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(短編集)
パーク・ライフ
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パーク・ライフの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.17pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全61件 21~40 2/4ページ
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公園にぽつねんと座っては、目をすがめて景色を眺める ぼく。ある日ぼくは、地下鉄で間違って話かけてしまった女性が、同じ公園で過ごしていることを知る。スターバックスコーヒー片手のそのひと=スタバ女は、ぼくの公園での行動が妙に気になっていたらしい。見飽きないのだという。たわいもない会話をかわす ぼくとスタバ女。 ぼくは、別居中の宇田川夫妻の家で留守を預かっている。リスザルのラガーフェルドの面倒をみているのだ。休日は、ラガーフェルドをつれて公園へ。 ぼくの日常は、まったく何もおこらない。同僚やご近所さんとの触れ合いの日々だ。心の闇とか、懊悩とかに慣れきってしまうと、何もないことがやけに新鮮に思えてしまう。純文学が表しようのないものを文章にする文学ならば、何もないことをしたためている本作品も純文学なのだろう。何もないのにつまらなくないのが素晴らしい。 ぼくとスタバ女は、恋の予感すら感じさせない。じれったくすらない。実にそれが新鮮なのだ。 公園に集う人々は、そこでちょっぴりだけ自分だけの楽しさを味わいたい。ぼくもスタバ女も、そんな人々と一緒に風景にとけ込んでいく。ハッピーもアンハッピーもない。フツーであることがとても心地良い。『パークライフ』はそんな作品だ。 同時収録の『flowers』は、不幸の一歩手前で踏みとどまっているギリギリ感に心がざわめいてしまう。読み物としては、こちらの方が面白くはあるかな。 ところで、本書の表紙をよ〜く見ると覆面をかぶって刃物を持ったかのような人物が描かれている。これっていったい何でしょう? | ||||
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表題作の『パーク・ライフ』は、独特の浮遊感に包まれる作品。 公園でビールを飲みながら読むのに適している気がする。 僕は半身浴しながらぼーっと読んだ。 最後はなんとなくポジティブなムードで終わる。 併録の『flowers』がいい。こういう小説を僕はもっと読みたい。 何が善で何が悪か、何が正で何が誤か…といった、 のちの傑作『悪人』で開花するモチーフの萌芽がある。 男を描写するときの何ともいえない匂い立つようなエロティシズムは、 吉田修一の得意領域(?)と言っていいだろう。 こういう小説は、書けそうでなかなか書けない。 | ||||
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過去に五度も芥川賞候補にあげられながら、受賞を逃し続けた吉田修一が『パレード』で新境地を切り開き、いい意味でリラックスして書かれた作品ではないでしょうか。過去に候補にあがった作品にある、ある種の閉塞感(併録の『flowers』もその頃の作品です)が消え、瑞々しさに溢れています。デビュー以来、一貫したテーマである地方出身のちっぽけな自分が巨大都市・東京にみくびりながらも馴染もうとする姿が読んでいて爽快です。少しやり過ぎな感もありますが、興味深く読めました。 | ||||
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上京組な私が東京にきて感じていたビミョウな空気感。 正面にいて目を見ているようで、見ていない ぶつかるのでなく、するりと暗黙了解的にかわしていく。 その 時、時代に流れる、なんとなく、な、 「トウキョウ」の空気感が 活字に起こされている 収録されている2作品ともそんな感じがする。 地方からやってきて 東京で生活しないと分からない感覚なのかもしれない。 少なくとも、 私が地元でずっと生活していたのなら感じ取れない空気感。 芥川賞受賞作品だそうですね。 歴史の記録としては目立って残されにくい、その時代の空気感、というものを 記録している、と考えると、とても素晴らしいことだと思う。 著者の他の作品を読んでいないので他でどのように書かれるのか知りませんが、 トウキョウを現すためのこの描写の仕方であるなら、さらに素晴らしいと考えます。 さらっと読みやすかった。 さっき知りましたが映画化された「悪人」の原作者なんですね。 他の作品も読んでみようかなぁ。 | ||||
