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きつねのはなし
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きつねのはなしの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.91pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全69件 1~20 1/4ページ
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久しぶりに読んで、やっぱり面白いです どこが違う世界に連れってってくれる感じは飲み込まれてしまいます | ||||
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凄く不気味な空気感を漂わせている短編集で、 表題作『きつねのはなし』を読んでいる時には悪夢も見てしまいました。 森見さんの小説を読んでいて感じるのは、 “日常”の中に“非日常”を忍ばせることが非常に巧みだということ。 そしてこの小説においては、 常にじんわりとした気持ち悪さを感じながら読んで行くことになるので、 脳の中が得体のしれない何かに侵食されていくような感覚になります。 | ||||
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おもしろいし、短編とは思えないくらい深い | ||||
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宵山万華鏡と共に再読したのでレビュー。この作品はしっとりした美しさ。薄暗さ。そして微かに漂う怖さが素晴らしい作品。「きつねのはなし」が著者の作品では文章が一番好きかもしれない。どこか謎を孕みながらも薄暗く、それでいて奥深く、心がざわざわとさせられる不思議な作品だと思う。文章の卓越した、美しいものを読みたいときに。 | ||||
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おそらく一連の出来事を、四編それぞれの「私」から見た話なのだと思います。 彼らの話を総合して考えて何が起こったのかを考察するのが楽しいです。 また、他のレビューでもありますように、じっとりとした日本本来のホラーを感じられます。 時間をおいて何度も読み返したくなる良作です。 | ||||
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”夜は短し”の夢か現か潤いのある華やかな街歩きと出会いが森見ワールド魅力、と思う私には どうにも怖すぎでした。潤いどころがじっとりと湿り気のあるもやもやな結末。 京都の街の美しい描写は健在なんですが。 | ||||
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上記の通り、変化のない大槻教授の話すような日常に、幻想的、スピリチュアルな気持を少し感じさせてくれるのでは・ | ||||
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ホラーと言っても、ファンタジーと言っても、この作家の他の小説だけでなく、他の作家の作品とも一線を画す作品だと思う。 表題の「きつねのはなし」 は、骨董にまつわる不思議な世界を描いている。最後の最後で、ぞっとするような落ちが待っているのだが、それはただ怖いというのとは違っていて、それに気づいてしまったおかげで、もうそれを知らなかった生活には戻れないという、ちょっと絶望的な未来を描くような、そういう怖さだ。 もう一つ 「果実の中の龍」 がすごく面白かった。 ここには実はファンタジーはなくて、人の心が描かれている。だからもしかしたら誰でも、この世界に足を踏み入れてしまうのかもしれないと言う恐怖がある。人の心がどんな風に日常を離れ、戻れなくなってしまうのか。そういう怖さがあって、それがいかにも幻想的に描かれていて、え、こんな落ちなのかと、びっくりするような展開で、とても印象に残った。 短編集でもあり、おすすめの一冊。 | ||||
