を中心とした、傑作SFミステリ。ただし内容のウエイトからすればミステリ系SFといったほうがいいかもしれない。 ロボットは考えることができるのか、そもそも考えるの定義とは何か。人間は考えることができているのか、人間は考えることができる、とはどういうことか。ロボットと知能にまつわる話はSFにずっとついて回る大きな主題のひとつであって、本作「デカルトの密室」もそれをメインテーマに据えた、本格的な小説である。 チューリング・テストにおける人間と機械の逆転、フレーム問題、サールによる中国人の部屋、デカルト劇場(カルテジアン劇場のこと?)、比類なき<私>というもの、ウェイソンによる選択課題とコスミデスの実験、ネットを介して拡散してゆく人工知能が描く宇宙像的な進化図、メタ視点問題など、哲学、数学、ロボット工学、認知心理学、ミステリー論を含め多岐にわたる分野から材をとられた溢れんばかりの衒学的思考を前にして初読時にははっきり言って思考停止に陥ってしまったが、いまいちど読み返してみればそれらの知識がただ並べ立てられただけではなく小説の中できわめて有効に活用されていることもわかる。(<私>って永井均のアレか、と実は再読時に気付いた。) こんな中ロボットが関与する殺人事件が起こるのだが、どうやらそれらの莫大なことと関連があるらしい。ミステリサイドではなぜロボットが殺人を犯すのかというホワイダニットを中心に話は進む。 ただ予想通り読み通すのには恐ろしく体力は必要となり、これも予想通りだが評価が低い。 主人公のユウスケもロボットのケンイチも、他の登場人物となる男性もみな自分を「ぼく」と言い、場面転換も結構行われる。このために立ち止まって今しゃべっているこれは誰かと考える回数も増えるわけだが、解説でも言われている通りこれはおそらく恣意的にやっている。ちなみに本作のもう一人の主役と言ってもいいだろうフランシーヌという科学者が、他作者の某作品の某人物に設定が似ているとの話だが、両作を読んでみた限り違うといってよい。いずれも天才という設定だがこちらの方が品も(天才性を示す)描写も段違いに良い。(ついでに言えば「哲学者の密室」より哲学哲学しているが、これはまあよい。) 本作は「第九の日」収録作品の続編にあたる話だが、そちらも併せて読むと尚よいと思われる。いずれもあまり評価されなかった不遇な傑作である。続編が待たれる。 | ||||
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『パラサイト・イヴ』で有名な著者の、SFらしい人間とロボットの違いを描いた長編。この著者は堅苦しく難解な題材をエンタテイメントにしてくれる印象でしたが、今回のこれはひたすら論文調で、やや眠い。登場人物たちが難しげな会話を延々とするだけ〜の展開が続くうえにべつに序盤の会話が伏線になって後半一気にストーリーが! というわけでもなく、辿りついた結論も安易。読んで損したとは言いませんが、徒労感。 | ||||
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「デカルトの密室」という古くて新しいテーマを取上げたので期待は大だったし、瀬名氏の文章の上手さに最初はひきつけられた。 が、いかんせんあんなオチや理屈では風呂敷を畳んでいないではないか。 壁に投げつけようと思ったが、売りに出すため自粛した。 | ||||
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AIもの。この前山本弘の『アイの物語』を読んだが、ここのところ、AIについて読む機会が多い。 『アイの物語』とはAIについての考え方も異なる。こちらのAI論の方がおそらくまっとうなのだろうが、なぜかアイの物語の人間とは異なるAIの知性という考え方に惹かれる。 この小説自体も、すごくスリリングで、あっという間に読み終えた。 『デカルトの密室』は、森博嗣の『すべてがFになる』から始まる真賀田四季シリーズと士郎正宗の『攻殻機動隊』の人形使いの話を思い起こさせた。 | ||||
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極めて難解な小説であるが私なりに解釈すると 意識あるいは自我が密室すなわち精神から出て行くとはどういうことか? というテーマなのだろう,と思う. 「思う」というのは残念ながら十分理解できたという実感がないからだ. とはいえ哲学的なテーマに対して作者らしくよく調べてあるし IT的あるいはおとぎ話的な回答が用意されていて なかなかの意欲作ではある. しかしながら,そのテーマは読者にはなかなか伝わらないのではないか? 内容の難しさもさることながら 不要と思えるような引用が多いし 一人称がころころ変わって誰の視点なのかわかりにくい. たとえば,ロボットの一人称では コンピュータプログラムを擬人化したら こんな風にものを見えてこんな風に表現するだろう,というような 思考実験的な仕掛けがあったら この小説はぐっと魅力的になったのではないか. そのような小説として楽しませる工夫が足りないと感じた. | ||||
