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孤高の人
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孤高の人の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.40pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全123件 81~100 5/7ページ
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本の中に引き込まれました。文中の情景が目に浮かぶようで、感動しました。 | ||||
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昔の登山(山登り)の装備が良く解った、防寒装備もない中で自分で色々工夫し雪山に挑む姿がすばらしい。 家庭を持ち、子供も出来たところで・・・、なぜなのだろう?どうしてパトナーを制止しなかったのか? 疑問だけが残ってしまった。 | ||||
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昭和48年発行ということで、物語全体の背景に、迫りくる戦争への不安や、満州が日本であったこと、 労働者階級と資本家階級の転換期の混乱などが前提として横たわっています。 しかし時代背景の違いはあれど、純粋に山を求めた単独登山家加藤文太郎の姿は、物語を追うごとに鮮やかに、 目の前に浮かびあがっていきます。 ゴアテックスや軽量登山靴など便利なもののない時代、質素でありながら工夫・計算されつくした装備で 冬山に挑んだ文太郎。 朴訥な人柄で、飾らず、嘘をつかず、自慢をせず、誠実なそのようすは、まさに山男の鏡。 物語の中で、文太郎はひたすら孤高で、自分の軸をずらさず、沈黙を守るため、 俗世を超越した男のように周囲に祭り上げられたり、一方で誹謗中傷を受けたりしています。 人並みに恋もし、孤独な冬山で他の人間を求める人間らしさもあるのですが、その人間らしいあたたかさは 周囲の人間に伝わりにくく、読者だけが、文太郎の静かな葛藤を知ることができます。 彼の不器用さにはやきもきしますが、知らず知らず応援している自分がいました。 ただやはり時代背景が違うことで生じる価値観の違いとして、山を処女にたとえる描写や、 男がなんでも一番がいい、や、結婚した女の最大の役割が出産であると堂々と描く箇所もあり、 今を生きる読者(特に女性)には不快に感じる描写があると思います。 外で働く男、家で家事育児をする妻という古き日本の家庭の枠組みが常識として各所に顔を出します。 しかし山は、いつでもそこに荘厳に美しく立っており、40年の時の流れを瞬時にトリップさせてしまうほど、 臨場感あふれる描写は十分に楽しめます。 いつの時代も、山へ語りかけ、山とともにあるときに感じるある種の爽快感、解放感は同じようで、 文太郎が山へ登る淡々とした描写には、共感できる部分が多くありました。 山岳会同士の対立があったり、山登りが金持ちの特権であったり、そういう厳しい時代に、 文太郎が、ただ純粋に山を求め続けたこと。その気持ちに、ただただ敬服した大長編作品でした。 | ||||
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今でこそ、登山ブームで山に登る人は多くなったけれど、当時は一部のお金持ちの道楽だったのですね。 主人公はサラリーマンしながら有給休暇を最大限活用して登山をしています。 最近登山を本格的にはじめた私ですが、この本から学ぶことはいろいろとありました。 登山する人には特に一読をおすすめします。楽しめると思う。 困ったことに、冬山に行ってみたくなります。 ちなみに私は実際の登山に甘納豆や小魚をもっていったことはありません。 | ||||
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登山が好きだ。といいながら、この小説をいままで、読んでいなかったのは大変、申し訳なかった。もっと早くこの物語を読んでおきたかったと思った。物語の主人公、加藤文太郎は実在の人物であり、また、実名の人である。日本の登山史の黎明期に、果敢に山に挑んだ人である。 物語では、大正、昭和初期の時代背景などの描写がたいへん素晴らしく、時代感を十分に感じながら、その時代に庶民の立場で、山に挑んだ、そして、彼の性格、そして、時代背景、会社員であるという立場など、生真面目な彼が、通した単独行。彼の葛藤など、共感することが多く、サラリーマンの悲しさ、また山への思いが頭に巡った物語でした。 彼が歩いた山々の描写が頭にめぐる...そして、実際に登った自分の山行を思い出しながら読ませて頂きました。主人公の加藤文太郎は真面目で素朴、素晴らしい人物であり、素晴らしい物語であると思いました。是非、再度、槍ヶ岳に登頂するときは、加藤文太郎を偲び山行したいと思います。 | ||||
