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凍
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凍の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.36pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全103件 61~80 4/6ページ
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ほんとに辛さが体験できます。 指を犠牲にするシーンなんてもうね。。。 面白かったけど 二度と読みたくないです(^^; | ||||
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死ぬ人は諦めて死ぬのだ。 俺たちは決して諦めない。 だから、絶対に死なない。(p276) 帯の一文に惹かれて読み始めたが、想像を絶する過酷な状況下での二人のクライマーの決断力、行動力の凄さに、時間を忘れて読み耽ってしまった。 新婚の身としては、主人公の夫妻が、お互いを信頼し合い、強みを活かし合って、最強のチームとして行動する様に、大いに心打たれた。一緒にいる時のチームワークはもちろんだが、別々の時にどこまで相手を信じられるのか。相手も必ず生還できると信じた上で、もし死んでしまっても、崖でないから死体は回収できる、また会えるとまで思える心の強さ。その心の強さが、二人を生かしたのだと思う。 山に興味がなくても十二分に楽しめる。 | ||||
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あまり活字が得意ではない私でも、一気に読んでしまいました++ | ||||
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山野井氏は、アルパインスタイルの登山家としては、世界有数の方です。 そのことを日本ではどれだけの人が知っているのでしょうか・・・。 ご本人と奥様は、有名になるとかの欲求は全くないようですが、もっともっと日本で知られてほしいです。 著者の沢木氏の技術は素晴らしいもので、山野井氏の生い立ちからギャチュンカン登攀とその後の葛藤まで、細やかに描写されています。 山野井氏いわく、 「すごいと思いましたよ。だってロープをどういうふうに結わえて、どういうふうに登っているか、登山の技術を何も知らない状態から、あそこまで書けたわけですから、すごい才能なんだなと思います。 「ただ、いくら沢木さんが素晴らしい作家であっても、残念ながら、生で見ていないというのは決定的ですよね。僕らが経験したヒマラヤはもっと美しくて、もっと偉大で、もっと厳しいものだった。僕らが感じたものは、やっぱり僕らだけの大事なものなんです。(Do 2012 Summer号 掲載記事)」 本書の描写よりもっと美しくて、もっと偉大で、もっと厳しい世界は、本当に生で見ない限り追体験はできない世界なのでしょう。 小説としては最高のもので、退屈な部分が一つもない傑作です。 | ||||
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登山家にして冒険家である山野井康史さんは山岳での想像を絶する厳しい体験を身内にも語らなかったようである。ノンフィクション作家である著者は山野井さんと付き合うなかで信頼関係を構築し、徹底的な取材と実際に現場近くまで山野井さんに同行したりして本書をまとめた。 その内容は山野井康史さんと妙さん夫妻のチャジュンカン登攀の実録である。ヒマラヤの高峰チャジュンカンは標高7952メートル、二人は北壁をアルパイン・スタイルで一気に登り、康史さんが単独で頂上に達し、クライム・ダウン(+懸垂下降)で一時遭難状態になったものの、奇跡の生還を遂げた。時は2002年10月。ベースキャンプからスタートして9日間の壮絶としかいいようのない山との、自然との闘いであった。 2日目に7000メートル地点に達しビバーク、当初は二人で登頂の予定だったが妙子さんが力尽き、4日目に康史さんが無酸素で単独登頂。登りもさることながら下降こそ命がけである。頻繁に大小の雪崩に遭遇し、猛吹雪に巻き込まれる。 6日目に下降の途中で妙子さんが滑落、かろうじてロープで確保。絶体絶命の状況下で二人は全知全能をかけ、下山に成功。瀕死の状態でベースキャンプに到達。この間、予定した日数を越えたため、遭難の情報が関係者の間にかけめぐった。