■スポンサードリンク


好き好き大好き超愛してる。



新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!

好き好き大好き超愛してる。の評価: 4.18/5点 レビュー 71件。 Cランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点4.18pt


■スポンサードリンク


Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全60件 1~20 1/3ページ
123>>
No.60:
(5pt)

他のも読んでみたい

著者の本を初めて読んだけど、独特な語り口がある意味真を突いていて、好きです。
夢の世界にいるみたいに、情景と心情がふわ〜っと入ってくる。
あ、そうそう、こんな感じ、と思う。
現実はこんな感じで、まったく切り分けられずに続いていくし、捉え方も、ある部分はあいまい。
鋭いなあ、と思いながら読んでます。
好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)Amazon書評・レビュー:好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)より
4061824945
No.59:
(5pt)

芥川賞なんかにはもったいない

作者や出版社にとっては賞を取れた方が良かったのでしょう。
ですがファンとしては安っぽく批評されるより、感性をアップデートしない大御所に隠されてしまった名作であってくれてよかったと思います。

独特の世界観で意味が分からない部分も多々あるのに共感してしまう。
じんわりと、執着も悲嘆も醜悪さも受け入れた恋と愛が紡がれて沁みてくる。
表紙と紙面のギャップに最初は驚きましたが、改行を許さないほどの愛情が表現されているようにも感じました。

身近な人の死を経験したばかりの人には辛いかもしれません。
ただ死にまつわり死を取り巻く人々の心理をよく理解されて綴られた物語だと思います。
言葉で愛を表現できる人間だからこその愛のかたちや感触に心がふるえるすごい作品でした。

これからもずっと応援していきます。
好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)Amazon書評・レビュー:好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)より
4061824945
No.58:
(4pt)

よい!

とにかくよい!
好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)Amazon書評・レビュー:好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)より
4061824945
No.57:
(5pt)

バカにされたって構うもんか愛してるんだよ❤️

祈りとはこうなってほしいと未来に向けてされるものだが小説という形で過去に向けても祈る。と冒頭にある。1文1文にまさに祈りを込めているかのように〝。〟のあとに1スペースが空けられている。それは1文1文に愛を感じてほしいという書き手の祈りだろう。しかし感嘆符のあとにスペースを空けないのは相変わらずの舞城流で、そこはやっぱり空けないんだと思わずクスッとしてしまう。

「智依子」の章では、死に臨み壮絶な手術を繰り返している本人側からの自分の身体に対する感覚と、その人を大切に思っている他者側からのその人の身体への感覚の違いについて書かれてある。
自分が他者とは決して同一になれないゆえ、それは天地がひっくり返っても埋めようのない懸隔だろう。
大切に想う他人の死、本人の死、その両者の苦しみは美を共有することでほんの少し癒される。その美は石原哲朗の日本画「京彩」を思い出されると「智依子」の最後に結ばれているが、もちろん架空の画家であり、創作、つまり過去への祈りが愛を生み出すことを示そうとしている。

「柿緒Ⅰ」では祈りは欲しいものを欲しいと言うことであり、祈りはなにも実際には期待できない無欲な行為だとされている。同時に言葉にして祈ることは永劫の価値があるともされる。
気持ちを言葉にして伝えなかったことで蝕まれることがあるともしている。
柿緒の弟は火葬のときにお棺に飛び乗って「柿ちゃん燃やすな」と言って泣いたが治は周囲の視線を憚ってそれができなかったという悔しさがあり、周囲の目を気にする気持ちや、物事から距離を置いた冷静な判断などは、かなぐり捨ててがむしゃらに愛することこそ、本当に愛することなのだという示唆がある。
ここでこの小説のテーマがはっきりと提示される。

「佐々木妙子」では対象がなくても、より正確にいうなら対象が夢の中の少女であっても好きという気持ちが生まれうることが書かれてある。人間は自己のみの心の仕組みの中に愛というものを感じ、生み出す仕組みが、もうすでに組み上がって存在しているということが、非常に巧みに鋭く描かれている。