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自分をうまく表現できず、人付き合いの不器用な加藤文太郎。 しかし、強い意志によって、他の人では成し得ない偉業を達成していく。 その生き方に、深く感動させられた。 また、新田次郎の描写力には感嘆させられた。 読み終えてしばらく経った今でも、冬山の美しさ・厳しさの情景が思い出される。 | ||||
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上巻に続いて、下巻も一気に読み終えた。 上巻で加藤文太郎のいい所も、悪い所も分かってきていたので、 いつしか加藤文太郎を身近に感じ、応援している自分がいた。 登山家の運命ともいうべきか、壮絶な最後が待っていた。 冬山で、決断していく一つ一つが、最後の結末を引き起こしていく。 迫真に迫るものがあった。 | ||||
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新田次郎のファンです。 武田信玄からはじまり最近は彼の山岳小説にはまっています。 新田次郎は事実をできるだけ忠実に書き小説にしています。アラスカ物語もそうです。 それなりの感動はあります、いえ素晴らしいと思っていました。 しかし、同名の坂本眞一のコミックは前半のストーリーを別人がしている時は別にして、 中盤から坂本氏だけになってからは、素晴らしい展開・独特のコミックならではの世界になっています。 現在加藤文太郎がいたらという流れですが、彼は(坂本眞一)加藤文太郎に惚れこんで、素晴らしい画力で 加藤文太郎を描き、私を引き込んでいきました。 そして結末・・・新田次郎の結末とはやや違います、あくまでも現在の加藤文太郎です。 新田次郎より、とても爽やかな気持ちで読み終えました。 是非、コミック「孤高の人」も読むことをお勧めします。 | ||||
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山岳小説や山岳ノンフィクションというものに最近興味を持ち、 ここ数ヶ月多少読んでいるが、やはり最高傑作と名高い本書は外せないという ことで、購入。新田次郎の本は「点の記」に続き二作目で、 まだまだ初心者の域を出ませんが、僭越ながらレビューさせて頂きます。 本書は加藤文太郎の生涯を知りながら読む方が多いと思いますが、以下はネタバレを含みます。 本書は、今の言葉で言うソロアルピニストである加藤文太郎の一生を描いた名著です。 少年時代から、そして登山の描写のみならず、その職場での仕事ぶりや 街での私生活も十分に描かれることによって、その風貌、人柄が読者に非常に良く伝わってきます。 加藤が極端な変わり者であることはその行動からは明らかで、 通常そのような変わり者である登場人物に感情移入することは難しいとも 思えますが、作者の人物描写により、そのような加藤になぜか親しみに似た気持ちを 誰しも抱くことができます。 特に加藤が伴侶を得て「普通の人」になりつつあるくだりは、 特にこのような「親しみ」を特に抱かせ、読んでいても嬉しくなってきます。 反面、その後の不吉な展開を予想させる、 あるいはそれを知りながら読み進むことになる終盤はとても胸が苦しくなります。 作者は常に淡々とした文体で、過剰な描写なく物語を進めていきますが、 それがまた加藤の単独行の、派手さなくとも地道に偉大な記録を打ち立てる有様と 非常にマッチしているように思われます。 最後の山行についてもそのような描写は続きます。加藤はおそらく、妻と幼い娘を思い、 最後まで粛々とあきらめずに歩を進めていたのだろうということが伝わってきます。 個人的には哀しい結末ですが、読む者を強く引きつける物語と思います。 | ||||
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以下は、感想になっています。読まれていない方はご注意ください。 主人公・加藤文太郎は、単独で登山を行う時は、登山前には体も荷物も万全を期して用意し、登山中も絶えず天候に気を配り、自然に逆らわず無理せず自分の限界を認め、休む時はしっかり食事をとって寝るなど、登山の成功のための徹底した自己管理を行い、成し遂げてきた。 しかし、生涯最後となってしまった登山では、宮村と、偶然出会った彼の仲間2人と共にパーティとして行動することになり、危険な冬山の自然以外にも、パーティのメンバーとの会話のやり取り、ペースなり体調なり常に気を使わねばならず、文太郎の的確な判断も他のメンバーにうまく伝わらず、結局は遭難してしまった。