康史さんの気力、体力、冷徹な判断力もさることながら、高所でほとんど食事をとることのできない体質の妙子さんは男勝りの登山力を示した。下山後は、ふたりとも手足に蒙った重い凍傷のため、指を切断する手術を受けざるをえなかった。これらの一部始終が余分な形容を削いだ文章で正確に行程が綴られている。ギャチュンカン登頂は驚異的な偉業だが、常人で凡人のわたしはなぜそこまで、と思ってしまう。 本書は最初、2005年8月号の「新潮」に全文掲載された。その時のタイトルは「百の谷、雪の嶺」。チャジュンカンの意味がそうらしい。その後、書籍にするに際して「凍」と改題。「凍」には「闘」の意味も込めているという。指を失くした康史さんは2005年7月19日にポタラ峰北壁に初登頂に成功したという。 | ||||
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私は、いわゆる「登山」や「クライミング」というものは、やったことがありません。 丁寧な取材に基づき詳細に描かれていますが、読みにくさを感じる部分はほとんどありません。 簡潔な文章中に、器具や用語、地域に関する説明があって大変読みやすかったです。 読みやすいというか、読み進めることで、私の中にいる2人を早く下山させたい…みたいな軽い焦燥感に途中駆られながら読了しました。 想像を絶する状況。 最悪の状態でする、生きて帰るための決断。 何度も思わず「はぁ?!!」「無理!」 と発してしまいました。 そして、読後すぐにネットでまだ夫妻が生きてるかどうかを調べてしまいました笑 表紙もイイですね。 タイトルも。 死に近い挑戦を続けるお二人ですが、凄く地に足のついた人達だなぁとも感じました。 生きる事に迷いがない人は、強い… | ||||
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これまで栗城という人が叩かれる理由がよくわからなかったのですが、この本を読み、その理由がよくわかりました。 「単独無酸素」とは大変なことで、栗城氏のような登山スタイルで「単独無酸素」を名乗ることが、いかに不敬な行為であるか理解できました。 | ||||
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沢木耕太郎らしい淡々とした筆致で極限の状態が描かれ、 季節は暖かくなってきているというのに雪山にいるかのような気分になってしまった。 『凍』というタイトルではあるが、描かれる夫婦の山に向ける魂は熱い。 山好きにはお勧め。 | ||||
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ノンフィクション作家が描く"山"小説。 「なぜ山に登るのか」という答え(答えでというよりかは、生き様の様な気もしますが) の一つが、明確に描かれています。 実際の登山の描写は、やや前知識がないと理解が難しい面もあると思います。 より理解を深めるため、登山映画や漫画(神々の山嶺がおすすめです)を見てから 読まれる事をお勧めします。 特に前知識無しに読んだので、この小説が書かれた背景等は知りませんでしたが、 作者の真摯な取材姿勢が、普段メディアに取り扱われる事を望まない登山家夫妻から、 詳細で生々しい内容/描写を引き出している事がわかります。 登山になど興味のない、という人にも読んでほしい名作です。 ぜひ巻末の解説まで読んで頂ければ・・・と | ||||
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クライマー山野井夫妻のギャチュンカン登山を作家の沢木耕太郎氏が ノンフィクションとして書いたものです。 題名の「凍(とう)」とは「闘(たたかう)」にも読めるのでこの題 名にしたそうです。 ギャチュンカンという山の説明から始まります。登山についてまった く知らない人でも、登山に関する専門用語が本文と共に解説されている ので、読み進めるのは難しくないと思います。続いて、山野井夫婦のそ れぞれの生い立ちから登山家に至までの経緯、二人の出会い、生活、そ してギャチュンカンへの登山、下山後の生活というのが流れです。 人によって印象に残る内容は異なると思います、個人的には登山家と いう道を選ぶまでのエピソードは、才能の目覚めと開花で、才能は人に 幸福をもたらすのか、不幸をもたらすのかよくわからなくなります。 さらに、登山を通して生きていく、生活していく夫婦の在り方でしょう か。お互いを思いやり、生きる道を共に見つめる。男と女、この場合に は夫婦の在り方の基本が書き込まれていると感じました。 読みどころは下山するときの心の葛藤だと思います。夫婦で登山する。 極限状況での判断が迫られ行動します。こういうレベルの登山家は自分 の原罪の意識をしっかりと自覚しながら生きているのだろうと推測しま した。 さて読み始めると、止まらなくなると思います。おすすめです。 | ||||
