好き好き大好き超愛してる。

【この小説が収録されている参考書籍】

【この小説が載っている参考書籍】

評判

好き好き大好き超愛してる。の評価:

4.18/5点 レビュー 71件。 D ランク

Amazon書評・レビュー点数毎のグラフです

平均点4.18pt

Amazonレビュー一覧

Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です

※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください

全213件 1〜20 1/11ページ
No.213
(1pt)

残念、合わない

初めて読んだ作者の作品でしたが
合わない作家でした
☆の数に騙された(笑)
好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫)より
4062760819
No.212
(1pt)

残念、合わない

初めて読んだ作者の作品でしたが
合わない作家でした
☆の数に騙された(笑)
好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス) Amazon書評・レビュー: 好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)より
4061824945
No.211
(1pt)

残念、合わない

初めて読んだ作者の作品でしたが
合わない作家でした
☆の数に騙された(笑)
好き好き大好き超愛してる。 Amazon書評・レビュー: 好き好き大好き超愛してる。より
4062125684
No.210
(5pt)

他のも読んでみたい

著者の本を初めて読んだけど、独特な語り口がある意味真を突いていて、好きです。
夢の世界にいるみたいに、情景と心情がふわ〜っと入ってくる。
あ、そうそう、こんな感じ、と思う。
現実はこんな感じで、まったく切り分けられずに続いていくし、捉え方も、ある部分はあいまい。
鋭いなあ、と思いながら読んでます。
好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫)より
4062760819
No.209
(5pt)

他のも読んでみたい

著者の本を初めて読んだけど、独特な語り口がある意味真を突いていて、好きです。
夢の世界にいるみたいに、情景と心情がふわ〜っと入ってくる。
あ、そうそう、こんな感じ、と思う。
現実はこんな感じで、まったく切り分けられずに続いていくし、捉え方も、ある部分はあいまい。
鋭いなあ、と思いながら読んでます。
好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス) Amazon書評・レビュー: 好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)より
4061824945
No.208
(5pt)

他のも読んでみたい

著者の本を初めて読んだけど、独特な語り口がある意味真を突いていて、好きです。
夢の世界にいるみたいに、情景と心情がふわ〜っと入ってくる。
あ、そうそう、こんな感じ、と思う。
現実はこんな感じで、まったく切り分けられずに続いていくし、捉え方も、ある部分はあいまい。
鋭いなあ、と思いながら読んでます。
好き好き大好き超愛してる。 Amazon書評・レビュー: 好き好き大好き超愛してる。より
4062125684
No.207
(5pt)

芥川賞なんかにはもったいない

作者や出版社にとっては賞を取れた方が良かったのでしょう。
ですがファンとしては安っぽく批評されるより、感性をアップデートしない大御所に隠されてしまった名作であってくれてよかったと思います。

独特の世界観で意味が分からない部分も多々あるのに共感してしまう。
じんわりと、執着も悲嘆も醜悪さも受け入れた恋と愛が紡がれて沁みてくる。
表紙と紙面のギャップに最初は驚きましたが、改行を許さないほどの愛情が表現されているようにも感じました。

身近な人の死を経験したばかりの人には辛いかもしれません。
ただ死にまつわり死を取り巻く人々の心理をよく理解されて綴られた物語だと思います。
言葉で愛を表現できる人間だからこその愛のかたちや感触に心がふるえるすごい作品でした。

これからもずっと応援していきます。
好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫)より
4062760819
No.206
(5pt)

芥川賞なんかにはもったいない

作者や出版社にとっては賞を取れた方が良かったのでしょう。
ですがファンとしては安っぽく批評されるより、感性をアップデートしない大御所に隠されてしまった名作であってくれてよかったと思います。

独特の世界観で意味が分からない部分も多々あるのに共感してしまう。
じんわりと、執着も悲嘆も醜悪さも受け入れた恋と愛が紡がれて沁みてくる。
表紙と紙面のギャップに最初は驚きましたが、改行を許さないほどの愛情が表現されているようにも感じました。

