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凍
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凍の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.36pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全103件 81~100 5/6ページ
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沢木さんが、夫婦愛について書くなんて珍しいなとは思ったのですが、そこは標高8000メートル弱。まさに極限状況での夫婦愛というのが、沢木流なんだと思います。 この本では遭難後、手術、リハビリ療養から再登山へと至るご夫妻の後日談も読むことができます。 にしても、沢木さんは、なぜこうまで極限状況における人間を深く追い求めようとするのでしょう? そんな極限状況を描く沢木さんの洞察眼は、取材力や想像力の域を超えています。正直、登山用語がわからず、その場面を細かくイメージできない個所もありました。けれど、そんな危機状況における人間の心の裡は、そのひだ一枚までも、圧倒的な切迫感をもって読むことができました。09002 | ||||
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山に挑む男を描くノンフィクション。 富や名声ではなく、自分が欲求をみたす、ただそのための挑戦。 過酷極まる登山の果てに重度の凍傷。 その凍傷の後の心の揺れ動き、葛藤、新たな意欲がわいている過程がうまく書かれている。 最後に山野井夫妻とともに思い出のギチュンカンの近くまで行く男性が、まさか著者の沢木氏本人だとは。 山野井本人の近くにいた著者だからこそ聞くことができた、最後の言葉、「終わったな」 作り物の感動話ではない、ノンフィクションだからこその深みのある話。 心に残る一冊になりそうです。 | ||||
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山野井泰史・妙子夫妻のヒマラヤの難峰ギャチュンカンへの挑戦を描いたノンフィクション。沢木耕太郎のてらいのない文体が冴えている。あくまでソロまた最少の人員・装備で,自らの力だけを頼りに頂上を目指す山野井のスタイルは,危険もあるが読んでいて心地がよい。講談社ノンフィクション賞受賞。 巻末の池澤夏樹の解説には,「最も自由なクライマー」と題して以下の文章が記されている。 「泰史と妙子は全くの自由なのだ。すべてを自分たちだけで決められるように生活を,人生を設計している。あることをするのに,他人が提示する条件を容れた方がずっと楽という場合でも,苦労を承知で自分たちだけでやる方を選ぶ。それは本当に徹底している。その姿勢をぼくは自由と呼びたい。」 スポンサーを求めず,節約を重ねて登山の費用を貯金し,かつトレーニングを欠かさない。登山に名声や名誉を求めない山野井夫妻の生き方は,実に示唆に富むものがある。自己を抑制し,身の丈にあった「自己完結」的な生き方は清々しい。 | ||||
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日本を代表するクライマー、山野井泰史・妙子夫妻のギャチュンカン登頂の記録。私が彼等夫妻を知ったのは、NHKでこの登山の後グリーンランドの岩壁への登頂のドキュメントを見たときであった。今でも思い出されるのが、泰史の人懐っこい笑顔と妙子の優しい微笑みであった。手の指全てを凍傷で失った妙子が器用に包丁や箸を使うところに感心したり、鴨居で懸垂をするときに、残った指が邪魔になる、といって笑っていた泰史の笑顔が頭に焼き付いている。その興味深い夫婦の登山を追ったドキュメント。 この登山は困難を極めるものとなり、人間の体力の限界や気力の限界を我々に示してくれ、またここまで人は耐えられるものなのか、と驚愕してしまう内容なのだが、一番きになるのは、死の代償を払わなくてはならない可能性のある、困難な登山に何故ここまで人は引き付けられるのか、ということである。泰史は11歳で登山に目覚め、そこから人生の全てを賭けて、登山に取り組んでいる。