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この作品は、背景は押井守監督の『攻殻機動隊』『イノセンス』がちらついて見え、内容では鈴木光司さんの『ループ』とほぼダブる。結局フランシーヌと真鍋は現実世界より下位のネット世界へ自我を解き放ち、そしてネット世界から見れば上位の世界にあたる現実世界を知覚するために、ロボットのケンイチを取り込もうとするわけだが(我々人間から見ればケンイチはロボットであるから現実とネット両方の世界を知覚できるからだ)、結局はつじつま合わせのようにしか思われない。疑問ばかりが残る小説だった。 | ||||
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ほんとうに出そうになりました。 実際、途中までは読んでいくことがかなり苦痛でした。 しかしなんとか話についていき、だんだん著者の主題が明確に理解できるようになってくると、ラストは結構、感動を覚えました。 この小説のジャンルはSFです。 しかしテーマは<自意識>です。 簡単に言うと、哲学者の<デカルト>がとなえた「我思う、故に我あり」という<自意識>に関する哲学命題が、<ネットワーク>と<ロボット>という科学の進歩によって、どう変化するのか? というお話しです。 私はこの小説は、「エヴァンゲリオン」、「攻殻機動隊」という日本が世界に誇る二大アニメに対してのアンチテーゼではないかとにらんでいます。「鉄腕アトム」の逆襲と言ってもいいかも知れません。 どういうことかというと、作者のメッセージをめちゃくちゃ私的に要約すると、 「インターネットやゲームばっかりしてちゃだめだよ。一番大切なのは、人間の愛なんだ!」 となるからです。 星が三つの理由は、著者があまりにもいろんなこと(哲学、科学、ミステリー、小説的なしかけ、パズル的な要素、物語の逆転、などなど)を詰めこみすぎで、ついてくのがほんとうに大変だったからです。 (特に視点の分裂効果を演出するために、小説構成が非常にトリッキーなのはいくらなんでもやり過ぎだと思う)。 しかしもしかするとそれは私が一般人だからで、哲学、ネットーワークなどにある程度精通したかたにとっては、大傑作なのかもしれません。 | ||||
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衒学趣味っぽい、無理やり詰め込んだ感じのある作品だと思います。 いろいろな引用がうざい、とか デカルトとかワケわかんないからとばしちゃえ、とか そういう人にはお勧めできません。 私だって分からない文章一杯あったし、 一人称がケンイチくんも祐輔さんもあとから出てくる敵側の人もみんな「ぼく」だから 数行目かにならないと誰の視点だかわからない場合があったりしました。 そのへんは作者さんがもうちょっと親切というか丁寧に文を組み立ててくれればなあ、 と思ってしまいました。 あと、チェスが分からないので面白みが半減したと自分では思っています。 | ||||
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感想としては、まず、『やっと読み終えた。。。(-_-;)』と言う感じ。 ミステリーの本を読んでいると言うよりは、哲学やら、 ロボット工学(情報工学?)やらの専門書を読んでいるような感覚。 細かい字で、450p超の大作だし、言葉は難解だし、 専門用語で会話する登場人物だらけだし、目線というか、語り手がコロコロ変わり、 場面も行きつ戻りつするので、頭が非常に混乱する話でした。 もともと心理学とか哲学とかに興味があったので、 今まで得た知識も動員しつつ読み終えたという感じ。 こう言うのが好きでない限り話を楽しめる余裕までは出てこないかも。 また、この話自体が、続き物の2作目に当たっていて、前回の話が分からないので、 登場人物の設定が既にされていて、飲み込みに時間が掛かったということもあり。 登場人物もストーリーも魅力的だと思うのに、それを追う前に 大量すぎる専門用語に疲れてしまう。 | ||||
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ロボットというと一般的なイメージとして"機械"の域を出ていない。またロボットの未来予想図として人間と共存している世界を思い描く。 そしてその世界を目指す際に思い至るのがどこからロボットでどこから人間なのか。その臨界点がどこなのか。 本書ではロボットと人間。脳と心の不思議さを物語として、どこか懐かしさも感じる味わいのあるストーリーとして提供している。 | ||||