「柿緒Ⅱ」では愛する(愛される)人が死んでしまったあとのその「愛」の取り扱いについて書かれてある。愛はしばらく残るがそれは消えてしまう。記憶という形に変わっていく。なぜなら生は記憶に縛られるほど脆弱ではないからだとある。
しかし、柿緒は死んでからも一年に一度、治の誕生日の前日に手紙の届く契約を100年結んでいる。その行為は愛がいつか消えることはわかっていながらそれでもそれをほんの少しでも長く縛り付けておきたいという柿緒の祈りである。
治ももう柿緒以外は愛さないし、自分は柿緒だけを愛して一生を終えるべきであり、命を断って同時に逝くべきなのだが、それでも生き延びることは正しく、正しさと間違いが同時に存在するという境地に至る。
そのことは、一瞬でも気持ちが通じ合わせることができたのなら、結果に関わらず、例えのちにその気持ちが消えたとしても恋愛成就なのだという、夾雑物を取り除いて恋愛するという営みのみを掬い取ってその価値を高め、讃歌することに繋がっている。

前章で愛が消える可能性を提示したうえでの「ニオモ」ではパートナーが代わることが前提としてあらかじめ了承されている世界が描かれる。神に戦いを挑むアダムとイブは恋人同士という関係が単に形式化されてしまっている現実の一面を象徴している。そのパターンとしてのひとつである別れ(死別)も、必ず起こるもの、その哀しみは時間によって解消されるもの、そしてそれが当たり前となっている世界とその世界での〝俺〟が描かれている。戦うべき神とは人生そのもののメタファーだろう。
〝俺〟はニオモを愛しているということに実感や自覚や自信を持てない。ニオモが死ぬことでようやくその愛がとてつもなく大きかったことに気づく。失われて初めてその人をどれだけ愛していたのかがわかる愛の形もあるということだ。
「柿緒Ⅱ」で愛が消えていく性質を持つものだと飲み込んで必然的に消化されて新しい法則として形式化されてしまうところを、やっぱり嫌だと、拒否して吐きだした章である。
小説の持つ虚構を、ファンタジーにしてさらに深めることにより、もっとバカになって人を愛せよという舞城王太郎のメッセージがまたもやストレートに届いてくる。ちなみにこの〝俺〟は石原君であり、京彩の画家、石原哲朗と微妙にクロスさせている。

「柿緒Ⅲ」では、治は柿緒の柿の字を持った登場人物を小説で描き、それが喧嘩をする三人姉弟だったことで、柿緒の弟、賞太と慶喜から絶交される。治は小説は現実のことではないし、魔法や幽霊や宇宙人が出てくる小説を、子供騙しくせーもんがいったい何表すんだと、非難されて、子供臭い何かを表すんだよと答える。語弊があるかもしれないが子供臭い=バカになること、でもあるだろう。
この章に至り、では小説という虚構で愛の在り方を語ってきたが、それははたして正しいことなのかどうか根本的なことに命題が掘り下げられる。
その小説を読んで自分の実際と重なり嫌な気分になる人がいるとしても書くことは正しいのか? 書くことは現実から逃げていることなのか?あるいはいいネタになるという気持ちで柿緒の苦しむ病室で小説を書いていたのか?
〝僕は本当に起こったことは書かない。 僕が書くのは起こりえたはずなのに起こらなかったことかそもそも起こりえなかったからやはり起こらなかったことだけだ〟〝《死》の在り方についての確かな感触は小説に書き写しておきたい〟〝僕が小説に用いるのは僕の人生に起こったあらゆることであって、僕の人生に起こった特別なことではない。 僕は小説を書くために生きているのではなくて、生きていて小説を書いているのだ〟
とし、やや強引に乗り切ろうとしているが、「智依子」の章が活かされており、ここでは治の書いた小説「光」とされていて、誰かを殺そうとも明かりというもの、爆弾の線香や火事の炎や火山の噴火は、美しく、美というものは倫理とは別のところにある、ただし批評は倫理とともにあるとし、正しさが並列している、と抜け目なくエスケープしている。ここでいう美とは、明言していないものの小説を含む芸術全般のことだろう。
しかし、ここで本作が発表された時期に巷間に溢れていた愛する人を殺す(病気で死んでしまう)小説群へのアンチテーゼを発してもいるところは心憎いところだ。芸術まで昇華されていない陳腐な小説ならば無闇矢鱈と登場人物を死なせるなよとの批判の気持ちや、作家としての矜持がうかがえる。

柿緒は生前、治を病院に残して外出して、秘密の1日を作る。柿緒が逝ってからも、あの日柿緒は何をしていたのだろうと、治は想像して、小説の形にしない物語を、愛を紡ぎ続けている。
このラストで物語=愛は証明される。
好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)Amazon書評・レビュー:好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)より
4061824945
No.56:
(4pt)