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京都には魔物が棲んでいます。それはこの本の話ではなく、この前京都に旅した私の実感です。 「ついこの間の戦(いくさ)」と住民が言えば、それは74年前のことではなく、ましてや外国との戦さのことではなく、600年前の応仁の乱のことだと言うのだから、時間の概念が違うのです。だから、秀吉が築いた都をぐるりと周らす堤を築くために掘られた溝に捨てられた無縁地蔵を、未だに住民が懇ろに供養しているのが、平気でそこら彼処にあるのです。 さて、はなからいつもの森見登美彦と雰囲気が違うこの短編集、21世紀の現代に延々と続いている吉田神社の節分祭に、主人公の男が魔物と取り引きをして得たものは、それはもうホントは何だったのでしょうか?ナツメさんは本当は何者だったのでしょうか?(「きつねのはなし」) 千年の都に張り巡らされた神秘的な糸が、それはもう、不思議な音を立てています。私はウソと信じながら迷い込み、迷宮の壮大な門の前で引き返した気がします。(「果実の中の龍」) (「魔」)という名の短編であるのにも関わらず、これはジュブナイル・青春ストーリーとも言っていいような短編。でも、ある一点を除いて。それが、この本の一頁から最後に至るまで棲みついている魔物のひとつであるから。 吉備国の弥生時代には、龍の信仰が確かにあり、何かうねうねとした奇怪な模様が壺に書かれています。やがてその模様が、古墳時代の大王の代替わりの際に使われる壺の特殊器台の模様に変わって行くのに、更に数百年の年月を要したとのことです。すみません、物語とは全く違う話を最後に書いてしまいました。(「水神」) 決して怖くはないのです。ただただおそろしい。 | ||||
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表紙とタイトルから怪談だと予想していましたが...予想以上に薄気味悪くて後味が悪くて良い。4編の短編集。連作のように思えるが明確な繋がりはない。キーワードはどの編にも出てくるが,真相は読者に任せるタイプです。【以下 微ネタバレ】表題作の①が一番おもしろい。なぜか”夜市”を思い出した。 ②は④への伏線か? ③は本当にぶつ切り。「え? この後を書いてよ!」 ④はガチの怪談。加門さんばりの怪談。夜に読んで後悔したが,昼に読んでもきっと怖かったと思う。 | ||||
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イメージ 1 短編4編からなる京都を舞台にした奇譚集。 異界のものが憑依したような痩せて着流し姿の不気味な男、狐面のトラウマに怯える幽霊っぽい古道具屋「芳蓮堂」の若き女主人、そして一見狐に見えるが胴が長く、人間みたいにニヤッと笑うケモノの出没。華やかな歴史を誇る京都のもうひとつの怪しげな不気味な世界を描いた短編集。 「きつねのはなし」「果実の中の龍」「魔」は奇譚という感じでしたが、最後の「水神」はちょっと奇抜すぎてドライで欧米風のホラー風でちょっと抵抗感がありましたね。 なにせ、祖父の通夜の晩に突如池が干上がって鯉が死んだり、祭壇の背後から水が湧き出たり。うがった解釈をすれば、先祖の技術者が明治の琵琶湖疎水の工事で蒸気ポンプを導入し湧水阻止に努めたが、その際「水神」の怒りを買い、子孫の祖父の死にその祟りが出現したという、一種の文明批判かとも思ったのですが。 「きつねのはなし」は、古道具屋でアルバイトしていた大学生の主人公が、店の女主人に頼まれて風呂敷包みをお得意の客に届けるのだが、狐面の痩せて不気味な客との取引に応じたために恋人まで失う危機に陥るという怖い話ですが、狐面の男や妖しいケモノの影、伏見稲荷での狐面をかぶった男の突然死、吉田神社の節分風景などの京都情緒を交えての幻想奇譚。 「魔」は、主人公が家庭教師をしている先で頻発する通り魔事件の話ですが、ケモノに魅入られた真犯人が判明する巻末の逆転劇はミステリータッチで秀逸でした。 私が一番気に入ったのは「果実の中の龍」ですね。 下宿の二部屋のひとつが図書室という本好きの先輩が語る、シルクロードの旅からアルバイトで生臭い水の匂いのするバスタブみたいなものを狐の面を被った男の屋敷に運んだ話、古事記の蛭子の子孫だという祖先の話や大道芸の兄の話など多彩な話に魅惑される主人公。 しかし、後日先輩のガールフレンド瑞穗さんから、先輩の話は全て妄想で嘘だと話される。二人で立ち寄った南禅寺付近の喫茶店に残されていた黒革のノートの「シルクロードの旅日記」を手に入れてから先輩の人が変わったと。 