「そこに山があるから」という言葉では表されない、何かが潜んでいるのであろう。海外との登山家との関係でも、「登山」というまるで共通言語があって、その言語(登頂ルートでありスタイル等)で会話ができるのである。そこには人間の本質があるのかもしれない。アフリカの大地で産声をあげた人間の先祖が苦難を超えて、世界中に散らばったのは、険しい山脈を越えてきた経験がDNAに深く刻まれており、そのDNAを深く持ち続けている人間が登山家になるのかも知れない。とにかく頭では理解できない世界である。本当に人間の根源に関わる世界なのかもしれない。そしてその世界は厳しく険しいのである。人間の成長を一気に引き受けてくれるほど、偉大な世界なのである。 | ||||
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私は低山ハイカーなので高い山はもっぱら本や映像で楽しむだけなのですが、山野井夫妻のギャチュンカンの経験は凄まじいとしかいいようがないです。 渡したロープにブランコのように座って一晩ビバークとか(もちろん極寒のなか)目が見えなくなって素手で岩壁を探るとか、もうこれで今生の別れと思い立ち上がれない奥さんの写真を撮るところは泣けて泣けて・・・。 フィクションより凄いノンフィクションです。 | ||||
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私達は「自らの死」というものを日常意識することはあまりありません。近親の死に遭えば、その者を亡くした悲しみにひしがれますが、それにしても自らの死ではないわけです。だれにも一時間の後に交通事故で死亡する可能性がありながら、死はいつでもそこにあるものとして意識されることはありません。だからこそ「凍」を読んで深く感動するのだと思います。ここに描かれているのは、目前の自己の死と対峙しながら自らの意志と行為で生に帰還するすさまじいばかりの勇気の記録です。 世界には8000メートルを超える高峰が14座あり、名をあげようとするアルピニストはこぞってこれらに挑戦するわけですが、それよりわずか数十メートル足りないだけで注目をされてこなかった中国ネパール国境のギャチュンカンは、それ故にこそまた中国名百雪谷の意味するとおり、ルートも開発されていない難攻の山なのだそうです。ここに山野井泰史、妙子夫妻が登頂を試み、結局体調の悪い妙子は残して泰史が成功はするものの、下降(登るより降るほうが技術的には難しいのだそうです)時に悪天候に遭遇し、繰り返し雪崩にあい、零下40度の中で妙子は宙吊りになり、風雪の中でビバークをするも防寒具を失い、6日間の壮絶な闘いの果てに生還するのです。この間2人は、はなればなれになり酸素不足で視力は落ち、幻影に襲われたりするのですが、常に相手の生存を確信し続け自らの生存のため死力をつくして生還への歩みを続けます。 泰史は両手5指、右足指全部、妙子は両手指全部を凍傷で失なってしまうのですが、それでも山への挑みはつづけられ後日談ですが泰史はその後別の難峰への単独登頂に成功しています。 読み終わって人間はここまで頑張れるのだという勇気が知らずに沸いてくる気がします。私はこの本を手元に置き、かりに私が難局に立ち向かえずくじけそうな時にはこの本を読み返して自らを勇気づけようと思います。 | ||||
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本書は山を愛し、山に魅せられ、しかし表舞台に出る事を好まなかった一組の夫婦の物語です。 登山が、命を賭けたものであり、どれだけ過酷なものなのか、は多くの人が語り尽くしていたように思っていましたが、ここに夫婦というキーワードが入る事で新たな奥行きが物語に付加されています。 ギャチュンカン登攀後にこの夫婦を襲う自然の過酷さと、それを飄々と受け入れる人間の太さに圧倒されました。 それにしても、ここまで人生において打ち込めるものがあるというのは、うらやましい事だと思いました。 | ||||
