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五分後の世界
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五分後の世界の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.96pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全90件 21~40 2/5ページ
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とんがった作品の多い村上龍さんが、発表当時「自らの最高傑作」と呼んでいたという、先鋭的な長編ゲリラ小説。 1945年8月、日本人は連合国軍に降伏せず、大挙して長野県の山中から地下に潜り、トンネルを張り巡らせ、分割統治する諸国と対峙。数十年たって28万人にまで激減しても今なお、地上に散開する国連軍を挑発している、というニセの戦後日本が舞台。例によって執拗で鮮烈な描写に貫かれた、パラレルワールドそのままの「戦争ファンタジー」とも言える。 1945年の敗戦を境にした「もう一つのニセ戦後日本」をでっち上げたといえば、矢作俊彦さんの『あ・じゃぱん!』を思い出す。しかし、こちらはパロディー風味のあった『あ・じゃぱん!』とは対照的。陰惨で暴力的で、全体の3分の1ほどを戦闘シーンの繰り返しで埋め、救いがなく、しかも唐突に終わる。それでも、たまに村上龍さんの小説を読むと、連続するエグい描写を介して非日常の気配が味わえる。今回も一気読みだった。 | ||||
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私は村上龍の本をたくさん読んだわけでは無いので(半島を出よと本作しか読んだこと無い)、著者の思想などはよく分かりません。 私の読解力が足りないせいなのか、地下にこもって徹底的に合理化し徹底抗戦している日本人こそが素晴らしいというメッセージは受けませんでした。 戦争状態かつ徹底的に合理化した地下世界においては、他者を敵か味方かに二分し生存するために敵を殺す。 その「五分後の世界」迷い込み、最終的に帰属する主人公は、「五分前の世界」において母からの愛情を得られず、殺伐とした世界で他者を利用し狡猾に生き抜いてきた人間である。そういった人間が「生存するために敵を殺す」世界で、はじめて仲間を得て、そして「向現」の作用とともに(自分と仲間の)生存という原始的な使命に目覚める。 これを読み終わって思うのは「今の日本人は情けない」でも「純粋な使命のため戦い続ける美しさ」でもない(兵士たちは本当にカッコよく描かれており、ついつい憧れてしまうが)、ポツダム宣言を受けれず生存のためといい、豊かさも無く、さらに戦争を続け人口減少に陥る「五分後の世界」の矛盾と、ポツダム宣言を受け入れ敗戦から「五分前の世界」の日本を再起させてきた先人たちへの尊敬である。 | ||||
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ふと気付くと雨の中の行列に紛れ込んでいた主人公オダギリ。彼は、そこが今まで自分のいた世界とは違う場所だと知る。 そこは、太平洋戦争で日本が降伏しなかったパラレルワールドであった。日本はアメリカ、イギリス、ロシア、中国に分割統治され東京はスラム街と化していたが、一部の日本人は地下に都市を建造し、ゲリラ組織として全世界中を相手取って闘っていた。オダギリはそうした「五分後の世界」を垣間見ることになる。 主人公のオダギリはヤクザ者ではあるがごく一般的な日本人である。彼の視点を通じて、現代の日本と「五分後の日本」が対比されて描かれる。更に作中にはゲリラに加わらず国連軍に加担する「非国民」と呼ばれる日本人も登場し、惰弱で惨めな存在として描写される。 作者からのメッセージがオダギリの台詞として語られたり少々押し付けがましく感じられる点はあったが、本書を読んで改めて「日本らしさ」とは何だろうか、と考えるきっかけになった。 作中で主人公が「非国民村」を訪れるシーンがある。その村では人々は粗悪な和紙で作った服を羽織り、金属部品で補修した舞台で能が演じられていた。能面はよく分からない植物の汁で塗装されており、主人公の知る能とは全く異質の物となっていた。 伝統文化に固執する「非国民」と勇ましく戦うゲリラを対比するシーンだが、 「形の上での伝統に固執するうちに全然違うものになっていく恐ろしさ」を感じた。 巷に溢れる「日本らしいおもてなしの心」「サムライジャパン」といった繰り返されるワードと作中の変質した能がダブって感じられたのだ。 350ページ程度と長編小説としてはやや薄めであり、文体も平易なので読みやすいと思う。 ストーリーとしては大きな起伏もなく淡々と進むので飽きてしまうという人もいるかもしれないが、世界観を味わうだけでも面白いと思う。 | ||||
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圧倒的な迫力がある小説です。 コインロッカー・ベイビーズにも似た疾走感とリアリティがあります。 こんなパラレルワールドから、今の日本を振り返ってみるのも面白いと思いました。 | ||||