身近な人の死を経験したばかりの人には辛いかもしれません。
ただ死にまつわり死を取り巻く人々の心理をよく理解されて綴られた物語だと思います。
言葉で愛を表現できる人間だからこその愛のかたちや感触に心がふるえるすごい作品でした。

これからもずっと応援していきます。
好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス) Amazon書評・レビュー: 好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)より
4061824945
No.205
(5pt)

芥川賞なんかにはもったいない

作者や出版社にとっては賞を取れた方が良かったのでしょう。
ですがファンとしては安っぽく批評されるより、感性をアップデートしない大御所に隠されてしまった名作であってくれてよかったと思います。

独特の世界観で意味が分からない部分も多々あるのに共感してしまう。
じんわりと、執着も悲嘆も醜悪さも受け入れた恋と愛が紡がれて沁みてくる。
表紙と紙面のギャップに最初は驚きましたが、改行を許さないほどの愛情が表現されているようにも感じました。

身近な人の死を経験したばかりの人には辛いかもしれません。
ただ死にまつわり死を取り巻く人々の心理をよく理解されて綴られた物語だと思います。
言葉で愛を表現できる人間だからこその愛のかたちや感触に心がふるえるすごい作品でした。

これからもずっと応援していきます。
好き好き大好き超愛してる。 Amazon書評・レビュー: 好き好き大好き超愛してる。より
4062125684
No.204
(1pt)

ハマる人にはハマると思う

極端に読みづらすぎて途中で読むのを諦めた。
我慢の先の境地が良いものだったとしても無理があった。
この表現を受け入れられる人にはいいものなのだろうと思う。
好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫)より
4062760819
No.203
(1pt)

ハマる人にはハマると思う

極端に読みづらすぎて途中で読むのを諦めた。
我慢の先の境地が良いものだったとしても無理があった。
この表現を受け入れられる人にはいいものなのだろうと思う。
好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス) Amazon書評・レビュー: 好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)より
4061824945
No.202
(1pt)

ハマる人にはハマると思う

極端に読みづらすぎて途中で読むのを諦めた。
我慢の先の境地が良いものだったとしても無理があった。
この表現を受け入れられる人にはいいものなのだろうと思う。
好き好き大好き超愛してる。 Amazon書評・レビュー: 好き好き大好き超愛してる。より
4062125684
No.201
(4pt)

よい!

とにかくよい!
好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫)より
4062760819
No.200
(4pt)

よい!

とにかくよい!
好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス) Amazon書評・レビュー: 好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)より
4061824945
No.199
(4pt)

よい!

とにかくよい!
好き好き大好き超愛してる。 Amazon書評・レビュー: 好き好き大好き超愛してる。より
4062125684
No.198
(5pt)

バカにされたって構うもんか愛してるんだよ❤️

祈りとはこうなってほしいと未来に向けてされるものだが小説という形で過去に向けても祈る。と冒頭にある。1文1文にまさに祈りを込めているかのように〝。〟のあとに1スペースが空けられている。それは1文1文に愛を感じてほしいという書き手の祈りだろう。しかし感嘆符のあとにスペースを空けないのは相変わらずの舞城流で、そこはやっぱり空けないんだと思わずクスッとしてしまう。

「智依子」の章では、死に臨み壮絶な手術を繰り返している本人側からの自分の身体に対する感覚と、その人を大切に思っている他者側からのその人の身体への感覚の違いについて書かれてある。
自分が他者とは決して同一になれないゆえ、それは天地がひっくり返っても埋めようのない懸隔だろう。
大切に想う他人の死、本人の死、その両者の苦しみは美を共有することでほんの少し癒される。その美は石原哲朗の日本画「京彩」を思い出されると「智依子」の最後に結ばれているが、もちろん架空の画家であり、創作、つまり過去への祈りが愛を生み出すことを示そうとしている。