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チューリングテスト、中国人の部屋、フレーム問題、人間原理といった用語をちりばめて、自我や認識、知能といったことにまつわる考察がこの小説の大黒柱になっています。 人間によって作られたロボットを中心に据えることで、自我や認識をメタ化して扱えるようにした物語作りはアイデアの面で優れているのではないでしょうか。 しかし、いかんせん、最後のまとめがなんだか、予定調和になっていて、主人公たちのように素直でも、心が清らかでもない私は、かえって居心地が悪いような不満が残りました。 あと蛇足ですが、「すべてがFになる」を意識しているような、キャラクターとエピソードが出てきます。これは出版元のマーケティング上の戦略か、筆者のライバル心?、いや遊び心?などと邪推してしまいました。 | ||||
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ロボットものとして購入し、読みましたが、人工知能に関係した、”自己”とは何か?というような話であった。読ませいたいためなのか構成が難しくなって一気に読まないと話の流れそのものがわからなかった気がします。とにかく読み応えというか、読んでみて”自己”とは何かと考えるきっかけにはなると思う。 | ||||
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サイエンスのバックグランドという著者の経歴を信用して 楽しみにしていた人も多いと思いますが、 ちょっと難解すぎませんか。 デカルトの話についていける人が読者にどれくらいいるのでしょう。 ストーリーは楽しめるのですけど。 もっと他に書きようがあるのでは。著者らしさを 出そうとするとこうなるのでしょうが。 でも、最後まで読んで、難解だから もう一回読もうと思って、最初から読み返したら 一度目より格段に楽しめましたよ。 そういう小説なんだと思いますよ。 | ||||
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密室に監禁された祐輔を救い出すため、祐輔の作ったロボットの ケンイチは人を射殺してしまう。ロボットとして決してあり得ない、 そして絶対にやってはいけない行為だった・・・。人とロボットの 違いは?そして心を持つとは?人間の本質にも迫る作品。 体に脳が閉じ込められている。ひとつの体にひとつの意識。このことに ついて何の疑問も持ったことはない。だが、「なぜひとつの意識しか 持てないのだろう?」という疑問を投げかけられたとき、いったい どう答えればいいのだろうか?この作品には、「意識の開放」そして 「心」の問題が取り上げられている。ロボットはどこまで人に近づける のか?そういう問題とからめて描かれている点はとても興味深い。 だが、難解だし長い。読むにはかなりの苦労と時間を要した。理解しようと することに精一杯で、楽しんで読める作品ではなかった。 | ||||
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無残な失敗作。 意識と心身問題は小説の題材としては目新しく、興味を誘うが、取材で得た知識を吟味せずに取り込みすぎた観がある。物語に不必要な情報が多すぎて、衒学的で鼻につく。それらの理論をもとに本来のSF小説的な空想を展開すべき部分は登場人物のセリフで語られるのがほとんどで、具体的なイメージも実感も伴わない。 構成も滅茶苦茶で、ストーリー上必要な場面を記述することを怠り、後からその場にいなかったキャラクターが「こうだったんじゃないか」と想像することで済ませたりしている。また、三人称叙述と、何人かの一人称叙述が混在している。二人の異なるキャラクターの一人称の記述にどちらも「ぼく」という代名詞を使って読者を混乱させている。こんなことアマチュアでもやらない。小説以前の問題である。 「指輪物語」「スウィングガールズ」「シャム双生児の秘密」など、本書の主題とは何の関係もない他の著作物からの引用、転用がうんざりするほど多い。これらは遊びである。「2001年」のチェスについても同様だが、それがこの小説と無関係なことに作者は気づいていない。 瀬名先生、研究か創作、どちらかに集中されたほうが良いのではないですか? あとがきで人工知能や倫理学について述べた「私の専門外の分野」いうことばは、プロの作家のものではありませんよ。 | ||||
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