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もう何度も繰り返し読み返している本作は、村上龍作品の最高傑作かもしれません。 「コインロッカーベイビーズ」「半島を出よ」など傑作と呼ばれる作品は少なくありませんが、本書は文庫本で300ページ足らずの分量の中にとてつもなく濃密で重量感ある情報が積み込まれている感があり、熱い言葉が溢れ、ラストの数行にカッチョイイと心もシビれ、読後感も半端なく充実します。 (村上龍は、ラスト数行がとてもクールで格好いいものが少なくありません。最近読んだ「オールドテロリスト」もナカナカのものでした。また、いろいろなもののネーミングの巧さも感じさせます。「コインロッカーベイビーズ」の「ダチュラ」しかり、「オールドテロリスト」の「オオトロ」しかり、本書では、地下栽培可能な稲の品種に「ホタル二号」と名付けています。) そして本書で描かれる「日本が生まれ変わる」という状況を疑似体験することで、自身もやり直すことができるという感を味わうことができます。 「いかなる意味の差別もない国はアンダーグランドだけである」と言わしめる旧長野県の地下数百メートルに26万人の人工を持つ日本国アンダーグランドは、次の世代に大切な情報を確実に伝えていくため、今もアメリカを相手に戦争を続けている。 何度も原爆を落とされたことで時空の歪みが生じたのか、そんな世界に飛び込んでしまった小田桐が、狂気に陥ることなく生きていけるのは、無意識のうちに、恐怖と死が自分に訪れるルートとシステムといったものを受け入れることができたからだ。 小田桐は、この世界のしくみを、小学生の社会科の教科書で知ることになる。 「なぜ、大日本帝国は消滅したのか。その原因は、戦争でもっとも大切とされる補給や情報や科学技術が無視されたこと、さらに大切である生命というものを尊重しなかったこと。そして日本人全部が無知でした」 「周りを海で守られていたため他の民族と戦うことがなかった日本は、他の民族や国を理解することがいかに大切かを学ぶことができなかった。そして生命というものはそれを積極的に尊重しなければ守れないものだということも学ぶことができませんでした。」 「もっとも重要なのは生きのびていくこと。世界中が理解できる方法と言語と表現で、われわれの勇気とプライドを示し続けること、それが次の時代を生きる皆さんの役目です」 結局、沖縄を犠牲にして無条件降伏した現実の日本は、日米地位協定のもと基地問題も解決できないアメリカの奴隷状態にあることさえ多くの国民は気づいていない。 「生きのびるぞ。オレも死なないし、こいつも死なせない。」 ラストの小田桐の決意を胸に我々も生きていかねばならない。 | ||||
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まぁ、広島長崎に原爆落とされても降伏しないで戦い続けていれば(アメリカもそう何発も落とせなかったはず)人口は激減しても今みたいな情けない日本人ばかりにはなっていなかったと思う。 こんな腐った拝金主義の、外国人に生殺与奪の権限を握られた家畜のような、剥き出しの性器のように商業原発を沖縄以外に無防備に建てまくりの、人間だったら白痴としか言えないような国にはなっていなかっただろうな! いじめはできても戦うことはできない欠陥人間ばかりのこんな国にはな! | ||||
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この小説は彼の後の作品に比べれば……起点からの展開、並びに物事の集約といういわゆる「物語としての責任」という観点から述べるとすれば……下の下もいいところだと思う。 しかし、この時点での村上龍の瞬間の描写の美しさ、並びに躍動感を捉える能力はピークだと思う。 最初の戦場での高揚感と薄皮一枚越しの死が訪れ、ギリギリのところで躱していくひりつく様な緊張感、現代的なポリリズムのバレエの美しさ、ワカマツによる音楽の演奏がもたらす熱狂、目を奪われ本当に時間を忘れるように読み進めてしまった。 もちろん、この作品全体から立ち上ってくる思想や彼自身のエゴイスティックな価値観に対し嫌悪感を抱くのは自由だ。だが、ストーリテラーとしてはさておき、この時点での村上龍の綴る文章の熱量と質量は圧倒的だ。それだけでも一読の価値はある作品だと思う。 | ||||
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後世まで評価され生き延びる作品とか作家は多くないが、村上龍は現代を代表する作家として後世でも読み続けられると思う。作風に好き嫌いが出やすいと思われるが、「5分後の世界」は傑作である。 まったく架空の世界を文章で書き、読み手に風景を感じさせ、まるで映像を見ているように物語が進んで行く文筆は、私小説とは比べ物にならない技術を要する。話のテーマを単純に要約すると、現代日本人の代表としてオダギリが、一つの日本人の理想としてのアンダーグラウンドと言う別次元の日本に紛れ込む。自堕落な生活をしていたオダギリは、生まれつき腐った人間では無かったので、アンダーグラウンドの経験の中でアンダーグラウンドに同化していくと言うものである。 外国で生活した人なら解ると思うが、自国と自国人がカッコよく、尊敬されていると言うことは、とてつもなく良い事である。日本とは、日本人とはと考えて憂鬱になった時、これを読むと力が湧いてくる作品である。 本小説の評価のバラツキを見ると、日本に思想管理委員会とか言うような物が存在するのではないかと思う。従順で、物を考えない、決められた事だけをすることが正しいと思い込みたい人間を作る委員会である。「五分後の世界」は、日本人の良いところとせこくて醜い部分を鋭く切りだしていると思うのだが、思想管理委員会のメンバーには、醜い部分が下腹のたるんだ自分の姿を鏡で見るようで耐えられないので嫌いなのではないかと思う。「ごんぎつね」「舞姫」「山月記」「こころ」を読むより、「五分後の世界」を読むほうが、現代社会に合っていると思うのだが。星一つの評価を与えたい人は、私はこんな小説が趣味とか一筆入っていると参考になる。 | ||||
