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凍
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凍の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.36pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全103件 41~60 3/6ページ
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題材となった山野井夫妻のギャチュンカン挑戦、沢木の綿密な取材能力、抑制の効いた文体が相まって素晴らしい出来のノンフィクション。 文句のつけようがない。 おすすめです! | ||||
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この人の本はいつ読んでもすごい。 まるで横で見てきた感じの表現は圧巻です。 この本に出てくるご夫婦、すごすぎです。 これは読まなければ理解できないスゴさです。 通常の生活では考えられない異常な出来事をさらりと正常な意識で考える、すごさ。 これを読むと自分のストレスってなんだろうと考えさせられました。 | ||||
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いつ読んでも途中から沢木ワールドに引きずり込まれる。 以下気に入った同氏の文章を抜粋する。 山野井は妙子のことも忘れ、高みから自分を見ている眼そのものになっていた。自分がたった一人で頂を目指している姿がはっきり見えた。かつてカーレーサーのアルトン・セナが時速300kmのスピードで走っているのもかかわらず、わずか一ミリの大きさのものすら見える瞬間があると言っていた。それに自分も似ていると思った。 (ゾーンの話) 山野井の頭に一つのイメージが浮かんだ。ロープを日本にしたものを渡してそこに尻を置く。まさにロープで作るブランコだった。 (窮地での一瞬の閃き:記憶の必然) 「このまま眠ったら死んじゃうかな」「そんなに簡単には死なないよね」死ぬ人は諦めて死ぬのだ。俺たちは決して諦めない。だから絶対に死なない。「うん、死なない」 (絶対的肯定) 指を失っても、やはり何度か繰り返し登っているうちに登れるようになる。自分が成長していることがはっきりわかる。素朴に嬉しいことだった。その成長には絶対的な制約があるだろう。しかし、その限界に到達するまで進歩し続けることができるかもしれない。 (絶対的肯定) 一本の指を失っただけで、人は絶望するかもしれない。しかし18本の指を失ったことは妙子を別に悲観的にさせることはなかった。好きなことをして失っただけなのだ。誰を恨んだり後悔したりする必要があるだろう。戻らないものは仕方がない。大事なのはこの手でどのように生きていくかということだけだ。 (絶対的肯定) 来年もう一度やるぞ。以前はこれを乗り越えられなければ前に薦めないという切羽詰まったものがあった。しかし、今同じように「もう一度」と思いながらずいぶん違っていた。新しい目標ができたことが、ただ嬉しかった。 (魂の再生) 解説文から:彼らが真の意味で自由だからだ。その中での大事なのが名声から自由である。山野井はクライミングを「真剣な遊び」と呼んでいた。その時々の自分の条件でできるぎりぎりのところを追求する。・・・・ 凍傷で得たハンディキャップを前提として次の山に挑む。つまりハンディキャップから自由だということだ。 (真の自由) 以上、人生を全面的に肯定できる。 | ||||
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大変な臨場感で、読んでいるうちに山野井夫婦と一体化していくのか、 彼らの感覚が当たり前かのような不思議な印象をもちました。 | ||||
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笹本稜平さんの登山小説を読んで、次に読むのを探していて、発見したのですが、いや「凄まじい」の一言に尽きますね。 あのエヴェレストの隣にあるのに、わずかに8000mに満たないだけに注目されることもなかったギャチュンカン峰。 そのときすでに世界的クライマーだった山野井泰史さんは、その北東壁に次に登るべき何かを感じて、やはり世界有数の女性クライマーである妻の妙子さんと共にアタックする。 時間と距離の二軸で、物語は次第次第にギャチュンカンに挑む今この瞬間に向けて、緊迫度を高めてゆく。 生い立ちから今へ。山野井さんと妙子さんの子供時代、山と壁に取りつかれる過程、高峰・難壁を渡り歩いた若き日々、出会い、数々の栄光と挫折を描きながら、ギャチュンカンを目指すに至った現在に向けて加速する時間軸。 二人の家のある奥多摩から成田、バンコク、カトマンズ、チベットを経て、ギャチュンカンに向けて、だんだん焦点を絞ってゆく距離の軸。 そして、物語後半、北東壁を断念した山野井さんら二人は、北壁に取りつく。 一見地味だが、実は死の牙を研いで来る者を待ち受けていた難峰。 どんな高峰にも、事前の想定より厳しいところ、易しい部分がある。 しかしこの山には、そんな「オマケがない」という厳しさを実感しつつ、何とか登頂を果たした山野井さんらの前に、襲い掛かる悪夢。 