実は先輩は瑞穗さんに会うまでは話下手だった。瑞穗さんは先輩にとってある種恩人だった。 しかし、妄想の世界に入り込んだ先輩は、瑞穗さんからプレゼントされた二人にとっては出会いの思い出の品物である根付「柿の実の中の龍」も忘れてしまう。いや、先輩の妄想の世界では全く別の話になってしまう。 先輩は、主人公に「自分の語った話は全てうそだ。自分は空っぽのつまらない人間」だと言うが、主人公は「先輩が姿を消してこの方、私は彼ほど語るにあたいする人間に一人も出会わない」と述懐する。 そして先輩と彼女は別れ、先輩は主人公に自分の伝記を記した黒革のノートと龍の根付けを郵送し消えてしまう。 瑞穗さんが主人公に好感を抱いていることを知っての、根付の龍の後輩への郵送。先輩の配慮が哀しい。 先輩と瑞穗さんそして主人公の織り成す、淡い青春物語として味わいました。 実は感想を書くにあたって「果実の中の龍」を再読しました。気が付かなかったのですが「魔」の中に出てくる剣道道場の仲間、狐に似た胴長のケモノ、通り魔事件、そして 「水神」の中の祖父が開催した客人の大宴会などが先輩のホラ話に出てくるんですね。 うがった言い方ですが、妄想好きの先輩は、森見登美彦氏その人かもしれませんね。また4編の短編の出来事や登場人物が一部重なって出てくるという入れ子構造も楽しめます。 そして、4編の中では「果実の中の龍」が最後に来るべきだと思いました。 | ||||
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この世界観がたまらない。子供に薦められよみました。四話書かれていますが、どれも怖いねぇ。ホラーというより、怪談です。起承転結になってないのが いい。 | ||||
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四畳半から始めたもりみさんですが、今では夜行やこちらのようなちょっとダークなもの方に引き込まれます。 夜行の方はより文章が洗練されゾクゾクしましたがこちらも負けず劣らず言葉選びが秀逸でどんどん先を読みたくなります。 | ||||
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ひと言で言うなら、とりとめの無い、曖昧で、どこへ向かっているのかわからない小説。饒舌だけど説明も解決もされない。読み終わっても「で、僕はどこにつれて来られたの?」と戸惑ってしまう人も多いかも。ただ、氏の作品で明確ですっきりとした読後感の作品って有っただろうか?見知らぬ異界を場所を逍遙するような感覚、見えている物とその背後にある見えない物の、ずれつつ重なるような感覚が森見作品の真骨頂であり、実世界での論理的な帰結は重要ではないのだろう。ただ、この作品は、氏の作品の中でも構成がうまく言っている方だとは言いがたく、小説としての完成度はやや低く感じます。 私はホラー・オカルト小説が好きなのだが、ヨーロッパ系の作品はあまり好みではない。それはすぐに神や悪魔が登場しキリスト教的二元論で説明しがちだから。せいぜい二千年程度の深みしかない。対して、アメリカの怪奇小説はずっと怖い。クライヴ・バーカーやポー、ラブクラフトの小説は地の底の底、闇の中の中、人間以前の、人が真に触れてはいけないものを描いているように感じる。 日本の怪奇系の小説では、仏教的、あるいは神道的な論理に囚われて平凡な世界観しか得られていない物が多いが、森見氏はさらに深い闇を観ようとしている、あるいは闇に魅せられている。この「きつねのはなし」ではきつね面や稲荷神社等、神道的モチーフを使っているが、氏の描くきつねも稲荷も、神道以前の太古の闇へつながっている。なんとなくバーカーやポー、ラヴクラフトに通じる物を感じ、そこが私には魅力だ。 ところで、最終話「水神」で唐突に水が溢れ出し全てを流してしまって終わり、と言うのに困惑した人も多いんじゃ無いだろうか。で、私なりの解釈をひとつ。これは多分ラブクラフトのクトゥルー神話のイメージですね。主人公一家の代々の当主は「古きもの」に取り憑かれ何らかの契約を交わしている。「宴会」も契約の履行のひとつ。そして「古きもの」の力の発現の表現として「古きもの≒インスマウス」のイメージから「生臭い臭いのする」水のイメージを使ったのでしょう。琵琶湖という設定も有るし、幻術と言う単語が何回も出て来るから、多分、果心居士の水を使った幻術(小泉八雲 果心居士のはなし7)のイメージも重ね合わせていると思う。 