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アンダーグラウンドの人々の描写に著書が思う日本人のあるべき姿の一端が描かれています。 ただリリシズムが溢れているだけではなく細かい挙動までリアリティがあり、日本人なら誰もが考えさせられる世界でしょう。 反対に、義勇軍や華族の生き残りだという日ノ根村の人々の様子が醜悪すぎて、しかし人ごとのようにも思えず、なんとも言えない居心地の悪い気持ちになります。 ただ、主人公を取り巻く世界の描写に力を入れるあまり、主人公自身の人間性がいまいち見えづらい感じがあります。 しかし著者が主人公を「一般的な日本人の感覚」として描いてるつもりならそれは成功してると思います。 逆を言えば、主人公以外のそれぞれの登場人物にとても感情移入できる物語に久々に出会いました。 それはそうと単純に読み物としてスリリングで面白いです。 映画化しやすそう。 | ||||
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昔はよかったとか、憲法は押しつけだとか、憲法9条が日本を 救ったとか、日本はアメリカの属国とか、 いろんなことが盛んに語られている。 個人的には、沖縄を捨石にしてまで本土決戦を考えていた日本が、 降伏せず、本土決戦・ゲリラ化しても戦うことを選択しなかった事実が理解できない。 国民全部が死に絶えるまで戦い、ゲリラ戦に持ち込み、徹底的に闘うのが筋ではないのか。 降伏しなければこうなったであろう世界を徹底的にリアルに描いているが、 作者がもっとも言いたかった事は、主体的に選択した行動を、責任と誇りを持って 科学的に、感情的にならずに、しっかりと世界を見つめてリアルに行動することで、 人間や社会や国家はいかに変化するかということだと思う。 アメリカや他人のせいにして自分自身の問題とし考えず、すべてのことを後回しにして逃げてきた日本人。 そうしなかった日本人がいかに成長し、大人としての道を歩み始めるかを訴えていると感じる。 現在の日本と日本人への、強烈で根源的でラジカルな問題提起を行っているこの作品は、 2013年のこの時点でますますその価値を増してきていると思う。 | ||||
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SF小説だと思って読み始めたら全然違うのでかなり違う意味でのショックを覚えた。こういう小説は今まで読んだことがなかった。 | ||||
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主人公とその他の人達との関係とかおもしろかった。 最後の続きが気になる | ||||
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自らの価値観を揺さぶられるようで、刺激的でした。今まさに日本人として読むべき一冊でした。 作中の教科書にある以下の文章に「五分後の世界」の「日本国民」とは何かが集約されていると思います。 「生きのびていくために必要なものは食料と水と空気と武器、そういうものだけではありません。勇気とプライドが必要です。われわれは、この五十年間、一人の戦争ノイローゼも、自殺者も出していません。」 服装、言葉、そして勇気とプライド、、、この「日本国民」たちの姿は美しいです。 素晴らしい一冊だと思います。 この「勇気とプライド」をどう読み取るかで、評価が大きく変わるように思います。 自分にはこの文章も刺さるものがありました。 「その民族が生きのびていくためには、次の世代に大切な情報を確実に伝えていかなくてはならない。」 日本人としての誇り、そして伝統についてに考えさせられました。 | ||||
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ok no problem fine. good enough nice | ||||
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問題なし問題なし問題なし問題なし問題なし問題なし問題なし問題なし | ||||
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自分がそれまで培ってきた価値観が根底から揺さぶられる 衝撃的な読書体験でした。 誇張ではなく、読む前と読んだあとで 世界に対する見方が一変します。 これまで考えたこともなかった新たな視点を 次々に提示していく洋々たる空想力、 そしてそれを支える骨太で細密な作品設計と表現力には 驚嘆し脱帽させられるばかりでした。 自分にとってはいまだにこの小説が村上龍氏の最高傑作です。 | ||||
