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(短編小説)
黒猫
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【この小説が収録されている参考書籍】
黒猫の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.41pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全63件 1~20 1/4ページ
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子供のリクエストで購入しました。 たくさん読んでくれています。 | ||||
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流麗な文体を堪能しました。三島由紀夫の読後感を思い出します。 | ||||
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まぁグッド。(`・∀・') | ||||
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エドガー・アラン・ポーの「黒猫」は、ゴシック文学の中でも特に傑出した作品です。この物語は、酒に溺れた男が愛猫を殺害し、その後、罪悪感と恐怖に苛まれる様子を描いており、ポー特有の暗く、緊張感あふれる筆致が色濃く出ています。 物語はかつて優しかった男が酒乱となり、愛猫プルートに暴力を振るうところから始まります。彼の行動は次第にエスカレートし、最終的には猫を殺してしまいますが、その行為が彼の運命を狂わせることになります。新たに現れた黒猫は、前の猫とそっくりでありながら、一つ違いがありました。その猫は胸に白い斑点を持っていたのです。 この物語を読む際、私は、主人公の精神の崩壊を目の当たりにして、彼の心理に深く引き込まれてしまいました。彼の罪悪感と恐怖が、まるで自分自身のものであるかのように感じられます。ポーは、心理に巧みに訴えかけることで、恐怖を増幅させる術を見せつけます。そして、その恐怖はただの外的なものではなく、内面から湧き上がるものであることを教えてくれます。 本作の作風は、人間の心理を深く掘り下げ、罪と罰、そして自己欺瞞のテーマを探求しており、単なる恐怖小説以上のものです。ポーは主人公の行動を通じて、私たち自身の内面に潜む暗黒面に光を当てます。そして私たちがどのように自己正当化を図り、真実から目を背けるかを描いているのです。 | ||||
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むかしむかし、中学校の図書室にあったので【黒猫】を読んだ。とても懐かしかった。何十年経っても名作は記憶に残っているものですね。 | ||||
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ポーの作品を読みたくて購入しました 人によっては気持ち悪いと思われるかもしれませんが面白かったです | ||||
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奇病、幻想、堕ちた貴族、精神病理、信用できない語り手、夢オチ、甦る死体。 そして長年未解明だった『数奇なるポーの生涯』。 幅広くエンタメの原点が詰まった名作。 江戸川乱歩が好むわけだわ。 | ||||
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久しぶりにポーを読んだ。 新訳であり、訳者あとがきによるとポーの原文の凝りにこだわって訳出したという。確かに、訳語の選択やリズムに工夫を凝らした訳文のように感じる。 また、各短編ごとに作品解題が付されているうえ、巻末には「数奇なるポーの生涯」として長文のポーの伝記が掲載されており、とても参考になった。 この第1巻は「ゴシック・ホラー編」と銘打たれており、グロテスクな怪奇譚や復讐劇が多い。 ほぼ同時代のホフマンのロマン主義的作品を想起するが、ホフマンよりもポーのほうがホラー色が強い。 『黒猫』は動物虐待が、『跳び蛙』は障害者虐待がテーマとなっているが、いずれも虐待者に対して恐ろしい復讐がなされるところに、虐げられた者たちの復讐劇の誇張されたカタルシスを感じる。 なお、『跳び蛙』に登場する小人症の道化は、ベラスケスの有名な絵画『ラス・メニーナス』(侍女たち)にも描かれているように、古くから宮廷で使われていた。しかし、こうした障害者の道化が自らの人格と意思を持った存在として描かれ、王と廷臣に復讐までするというストーリーはやはり近代的なものだろう。 | ||||