「柿緒Ⅰ」では祈りは欲しいものを欲しいと言うことであり、祈りはなにも実際には期待できない無欲な行為だとされている。同時に言葉にして祈ることは永劫の価値があるともされる。
気持ちを言葉にして伝えなかったことで蝕まれることがあるともしている。
柿緒の弟は火葬のときにお棺に飛び乗って「柿ちゃん燃やすな」と言って泣いたが治は周囲の視線を憚ってそれができなかったという悔しさがあり、周囲の目を気にする気持ちや、物事から距離を置いた冷静な判断などは、かなぐり捨ててがむしゃらに愛することこそ、本当に愛することなのだという示唆がある。
ここでこの小説のテーマがはっきりと提示される。

「佐々木妙子」では対象がなくても、より正確にいうなら対象が夢の中の少女であっても好きという気持ちが生まれうることが書かれてある。人間は自己のみの心の仕組みの中に愛というものを感じ、生み出す仕組みが、もうすでに組み上がって存在しているということが、非常に巧みに鋭く描かれている。

「柿緒Ⅱ」では愛する(愛される)人が死んでしまったあとのその「愛」の取り扱いについて書かれてある。愛はしばらく残るがそれは消えてしまう。記憶という形に変わっていく。なぜなら生は記憶に縛られるほど脆弱ではないからだとある。
しかし、柿緒は死んでからも一年に一度、治の誕生日の前日に手紙の届く契約を100年結んでいる。その行為は愛がいつか消えることはわかっていながらそれでもそれをほんの少しでも長く縛り付けておきたいという柿緒の祈りである。
治ももう柿緒以外は愛さないし、自分は柿緒だけを愛して一生を終えるべきであり、命を断って同時に逝くべきなのだが、それでも生き延びることは正しく、正しさと間違いが同時に存在するという境地に至る。
そのことは、一瞬でも気持ちが通じ合わせることができたのなら、結果に関わらず、例えのちにその気持ちが消えたとしても恋愛成就なのだという、夾雑物を取り除いて恋愛するという営みのみを掬い取ってその価値を高め、讃歌することに繋がっている。

前章で愛が消える可能性を提示したうえでの「ニオモ」ではパートナーが代わることが前提としてあらかじめ了承されている世界が描かれる。神に戦いを挑むアダムとイブは恋人同士という関係が単に形式化されてしまっている現実の一面を象徴している。そのパターンとしてのひとつである別れ(死別)も、必ず起こるもの、その哀しみは時間によって解消されるもの、そしてそれが当たり前となっている世界とその世界での〝俺〟が描かれている。戦うべき神とは人生そのもののメタファーだろう。
〝俺〟はニオモを愛しているということに実感や自覚や自信を持てない。ニオモが死ぬことでようやくその愛がとてつもなく大きかったことに気づく。失われて初めてその人をどれだけ愛していたのかがわかる愛の形もあるということだ。
「柿緒Ⅱ」で愛が消えていく性質を持つものだと飲み込んで必然的に消化されて新しい法則として形式化されてしまうところを、やっぱり嫌だと、拒否して吐きだした章である。
小説の持つ虚構を、ファンタジーにしてさらに深めることにより、もっとバカになって人を愛せよという舞城王太郎のメッセージがまたもやストレートに届いてくる。ちなみにこの〝俺〟は石原君であり、京彩の画家、石原哲朗と微妙にクロスさせている。