短編もの

文字も大きいし、行間もあるし、この本の世界に慣れなくて‥しばらく読んで正直『失敗した』と思った。
この世界に慣れてくると途端に面白くなる。

この表紙と本の世界観が違いすぎる。表紙って大事なんだなって思う。
好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)Amazon書評・レビュー:好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)より
4061824945
No.55:
(5pt)

人を思いっきり好きになるっていいよなぁって思います

百物語など最近の作品を読んで、昔のものを読みたくなって改めて読み返しました。

"愛は祈りだ"と、喪失の悲しみを振り切るように、愛というものの美しさが書かれており、若さを感じる一方、それぞれのキャラクターの真っすぐさに心打たれました。
好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)Amazon書評・レビュー:好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)より
4061824945
No.54:
(4pt)

愛は祈り。2009大学読書人大賞 受賞作品

読む人を選ぶ作家さんだと思う。
何回も芥川賞候補に入っているけど、芥川賞も取れないのも、なんか納得というか。

文学とはなんぞやという定義は人によって違うのだろうが、私にとっては、これは文学です。

愛というのは突き詰めれば一方通行。
できることは祈りしかない。

独特の文体とぶっ飛んだストーリーで、愛を感じたい人は、ぜひ一読を!
好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)Amazon書評・レビュー:好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)より
4061824945
No.53:
(5pt)

99.999%の恋愛小説

このレビュータイトルを見て、既視感を覚えた人もいるだろう。かの有名な「ノルウェイの森」のキャッチコピーである。

だが、そもそも100%の恋愛小説など存在し得ない。愛情はそれ自身では測定できないからだ。

恋愛小説と呼ばれるものは必ずといっていいほど別に主題を持っている。

「私と仕事どっちが大事なの!」というありふれた言葉(類似語は本書にも出てくる)は、「私」を愛していること、を仕事(という一般的に重要なもの)と相対化し、かつ愛情を優位に置くことでその大きさを測っている。

時間、体、言葉、お金…。自分の所有する、あるいは与えうるさまざまな物と比較することによって、愛情の大きさを人は知ろうとする。逆説的にいえば愛情の大きさは他のものとの比較によってしか知り得ない。

その最大なるものが「生」だ。客観的に命よりも大切なものなどない。命よりも大きいものなどない。

だからこそ「女の子が死ぬ話」が成立する。愛する側も愛される側も、死ぬ側も生き残る側も、生殖という生物学に重要な観点から考えたとき、また生命の維持という観点から考えたとき、双方が恋愛することは無益だし、無価値だ。

だが、その無価値さ、無益さが愛情の意味を重くする。だからこそ「女の子が死ぬ話」は10年に1度くらいのペースでヒットしてしまう。

本作はそんな「恋愛小説」のあり方に疑問を投げかけ、愛情を絶対値で測る「試み」である。作者は明晰な人なので、「試み」が「試み」で終わることを書きはじめる前から知っている。いくら、愛情を相対化する要因を削り取ったところで、愛情を絶対値で測ることなど不可能だからだ。

だが、作者も、主人公もその愛情の純度を高める努力をする。それは物語を書くことであり、祈ることだ。だからといって、書いた結果、祈った結果、愛情を絶対化することが叶うわけではない。

しかし、祈ること、物語を書くというプロセスそのものが愛情を絶対値に限りなく近づける。これが作者の主張だと私は思う。

これからも恋愛小説は書き続けられるだろう。本作より優れた作品も出てくることだろう。だが、本作より純度の高い恋愛小説は生まれないと断言できる。それは愛情が前述した性格を持っているからだ。
好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)Amazon書評・レビュー:好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)より
4061824945
No.52:
(5pt)