で、じいさんが騒動を起こして死んで、家が流されてそれで??私はここで「マルテの手記」での祖父の死を思い起こす。19世紀末、貴族であり侍従長だったマルテの祖父は死の床につくのだが、死ぬ前から彼の死は屋敷に居座り、大声で叫び、人々を支配する。そして死が去ったとき、屋敷はもう屋敷ではなくただ家の形をした抜け殻となっている。つまりマルテにとって祖父でとは19世紀以前の世界そのものであり、美しく、また恐ろしい「古きもの」の象徴でありその死と共に20世紀、つまり闇の追い出された大衆の世界が始まったのです。 「水神」においても祖父の死は古き時代の終焉を意味しています。京都でまたひとつ何かが終わった、消えたということを氏は描きたかったのじゃないだろうか。そして水が結局琵琶湖まで届かなかったというのは、現代、現世においては「古きもの」はもはや大きな力を持ち得ないということだろう。ただし、現世においては。 | ||||
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本格的なホラー(謎めいた怪異譚)でした。 泉鏡花的アーサーマッケン? 私の好きな味。 とても楽しめました。 | ||||
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森見氏の小説は、変わり者の大学生が登場する作品が多い。そして、本作のようなシリアスな作品にも一風変わった先輩が出てくる。京都の例の大学は変わり者が多いという噂だが、森見氏の作品には、この変わり者の生き方を讚美とまで言わないが、認め、愛し、慈しむ様が常に感じられ、この点が僕にはたまらない。 | ||||
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「太陽の塔」「夜は短し~」「四畳半神話大系」に続き、本書は私にとって著者4作目の作品で、これまでとはぐっと雰囲気をかえたホラーチックな作品集ではあるものの、それでもやはり森見登美彦らしさを感じさせる好感のもてる作品集です。 本作品集には四つの短編が収録されていますが、それぞれに共通するワードが登場し、どこかで関連性を感じさせます。 「古道具屋の芳蓮堂(ほうれんどう)」 「鷺森神社(さぎのもり)近くの古い屋敷」 「胴がいやに長く、人間のような白い歯をむき出す狐に似たケモノ」 「何かが待ち受けているかのような京都の入り組んだ路地裏」 「水」 古道具には、なにやら秘められた歴史のようなものを感じさせられる。 そこで取り扱われるものの中には、やはりそこに秘められた魔の力をもつものがあってもおかしくない。 本作では芳蓮堂という古道具屋がもつ雰囲気を作品全体に及ぼすことで、常識では説明しきれない不思議な現象や存在に説得力を持たせることに成功している。 それでも、芳蓮堂のナツメさん、着流し姿の不気味な天城さんといった存在、そして大学生が主人公となっていることで、これまでの森見登美彦作品らしさも保っています。 こういうお話も悪くないですね。 | ||||
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京都の左京区が舞台で、学生時代を京都で過ごした人にはお薦めです。 4編がつながっているようで、独立したおはなしでした。神秘的で闇の中にある人間の感情を描き出している小説です。一気に読み終えました。 | ||||
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京都が好きで、何度も行った。でもまた行きたくなる。 森見登美彦の作品群に出会ってしまってから、その衝動がまた強くなった。 この「きつねのはなし」は特に。やっぱりあそこには何かがいる、何か得体のしれない妖気が。 森見作品の中でも描写は特に写実的である。それゆえに静かにせまる得体の知れない恐怖が伝わってくる。 京都にて一人、白昼、道に迷ったことがあるが、あのとき通った道の記憶の中に、”ケモノ”が入り込んでしまったみたいだ。 | ||||
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帯も付いたままで思っていた以上の美品でした。 丁寧な梱包に到着も日時通りで とてもお得な感じがしました。 後は読むだけです。 ありがとうございます。 | ||||
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