「柿緒Ⅲ」では、治は柿緒の柿の字を持った登場人物を小説で描き、それが喧嘩をする三人姉弟だったことで、柿緒の弟、賞太と慶喜から絶交される。治は小説は現実のことではないし、魔法や幽霊や宇宙人が出てくる小説を、子供騙しくせーもんがいったい何表すんだと、非難されて、子供臭い何かを表すんだよと答える。語弊があるかもしれないが子供臭い=バカになること、でもあるだろう。
この章に至り、では小説という虚構で愛の在り方を語ってきたが、それははたして正しいことなのかどうか根本的なことに命題が掘り下げられる。
その小説を読んで自分の実際と重なり嫌な気分になる人がいるとしても書くことは正しいのか? 書くことは現実から逃げていることなのか?あるいはいいネタになるという気持ちで柿緒の苦しむ病室で小説を書いていたのか?
〝僕は本当に起こったことは書かない。 僕が書くのは起こりえたはずなのに起こらなかったことかそもそも起こりえなかったからやはり起こらなかったことだけだ〟〝《死》の在り方についての確かな感触は小説に書き写しておきたい〟〝僕が小説に用いるのは僕の人生に起こったあらゆることであって、僕の人生に起こった特別なことではない。 僕は小説を書くために生きているのではなくて、生きていて小説を書いているのだ〟
とし、やや強引に乗り切ろうとしているが、「智依子」の章が活かされており、ここでは治の書いた小説「光」とされていて、誰かを殺そうとも明かりというもの、爆弾の線香や火事の炎や火山の噴火は、美しく、美というものは倫理とは別のところにある、ただし批評は倫理とともにあるとし、正しさが並列している、と抜け目なくエスケープしている。ここでいう美とは、明言していないものの小説を含む芸術全般のことだろう。
しかし、ここで本作が発表された時期に巷間に溢れていた愛する人を殺す(病気で死んでしまう)小説群へのアンチテーゼを発してもいるところは心憎いところだ。芸術まで昇華されていない陳腐な小説ならば無闇矢鱈と登場人物を死なせるなよとの批判の気持ちや、作家としての矜持がうかがえる。

柿緒は生前、治を病院に残して外出して、秘密の1日を作る。柿緒が逝ってからも、あの日柿緒は何をしていたのだろうと、治は想像して、小説の形にしない物語を、愛を紡ぎ続けている。
このラストで物語=愛は証明される。
好き好き大好き超愛してる。 Amazon書評・レビュー: 好き好き大好き超愛してる。より
4062125684
No.197
(5pt)

バカにされたって構うもんか愛してるんだよ❤️

祈りとはこうなってほしいと未来に向けてされるものだが小説という形で過去に向けても祈る。と冒頭にある。1文1文にまさに祈りを込めているかのように〝。〟のあとに1スペースが空けられている。それは1文1文に愛を感じてほしいという書き手の祈りだろう。しかし感嘆符のあとにスペースを空けないのは相変わらずの舞城流で、そこはやっぱり空けないんだと思わずクスッとしてしまう。

「智依子」の章では、死に臨み壮絶な手術を繰り返している本人側からの自分の身体に対する感覚と、その人を大切に思っている他者側からのその人の身体への感覚の違いについて書かれてある。
自分が他者とは決して同一になれないゆえ、それは天地がひっくり返っても埋めようのない懸隔だろう。
大切に想う他人の死、本人の死、その両者の苦しみは美を共有することでほんの少し癒される。その美は石原哲朗の日本画「京彩」を思い出されると「智依子」の最後に結ばれているが、もちろん架空の画家であり、創作、つまり過去への祈りが愛を生み出すことを示そうとしている。

「柿緒Ⅰ」では祈りは欲しいものを欲しいと言うことであり、祈りはなにも実際には期待できない無欲な行為だとされている。同時に言葉にして祈ることは永劫の価値があるともされる。
気持ちを言葉にして伝えなかったことで蝕まれることがあるともしている。
柿緒の弟は火葬のときにお棺に飛び乗って「柿ちゃん燃やすな」と言って泣いたが治は周囲の視線を憚ってそれができなかったという悔しさがあり、周囲の目を気にする気持ちや、物事から距離を置いた冷静な判断などは、かなぐり捨ててがむしゃらに愛することこそ、本当に愛することなのだという示唆がある。
ここでこの小説のテーマがはっきりと提示される。

「佐々木妙子」では対象がなくても、より正確にいうなら対象が夢の中の少女であっても好きという気持ちが生まれうることが書かれてある。人間は自己のみの心の仕組みの中に愛というものを感じ、生み出す仕組みが、もうすでに組み上がって存在しているということが、非常に巧みに鋭く描かれている。