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読みながら何度もため息をついた。 僕は登山家でも何でもないので 命を懸けて山に登るという行為がどうしても理解できない。いや「懸けて」ではなくて「賭けて」という漢字のほうがふさわしい。 「そこに山があるからだ」というのが 有名な人が言った「答え」とも聞くが それにしても この「凍」という本で描かれる夫婦の挑戦は凄まじいものがある。 阿部謹也という中世史家がいた。先日惜しいことに亡くなったが 彼は史学を選ぶに際し「それをやっていなかったら生きていけないというテーマを探しなさい」と教師に言われたという。 それと正しく同じ事を 山野井夫妻は 山に登るということで表現している。彼らは山が無かったら生きてはいけないという点が ひしひしと感じられる。 自分を振りかえる。自分にとっての「山」は何なのか。「それをやっていなかったら生きてはいけないもの」は 果たして自分にあるのか。 そんな厳しい問いかけを迫られる。それが本書だ。 | ||||
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以前から沢木氏のファンで、TVのドキュメンタリー番組で山野井夫妻も見て知っていたので、書店で見てすぐに買い、一気に読んでしまいました。 山野井夫妻のギャチュンカン登頂の記録と思って読み始めましたが、泰史氏の妙子夫人に対する愛情が端々から感じられて、あーこれは山野井夫妻の夫婦の物語だと思いました。極限の状態でも相手のことを考え、それでいてそれのみになることもなく(プロの登山家なら当然なのかもしれませんが)、最善の方法を考え生還を果たした山野井夫妻はほんとにすごいと思いました。 結婚前に、泰史氏が少年の頃ポケットに虫を入れて、それがガサゴソする音が〜と話し、妙子夫人が聴いてるエピソードなども良かったです。 | ||||
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この本を手にとって、しまったと思いました。登山開始後数ピッチの苦しさに似ていました。辛い出来事が待っているのにもう引き返すことができないと感じたのです。 山野井夫妻の奥多摩生活や妙子さんの手については、テレビで見知っていました。何とすごい夫婦なのかと驚嘆の念を禁じえません。沢木耕太郎がこの二人を対象とした理由は分かりすぎるほど分かりますが、内容・出来栄えにこれほど意外性のない沢木作品も少ないでしょう。つまり、予想どおりだったのです。 ギャチュンカン北壁は予想どおり困難な壁であり、ビバーク、雪崩、凍傷といった困難に次々に襲われます。そして奇跡の生還、これも知っていることですから意外性はありません。 それでもなお、この本が私を泣かせてしまったのは、実は山野井の母が語る一言だったのです。ギャチュンカンから下山した妙子の指を見た義母は、この子らの面倒を一生見なければならないと思うのです。山のためには凍傷なんてと考える夫妻との強烈な対比が、ここに凝縮されています。 | ||||
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昔から、高い処は苦手な私にとって、スカイ・ダイビングやロック・クライミングはもちろん、登山をする事など、どこか別の世界の出来事と思え、それに挑む人たちについても、"尊敬"よりもむしろ"畏怖"の念を持つ事が強かったのだが、今作の日本屈指の名クライマー夫婦の、正に"生死"を超越した崇高なドラマには、ページを追う毎に、ひりひりとした痛みと緊迫感に手に汗握りながらも、その精神力の強さと逞しさに、心底感服した。人生に安定を求める事なく、飽くまで自らの好きな事を極め、それを目指す為には命をも賭けるというクライマーの心意気が潔い。沢木耕太郎の精緻でリアリズム溢れる語り口の中、彼らが絶体絶命の窮地に立たされても、"死"への恐怖などあまり感じる事なく、冷静、迅速に対処していく様は凄いの一言。猛烈に劣悪な状況で、手足の指を殆ど失くしてしまっても、それでも、前向きに生きて、また"大好きな山"を目指そうとする山野井夫妻に、読了後、勇気をもらった気持ちになる。 | ||||
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読んでよかった。 それも年末最後の一冊に選んでよかった、と心から思える本でした。 山関係の本は、「神々の山嶺」夢枕獏著が最高だと思っていたが、ノンフィクションの沢木耕太郎は、それにも増して良い書き手です。 人間とは、ここまで強くなれるのか、体もそうだが心の強さが行間から溢れ出ている。 2006年も良い本に巡り会えることを期待して! | ||||
