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(短編集)
われはロボット
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【この小説が収録されている参考書籍】
われはロボットの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.59pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全68件 41~60 3/4ページ
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小説とはしては面白いのですが、流石に古すぎてロボット工学三原則が現実と乖離しすぎています。 アシモフの作ですが、クラーク、ハインラインなどの古典というより、 ヴェルヌ、ウェルズ、ブラッドベリのような、黎明期SFの香りすら漂っています。 個人的な予想なのですが、これって多分出版された当時からして古かったんじゃないですかね? | ||||
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アイザック・アシモフの短編集。ロボットに関する蒐集で、1940〜1950年代ごろのもの。 アシモフの小説は炯眼に満ちていて、そういう点では質が高いのだが、やや推理小説的にまだるっこしくて読みにくいところもある。 ロビイ・・・グローリアが子守りロボットのロビイになつきすぎていることを危惧した両親が、ロビイからグローリアを引き離すものの、結局、ロビイがグローリアの生命を救ったことで降参してしまうという話。 堂々めぐり・・・水星の話。ロボットに設定される三原則「人間に危害を加えてはならないし、危害をみのがしてもならない。人間の命令をきかなければならない。自己を守らなければならない」という命令の矛盾・葛藤により、ロボットが効果的に動けなくなり、人間たちがやきもきする話。 われ思う、ゆえに・・・人間に組み立てられながら、自分の出生の秘密をうたがう哲学ロボットの話。ロボットは、低レベルな人間に創造されたことに納得できない。 野うさぎを追って・・・6台のサブロボットをあやつるロボットが人間の前では正常なのに、人間がいなくなるとおかしくなる。それは、人間がいないときには6台が手に余るが、人間がいるときには人間の支援により処理に余裕ができるから。 うそつき・・・人間の心を読むロボットの話。中年の女学者には同僚が気があると述べるなど、うそをつく。しかし、それは「人間を傷つけてはならない」というロボットの原則(プログラム)に矛盾しないための方便。 迷子のロボット・・・ロボット三原則の「人間に危害を加えてはならない」がゆるめられたロボットがどのロボットかわからなくなり、これをどうやって見分けるか、という話。 証拠・・・政治家になろうとしているバリアリイが実はロボットなのではないか、と疑われる話。 その他、「逃避」「災厄のとき」を収録。 | ||||
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「ロボット三原則」はシンプルかつよく作られているなあと深く感動しました。 物語は短編集みたいなもので「ロボット三原則」を中心に展開していく話はなかなか面白いです。 ただ、主人公的立ち位置である、心理学者キャルヴィンの思想が自分にはあわなかったのか、いまいち好きになれませんでした。 | ||||
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技術的には今より少し進んだ世界のような感じです。しかし、ロボットの脳である陽電子頭脳についてはまったく未知の技術です。 また、世界に国家はなく、政治的にはかなり進んだ世界だということになります。こちらの方がかなり無茶な気がしてしまいます。 さて、話はロボ心理学者のスーザン・カルヴィンが新聞記者のインタビューに答える形で、思い出話として語られます。 ロボットを使う様々な現場で、謎のトラブルが発生し、その原因を究明するという推理小説のような展開の短編集です。 そのトラブルの解決には必ずかの有名な「ロボット工学三原則」が登場します。 第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。 第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。 