「柿緒Ⅱ」では愛する(愛される)人が死んでしまったあとのその「愛」の取り扱いについて書かれてある。愛はしばらく残るがそれは消えてしまう。記憶という形に変わっていく。なぜなら生は記憶に縛られるほど脆弱ではないからだとある。
しかし、柿緒は死んでからも一年に一度、治の誕生日の前日に手紙の届く契約を100年結んでいる。その行為は愛がいつか消えることはわかっていながらそれでもそれをほんの少しでも長く縛り付けておきたいという柿緒の祈りである。
治ももう柿緒以外は愛さないし、自分は柿緒だけを愛して一生を終えるべきであり、命を断って同時に逝くべきなのだが、それでも生き延びることは正しく、正しさと間違いが同時に存在するという境地に至る。
そのことは、一瞬でも気持ちが通じ合わせることができたのなら、結果に関わらず、例えのちにその気持ちが消えたとしても恋愛成就なのだという、夾雑物を取り除いて恋愛するという営みのみを掬い取ってその価値を高め、讃歌することに繋がっている。

前章で愛が消える可能性を提示したうえでの「ニオモ」ではパートナーが代わることが前提としてあらかじめ了承されている世界が描かれる。神に戦いを挑むアダムとイブは恋人同士という関係が単に形式化されてしまっている現実の一面を象徴している。そのパターンとしてのひとつである別れ(死別)も、必ず起こるもの、その哀しみは時間によって解消されるもの、そしてそれが当たり前となっている世界とその世界での〝俺〟が描かれている。戦うべき神とは人生そのもののメタファーだろう。
〝俺〟はニオモを愛しているということに実感や自覚や自信を持てない。ニオモが死ぬことでようやくその愛がとてつもなく大きかったことに気づく。失われて初めてその人をどれだけ愛していたのかがわかる愛の形もあるということだ。
「柿緒Ⅱ」で愛が消えていく性質を持つものだと飲み込んで必然的に消化されて新しい法則として形式化されてしまうところを、やっぱり嫌だと、拒否して吐きだした章である。
小説の持つ虚構を、ファンタジーにしてさらに深めることにより、もっとバカになって人を愛せよという舞城王太郎のメッセージがまたもやストレートに届いてくる。ちなみにこの〝俺〟は石原君であり、京彩の画家、石原哲朗と微妙にクロスさせている。

「柿緒Ⅲ」では、治は柿緒の柿の字を持った登場人物を小説で描き、それが喧嘩をする三人姉弟だったことで、柿緒の弟、賞太と慶喜から絶交される。治は小説は現実のことではないし、魔法や幽霊や宇宙人が出てくる小説を、子供騙しくせーもんがいったい何表すんだと、非難されて、子供臭い何かを表すんだよと答える。語弊があるかもしれないが子供臭い=バカになること、でもあるだろう。
この章に至り、では小説という虚構で愛の在り方を語ってきたが、それははたして正しいことなのかどうか根本的なことに命題が掘り下げられる。
その小説を読んで自分の実際と重なり嫌な気分になる人がいるとしても書くことは正しいのか? 書くことは現実から逃げていることなのか?あるいはいいネタになるという気持ちで柿緒の苦しむ病室で小説を書いていたのか?
〝僕は本当に起こったことは書かない。 僕が書くのは起こりえたはずなのに起こらなかったことかそもそも起こりえなかったからやはり起こらなかったことだけだ〟〝《死》の在り方についての確かな感触は小説に書き写しておきたい〟〝僕が小説に用いるのは僕の人生に起こったあらゆることであって、僕の人生に起こった特別なことではない。 僕は小説を書くために生きているのではなくて、生きていて小説を書いているのだ〟
とし、やや強引に乗り切ろうとしているが、「智依子」の章が活かされており、ここでは治の書いた小説「光」とされていて、誰かを殺そうとも明かりというもの、爆弾の線香や火事の炎や火山の噴火は、美しく、美というものは倫理とは別のところにある、ただし批評は倫理とともにあるとし、正しさが並列している、と抜け目なくエスケープしている。ここでいう美とは、明言していないものの小説を含む芸術全般のことだろう。
しかし、ここで本作が発表された時期に巷間に溢れていた愛する人を殺す(病気で死んでしまう)小説群へのアンチテーゼを発してもいるところは心憎いところだ。芸術まで昇華されていない陳腐な小説ならば無闇矢鱈と登場人物を死なせるなよとの批判の気持ちや、作家としての矜持がうかがえる。