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余り読書しない方は、直木賞はエンタメ、芥川賞は小難しい純文学とイメージしてるでしょ? この作品で、「芥川賞作品は読むの面倒臭そう」というイメージを打破したと思います。 「恋に恋い焦がれてる若い人」が読むと、胸にズシンとくる読後感を味わえると思います。 芥川賞では町田康以降、若い作家さんにに多大な影響を与えた作品(作家)だと思います。 エンタメと純文学のの間、中間小説のトップクラスの作家ですね。 | ||||
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この小説は公園好きの男女を描いたものだ。あたかも時流に乗る人々と、そこからはみ出た人々の間に現れた第三の人柄を描くように、公園好きの人々を描いている。 仕事が嫌いなわけではない。現代社会に疲れているというほどでもない。流行にも一通り通じている。でも、少しずれてるかな?普段の生活を中和をするために、公園に来る。何もしなくても放っておいてくれる場所で、しばし傍観者になりたい。そんな人達だ。 この小説にはやたらと実在の商品名や固有名詞が出てくる。最初はややスノッブな感じが鼻につき、皮相で普遍性のない小説に思えた。 しかし、商品情報のあふれた現代社会で、作者が読者に登場人物の人柄を正確に伝えるために、実在の商品のイメージを利用するのは、案外正しいのかもしれない。本書は登場人物が時流に乗りながらも独自の価値観で生きる人々であることを示す事に成功していると思う。 例えば、しつこいくらいに出てくるスタバ。本作品の発表当時、スタバがステータスだったのか評者は覚えてない。あの誰が煎れても同じ味が出せるエスプレッソマシーンのおかげで、瞬く間に世界中にフランチャイズを拡大した、グローバル消費社会におけるコーヒーチェーンの最高峰(大袈裟だ)を、一つのステータスと思う人と、それに違和感を感じる人を対比させれば、回りくどい説明をするよりも、登場人物の性格や知性を直感的に表現できるだろう。 ただ、主人公よりも女性の方が、より自覚的に自分の公園好きを理解してるように感じる。だから、自分の考えが時流に乗った人々と少し違い、その立ち位置が世間的に中途半端だという自覚もあると思う。 最後に「よし。‥私ね、決めた」と言い残し、彼女は主人公を残し歩き始める。 主人公はその背中に向けて、「あの、明日も公園に来て下さいね!」と声をかける。 果たして、彼女はまた公園に来るのだろうか?そもそも、何を決めたのだろうか? | ||||
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吉田修一の第127回芥川賞受賞作、パーク・ライフ。2002年刊。「主観的」評価☆×5。 これを初めて読んだのは高校三年生の時で、一気に吉田修一の才能に惚れ込みました。(そのわりには著作を広げたのは最近なのですが) この小説が「文学ではない」であるとか、「ストーリーがない」であるかは関係がなく好きでしょうがなくなってしまったのは、小説世界が持つ人間の距離感と空気感。 何と表現すれば良いか分かりませんが、自分と他人・自分と世界との間に絶妙な距離感が流れていて、それが爽やかすぎず、鬱陶しすぎることもない、不思議な魅力を持っているんです。毛色は違いますが、例えばあだち充の「H2」の魅力はこれに近い部分があって、「ああ、こういう感じ、良いよな」という魅力に近い。 あらすじ・・・といってもストーリーといったストーリーはなく、ひょんなきっかけで主人公がある女性(スタバ女)と知り合う。そこでありきたりの恋愛感情を育んでいくわけでもなく、のらりくらりと昼休みにお互いがもともと好きな日比谷公園でゆるい時間を過ごす。そこで公園で何をするわけでもない人たちと触れるような触れないような時間を過ごす。 また、主人公のキャラクターも独特でありながら、非常に共感が持てる部分があり、不思議と好感も嫌悪感も抱かない人物像。ほとんど狂言回しのような存在で、ある意味では日比谷公園が主人公のようにも受け取れる。