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全編にわたって人称があいまいなため、小説なのかノンフィクションなのか、 戸惑う部分がありますが、相変わらずの沢木節は健在です。 基本的には、著者特有の私ノンフィクション的な文体なので、 一瞬著者が登山をしているような錯覚にも陥ります。 ネパールへ行くエアーラインをタイ航空にするかネパール航空にするかといったエピソードなどは、 沢木氏ならではのものといえるでしょう。 しかし、所詮は取材による登山記であり、遭難寸前の描写などは、 クライマー自身が記したものには、及びません。 沢木調の登山記が読めるという意味で、両者の好きな方に限ってお勧めです。 | ||||
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いっきに最後まで通読した。凍傷のために手や足の指が切断されると悟り、クライミングの第一線から引退することを覚悟したとき、「それは死ななくても済むということだ。生き残れるようになったということだ。」と語る山野井泰史氏。「絶対の頂」に魅せられたものは、自分の命よりも前人未踏の頂に自らの足跡を残すことが大切なのか。壮絶な登山の記録に息をのんだ。妙子夫人との関係も同じ志を持って生きる同志としてすばらしい。 | ||||
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登山に興味が無い人も、すぐ物語りに引き込まれてしまいます。 <そこに山があるから登りたい>純粋に山が好きな人の気持ちが この本を読むことで実感できる1冊。 中国・ネパール国境の標高7952mのギャチュカン。 私なんかは登山に無知なため、山野井夫婦がこの山に挑むエピソードの部分は 標高からも難易度が理解できず困りました。が、物語はすぐ登山未経験者でも夢中になってしまいます。 それは、山野井夫婦が山に惹かれる生い立ちに、二人が知り合いお互いを必要としてゆき、今回のギャチュカンへ定めのように人生が流れてゆくから。 山がどんなに悪天候であっても、山の頂きを目指してしまう。 凍傷に見舞われても、頂きを目指す気持ちと、生きて帰る気持ちは揺るがない。 氷点下の世界で、自分を信じ闘う姿。 読んでいくうちに、息をするのを忘れる。 山に圧倒され、山野井夫婦に圧倒され、沢木耕太郎の文才に圧倒され・・・ 文字を超えた力を感じる1冊だった。 | ||||
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彼らは最初から、ふつうの人たちとは違っているのだと思う。 山に登る話は、よく美しい表現がされていて、 読む側が勘違いしてしまうが、 ここには、喜びや苦痛を含めた、リアルな人間像が描かれており、 自分とは違うけれど、魅力的な生き方をしている人の姿を 感じ取ることができる。 生きることと死ぬことが、常に隣り合わせの登山家にとっては、 どっちを取るかは、驚くほど簡単な回路で選択できてしまう 自分が生きのびるという観点から判断するという シンプルで恐ろしい解決のしかたなのだけれど、 これは、自分たちが日々の暮らしの中でこだわっている小さな問題を 簡単に吹き飛ばしてしまうほど、迫力がある。 身体的なダメージを受けても、人が望むことが これほどの迫力を持つ物なのかと驚いて読んだ。 真実だから、すばらしいのかもしれない。 | ||||
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書店に並んでいるのをみて、衝動買いしてしまいました。世界的なアルパインクライマー・山野井夫妻の、2002年10月・世界第15位の高峰・ギャチュンカン北壁登攀からの生還の記録を書いたノンフィクションです。山野井泰史さんを書いた本は、「ソロ」「垂直の記憶」に続いて3冊目になります。殆どギャチュンカン北壁登攀のみにスポットが当てられた作品で、淡々とした文章によって、この登攀の一部始終が細かく書かれています。執筆者の主観や、特殊な形容などが極力省かれた形で書かれているため、等身大のドキュメントとしてリアルに感じられます。