純文学

まず、この題名に表される当作品の「稚拙さ」の意味について言及したい。
この題名について、基本的に舞城氏のファンであるとかこの作品を知っているという訳でなければ、「すごく良さそうな題名だ!」とはならないだろう。題名とおなじく、文体もまた硬派なものではない。むしろ稚拙である。しかしその稚拙さに意味があるのだ。もっと言えば、意味を与えられているのだ。
それは「くだらない大衆文学へのアンチテーゼ」であり、それっぽい顔をした文学もどきへの激烈なまでの批判だ。正しそうな言葉で描く間違い、正しくなさそうな言葉で描く正解、そこにある断絶や美しさを真に見抜けるものはそれを知っているものだけなのだ。目が見えない人間に「青の反対の色だよ」と言ったところでそれは赤ではない。言葉が経験をもたらすことはない。
それは愛についても全く同じなのである。常に言葉は何かを伝えきれずにそこにある。そこに映るのはいつでも読み手の内側にあるものだけだ。なにかを美しいと思う時、その美しさはすでに読み手が獲得しているはずなのだ。自分の中にないものを物語の内側に見た気になって盲目的な信仰を寄せる大衆への、痛烈な批判がここにあるように思う。この物語で語られる愛は、ことごとく、端から端まで一部始終完璧だ。どんなくだらない言葉で書いても変わらないその事実を、あえて稚拙に描く。「それっぽいもん見てわかったフリしてる偽物は本物の愛なんて知らないんだ」という叫びが聞こえる。それは作者の意図とは無関係に、物語が与えてしまう不可避の寓意である。
好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)Amazon書評・レビュー:好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)より
4061824945
No.51:
(5pt)

叶わぬ恋や失恋した人も共感できるかもしれない

どれだけ読み進めるのが辛いのだろう…とレビューを見ながらも、怖いもの見たさに購入しました。
たしかにぶっ飛んだ小説でした。

私は最近失恋をして大きな喪失感を感じていましたが、この小説を読み、大切な存在がいなくなってもなお人生は続いていくものだ、愛はお返しがなくても愛なのだ、恋愛は2人でするものであるが独りよがりな愛もまた愛なのだという共感を得ました。
死について書いてありますが、大切な存在を失ったという点で、前に進むきっかけをくれたように感じ、心にそよ風が吹いています。

常人には到底思いつかない表現や話の展開が多く、短編がいくつも合わさっているので、世界についていくのが大変でしたが、得られたことはシンプルに私の胸に刺さっています。

また愛とは?と迷ったらこの本に戻ってくるかもしれません。
好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)Amazon書評・レビュー:好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)より
4061824945
No.50:
(5pt)

独特な文章、構成の恋愛小説を探す誰かへ

"愛は祈りだ。僕は祈る。僕の好きな人たちに皆そろって幸せになってほしい。それぞれの願いを叶えてほしい。温かい場所で、あるいは涼しい場所で、とにかく心地よい場所で、それぞれの好きな人たちに囲まれて楽しく暮らしてほしい"2004年発刊の本書は、著者の初芥川賞候補作にして恋人の喪失を題材にして描いたメタ恋愛小説。

個人的には、著者の小説は初めて読んだのですが。インパクトとのある表題、イラストとは違って【優しい言葉が印象的な冒頭の文章】から始まる本書は、作中では明言されていないものの、恋人を看病する主人公の小説家が書いたSFやダークファンタジーといった創作 (小説のなかの小説)が「柿緒Ⅰ」「Ⅱ」「Ⅲ」の【エピソードに挟まれるメタ構成】になっていて。流れていくような独特のテキストと共に不思議な読後感を与えてくれました。

また本書を『世界の中心で、愛を叫ぶ』のアンチテーゼとして比較する意見もあるみたいですが。私自身はむしろ、作中で亡くなった恋人の弟たちに"自分たちをモデルにした話を書くな"と主人公が迫られる後半には、同じく著者自身の恋人の闘病生活を美しい日本語で描いた堀辰雄の『風立ちぬ』。あるいは印象派のモネが亡くなった恋人、カミーユの死出の姿を病床で描いたエピソードなどが思い浮かび【表現者の性分で仕方ないよね。。】と主人公に同情してしまいました。

「恋愛」と「小説」をめぐる独特な文章、構成の恋愛小説を探す誰か、あるいは表題のようにはまり込むように誰かに熱烈な恋をしている人にもオススメ。
好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)Amazon書評・レビュー:好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)より
4061824945
No.49:
(5pt)

そうね、愛は祈りだなぁ、としか言いたくない。

僕がこの本を初めて読んだのは十二年程前で、そのときは読みにくい本だなぁ、って思いました。ちょうど同年代が大学生をしている頃、僕はニートをしていたけれどそのとき暇を持て余して読んだのがこれでした。
大学読書人大賞と書いてあるその時期に読んで全くわかりませんでした。
愛だの恋だの祈りだの全くわかんなかった。