(当時のメンズノンノのインタビューで著者も似たようなことを語っていた) 最近読み直して、はっと思ったのが2箇所あった。1つ目は、主人公の知人に対する評価で、基本的に苦手なタイプだが、ときどき肩の力が抜けている自分を発見する、と。そして、彼を苦手な理由が「お前を見ていると若い頃の自分を思い出す」と、無遠慮に同化してくる軽薄さでありながら、同時に好いている部分でもある、という語る箇所。 2つ目はスタバ女がスターバックスのコーヒーを店で飲まずに、公園で飲む理由を語る部分で、「あたしがいっぱい集まってくる感じがする」という感想をもらす場面。子供を生まないと分からない、というのと同じ意味で、あの店のコーヒーの味がわかる女になっちゃった、というところに複雑な感情を抱いていることを告白する箇所。 前者なんかは好感も嫌悪感も抱く感情が分かるし、後者はこの時代にスイーツ女への嫌悪感(自分はスターバックスの全盛のブームはスイーツの流れの走りであったと思っているので)、自分がそういう部分を持っている絶妙なジレンマを匂わせるんですよね。 そして、そんな自分も嫌いじゃないという二重のジレンマ。 この小説は合う人と合わない人が確実にいるので、大好きな小説にも関わらず、誰にでも薦めるつもりはありません。ただ、自分が好きな人には読んでいてほしい、と思う作品です。 ちなみに合わない人たちにはこの小説は「何だこれ?」となってしまう小説に間違いないです。物語性も啓蒙性もほとんどないので。 前作「パレード」が人間関係の残酷さを抉ったものと位置づけるのであれば、本作「パーク・ライフ」は薄い希望、いや、期待感といった方が近いかな、を持たせた小説です。 竹を割ったようなストレートなインパクトがある小説ではないですが、玉虫色のような、やわい魅力がある小説。特に東京で生まれ育った人たちよりも、上京して来た人たち。そういった人たちにぜひ読んで欲しい。 | ||||
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「flowers」との2作を収録。「パークライフ」より「flowers」の方がいいって人が多いみたいですが,自分は「パークライフ」派ですかね。たぶん。できれば収録順を変えてもらって,「flowers」→「パーク〜」の方がいいかも。 日比谷公園も駒沢公園も行ったことがありますが,行ってから読んだ方が雰囲気つかめるかも。でないと,「村上春樹っぽい」とか思っちゃうのでは? 表紙が秀逸。拡大すると楽しめます。 | ||||
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本書は芥川賞受賞の表題作ともう一つ「flowers」という作。 最近の芥川受賞作が小説の巧みとしてではなく、社会的現象を描写するものとして褒められるようになった現在に、この作品は目立つ。やはり、芥川賞審査員の評判を調べると、特に村上龍の評判は社会的現象に拘るみたい。その視点からみると、ここにレビューを書いた多くのお客さんは何も感じないというのは当然だろう。何も説明をしなく、何も解決を上げない。退屈な人生を生きている主人公は、その退屈に生き延び続くというような内容だ。 しかし、大事なのはその退屈の世界。主人公のまわりの世界はいつも鋭く描写されていて、主人公と同じ目で世界を見てるように読者を魅惑するのはすぐれていると思う。特に描写で微妙なニュアンスを告げるのは得意。 本書を読むのは、『7月24日通り』や『春、バーニーズで』などの作品を読んだ後ので、作者の才能がおそらく本書にキチンと発揮されてないかもしれないと感じる。しかし、この作者の進化について学びたい方へ、この本をすすめる。 | ||||
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本作は芥川賞受賞作である。 語彙が簡単で読みやすい。しかしその深さは計り知れない。一回の読みで内容を把握するのは不可能で、本質を掴むためにはきっと何十回も読むだけでなく、注意深く人物を観察しないといけません。登場人物が魅力的で、表現が素晴らしい。 一読だけでは、ただ単に書き連ねたものにしか見えないが、注意深く見れば、なぜこの人物がこう喋ったのか。が多少なりとも見えてくる。しかし正直言うと面白いものではありません。ただ素晴らしいものなだけでしょう。 表現が簡単にも関わらず素晴らしい。それが本書立派なところだと思った。 | ||||