第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。 主に第一条の人間への危険を察知したロボットが、それを回避しようとして起こる事件とも言えます。そこで、ロボ心理学者という立場のスーザン女史がロボットの気持ちを推理する訳です。中には別の人物が解決した事件もあります。 60年前に読んでいたらもっと感動は大きかったように思いますが、既にこの話の初期の年代は過ぎていて、時代はまだ追いついていません。かなり急速な技術発展に期待しないと、このような夢の世界は起こりえないと思ってしまいました。 時代背景を理解させるような話を最初に持ってきて、そこからロボット時代の黎明期を連想させます。人型とはいえ、鉄の仮面を持ったロボットです。話と共に時代も進み、最後には人と見分けの付かないロボットも登場しますが、これはまだその時代でもきわめて珍しいロボットのようでした。 そのため、ロボットは主に生産現場で働く労働力という役割が主のようです。 政治的には、食糧問題がなくなり、雇用問題もなくなり、戦争がなくなって、国家もなくなっています。そんな中で働くロボットたち。まるで人間の存在意義はないように感じられます。 そのような疑問を抱くロボットも登場しますが、政治や裁判をロボットが取り仕切ったら、きっと公平な世界があるのでしょう。しかし、そこには人間が必要だとは想像できませんでした。 たんなる空想の世界で、ロボットを紹介するというものではなく、それらに対する人間のドラマとして、また描かれていない部分にも隠された魅力があるのかなと思います。 | ||||
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アイザック・アシモフの傑作です。 1.ロビイ 2.堂々めぐり 3.われ思う、ゆえに 4.野うさぎを追って 5.うそつき 6.迷子のロボット 7.逃避 8.証拠 9.災厄のとき 記者がロボット心理学者のスーザン・キャルビンから、昔の事件を聞く、 という形で話は始まります。 その中で、ロボットが人間に受け入れられていない時代から、 ロボットなしでの生活なんて考えられない時代まで、 ロボットの心理に振り回されたり、逆にロボットの心理を振り回したり…。 SFであると同時に、心理学であったり、倫理学であったり、法学であったり、 もちろんロボット工学であったりもする話ばかりです。 特に「8.証拠」は、最後の最後で、「そうだったのか!!」 と叫びそうになるくらい、度肝を抜かれました。 単純、純粋、原点であるからこそ生まれるこの面白さは、 現在の複雑化した環境では、もしかしたら作れないものかもしれません。 ちなみに、スーザン・キャルビンは1982年生まれです。 SFの傑作と時間を共有出来る事を楽しみつつ、 ロボット工学を想像してみるというのも、また一興かと。 | ||||
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本作は,75歳のロボット心理学者スーザン・キャンベルが引退するにあたって, これまでにロボットと関わってきたいくつかのエピソードを思い出しながら,雑誌記者のインタビューに答え,語っていくという体裁をとっている。 ロボット傑作集と銘打たれ,確かにもともとは短編として発表されたものであるのだけれど,本書を出版する際に,それぞれの物語に整合性を持たせ,それぞれの物語が進むごとに,時代が進み,ロボットも進化し,より人間に近づいていくことで,ひとつの統一された長編として読むことができる。 そして各物語において,ロボットの暴走や理不尽な行動が,実は,いずれもロボット三原則に基づいた行動であることを解き明かすミステリーとしても読むことができるが,私は,それにもまして,「人間とは何のか」「神の存在とは」というあの命題についての探求心をくすぐられた。 物語が後半へと進むにつれて,ロボットはますます人間に近づき,ロボット自身が,その能力において人間よりも優れていると考え出す。 外見上人間と全く同じでありながら,「人間に危害を加えてはいけない」「人間の被る危険を見逃してはいけない」という規範を与えられたロボットは,実は理想的な人間であるとも言える。 ロボットを通じて「人間の幸福とは何か」ということについて,物語を楽しみながら自然と触れられる,実はとても考えさせられる作品でもあるのだ。 | ||||