ただ、登山未経験者でもわかりやすいよう、国境の時差やクライミングギア等の説明が丁寧に書かれているため、知識のある人にとってはくどい文章に感じてしまうかもしれません。特に、ギャチュンカン登頂後の下降中における、雪崩などのアクシデントや究極のビバークのシーンは物語のハイライトであり、必読です。山野井氏本人による著書「垂直の記憶」でも、ギャチュンカンの描写はありましたが、この本では氏のヒマラヤ登攀記録をすべて満遍なく取り上げているために省略されている部分が多々ありました。この「凍」は、「深夜特急」で有名な沢木耕太郎氏が「新潮」で連載していたものですが、細かい取材がなされていたのか、「垂直の記憶」のそれよりも描写は緻密です。しかし読みやすいので、すぐに読めてしまうと思います。今の世の中に、現実にこんな人がいるのか、ということを知ってもらいたいですね。 | ||||
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沢木耕太郎 初の山岳ノンフィクション。 クライマーとして、日本でよりもむしろ世界的に有名な山野井泰史が、女性登山家として有名な妻の妙子とともにギャチュンカンという7,952mの山に挑んだ際の、緊張感にあふれる登山の様子を、著者特有の綿密な描写で再現している。著者の意見や考え方などは全くあらわれず、死と隣あわせになりながら山に挑む、山野井と妙子を空から見ているような描写である。また、通常この分野の本では多用される写真、地図などを全く使用せずに、簡潔な文章のみで状況を描き出す力量は著者ならではのものである。 山野井については、山岳ノンフィクションライターの丸山直樹による『ソロ』、山野井自身が書いた『垂直の記憶』があり、事実関係のみ考えれば、本書は、この2冊以上の内容はカバーしていない。しかし、これらの2冊は、登山の記録または登山者向けのノンフィクションの域をでていないが、本書は、クライミングの知識がない、クライミングに関心がない読者をも引き込むものとなっている。山岳ノンフィクション分野を越えて、ノンフィクションの傑作と言える内容である。 登山(特にクライミング)の知識がある人にとっては、道具やテクニックに関して一部くどいと思えるような説明がでてくるが、気になるほどではない。 | ||||
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最強のクライマーと呼ばれる山野井夫婦のヒマラヤ高峰の壁への挑戦。 「喪失と獲得」を沢木独特の視線で描く。 過酷な条件下、ドラマティックな展開を、少し離れたところから乾いたタッチでクールに進める。山野井夫婦はほとんどの指を失ったが新たな目標を得、 クライマーとしての人生を一からやり直そうとしていることに気付く。それはより難易度の高い厳しい条件下での登頂を目指す彼らにとっては、 ある意味当然受けて立たなければならない『闘』なのかもしれない。沢木はいい題材を得た。 久々の大作でありそれなりの評価を得るだろう。しかし彼は書きながら山野井夫妻に対して羨ましく思っているに違いない。 読みながらそんな気持ちを強くした。目標が明確で闘うべき相手が見えており、 まっすぐ進むべき方向に立ち向かっていく二人に比べ、 「深夜特急」という名山を制した作者のルートは困難だ。沢木はまた新たな登るべき山を探さなければならない。 | ||||
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山野井夫婦の物欲のない清貧なる生活には本当に驚いてしまう。ピュアで、ストイックで、同志的な山野井夫婦には、おおいに惹かれるし、もっともっと知りたくなる。現代において、こういう生き方があるのかと居住まいを正す若い人多くいることだろう。 沢木はいい主題を、いいタイミングで見つけたのものだ。山野井夫婦のギャンチュンカンの「凍」からの生還物語を無駄のない沢木の文体が見事に描いている。沢木も何かを掴んで生還したのではないか。 本題とは関係ないが、20世紀の奇跡と言われたトモ・チェセンのローツェ南壁の単独登頂は嘘だったらしいと山野井も思っていることは少なからずショックだった。また、ギャンチュンカン周辺の地図を掲載してくれれば読者に親切だったと思う。 | ||||
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