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訴えかけるものというより、瑞々しい情景描写が心に残りました。良い言い方をすると、「さあ!こう感じ取れ!!」という押し付けがましさがないことが心地よいです。ただこれは俗的な感情という自戒もなくはなく、芥川賞の決め手とはまた別個のものでしょう。 ただ、起伏がない、淡々としているといった感想が、即ち文学賞にふさわしくない理由として主張されるべきものかどうかは疑問です。文学ってそういうことではないと思います。ただ、舞台が現代で、描かれる登場人物が現代人であるがために、繊細なものが見落とされてるのではと。舞台が昔で、出てくる人物が昔の人なら、淡々とした展開にも文学の味を見出そうとするのではないでしょうか。そういう見方には少々疑問を覚えます。 | ||||
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「パーク・ライフ」に関し、ストーリーそのものは大きな起伏がある訳ではないの だが、日常生活の中に散りばめられた小さな非日常、自分のアパートがありな がら半別居状態でマンションを空けている先輩夫婦の家で寝泊りする主人公、 偶然主人公が話し掛け、スターバックスのカフェモカを公園で飲む間柄になった 年上の女性、特に大きな理由も無く、CCDカムをミニチュアの気球に取り付けて 空に飛ばす老人の姿などが作品の随所に散りばめられており、その舞台として 日比谷公園を中心とした銀座・日比谷・有楽町界隈があてがわれている。 そういう意味では読み手によっては退屈な作品なのかも知れない。 『あるあるネタ』が好きな人なら。 後半に収録されている「flowers」は若妻のアングラ劇団への入団を機に、九州 から上京して飲料水のルートセールスの職に就いた男が、巨根で頭の悪い先輩 と上司が別の同僚の奥さんの間男だったり、上司が自分に奥さんを寝取られた 部下をなじったりするなど、職場内の人間関係に巻き込まれる姿を描いている。 以上の2作品や『最後の息子』にも共通する、『日常の中の非日常』が巧く 描かれているが、劇的なストーリー展開がある訳ではないので、その辺に 関しては期待はしないほうが良い。もっとも、その部分は個人の好みによるのだが。 | ||||
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この作品では日常生活では滅多に無い、赤の他人と関わるという“事件”を通して他人だから優しくできたり、携帯電話の番号も知らないから忘れられなかったりするという普段忘れていた感覚と思い出して切なくなりました。携帯電話に番号を登録したら他人じゃあ無くなるという短絡的な考え方を知らず知らずのうちに身に付けている自分に気付きました。 この作品を読むと次の日から道を尋ねられたら今までより少しだけ親切にしてみたくなったり、昔からの友人の知らなかった部分を見つけて少しの距離を感じてドキッとしたりしそうな、希望のようなものを感じます。 | ||||
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著者の「パレード」という本の構成やストーリーが非常に面白かったので、芥川賞受賞作の本書には非常に期待していました。その割には何も心に響いてくるものがなかったような気がします。ただ、「パレード」や本書の「パークライフ」「フラワー」のいずれの作品も穏やかな生活から急展開する結末という構成は似ており、読み終わった後に、ゾクッとする感じはどことなく怖いようであり、どことなく気持ちよかったりします。 芥川賞受賞作という期待がなければ、それなりに面白い作品です。 | ||||
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出会いはふとした偶然から始まる。 ついさっきまで隣にいた先輩が降りたことをうっかり忘れて、 電車の中で意図せぬ”独り言”を言ってしまう主人公。 その時傍らに立っていた女性は、何気なく言葉を返して主人公のちょっとした窮地を救った。 なんか、ありそう。あぁ、あるある。 作品全体にこういった空気が流れ、その心理描写は繊細。 舞台となる日々谷公園の風の感じや草の匂いまで感じるような情景描写も見事で、 それらが相まって、何気ない日常の光景の中から、ほんのりと「心の風景」を拾い出している。 この機微がわからないと、この作品はとても淡々として、とりとめがないように思えるかもしれない。 わかるようで、わからない。とどくようでとどかない。 それは日常生活のもどかしさに、そのまま通ずる。 さりげなさの中に、そんな心のゆらめきを描き出した佳作である。 | ||||