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「ロボット三原則」と人間をめぐるドタバタが描かれている。 ロボットは、あるときは人間の命令に従いつつ躊躇し、またあるときは反乱を起こして人間を助け、またあるときは人間のために嘘をつき、そしてあるときは一部の人間にダメージを与えながら人類を助け・・・。 話が進んで行くにつれ、ロボットが「人間らしさ」を身につけていくかのようにも感じる。 一編あたり30〜40ページなので、本を読むのが苦手な人でも読めるでしょう。ただし普通の短編集ではなくて「連作短編集」なので、最初から読むことをおすすめしたいです。 | ||||
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アシモフは後年に自作を統合しました。本作はアシモフ未来史の第一巻に位置づけられる古典的名作です。 謎解き調の短編集で読みやすく、また、アシモフも述べていることですが、キャルヴィン博士は秀でたSFヒロインです。 アシモフSFの第一歩として読むべき作品と思います。 | ||||
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連作SFミステリ。 アシモフの作品ならではのミステリ仕立てになっています。 自律的に判断して行動ができるような高度なロボットには、人類の脅威とならぬよう大原則が刻み込まれているべきだ、ということでアシモフはロボット三原則なるものを考えました。 簡単に言うと以下のようなもの。 1、ロボットは人間に危害を加えてはいけない。 2、1に反しない限りロボットは人間の言うことを聞かなければならない。 3、1と2に反しない限りロボットはロボット自身を守らなければならない このロボット三原則は、あまりに有名になったため、ほかの人の作品にもしばしばでてきます。 彼の作品に出てくるロボットの頭脳には、このロボット三原則が必ず刻み込まれています。 本書では、アシモフ自身がロボット三原則を軸にして、その三原則をかいくぐるような話を考えて良質なミステリとして仕上げています。 ロボット心理学者キャルヴィンの回想という形で展開していくロボット開発史はユーモアでかつ魅了されます。 近い将来自律的なロボットが出てきたらロボット三原則がまた脚光を浴びそうな気がします。 | ||||
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世界3大SF作家の代表作であるロボットシリーズ本編の第一作。 このシリーズは、雑多な短編集である「ロボットの時代」、ミステリーとの融合となる三部作「鋼鉄都市」「はだかの太陽」「夜明けのロボット」、更に、もう一つの大傑作シリーズであるファウンデーションシリーズとの融合を決定づける「ロボットと帝国」、映画化された最高傑作「バイセンテニアル・マン」等、膨大なものとなっています。 ロボットの進化を「制約下」でのものになると予想し、様々な未来図を描いてみせたアシモフですが、本作は時系列な短編集であり、本作のみで一つのクライマックスを迎える内容となっています。 少しずつ、ロボットの社会進出が進んで行くさまが、ユーモラスに、そして、ミステリ仕立てで描かれた本作のラストは、正に息を呑むものです。 「バイセンテニアル・マン」「ロボットと帝国」「ファウンデーションと地球」といった別の角度の決末に至る全てが本書に含まれています。 歴史的な、永遠に残る、正にオールタイムベスト。ジャンルを超えて古典となった名作、教養としても、単純な楽しみとしても、是非、お読みいただきたいと思います。 | ||||
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ロボットにも心があると感じた。 「ロボット三原則」は、人間に危害を加えることを禁じた。 そしてそれが、人間に対する慈愛へと転じていく。 しかし、「ロボットは人間を愛さなくてはならない」というプログラムは無い。 逆に、命令を遵守するはずのロボットが、結果としてそれを無視、失敗することもある。 その理由を考えると(本文で徐々に解説されていきます)、ただのロボットのエラーではなく、人間に通じるものを感じてしまう。 特別なルールを持ったロボット達は、姿かたちだけでなく、人間そのものではないかと思うほどの「心」を持っているように見える。 当時の、非常に優れた『SF』は、機械・文明の未来を描き、更には人間へと回帰している。 『SF』、そして『心理学』として、読んでほしい。 | ||||