モンスーン明けなのに本格的な暴風雪に巻き込まれてしまった不運、波状的に襲ってくる雪崩の直撃と妙子さんの滑落、懸垂下降のためロープ回収に向かう気の遠くなるような登り返し、手がかりの無い僅かなテラスでのビバーク、次第に失われる視力、ベースキャンプや待っている人々の幻影、そして手足の激しい凍傷。 およそ考えられるありとあらゆる最悪の状況の中から、それでも二人は生還した! 多くを語らない、語られること無く、黙々と山に壁に向かう山野井さん。 どんなときにも弱音を吐いたりパニックに陥ること無く冷静に、温かい人柄で山野井さんや回りの人たちを支えてきた妙子さん。 お恥ずかしいことに、最初フィクションかと思って読んでいて、後からノンフィクションだったと知り、納得しました。 この話には、そして二人には、過剰な思い入れやエンタテインメント性が無い。 ただ「この山に登るべきだから登ることにした」「目の前に困難があるが、なんとかやれるだろう」「確実に凍傷で足を切るだろうが、でも早くベースキャンプに戻りたいな」という、瞬間瞬間のシンプルな思いだけ。 そのシンプルさ、迷いの無さは、雑事に追われる我々凡人にはなかなか実践することは難しい。 彼らは子供の頃に人生を賭けてでも得たいものに出会い、そのときの状態のまま現在まで歩いてきた。 簡単にできることではないと思うものの、「どこかの時点で余計なものと決別し、何かにまい進する」ということの大切さを、控えめに示してくれているように感じた。 それと、山というものは、余計なものをそぎ落とすには良い場所だ、ということ。 安易な教訓を導こうとするつもりはなく、ただ、極限の状況の中で、生も死も含めて向き合い、すべきことできることを冷静に一つ一つしてゆく、その連続の描写は、どんな小説よりも素直に驚いたし、感動しました。 | ||||
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淡々と、ただ取材した事実のみを重ねていく。 過剰な演出も、大げさな表現もなく、物語が進んでいきます。 近年、ノンフィクションもその本質からズレていると感じていた方も多かったのではないでしょうか? お涙ちょうだい的な構成・文章が目につく作品ばかりがベストセラーに並んでいました。 しかし日本を代表するノンフィクション作家である沢木耕太郎さんご自身によって、改めて日本のノンフィクションの方向性が指し示された作品がこの「凍」であると言っていいでしょう。 震えるような死の恐怖と、息が止まる緊張感! ノンフィクションの醍醐味を存分に味わい尽くしたい方に是非オススメします。 | ||||
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余りにも内容が怖く、途中で読むことが出来なくなりました こんな本は初めてです 内容的には非常にすばらしい登山に関する本だと思います | ||||
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当時最強のクライマーと言われた山野井夫妻の、ヒマラヤ・ギャチュンカン挑戦を描いた、講談社ノンフィクション賞(2006年)を受賞作。 ギャチュンカンは標高7,952mで、世界の8,000m峰14座に次ぐ15番目の高峰であるが、エヴェレストとチョー・オユーの間にあり、ギャチュンカンがチベット語で「百の谷が集まるところにある雪山」を意味する通り、山の取り付きまでの距離が長いこと、そして、何より8,000mにわずか48m足りないことから、これまであまり登られていなかったが、山野井夫妻はこの山の未踏の北東壁に2002年に二人だけのアルパイン・スタイルで挑戦する。 しかし、北東壁は想像を超える難ルートで、泰史が頂上を踏んだものの、その下山の途中、平地の数分の一の酸素濃度、夜は零下30~40度という気温の中で、二人は何度も雪崩に遭い、一時は逸れながらも、生還する。 今日最も優れたノンフィクション作家のひとりである著者による、壮絶な闘いの記録である。 (2008年11月了) | ||||
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この本を読んでまず感じたのは、山は高さがすべてじゃないということでした。 個人的に冬山に登ったりすることがないので、あまりアルパイン的な知識はないのですが、 この本で少しばかり山の深みを垣間見ることができた気がします。 8千メートルにやや足りないギャチュンカンでの一連の出来事は、胸に迫るものを感じ、ノンフィクションの骨頂といった重みを感じました。 さすが沢木耕太郎!(笑) 壮絶な山での体験を経て、妙子夫人がテントで介抱を受けているときに感じたという「自分は世界で一番幸せなのでは」という一文が、とても印象的でした。 | ||||
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読みながらぶるぶる震えてきます。(寒さを想像して) なぜ人間はここまでやるんでしょうか。 なぜこんなにも強くなれるんでしょうか。 ぼくは冬はこたつで寝ていたいタイプなのでやろうとは思いません。 山野井さんが、8,000m近くの山を登る実話です。 夢中で読んじゃいます。 | ||||
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山野井夫妻の個の強さと互いの信頼。 読むべき本のひとつであるとともに、知っておくべき人。 (本人たちは決して望まないでしょうが・・・) ところで、笹本稜平の「還るべき場所」は、彼らのとあるエピソードがヒントになってるのかも? | ||||
