馬車は走る
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とても面白いです | ||||
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JAl123便墜落事故(事件)と夏目雅子が逝去して間もない1985年9月、ロス疑惑の三浦和義を取材した記録「奇妙な航海」が秀逸だった。週刊誌の扇情的なものとは異なる沢木の取材姿勢の為、中味が濃い。インタビューの途中で、三浦が警視庁に逮捕され完結しなかったのが残念だ。 | ||||
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20年前学生時代に初めて読みました。 今回、20年ぶりに改めて読みましたが面白かったです。 | ||||
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ルポルタージュ集『馬車は走る』(沢木耕太郎著、文春文庫)に収められている「奇妙な航海」では、「ロス疑惑」の主人公・三浦和義と過ごした1週間、それも逮捕直前の1週間が描かれています。 ひょんなことから、SM嬢に三浦が縛られる撮影現場を見学した時のこと。「私の皮膚に鳥肌が立った。だがそれは必ずしも嫌悪感によるものではなかった。自分に理解できない存在を前にした時の、ノンフィクションの書き手としての身震いと同じような質のものであったのかもしれない。少なくとも、その時初めて、私は三浦和義という人物を知ってみたいと思ったのだ」。 三浦の人格を形作ったものは、何だったのでしょうか。「『もし時間が充分にあるのなら、子供の頃のことを訊いてみるといいかもしれないな』。私もそのつもりだった。『彼の人格の秘密はあのへんにありそうだからね。特に母親との関係。あれは多分、家庭内暴力のはしりだったんじゃないかという気がしてるんだ』。『なるほど』。『それとやはりターキー(=父方の叔母・水の江滝子)ね』。『実子かどうかということ?』。『いや、こちらの調べではどっから突っついてみても、実子という証拠は出てこないんだけど、やはり彼女の存在は大きいと思うんだ』」。 「弁明に弁明を重ねていた時の、あの言葉が空転し壊れていく奇妙な印象。自分を悪く言いそうな人物に対する巧妙でさりげない中傷。そして、あらゆる話題に対応していく瞬発力。精神分析からの演技性人格障害などというレッテルでは収まり切れないものが、彼にはある」。 「私はその電話の瞬間的な対応の鮮やかさに声を立てて笑いながら、三浦という人に対してある痛ましさのようなものを感じていた。彼は、実は、生きることにひどく不器用だったのではあるまいか。ふと、そんな気がしたのだ」。 「道徳と善悪をわきまえないだけ。そうなのだ。多分、そうに違いないのだ。・・・三浦には、(三菱銀行猟銃人質事件の犯人)梅川(昭美)には、だから私たちには、はじめから紊乱すべき価値の体系などないも同然だった。倫理も道徳もどこかに消えていた。存在したのは、すべてに二者択一を強いられる世界だった。AかBか、○か×か、二者択一の世界に倫理や道徳は入り込む余地はなかった。しかし、生きていくためには、道徳まがいのものを身につけなくてはならない。だから、あらゆる場所で、あらゆる機会に、学び、学ばせられる。しかし、三浦は何かの理由で学ぶことを拒否し、彼の両親は何かの理由で学ばせそこなったのだ。恐らく、彼には人生の目的というものがなかった。なかったはずだ。もし、女とか、金とかが目的だったなら、もっと違った人生を送ることができた。彼にはあらゆることが面白く、しかしあらゆることがつまらないものだった。だから、彼は関心を持つことはできるが、その関心を持続させることができなかった。ほんの短い期間は集中できるが持続しない。彼が、性に関して自由なのは、ホモだからでもなく、マゾだからでもない。彼の行動を繋ぎとめ制御するものが何もないからだ。彼にはあらゆることが可能なのだ。可能だが、意味がない。だから、結局は淫することがない、淫することができないのだ。私と同じだ。違うのは、私は生きやすく生きるための方法を、いつか、どこかで学んでしまったというだけなのだ」。三浦との奇妙な航海の一時同乗者となった、三浦と同い年の著者の三浦観は説得力があるが、「生きやすく生きるための方法」を学ばなかった人間だから、愛人・楠本(白石)千鶴子と妻・一美を殺したことが許されるとでもいうのでしょうか(「殺した」でなく、「殺したことが濃厚」と表現すべきかもしれませんが)。そこまで許容できない私は、あまりにも教条主義的過ぎるでしょうか。 | ||||
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沢木耕太郎のルポルタージュ、ノンフィクションはほぼ読んだと思っていたが、 ブック〇フで未読のこれを見つけた。 1986年初出の6篇を収めた本。(著者30代後半) 書かれる6人は、趙治勲、石原慎太郎、山田泰吉、小椋桂、多田雄幸、三浦和義。 中では趙治勲を書いた「帰郷」と 山田泰吉を書いた「帝(ミカド)」が興味深かった。 面白くないと思ったのが、三浦和義、小椋桂の話。 タイトルの意味は「彼の〈運命という馬車〉に、束の間ではあっても、一緒に乗り、走っているのではないかと思わされる」という著者の感覚によっているらしい。 そう書けること自体がすごいことだと思う。 やはり沢木耕太郎は一つのスタイルを作ったのだと思う。 | ||||
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