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若かりしアシモフがロボットをテーマにコミカルな短編を生み出した。 技術者パウエルとドノバンがロボットの巻き起こす珍騒動を解決していくというのが連作の初期の形態である。 話しのオチを切れよくまとめる手際が若々しい。 「あの兎をつかまえろ」はそれだけで出来ているようなものだ。 「嘘つき!」も発想はオチのおもしろさである。 しかし、心を読むロボットを登場させたことで、アシモフワールドでは極めて重要な役割を果たすことになる。 | ||||
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SF界の3大作家の1人、アイザック・アシモフの2大傑作シリーズの内の1つ、ロボットシリーズの記念すべき第一作。 アシモフは米国では科学解説などでも活躍した国民的作家であり、故人となった際には、我が国の新聞でも大きく報じられた偉人である。 アシモフのロボットシリーズは、ロボットが人間と共存するには、人間がロボットを警戒しないために、ロボットに制限を設けなければならないとの前提から出発しており、非常にロジックな作品群である。 このシリーズでは、ロボットは「ロボット工学三原則」という原則を遵守すべく作られている、しかし、遵守する中で、様々な解釈が生まれ、不思議な事件が起こる、という非常にユーモア&ロジック溢れる展開となっている。 特に本作は第一作であるため、ロボットの登場から、ロボットが人間の役に立つため、思わぬことを始める最終作まで、時系列的に並べられ、これ一作で完結する連作短編集の形態を取っており、作品としての纏まりは一番である。 これ以降の作品は、ロボットが人間と関わって行く歴史をドラマチックに描くストーリー性を強調した流れの壮大な作品群や、ロジックを生かした推理小説的な作品群へと変わって行くのであるが、第一作として本当にバランスの取れた作品を見せてくれます。 尚、本作もシリーズ最高傑作と名高い「バイセンテニアル・マン」も映画化されましたが、原作の方が深みがあって、良いと思います。 SFファンだけでなく、一般の方が読んでも、読みやすく素晴らしく面白い作品ですので、是非、手に取ってみて下さい。 | ||||
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タイトルにつられて思わず手にとってしまったが映画とは別物。 有名なロボット三原則が出てくる物語。 1950年によくこれだけ考えついたな・・・というのが実感です。 旧訳は読んだことないですが、この訳は読みやすくていいですね。 話はロボット三原則をロジックの軸として、発生した問題を 人間達と読者が一緒に謎解きをするような感じ。 TVで言えばスタートレックっぽい展開なのかも。 SFとしても謎解きとしても楽しめると思います。 | ||||
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たまたま入れたテレビのバラエティ番組で、人間の動きに呼応してロボットどうしがリングで闘っていました。 これがアシモフの世界ではロボットと人間の黎明期なのかもしれません。 やがてコンピューターも飛躍的に発展して人間の存在を脅かすようになったり、正しく管理するためにロボット心理学なるものが必要になったりするかもしれない、そんなことを考えさせられました。 興味深い短編集だと思います。 | ||||
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映画の原作でおもしろいです | ||||
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女性ロボット心理学者の回想の形で語られる連作短編集。その後のSF界に測り知れない影響を与えてきた「ロボット三原則」は、実に簡素で実に深い概念だが、この短編集はすべてこの三原則が主題となっている。限られた主題でありながら、見る角度を次々に変えていくことで飽きさせないところはさすが。 冒頭の子守ロボット「ロビー」と女の子の交流を描いた物語は、人間と黎明期のロボットの幸福な時を描いている。これほど慈愛に満ちた暖かい描写はアシモフ作品の中でも異色と思えるが、アシモフ17歳の作品と知ると思わずニヤリとしてしまう。その後のロボットの進化に伴って、不信感からロボットを宇宙へ遠ざける人類の描写が、やがて「はだかの太陽」や「鋼鉄都市」で描かれる「地球人」につながっていくと思えるところも面白い。 | ||||