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旅行記「深夜特急」で知られる沢木耕太郎さんの小説が好きですが、この「凍(とう)」は、格別です。アルパイン・クライマーである山野井泰史さんが、同じくクライマーである妻と一緒に、ヒマラヤ山脈のギャチュンカン(, Gyachung Kang、7,952m)頂上をめざしたことを題材にしたノンフィクション的な小説です。 一般的に、大規模なベースキャンプを作り、そこから次々に前進キャンプを作りながら、大人数・大荷物で押し上げるように数名を山頂に上げる「極地法」(ポーラー・メソッド)という登山法があります。ものすごいゴミを捨てていくことが問題になっていますね。対して山野井さんの行なっているのは先鋭的なアルパイン・スタイルです。酸素ボンベも使わず、サポートチームもなく、単独あるいは数名で一気に山頂をめざします。こんなことも、初めて知りました。 ネタバレのことは書きませんが、内容は壮絶です。吹雪にあって、氷壁でビバークしたり、一気にクレーターに滑落したりといつ死んでもおかしくない事態が連続します。読み進むことを辞める事ができない一冊。 | ||||
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ノンフィクションだけにすさまじい臨場感。 特に奥さんの妙子氏のタフネスさには言葉が出ない。 一種、なにか頭の線が切れてるのかと思うほどの精神力には脱帽。 登山家や冒険家だけは分からない、何がそうさせるのか。 でも惹きつけられるのだ | ||||
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フィクションかノンフィクションかを論じてる人もいますが、私はノンフィクションとして傑作でした。 論文ですら、それが果たして『すべて実証されている事実か』という問題になります。 文学は論文ではありません。 文学においては、作者の解釈が『事実』であると思います。 作者の主観や解釈を完全に排除した文学はありません。 客観的事実のみを読みたい方は、天候記録くらしか読み物はないと思います。 | ||||
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極限の人間には「生」というものに対する執着度が生死をわけるんだな、と感じた。 事実は小説より奇なり まさにこの言葉がピッタリ。 ノンフィクション小説を読むとフィクションは読めなくなる。 また、「男」と「女」の根底にある造りの違い(精神的なものであったり肉体的なものであったり)も感じた。 冬の夜に読むと、一層その世界をイメージできて、字も少し大きくて読みやすいので、すぐ読み終えました。 | ||||
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いろいろな意味で打ちのめされた本でした。 まず、ノンフィクションというものの概念が覆された。小説に敵うドラマはないと思い込んでいた自分が恥ずかしい。 山へのひたむきな思い、パートナーとしての相手を思いやる気持ち、人間の限界値の高さ、どれも想像を絶する世界でした。 雪崩、低温、ホワイトアウト、切りたつ壁…、これでもかと襲い掛かる自然の脅威の前に、下さねばならない決断。「本当にそれで大丈夫なの?」登山には全く門外漢である読者も、山野井の判断にハラハラします。 お互いを信じつつ、でも「死」もありうる中での二人の行動。手足の指が18本失われ、食事もほとんど取れない妙子が、夫の力となり、必死にビバーグするテラスを作るさま、妙子を思いやり安全を確保する判断を下す泰史。こんな愛の形もあることに衝撃を受けました。 本書は、ドキュメンタリーであり、恋愛ものであり、冒険ものでもあります。 出会えてよかったと思える素晴らしい本でした。 | ||||
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友人から薦められ 購入し読みました。 よかったです。あんな人生もあるのかと思った。 | ||||
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読んでいて本当にドキドキしてしまいました。 山野井夫妻の冒険が凄過ぎました。そしてそれを描写する沢木耕太郎氏の文章力。どれをとってもすばらしい一冊です。 この本を読んでから山野井さんの情報を色々読みあさる位のファンになりました。 本当にすばらしい本でした。 | ||||
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20ねんか30年か前に著者のノンフィクションをよみあさっていた時期があったのだが、この作品だけよみそこなっていたので、購入して、読み始めた、改めて沢木耕太郎のインタビュの旨さと、感性に惚れ惚れする。 | ||||
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山岳物を漁り、本書に辿り着いた。 どんな優れたお話もこの事実の前には薄らぐ。 読了後、山ノ井夫妻の動画を観る事により補完された。 | ||||
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