それから二年くらいして、大学に入り恋人と一緒に暮らすようになり、そして、その一年後にその恋人は自ら命を絶ち、大学卒業して気付けば僧侶になっていて、七つ年上だった恋人の年齢を超えて十回忌に当たる今年に読み返しました。

愛は祈りで僕は相も変わらず祈ってるな、今の立場とか宗教とか関係なく、と思いました。
好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)Amazon書評・レビュー:好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)より
4061824945
No.48:
(5pt)

ナンセンスな祈りの愛の言葉と、正しく儀礼的な「メタ化」する言葉と

この小説の冒頭数ページの、ローマ教皇の演説のような、印象的なステイトメント。
言葉というものは全てを造り、まさしく神なんであるそうだ。

しかし、神にも良い神と悪い神がいるように、
言葉にも人を輝かせる愛・祈りの言葉と、人を疎外・「メタ化」する言葉がある。

人を疎外する言葉というのは、現実的な言葉であるが、「リアル」な言葉ではない。
その言葉は、必ず何らかの欠損を生んでいる。智恵子の切り離された腕や脚のように。
対して、祈りの言葉はナンセンスだ。
だからこそ人のこころはそれに希望や奇跡を見出し、愛し、求める。

そのようなことを、可憐なヒロインの柿緒はよく理解していた。
何が書いてあったのか結局分からない手紙の一通目、目的不明な11月の外出。
ナンセンスな欠損を敢えて作っておくことで、その空白の中で柿緒はいつまでも生き続ける。

この物語の中では、愛が陳腐で直情的でその場限りな言葉で叫ばれ続ける。
陳腐な言葉は無意味でナンセンスで余白だらけだ。
そして、その余白に愛は宿るのだと思う。

私は普段、殆ど小説なんて読まないし、小説界の出来事やニュースにも疎い。
マイジョーという名前すら知らなかった。
そんな私がこの小説を知ったのは、ある女性から薦められたからだった。
その人は私の久方ぶりの片恋の相手だ。多分、10年ぶりくらい。

私では全く釣り合いの取れない人。
一緒にそばにいることだけでも、普通なら現実的に思えない人。
そのナンセンスは、恋をよりリアルなものへ感じさせた。

あなたに出会ってからは、この感情のせいで、何も手が付かなくなった。充実の空白。
この恋は破れる。
でも気持ちを受け止めてくれるだけでも、本当に嬉しかった。
素敵な恋を、どうもありがとう。
あなたにきっと、幸せな未来がありますように。
好き好き大好き!超愛してる!
好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)Amazon書評・レビュー:好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)より
4061824945
No.47:
(4pt)

深みの無い反復

気になっていた作家の作品。石原慎太郎はこのタイトルが気にいらなかったようだが、副題『♥♥♥UI♥U! (Love Love Love You I Love You!)』もあわせて、すごくかっこ良いと思う。中二病的なナルシシズムは得意ではないけど、この作品は良い意味でそれが臨界点まで散りばめられており、深みを欠いた、個人の陶酔的な描写が繰り返される同書は読んでいて心地が良い。
好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)Amazon書評・レビュー:好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)より
4061824945
No.46:
(4pt)

好みがわかれそう

初めて舞城王太郎さんの作品を読みました。人の死を扱った小説などにあまり泣いた記憶もなく、その手の有名な作品をよんでも違和感を覚えていたため、この小説を買いました。読み出して始めは文章に句読点があまりなく書かれているため、読みにくかったのですが、どんどん進めていくと慣れてきて最後にはすごく読みやすい印象にかわりました。この文章に慣れるかそうでないかで別れそうな作品です。
内容は恋人の死をえがいているのですが、ただ悲しいとか苦しいとか涙を誘うような作品ではなく、もっと深くて当たり前だけど、当たり前すぎて考えもせずに過ぎていく気持ちだったり、時間だったりを当たり前に軽い文章でえがいてます。愛とは?という普遍的なテーマです。重苦しくなりそうなのに、私の読後感はとてもスッキリしていたのでびっくりしました。
読み終えて数日たちますが、ふとこの作品の文章が頭に浮かび考えるといったことを何回もくりかえしています。私にとってこの作品は、いつか自分に愛する人の死が訪れたときの1つの手がかりになり得る、そんな作品でした。
あまり好きではない表現もたたありましたが、この作品と出会えてよかったと思いました。
好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)Amazon書評・レビュー:好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)より
4061824945
No.45:
(4pt)