もし文太郎の意見が伝わっていれば・・。 ただ、この遭難によって、文太郎がたどりついた彼の本当の気持ちに、感動をおぼえてならない。 文太郎は花子と結婚し、愛する我が子・登志子を授かるなど、自分が父親として自分の家族を持った後は登山をしていなかった。しかし、彼の心の奥底には、「彼(加藤文太郎)はいまや山そのものの中に自分を再発見しようとしていたのである」という考えがあった。文太郎は、彼の家族との幸せな人生が彼を待っている、と思っていたようだが、実は、本当にそんな人生が待っているのかと自問自答していたのではないか?そこで、今後の人生についても、山に行けば何かわかるのではと、無意識で感じていたのではなかろうか?事実、これまで彼は山を登ることで気づいたことが、その後の彼の進む道となってきたから。 そこに、宮村が、冬の北鎌尾根に挑戦するので一緒に来てほしい、と加藤に話を持ってきた。加藤は、何度も断ろうとしていたが、心では山に行って自分を見つけたい気持ちがあるため、結局は行ってしまったのではないかと思う。 その結果は悲劇を生んだ。しかし、彼は最後に、「ゆっくり眠ることのできるわが家に帰ったのだ」と言った。彼は、冬の過酷な山中にて、まさに死を目前に、家があり家族があることの素晴らしさに気づいたのだ、と信じている。 | ||||
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漫画雑誌でいま、舞台を現代に置き換えた『孤高の人』が 連載されており、どうしても原作を読みたくなった。 大正から昭和前期を生きた実在の登山家加藤文太郎を 主人公に、おそらく多少の脚色をまじえて描かれたもの。 (特に上巻のラストシーンはどうみても脚色にしか見えない) しかし小説なのだから、脚色あってしかるべきと思う。 加藤はたいへん合理的なものの考え方をする人で、 登るための鍛錬、衣類・食糧・装備、気持ちの持ち方まで ひじょうに勉強になった。 私も乾し小魚を食べたら、少しは足腰が強くなるだろうか。 けっこうシリアスなストーリー展開なのに、時々声を出して 笑ってしまった。新田次郎のユーモアのセンスはそのまま 息子さんに引き継がれていると思う。 | ||||
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漫画雑誌でいま、舞台を現代に置き換えた『孤高の人』が 連載されており、どうしても原作を読みたくなった。 大正から昭和前期を生きた実在の登山家加藤文太郎を 主人公に、おそらく多少の脚色をまじえて描かれたもの。 上巻も時代の落とす影は感じられたが、下巻はさらに 暗さが濃くなったように感じられた。倒産・ストライキ・ 満州…そうした時代の空気のなかで加藤のもたらす 登山の成功や仕事上の新しいアイディアなどは、世間や 周囲の人々にいくらかでも明るい気分をもたらしただろう と思う。 でも、加藤は味方も多いが敵も多かったから、 徴兵などされず山で死ぬことができてまだ幸せだったのかも しれない。残された花子さんはいきなり愛する人と引き裂かれて、 戦争遺族年金などももらえるわけではなく、大変ご苦労を なさったであろうけれど。 | ||||
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事実と相違する点(宮村が加藤を死に至らしめたとの見解)があるようですが、山にさほど興味が無いものでも主人公に感情移入でき、充分楽しめます。 私は、藤原正彦氏や藤原てい氏を通じて新田次郎という作家を知り、 Number誌特集「アスリートの本棚」で柔道の福見友子選手が本作を薦めていたことが読むきっかけとなりました。 登山者のバイブル的な一冊であるようで、昨今のトレッキングブームで更に読み継がれていくのではと思います。 | ||||
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ノンフィクションっぽいような書き方をされてるが、花子、園子や宮村の描写を読むと、 どうやらフィクションとしてとらえたほうがいい。 読み物としては、作者の読ませ方も上手で、感情こめて読むことができた。 冬山のシーンは特にリアリティーがあり、自分の普段の仕事での辛さなど大したことではない、 と思わせるほど、過酷さが伝わってきた。 ただ、人生、人間を深く考えさせられるほどのものはなかった。 | ||||