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1800年代前半にこのような天才的ミステリー作家が存在していたことは驚きである。 アラン・ポーの作品は子供のころから何度も読んではいたが、奇怪なストーリーに気を取られて、彼の深い洞察力や科学的視点による論理的推理などには注意していなかった。 今回新訳が出たことで久しぶりに読み返してみたが、これほど面白い傑作であったのかとあらためて感心した。知性と感受性と遊び心に溢れている。 河合祥一朗の新訳は、ポーの魅力を十分に引き出す名訳で非常に読みやすかった。ポーを理解するうえで、訳者の尽力は大きいと思う。巻末の解説も大変参考になった。最大のミステリーは、エドガー・アラン・ポー自身の人生のようだ。 ゴシックホラー編「黒猫」、奇怪ミステリー編「モルグ街の殺人」と2編併せて読まれることをお勧めします。アラン・ポーが後世の世界中のミステリー小説の源泉であることがよく分かります。 | ||||
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エドガー・アラン・ポーの怪奇・幻想小説をメインに取り上げた第1巻。会話文はじめ、現代的な言い回しで、読みやすい訳文だと感じました。雰囲気はとびきり素晴らしかったんだけど、文字がめちゃくちゃある感じで、読みづらくもあった創元推理文庫の『ポオ小説全集』がいまだに忘れられないせいか、余計にそう感じたのかもしれないけれど。 今回久しぶりにポーの小説に接してみて、じわじわ盛り上げていく話のスリリング感、ただならない緊迫感は、やはりすげぇもんがあると唸らされました。 「アモンティリャードの酒樽(さかだる)」「メエルシュトレエムに呑まれて」「落とし穴と振り子」「ウィリアム・ウィルソン」の四篇が面白かった! ぞくぞくしながら頁をめくってました。 一方、三つの詩、「大鴉(おおがらす)」「ユーラリー」「ヘレンへ」は、わたしはダメでした。脚韻をきちっと踏んで日本語に置き換えた訳文は悪くないと思いますが、心に訴えてくるものがなかった。ポーの詩は、どうもわざとらしい、鼻につくものがあって、わたしにはその良さが分かりません。 収録作品と初出年、最初の一文(詩は、冒頭の一行)を記しておきます。 ⚰️ 赤き死の仮面(1842) 《「赤き死」は、その国をずっと荒廃させてきた。》 ⚰️ ウィリアム・ウィルソン(1839) 《自分のことは、ひとまず、ウィリアム・ウィルソンとでも名乗らせてもらおう。》 ⚰️ 落とし穴と振り子(1842) 《吐きそうだった──私はあの長い苦悩の末、死にそうに気分が悪くなったのだ。》 ⚰️ 大鴉(1845)※詩 《嵐の夜更けに、読み耽る、》 ⚰️ 黒猫(1843) 《これから書き記そうという、まったく奇怪でありながら日常で起こった物語を、信じてほしいとも、信じてもらえるとも思ってはいない。》 ⚰️ メエルシュトレエムに呑まれて(1841) 《ようやく最も高い岩山の峰に辿(たど)り着いた。》 ⚰️ ユーラリー(1845)※詩 《独(ひと)りの頃》 ⚰️ モレラ(1835) 《友モレラには、心からの、だが極めて特異な愛情を抱いていた。》 ⚰️ アモンティリャードの酒樽(1846) 《これまでフォルトナートから一千回もひどい目に遭わされ、じっと我慢に我慢を重ねてきたものの、あからさまな侮辱を受けたとき、私は復讐を誓いました。》 ⚰️ アッシャー家の崩壊(1839) 《その年の秋、威圧的な雲が垂れ込め、どんよりと暗く静まり返った妙に侘(わび)しい田舎道を、私は独り、一日かけて馬で進んでいた。》 ⚰️ 早すぎた埋葬(1844) 《ものすごくおもしろいのだが、真っ当な小説の主題とするにはおぞましすぎるものがある。》 ⚰️ ヘレンへ(1831) 《ヘレン 御身(おんみ)の美しさ》 ⚰️ リジーア(1838) 《リジーア嬢とどのように、いつ、そして一体どこで知り合うようになったのか、どうしても思い出せない。》 ⚰️ 跳び蛙(1849) 《この王様ほど冗談好きな人を私は知らなかった。》 巻末に、「作品解題」「数奇なるポーの生涯」「エドガー・アラン・ポー年譜」「訳者あとがき」を掲載。訳者による「数奇なるポーの生涯」は、36頁になる詳細なもの。 また、文庫表紙カバーのイラストは、アレクサンドル・スタンランの手になる黒猫の絵。 | ||||
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どれも短編で気軽に読むことができ、それでいて人間の闇に迫ったような奥深さがあります。 | ||||