柿緒は生前、治を病院に残して外出して、秘密の1日を作る。柿緒が逝ってからも、あの日柿緒は何をしていたのだろうと、治は想像して、小説の形にしない物語を、愛を紡ぎ続けている。
このラストで物語=愛は証明される。
好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫)より
4062760819
No.196
(5pt)

バカにされたって構うもんか愛してるんだよ❤️

祈りとはこうなってほしいと未来に向けてされるものだが小説という形で過去に向けても祈る。と冒頭にある。1文1文にまさに祈りを込めているかのように〝。〟のあとに1スペースが空けられている。それは1文1文に愛を感じてほしいという書き手の祈りだろう。しかし感嘆符のあとにスペースを空けないのは相変わらずの舞城流で、そこはやっぱり空けないんだと思わずクスッとしてしまう。

「智依子」の章では、死に臨み壮絶な手術を繰り返している本人側からの自分の身体に対する感覚と、その人を大切に思っている他者側からのその人の身体への感覚の違いについて書かれてある。
自分が他者とは決して同一になれないゆえ、それは天地がひっくり返っても埋めようのない懸隔だろう。
大切に想う他人の死、本人の死、その両者の苦しみは美を共有することでほんの少し癒される。その美は石原哲朗の日本画「京彩」を思い出されると「智依子」の最後に結ばれているが、もちろん架空の画家であり、創作、つまり過去への祈りが愛を生み出すことを示そうとしている。

「柿緒Ⅰ」では祈りは欲しいものを欲しいと言うことであり、祈りはなにも実際には期待できない無欲な行為だとされている。同時に言葉にして祈ることは永劫の価値があるともされる。
気持ちを言葉にして伝えなかったことで蝕まれることがあるともしている。
柿緒の弟は火葬のときにお棺に飛び乗って「柿ちゃん燃やすな」と言って泣いたが治は周囲の視線を憚ってそれができなかったという悔しさがあり、周囲の目を気にする気持ちや、物事から距離を置いた冷静な判断などは、かなぐり捨ててがむしゃらに愛することこそ、本当に愛することなのだという示唆がある。
ここでこの小説のテーマがはっきりと提示される。

「佐々木妙子」では対象がなくても、より正確にいうなら対象が夢の中の少女であっても好きという気持ちが生まれうることが書かれてある。人間は自己のみの心の仕組みの中に愛というものを感じ、生み出す仕組みが、もうすでに組み上がって存在しているということが、非常に巧みに鋭く描かれている。

「柿緒Ⅱ」では愛する(愛される)人が死んでしまったあとのその「愛」の取り扱いについて書かれてある。愛はしばらく残るがそれは消えてしまう。記憶という形に変わっていく。なぜなら生は記憶に縛られるほど脆弱ではないからだとある。
しかし、柿緒は死んでからも一年に一度、治の誕生日の前日に手紙の届く契約を100年結んでいる。その行為は愛がいつか消えることはわかっていながらそれでもそれをほんの少しでも長く縛り付けておきたいという柿緒の祈りである。
治ももう柿緒以外は愛さないし、自分は柿緒だけを愛して一生を終えるべきであり、命を断って同時に逝くべきなのだが、それでも生き延びることは正しく、正しさと間違いが同時に存在するという境地に至る。
そのことは、一瞬でも気持ちが通じ合わせることができたのなら、結果に関わらず、例えのちにその気持ちが消えたとしても恋愛成就なのだという、夾雑物を取り除いて恋愛するという営みのみを掬い取ってその価値を高め、讃歌することに繋がっている。