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SF小説といえば、需要が多いとはいえないので「高い」「すぐに絶版」という道をたどるのがほとんどです。 今回、ウィル・スミス主演の「アイロボット」が公開されたせいか、昔に発売された「われはロボット」を新しく訳し直し、装丁も新しくなって再発売です。ちなみに「われはロボット」に収録されていなかった短編が数本ばかし入っています。本がすり切れて触るのに忍びない人や、新しく入った短編の為に買うのも良いでしょう。しかし、新訳なので買う前に旧訳と新訳のどちらが良いか比べたほうがいいかもしれません。・・・新訳の方がわかりやすくはありますが好みもありますしね。 題名は映画と同じですが、内容は全くの別物です。しかし出来に関してどうこう言うまでもなく、最高です。SF小説初心者の人には特に読んで欲しいですね。再版されたこのチャンスを逃さず、買うのが賢い選択です。 | ||||
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アイザック・アシモフの「われはロボット」はロボットSFの古典的名作であるとともに、 現代の人間社会とは別のルールを持った世界で名探偵(役のロボット心理学者)が大活躍するSFジュブナイル・ミステリの雄編である。 この本に収められたミスティックな9編には、科学博士アシモフの今なお古びぬ学術的エッセンス以上に、 「人間」の行動原理に対する深い洞察が見て取れる。 冒頭の「ロビイ」はロボットよりむしろ「友達」を欲しがる少女の心理にスポットを当てた純粋な児童向け小説であるし、 「うそつき」のクライマックスで事件解決の鍵となるのは探偵役のキャルヴィン博士の歪んだ激情だ。 「証拠」「災厄のとき」で示される不気味な機械文明の逆支配構造は、 限りなく発展するテクノロジーに対して人類はいかなる態度を取るべきかというテーマを提示する(しかも明確な結論は示されない)。 読者の注目は自然とロボットよりも彼らと付き合う人間に対して向けられる。 現代のフィクションにおいても、ロボットは人間の姿見としてヒューマニズムを表現するための媒体に使われることが多いが、 驚くべき事にアシモフは今から60年近くも前に斯様な現代的表現技法に着手していたことになる。 本作がロボットSFの出発点にして原点と呼ばれる所以だろう。 SFという形体を取りながら、アシモフのテーマは(当時主流であった)技術文明の礼賛よりも、 時に暖かく、時に残酷に、人間達の複雑かつ奇妙な心の内を描き出すことにあったのではないか。 いつの時代にあっても、人間を描くことに拘る物語は強いものだ。 | ||||
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アイザック・アシモフの「われはロボット」はロボット小説の古典的名作であるとともに、 現代の人間社会とは別のルールを持った世界で名探偵(役のロボット心理学者)が大活躍するSFジュブナイル・ミステリの雄編である。 この本に収められたミスティックな9編には、科学博士アシモフの今なお古びぬ学術的エッセンス以上に、 「人間」の行動原理に対する深い洞察が見て取れる。 冒頭の「ロビイ」はロボットよりむしろ「友達」を欲しがる少女の心理にスポットを当てた純粋な児童向け小説であるし、 「うそつき」のクライマックスで事件解決の鍵となるのは探偵役のキャルヴィン博士の歪んだ激情だ。 「証拠」「災厄のとき」で示される不気味な機械文明の逆支配構造は、 限りなく発展するテクノロジーに対して人類はいかなる態度を取るべきかという 今日的なテーマを提示する(しかも明確な結論は示されない)。 読者の注目は自然とロボットよりも彼らと付き合う人間に対して向けられる。 現代のフィクションにおいても、ロボットは人間の姿見としてヒューマニズムを表現するための媒体に使われることが多いが、 驚くべき事にアシモフは今から60年近くも前に斯様な現代的表現技法に着手していたことになる。 本作がロボットSFの出発点にして原点と呼ばれる所以だろう。 科学に対する楽天的な無批判さが糾弾される事も多いこの時期のSF小説だが、 SFという形体を取りながら、アシモフのテーマは(当時主流であった)技術文明の礼賛よりも、 時に暖かく、時に残酷に、人間達の複雑かつ奇妙な心の内を描き出すことにあったのではないか。 いつの時代にあっても、人間を描くことに拘る物語は強いものだ。 | ||||
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