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ギャチュンカンの極限からの生還を描いた本書は,登山に詳しくない人が読んでもハラハラさせられるノンフィクションである。 山野井夫妻のドキュメンタリーを見たりすると,その極限状態で夫人の写真を撮ることが人としてどうなのかというところが議論されるが,本書では出発前の写真を家族に撮っておいてもらうところが胸にくる。 最後に著者が登場するところは好き嫌いが別れるところかもしれない。 | ||||
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あとがきも良かったです。 「自由」であるからこそ可能な純粋な山への対峙。 生と死が隣り合わせの状況で自分の力を引き出せる強さ。 超人的な反面、時に見せる人間臭さ。 いろんな意味の潔さを教えてもらったような気がします。 一言で言えばすがすがしい。 「上っ面のにせもの」にしか触れてない人に読んでもらいたい! | ||||
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世界最強のクライマー」と呼ばれた山野井泰史が 妻妙子とともに登ったギャチュンガン。その生還劇を 「深夜特急」の作者、沢木耕太郎が描いたノンフィクション。 文庫化された時に、平積みになっていて、 沢木耕太郎なんて「深夜特急」しか読んでないなって、 手にしたまま積読。 もっとも深夜特急もまともに全冊読んだわけでもなく、 大沢たかおのドラマを見た印象のほうが強いわけですが。 別に登山を趣味としているわけではない俺ですが、 読むに従い、どんどん感情移入していって、 のめり込むように読みました。 次々に迫り来る、究極の選択。 俺もヨメと一緒に山を登って、こんな状況になったら どうするだろうかなんてことも思ったりして。 まあ、ありえないんですけど。 ちょうどクライマックスを読んでいるあたりで この前の上海万博でネパール館訪問。 ネパール館には「世界の嶺全景」というタイトルで ヒマラヤの写真が飾ってあって、こんな山での 出来事なんだよなという思いも身近に感じつつ。 また、今回の旅では嘉峪関あたりからは南側に青海省の チベットの山々の見えました。 その時も山野井と妙子のことのちょっと思い出したりもして。 「深夜特急」を読んだり見たりした時は、同じような 旅をしたいと思ったりもしましたが、 さすがに、この「凍」を読んで、同じように山に 登りたいとは思わなかったですけどね。 もともと、そっち系ではないので。 でも、この本を読んで、思いを感じることが出来、 疑似体験をすることは出来たと思います。 [...] | ||||
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登山の経験のない私にもわかりやすく解説された文章 手に取るように伝わってくる緊迫感や臨場感で読書の苦手な私でも退屈せずにいっきに読み終えてしまいました ドラマとか映画にしてほしい一作です! | ||||
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これがノンフィクションだということに驚いた。非常に人間的魅力にあふれる、いや、強靭すぎて畏怖せざるを得ない人間性を兼ね備えた、主人公である夫婦に、ただただ、驚愕。 個人的な評価としては、「神々の山嶺」「栄光の岸壁」といったすばらしい山岳小説をも凌駕している。 | ||||
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この夫妻をひと言で表すなら「強い」としか言い様がない。山野井さんが強いのは当然として、奥さんの妙子さんは驚異的である。高度順応がうまくできないため、超高所にいるにもかかわらず、カロリーのある食事がほとんど摂れなくなってしまう。普通の人なら行動できなくなって凍死か滑落死するところを鍛え抜いた抜群の体力で生還するのである。妙子さんは女性クライマーとして華々しい登攀歴を持つが、性別を抜きにしても世界的に一流のクライマーである。恐怖を感じるセンサーが他人よりゆるい(失礼)とか、楽観的で前向きで、家事や事務能力が高いとか、キャラクターが立っている。この彼女が山から生きて帰れるのは山野井さんがいるからと夫を尊敬しているのだから、こと山岳においては最強の夫妻である。ジャンルは違うがハリウッドでたとえるならばブラピとアンジーである。 