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高校生の頃、東京創元社の『ポオ全集』を開いては居眠りをしてました。生硬な訳文になかなか骨が折れました。ところが、この河合祥一郎先生の翻訳は、すいすいと読めます。素晴らしい! ポーを読むならこの新訳をおすすめします。詩がいくつか含まれているのもよいです。詩については古色蒼然たる雰囲気をかもしだす語彙のチョイスです。なかなかのカッコよさ。ポーはアメリカ文学史だけでなく、世界の文学に大きな影響を与えた重要な作家ですので、読んだことのない人はぜひ。解説もよいです。シェックスピアも河合祥一郎先生の翻訳が一番好きです。 | ||||
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本当に赤死病の仮面は読んだ方がいいと思う 映像がここまで鮮明に頭に浮かんで、それが本当に美しかった物語はこれ以外に知らない 訳文読んでるのに映画を見てるみたいだった 恐ろしさが全く先に立たない、ただ美しい晩餐の光景と色が頭に浮かんで、オチなんか分かっちゃうんだけどとにかくそんなんじゃなくてって感じ | ||||
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来月の「100分de名著」聴講予習のため一読。『黒猫』なんて大昔に読んだ記憶がありましたが、すべてすっかり忘れていて唖然。以下、各篇ごとのコメントということで。 『黒猫』: 改めて読むと陳腐な作品。猫が入っているのに気づかないなんて、あり得ない。 『赤き死の仮面』『ライジーア』: 途中までの盛り上げ方(描写)は確かに筆力を感じたが、結末が「なんじゃこりゃ」という感じ。 『落とし穴と振り子』: 通俗的には、本書の中で一番面白かった。映画的というか、1842年初出として、その頃としてはかなりぶっ飛んだセンスだったのではなかろうか。(評者だったら、最後のあがきで「木のベッド」(105頁)をかすがいにして壁の接近をブロックしようとしただろうなと想像した。) 『ウィリアム・ウィルソン』: 悪くない。だが、個人的には、映画『世にも怪奇な物語』でルイ・マルの手になる「影を殺した男」の方が怖く、かつインパクトもあった。 『アッシャ家の崩壊』: こちらも非常に映像的というか、オリジナリティに満ちた恐怖譚。その後における文芸・映像作品の「原型」を創造したとも云えようか。最後の崩壊シーンなどは、安っぽい映像よりもずっとイメージが喚起される。 本書の作品収録順は初出年に従っていない。私見では、『黒猫』でまずは読者を引き込み、『赤き死の仮面』で「なんじゃこれ」と思わせ、その後は次第にボルテージを上げていくという構成が妙。感激度と翻訳の読みやすさ(語と語の関係性など、ところどころ日本語がおかしくないか・・・)の点では星4がせいぜいなのだが、じわじわくる後味の重厚さに加え、ここはやはりEAPに敬意を表して星5とする。 | ||||
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『黒猫』主人公「私」の陋屋にての独白 ◇◇◇ 私は卑怯な人間である。小説のうえでは、「酒癖という悪鬼」の所為にしてしまったが、その実、私は極めて偽善的で、幼いときから、他人によく思われようと心にもない善行、もしくは善人ぶった振る舞いを行うようにしていた。 そのお陰もあってか、私は人にも善人と思われ、動物にも慕われるようになった。若くして一緒になった妻もその一人だった。彼女は私と違い、芯から動物が好きだったが、私も動物好きな優しい人間だと信じて疑わなかった。善人を演じている自分がときに煩わしく思われたが、酒を飲むと、その煩わしさからくる苛立ちが少しは収まった。 しかし、好きでもない女が自分に親切にしてくれるのと同様の、いわば有難迷惑な煩わしさはいつまでも消えなかったし、善人を装えば装うほどにまつわりついてくる、心のどこかのわだかまりはますます私を苛立たせ、癇癪を起させずにはいなかった。 ひとは自分に懐いてくる人間には寛容だが、ひとたび牙を剥けば、その時点で事態は一変する。すなわち、子飼いの犬も家族の一員ではなく、ただの犬コロと化す。飼い主に爪を立て、牙を剥くことは許されない。 本来は好きでもないのに動物愛に満ち溢れた人物を演じていただけに、一皮剥けばその本性は剥き出しになる。生意気なやつがいれば、そいつの生皮を剥ぎ、目ン玉をくりぬいてやりたくなるのだ。 俺さまという主人に盾突くとは何事だ。妻にしても、そうだ。主の私を差し置いて、単なる獣に過ぎない猫の味方をし、それを庇うなど許されることではない。 私は神なのだ。私に逆らうものは、すべて私の敵であり、死すべき運命にあるのだ。私は私が私であることを証明するために、そして下僕があくまでも下僕でしかないように、私に逆らう者は死をもってそれを償うのだ。私は私が神であり、それを為すことによって自らの正しさを証明したのだ。 ひとびとよ、私を見よ。私は自らの犯した偽善を自らの罪として贖った。私は明日、刑に処せられるが、それは敗北の徴ではなく、神としての贖いの死なのだ。 | ||||