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これと言ったオチがないという点で、 まさに吉田修一らしい作品だと感じました。 どこにでもありそうな日常的な風景を捉えつつも、 その中にある細々とした描写とかがうまい! 人と人との距離感も絶妙に表現されてるところも良い。 これは全ての吉田修一の作品にも言えることだと思います。 『パークライフ』は、 主人公が電車の中で偶然知り合った女と、 物語の舞台、日比谷公園で再会するところから物語が始まります。 『flowers』は、 ”人間”がリアルに描かれてる作品だと思う。 私は、主人公の奥さんも実は元旦と…と思ってしまいました; この二編が入ってます。面白いんでぜひ読んでみてください。 | ||||
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生きているのか、生かされているのか。何かを成し遂げようとする意志を持って自ら生きている人間は少ない。恥じらいから隠しているということを除いたとしても。 臓器は生かされているものの象徴。生きるための意志は受け入れる側の人間にあるのであって、移植される側の臓器はただただ生かされているだけにすぎない。 変わるということ。変化を求める体質は生きる意志に他ならない。スタバ女は変化を受け入れる決心をした。生きることを選んだ。 生きるということは、目に見える綺麗さから一番遠いところにあるのかもしれない。 | ||||
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表題作と「flowers」の二作品。 強い衝撃をうける作品ではないのだけれど、読後感は悪くなかった。 終わり方は、いい感じ。 舞台となる日比谷公園は、非常によく知っている場所なのでその分親近感が沸いた。 「flowers」の方は、あまり感じるものがなかったなぁ。 昔より芥川賞作品から受ける衝撃ってもんが小さいような気がするんだけど、これって、読む側が年取ったからなのかなぁ? 鈍感になってきてる? | ||||
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現在外国で生活しているが故に強く感じるが、東京での都市生活、感覚をがありありと思い起こした。この著者は土地に根ざした感覚が薄れた東京、郊外化しつつある東京を描き出している。ひりひりとまではいかないがある種のしょっぱさを登場人物たちに残しながら東京の風景は流れ続けていく。東京には夢踊るような成功物語とかシンデレラストーリみたいなものは無い。そこに日比谷公園はある。セントラルーパークのように華々しいドラマの舞台になるわけでもなく、革命の血が流される広場になるわけでもなく、東京のちょっとエキセントリックな事象を包含し続けている。しかしこの公園はなんらかの新しい接点、偶然の地殻変動から生じる断層みたいなものも生み出す。それが大きなドラマの母体となるわけではない。しかしそれが現在の東京の公園なのだろうと思う。 | ||||
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読むのが遅い自分にとって、この作者の作品は速く読み進むことができます。それは何故かというと易しい言葉を使っているというのではなく、これまで自分が生きてきた中で言葉で上手く表現できないでいた感覚や感情が、不自然ではない書かれ方で所々言葉にして表出してくるからではないかと思っています。 この作品には、誰某がどういう事をする話という確たるものがないように思います。が、読んだ後でふと思い返すことがあった時に、登場人物の些細な仕草や言葉が、この先の何かに繋がるんじゃないかと色々想像できる味わい深さがあります。私達が日頃過ごす中でも、友人知人や親のちょっとした事で何かを連想し、行動に移すことがあります。それらと似ている、というより同じ事がこの何気ない生活の中で書かれていると感じた時、この作品はぐっと自分との距離が近くなるのです。 | ||||
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