前章で愛が消える可能性を提示したうえでの「ニオモ」ではパートナーが代わることが前提としてあらかじめ了承されている世界が描かれる。神に戦いを挑むアダムとイブは恋人同士という関係が単に形式化されてしまっている現実の一面を象徴している。そのパターンとしてのひとつである別れ(死別)も、必ず起こるもの、その哀しみは時間によって解消されるもの、そしてそれが当たり前となっている世界とその世界での〝俺〟が描かれている。戦うべき神とは人生そのもののメタファーだろう。
〝俺〟はニオモを愛しているということに実感や自覚や自信を持てない。ニオモが死ぬことでようやくその愛がとてつもなく大きかったことに気づく。失われて初めてその人をどれだけ愛していたのかがわかる愛の形もあるということだ。
「柿緒Ⅱ」で愛が消えていく性質を持つものだと飲み込んで必然的に消化されて新しい法則として形式化されてしまうところを、やっぱり嫌だと、拒否して吐きだした章である。
小説の持つ虚構を、ファンタジーにしてさらに深めることにより、もっとバカになって人を愛せよという舞城王太郎のメッセージがまたもやストレートに届いてくる。ちなみにこの〝俺〟は石原君であり、京彩の画家、石原哲朗と微妙にクロスさせている。

「柿緒Ⅲ」では、治は柿緒の柿の字を持った登場人物を小説で描き、それが喧嘩をする三人姉弟だったことで、柿緒の弟、賞太と慶喜から絶交される。治は小説は現実のことではないし、魔法や幽霊や宇宙人が出てくる小説を、子供騙しくせーもんがいったい何表すんだと、非難されて、子供臭い何かを表すんだよと答える。語弊があるかもしれないが子供臭い=バカになること、でもあるだろう。
この章に至り、では小説という虚構で愛の在り方を語ってきたが、それははたして正しいことなのかどうか根本的なことに命題が掘り下げられる。
その小説を読んで自分の実際と重なり嫌な気分になる人がいるとしても書くことは正しいのか? 書くことは現実から逃げていることなのか?あるいはいいネタになるという気持ちで柿緒の苦しむ病室で小説を書いていたのか?
〝僕は本当に起こったことは書かない。 僕が書くのは起こりえたはずなのに起こらなかったことかそもそも起こりえなかったからやはり起こらなかったことだけだ〟〝《死》の在り方についての確かな感触は小説に書き写しておきたい〟〝僕が小説に用いるのは僕の人生に起こったあらゆることであって、僕の人生に起こった特別なことではない。 僕は小説を書くために生きているのではなくて、生きていて小説を書いているのだ〟
とし、やや強引に乗り切ろうとしているが、「智依子」の章が活かされており、ここでは治の書いた小説「光」とされていて、誰かを殺そうとも明かりというもの、爆弾の線香や火事の炎や火山の噴火は、美しく、美というものは倫理とは別のところにある、ただし批評は倫理とともにあるとし、正しさが並列している、と抜け目なくエスケープしている。ここでいう美とは、明言していないものの小説を含む芸術全般のことだろう。
しかし、ここで本作が発表された時期に巷間に溢れていた愛する人を殺す(病気で死んでしまう)小説群へのアンチテーゼを発してもいるところは心憎いところだ。芸術まで昇華されていない陳腐な小説ならば無闇矢鱈と登場人物を死なせるなよとの批判の気持ちや、作家としての矜持がうかがえる。

柿緒は生前、治を病院に残して外出して、秘密の1日を作る。柿緒が逝ってからも、あの日柿緒は何をしていたのだろうと、治は想像して、小説の形にしない物語を、愛を紡ぎ続けている。
このラストで物語=愛は証明される。
好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス) Amazon書評・レビュー: 好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)より
4061824945
No.195
(2pt)

キンドル「ドリルホールインマイブレイン」が入ってない

もちろん本編も好きですが、紙の時に収録されていたドリルホールインマイブレインが入っておらずがっかりしました。
作者の小説で一番好きな作品なのでどうにか電子化してほしいです
好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫) Amazon書評・レビュー: 好き好き大好き超愛してる。 (講談社文庫)より
4062760819
No.194
(2pt)

キンドル「ドリルホールインマイブレイン」が入ってない

もちろん本編も好きですが、紙の時に収録されていたドリルホールインマイブレインが入っておらずがっかりしました。
作者の小説で一番好きな作品なのでどうにか電子化してほしいです
好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス) Amazon書評・レビュー: 好き好き大好き超愛してる。 (講談社ノベルス)より
4061824945