愛とは、愛し過ぎるくらいでちょうどいい

小説家として物語を書く意味を自らに問う。飾り気のない文章が真に迫る力作。

【ここからネタバレ注意】
四つの物語の関連性に疑問を持っている人がいますが、序文を踏まえて読むと、ファンタジー要素を持った三つの物語は、柿緒の章に出てくる小説家 治の作品と考えるのが妥当だと思います。
そう仮定して読み返すと、また新しい感情が芽生えるので是非。
好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)Amazon書評・レビュー:好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)より
4061824945
No.44:
(5pt)

恋愛小説だけでなく私小説のアンチテーゼでもある

表題の作品は『世界の中心で愛を叫ぶ』のような難病を扱って「泣ける」恋愛小説のアンチテーゼとして有名である.だが,いわゆる私小説のアンチテーゼでもある.私小説とは作者が直接経験した事柄を通して,作者の思いや主張を展開する小説だ.しかし,直接経験した事柄や直接感じた思いを書いても,それが本当に考えていることなのかそして本当に伝えたいことかはわからない.作中に現れる小説家が言った「僕が書きたいのは,実際に起こったことのそばに,その向こうに,何があったかなのだ」という発言は,まさにありのままに表現するといった私小説への皮肉であろう.
好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)Amazon書評・レビュー:好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)より
4061824945
No.43:
(5pt)

びっくり仰天のラブ・ストーリー

「好き好き大好き超愛してる。」

芥川賞候補でありながら、審査委員の御大に毛嫌いされたというこのタイトル。売れないJ-POPでも使わないようなフレーズであるゆえ、舞城作品でなければ手にとることななかっただろう。読み終えてみれば、あら不思議。口ずさんでみたくなるほど、ぴったり、しっくりくるのである。

「愛は祈りだ。」で始まる饒舌な物語。死を目前にした恋人とのひととき、そしてその後を描いているのだが、苦しみ悲しみを超越した作品でる。

死後に送られてくる恋人からの手紙なんていう、洋画を思い起こさせるホロ苦さを折り込みつつ、夢の直し方を教えてくれるおじさん(ミスターシスター)が登場するファンタジーや、主人公が描く作中作のSF「ラリアット・ポイント11助けて用務員のサ駅さん!」はスペース・オペラをぶっこんでくる。

愛を高らかに謳いあげながら、全くクサくはない。支離滅裂なようで、一本筋がとおっている。この世にいない女の子への溢れんばかりの思いのたけ。

こりゃまた、びっくり仰天のラブ・ストーリーであった。
好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)Amazon書評・レビュー:好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)より
4061824945
No.42:
(4pt)

(内容的には星5つです……)

まあ、間違いなく好き嫌いは別れるでしょ。

純粋に愛を描いたらこうなるんだろうなって意味で純愛小説。泣ける小説では無い。深いことは書いてない。難しいことも書いてない。ただただ当たり前の、誰でも持っている、だけど普通はわざわざ考えない愛についてをわざわざ書いた小説。その当たり前の内容をこれだけ読ませるマイジョーはやはり凄い。

まあ、石原の慎ちゃんの言うことはごもっともだろう。むしろ「ウンザリだ」って評価には愛さえ感じる。芥川賞を取っていい作品では無い。この作品の良さは、そういう良さじゃない。

セカチューへのアンチテーゼという話だが、同時に、物知り顔で小説批判をするカシコ様達へのメッセージでもあるのかもしれないと、個人的には感じた。寧ろその方が強い気がしないでもない。特に、「リアリティ」という言葉を勘違いした批判屋さんへの皮肉がかなり強い。

「ドリルホール〜」は文庫版に入ってないのね!ショック!ということで、星4。(確認せずに買った僕が悪いんですけどね!はっ!)
好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)Amazon書評・レビュー:好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)より
4061824945
No.41:
(4pt)

愛している、と言おう。。。

これは異次元の純愛小説だと思いました。

読めば読むほど、不思議なほど引き込まれていきます。

非日常を楽しめる方におすすめの一冊です。
好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)Amazon書評・レビュー:好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)より
4061824945

スポンサードリンク

  



123>>
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!