印象に残ったのは山野井さんが中学3年生の時、岩登りをしていて10メートルの高さから墜落し血を流して家に帰る場面である。父親が山をやめろと叱るが「やめさせるなら死んでやる」と言って包丁を腹に当てる。ここを読んではたと誰かの言葉を思い出した。「これが無ければ死んでしまうというほど夢中になれることを探しなさい」そういう意味で山野井さんは常に山と関り続け、幸せそうである。 沢木耕太郎さんの懇切な描写によりギャチュンカン雪壁の登攀、そして死闘の下降を疑似体験をすることができた。本書は先鋭的なクライマーに向けて書かれた物ではない。著者が恐らく想定しているであろう登山を全くしない人にも問題なくお薦めできる。こんな激しい生き様もあるのかと考えさせられる良書である。 | ||||
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個人的には、山野井氏自身が書いた『垂直の記憶』の方が、本人が書いていることもあって、体験がそのまま綴られており、安心して共感して読むことができたので、評価したいと思う。 こちらの作品『凍』の方は、他人から見た山野井氏として描いている分、どうしても描写が客観的なものになりがちで、同じギャチュンカンで生死の境を彷徨った氏を描くにも鬼気迫るものが違ってくるように感じる。 どちらも山をやらない人でも読めるような構成となっているが、本書は著名な作家が書いているだけあって、表現としての山、という観点からは楽しめる内容となっている。 山野井氏に関する書籍は、本人が目立ちたがりでないことも関係してあまりないため、時間があれば両方読んでおくと良いと思います。 | ||||
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本書は『新潮』2005年8月号に一挙掲載された「百の谷、雪の嶺」を改題・出版したもので、登山家・山野井泰史・妙子夫妻が中国・ネパール国境の山・ギャチュンカン(7952メートル)に北壁から挑戦した際の壮絶な登攀を描いています。約8000メートルの山に登ること自体が非常に厳しい闘いです。妙子氏は7500メートルから上を目指そうとした段階で体調不良のため登頂を断念、泰史氏が単独登頂を果たします。しかし、雪氷と雪崩、悪天候、凍傷に見舞われ、ベースキャンプ(約5500メートル)までの夫妻のそれぞれの下山行はまさに「闘い」です。下山後、泰史氏は凍傷にかかった右足の指5本と左右の手の薬指と小指を付け根から失いました。妙子氏は両手の指を付け根から失いました(ただし、両手の第二間接から上の指はギャチュカン以前の凍傷で既に切断)。 レビュアーは登山には素人なので、山野井夫妻の登攀スキルの高さを、実感を持って理解できるわけではありません。しかし、描写されるような困難な状況で、冷静な判断をほとんど失わずに壁面を降下するのに必要な作業を淡々と実行できる山野井夫妻の凄さが伝わってきます。それほど高い登攀スキルを有している泰史氏でも下山中、疲労のために幻覚を見、焦りから壁面降下の手順を省略し、ロープに足を挟まれて身動きが取れなくなるというミスを犯してしまいます。これが一層、胸に迫ります。具体的に「何」が衝撃的かを特定することは困難ですが、読後の衝撃が体から抜けません。 | ||||
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稀有な登山家・山野井夫妻の壮絶な山登りルポ。 タイトル通り、まさしく凍りつく感じの危機の連続。 ほんとなんか壮絶な世界をまるで見てきたように描いた、 リアルな話のサスペンス的物語で、 しかもそこに夫妻の山を通した生き様が描かれていて、とってもよい本でした。 かつての沢木耕太郎のノンフィクションのように、 彼の存在が皆無に等しいのが特徴かな。 登山家本人が書いたような本になっていて、 それで沢木耕太郎が書いたというのがなんとなくとても読みやすい。 | ||||
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稀有な登山家・山野井夫妻の壮絶な山登りルポ。 タイトル通り、まさしく凍りつく感じの危機の連続。 ほんとなんか壮絶な世界をまるで見てきたように描いた、 リアルな話のサスペンス的物語で、 しかもそこに夫妻の山を通した生き様が描かれていて、とってもよい本でした。 かつての沢木耕太郎のノンフィクションのように、 彼の存在が皆無に等しいのが特徴かな。 登山家本人が書いたような本になっていて、 それで沢木耕太郎が書いたというのがなんとなくとても読みやすい。 | ||||
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