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著者みずからが「最高傑作」と評したように、自信をもって薦められる一冊。 確かに暴力描写は多いが、戦争を続ける日本という舞台設定において、メッセージを伝えるためには致し方ないであろう。 主人公は太平洋戦争で降伏をせずに戦い続けている5分ずれた「もうひとつの日本」に迷い込む。 ただ生き延びることを優先した結果、受け入れられ、やがて一員としての自覚に目覚めるところで物語は終わる。 メッセージは非常にシンプルだ。 個人が戦略的に生き延びること。そのために何を考え、どう行動すべきかを物語として伝えている。 確かに、ある世界観を作り出すことで現実世界を批判するというのは物語でよくある手法ではある。 ややもすればこのような手法には胡散臭さや説教じみた感覚がつきまとうが、「もうひとつの日本」は清々しく、食料の問題や少子化の問題など、リアリティも担保している。 さらに、その手段である舞台である「もうひとつの日本」に対して、著者本人がすべてに心酔している訳ではないこと感じられる。 必ずしも戦争がよい、戦争している国がよいと言っている訳ではない。 ぜひ皆様にも読んで頂きたい一冊である。 | ||||
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SF作家の小松左京氏の「地には平和を」のパクリのような設定だが、描写はリアルで筆力で地下要塞の様子を含め描き切った感のある作品。戦闘シーンも冗長なほどの描写である。ただ惜しむらくは、やはり私もそうだが戦後派の弱みか、戦闘で高揚する感覚に制されるところか。攻め込まれる民の視点がどうも欠けているような気がする。彼の作品は他のものもそうだが少々概念が先行しているところがある。血には臭いがあり、死体には時間とともに腐敗臭が漂う。ある種東南アジアの例えばタイやベトナム、カンボジアの夜のようなすえたような匂いが漂うような文章が欲しかった。70年近く前だがそのような戦いを日本人は闘ったのだ。大岡昇平の「野火」と勝負せよとは言わないが、プレステのゲームのレベルは越えてほしい。 | ||||
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村上龍の頂点はこの作品でしょう。 短い小説ですが ただ短いのではなく、作中に出てくる日本のビールと同じで、濃いのです。 主人公が窮地に陥ったところで終わり、読み手にその後を要求させ、ヒュウガウィルスが語られる(ヒュウガウィルスもまたそれなりにおもしろい)のですが 読まなくても、オダギリのその後がわかるほどに、この小説はコンパクトで、完結しています。 「生命力」の描写はコインロッカーベイビーズに通じるものがありますが この小説はオダギリ本人すら気づいていない成長、小説内で語られる日本人としての覚醒の描写が見事です。 最後のオダギリのセリフには泣かされます。 あの情けないヒモだった人間の口から、ついにこんなセリフが出るようになったのかと、感動してしまいます 日本人としてとても勇気づけられる気分になります。 中学生の時に読みましたが、10年経っても心に残っている一冊です。 | ||||
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本土決戦後の日本が「時間が5分進んだ世界」、いわゆるパラレルワールドとして描かれている。 主人公は、その世界に紛れ込んでしまった「こちら側の世界」にいる日本人、小田切。 その世界では、日本は連合国に分割統治され、いまだ日本人はゲリラ兵として連合国と戦っていた… 実際に、第二次世界大戦終結間際、連合国によって日本分割統治は予定されていた。そして現実にはなぜか実行されなかった。 もし、そうなっていたら…を背景に構成された物語。 主人公の存在は二つの日本を対比させる触媒として働いている。 単なる戦争物、パラレルワールド物にとどまらず、 人間の醜さや高潔さ、価値観を対比させることで、ひとが本当に追い求めるべきものは何か?と深く考えさせられる。 卑屈で矮小な人物の小田切の視点で物語は進む。 逆境や過酷な状況でも誇りや矜持を持ち続け、大国相手にも一歩も引かない「現実とは異なる日本」。 ゲリラ兵の気高さに触れ、徐々に変わっていく主人公。 主人公の処刑前の下りと最後の戦闘では、目覚めていく彼の人間性に鳥肌が立つの感じた。 戦闘の描写も徹底して容赦がなく、主人公側にとってのご都合主義は一切ない。 それがこの物語にリアリズムを与えているのだろう。 再生の物語だ。 逆境において意志を貫く人々の物語だ。 私は、本来の日本人は誇り高い、なんて思わない。 どの国、どの世界にも高潔な人はいるし、どうしようもない人もいる。 どの国にも、恥ずべき歴史はある。 非常時における人間の残忍さや醜悪さも知っている。 それでもここには、こうありたいと思う人々の気高い姿が描かれている。 戦争という最悪な状況下だからこそ、精神的な高潔さがより際立つ。 私も心の時計を5分進めよう。 | ||||
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