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生々しい恐怖が細かく書かれていて、夜に読むのは危ないほどのリアルさです。 まるでその状況に自分がいるようです。 | ||||
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中古を購入したのですが、新品同様で、リーズナブルな価格にまず満足です。内容も子供向けなので、解説が親切で、こんな良い本とは思いませんでした。大満足です。 アマゾンの良いところは、中古品がとても充実していることです。 | ||||
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このページでは本書にどんな作品が収められているかわかりません。 紙の文庫のページにはありました。 目次 黒猫 赤き死の仮面 ライジーア 落とし穴と振り子 ウィリアム・ウィルソン アッシャー家の崩壊 解説 巽孝之 年譜 この6作でした。 参考までに。 | ||||
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親友・小栗作郎の「こういう時だからこそ、あなたの『ペスト』と『赤死病の仮面』の読後感が知りたい」という甘言に乗せられて、『黒猫・アッシャー家の崩壊――ポー短編集Ⅰ ゴシック編』(エドガー・アラン・ポー著、巽孝之訳、新潮文庫)に収録されている『赤き死の仮面』を読みました。この作品は、黒死病(ペスト)をもじった『赤死病の仮面』と訳されることが多いのだが、本書の訳者は、敢えて『赤き死の仮面』としています。 「『赤き死』なる疫病が国中を蝕むようになってから、もうずいぶん長い時が経つ。これまでいかなる疫病も、これほどの殺戮、これほどの災厄をもたらしたことはない。鮮血はその化身にして紋章だった――それは真紅にして恐怖の象徴だった。まずきりきりと身体が痛み始め、いきなり目眩に襲われ、やがて毛穴という毛穴からおびただしい血があふれだし、ついには息絶える。犠牲者の身体や顔が真紅の斑点だらけになれば、それが疫病の証となり、いっさいの救援も、仲間たちの同情すらも受けられなくなっていく。そしていったん発症したら最後、病が進行し最終目的を遂げるまでには、ほんの30分ほどしか要しない」。 「ところが国王プロスペローはといえば明朗闊達、しかも才智に長けていた。その国土から臣民の半ばほどが死に絶えてしまったのちのこと、彼は自身の宮廷に仕える騎士たち、貴婦人たちのなかからまだ矍鑠として陽気な友人たちを数えきれないほど招き寄せ、彼らと連れ立って、自身の暮らす巨大な城郭のうちでも奥の奥へと引きこもった」。 「城の奥へ隠遁してから5、6ヶ月が過ぎ去ろうとしたころ、そして城外では疫病がいつになく猛威をふるっていたころのこと、プロスペロー王は大勢の友人たちをもてなすべく、異常なほどに豪華な仮面舞踏会を催した」。 それまで全く目立たなかった、ある仮面の人物に注目が集まり、反感、驚愕、恐怖、憎悪、嫌悪感が露わになります。「その人物は長身痩躯で、頭のてっぺんから爪先まで、経帷子をまとっていたのだ。その表情を覆い隠している仮面は死後硬直の顔そっくりに似せているため、どんなにじっくり観察しても偽装とは気づきにくい。だがこうした出で立ちもすべて、まわりのほうも気の狂れたような仮装者たちであるから、受け入れられずとも耐えきれる範囲内であった。ところがこの無言劇役者が限界を踏み外しているのは、『赤き死』の化身を気取っているところにある。その衣装は血にまみれ、広い額及び顔の全面に、恐るべき鮮血が斑点を成していたのだから」。 怒りに任せて、この闖入者に向かって短剣を高く掲げたプロスペロー王に何が起こったか、そして、この仮装者の正体は――あまりの恐ろしさに、私には、どうしても口にすることができません。 | ||||
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卒業論文にとても役立ってすごく気にっています! | ||||
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