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この作品は加藤文太郎という登山家の短い生涯を描いています。 不器用故に、本来の意思とは裏腹に他人を寄せつけない彼は、ともすると逃げるように単独で山に登るようになる。そして次々と前人未踏の記録を樹立する。仕事でも結果を出すが、他者との交流を頑なに拒む彼の態度は、周囲からは好ましく思われていなかった。 そんな彼も妻をめとることができ、妻子の存在に徐々に心をほだされて、昔の彼を知る人ならば驚愕せざるを得ない程の変化を見せる。人の暖かさを知り、人間として成長するさまは読んでいてほほえましい。 しかし山との因縁は深く、彼は最後の登山として、彼をしたう若者の熱意に折れ、人生初のパーティー登山に挑むことになる。 そこは頑として人を突き放す厳冬期の雪の北鎌尾根であった… 情け容赦ない真冬の吹雪が二人を苦しめる。それまで単独行の主人公はパーティー登山に戸惑うが、彼を振り回した若く未熟で純粋な相方を思いやる心は本当に立派で、読みながら泣いてしまう。壮絶な抵抗虚しく先立った相方の亡きがらの枕元に、大切な貴重な食料であるクリームチョコレートを供え「おい宮村、食べろよ」というくだりは涙無しには読めなかった。 結果、加藤は若者と冬の北鎌尾根にて若いいのちを燃やし尽くすことになる。 生きること、山に登ること、孤独を抱き苦しみながらも大切にすること、大切な人を愛して思いやること。 せつなくはかない人間の一生には、同時にかけがえのないものがきっとあるんだろう。 もしかしたら彼はそのかけがえのないものを自らのうちに求めて山を登っていたのかも知れない。 そして彼は死の瞬間ひょっとすると幸せを感じていたのではないかと個人的に思う。かけがえのないものを彼は最後の最後で見つけだしたんだと思う。だからこそあんな幻想を見たのだろう。 でもね、自分は絶対に山では死ねないよ。残された人が惨めだからね | ||||
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上巻、下巻と一気に読んでしまえた。 よく神戸の高取山にのぼるせいもあり、身近に感じる文太郎の気持ちがよくわかる。 はからずも、人が好きなのにひとりでの山行に徹した文太郎。 命をかける冬山で、他人と一緒に登山することのむずかしさ。好きな人と結婚できて子供もできて 人と一緒には行きたくない山に たった一度他人と登って命を落とす文太郎。最後は涙がでた。 なぜ人は山に登るのだろう? 私も一生わからないだろうと思う。 | ||||
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山登りデビューは50歳を過ぎてからだけど、もっと早く読んでおけばよかったですね。 富士山頂は行ったけど北アルプスは木曽駒のみ、いつか槍ヶ岳に挑戦したい。 今は低山登山が主ですが・・・・。 | ||||
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もし読んでいない人がいたら、それは幸せなことだと思う。 これからこの本を読むことができる素晴らしさがあるから!!! それほどにこの本はおすすめです。 登山をするしない、老若男女関係なくほとんどの方が読んで良かったと思うと思います。 「孤高の人」という敷居の高そうなタイトルはまず無視して読んでみましょう。 そこには人間味溢れる青年の生き方が書かれています。 読めばきっと誰でもこの主人公を好きになるはずです。 読み終わる頃には、まるで自分自身かのように身近に感じるようになります。 私は上巻の前半はダラダラ1週間かけて読みました。 でも、上巻の後半はたった1日。 下巻に関しては止まらずに、徹夜して1晩で読んでしまいました。 そして明け方の布団の中で泣いたのです・・・。 本をほとんど読まず、登山もしない妻にもすすめて読ませましたが何度もラストを読み返して泣いていました。 加藤文太郎に皆さんも会ってみてください。 | ||||
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私も同じ女性として花子の「夫を絶対に行かせてはならない」という 直観のような不安な気持ちがよくわかりました。 小さな子供を抱えたその後の花子の人生が気になります。 主人公の加藤文太郎が最後に遭難死することが わかっているのに、ドキドキしながら なんとか悪い方にいかず、無事に下山することを 祈らずにはいられませんでした。 | ||||
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他人とうまくやっていけない、と思い込んでいる人は多い。 おそらく主人公も、そんなに社会性のない人ではないのだろうが、うまく、人に接することができない人間だと、自分で思い込んでいる。 だれでも、ある程度は、そんな風に自分のことを考えているのではないだろうか。 だからこそ、この主人公に感情移入できるのだ。 なんども読みました。 新田次郎の代表的な傑作です。 | ||||
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