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孤高の人
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孤高の人の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.40pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全9件 1~9 1/1ページ
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私自信は ほぼ登山しません 日帰りでウオーキングや1000m以下で ヒイヒイ いいます 上巻からの続きで読んでますが結婚して子供が出来るまでは楽しく読みましたが 最後で コミュ障害全開で ストイックさも慎重さも危機管理もよいとこすべてなくなってしまったのが残念です・・・・実話の小説で 著者も山に深く関係し富士山では主人公とも会ってるらしいですが 関係者等に取材等はよくしたのでしょうか ? 時代もあるでしょうが 孤高 に違和感があります・・・本書も含め主人公の著書等 何度か読まないとわかりませんが・・・脚色や虚飾はいらないですが・・・ | ||||
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登山家・加藤文太郎(1905-1936)の物語。 加藤文太郎は神戸で造船技師を目指している。山岳会に所属する上司の外山は加藤は登山家の素質があると見抜く。外山は加藤を神戸山岳会に誘うが、孤高で無愛想な加藤は親切な外山の誘いにも乗らない。加藤は登山に魅力を感じるが、あくまでも単独行動をするタイプ。 外山は有名な登山家の藤沢を加藤と引き合わせる。終始加藤は無愛想だったが、藤沢は加藤は「ほんもの」だという。ほんものの登山家とはすべてを自らの力で切り開いていく人間。加藤は日本を代表する登山家になる、と予言する。藤沢は、加藤を山岳会に誘うべきではなく、放っておいて、見守るべきであると外山にアドバイスをする。 関東大震災のころ不景気は深刻化し、社会不安となる。資本主義政党は護憲三派内閣を組織し、普選法施行によって大衆運動をなだめつつ、その1ヶ月後には治安維持法をつくり民衆の政治進出をおさえようとした。そんな時代。 加藤はヒマラヤに憧れる。そのためにコツコツと金をためる。 加藤は冬山に登る。冬山で孤独を味わう。神戸に帰ってくると、その孤独が無性に恋しくなる。孤独こそ山の魅力であり、妥協を許さない、峻厳な寒気こそ加藤が山に求めるもの。 | ||||
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おもしろいです。 昔の小説だなあという感じですが、さすが新田次郎です。 山好きにはたまりません。 | ||||
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「日本の登山界の大物、代表する人物。」「物凄いことをやった奴だ。」 こういう物差しが大正から昭和初期にあったんですねえ。 私は10代の頃から少々、山を齧っているのですが、大物とか代表する人物 というフレーズに違和感を覚えました。個人的に行う登山をどうしてそういう 冠や尾ヒレを付けなきゃいけないんだ?批判や賞賛の対象になることが理解に苦しむ。 確かに登山については技術的にも考え方も後進国だった日本だったので 欧州をはじめ諸外国を過大に意識していたが故に、多くの封建的な 山岳会などが躍起になっていたからかもしれませんが、主人公の加藤と 同じでそんなことには興味も関心も湧かない。 最近では、冒険家と自称する人達が未開、未踏の地に出掛けてその艱難辛苦の 話を書籍としてまとめていたりしているけれど、どうもそのへんが利益追求の色が濃く あざといハプニングなどが沢山出てきてげんなりしてしまう。 さて本書は、そんな好奇の目をもつ周囲と、山に登りたいから登山をしているだけの純粋な 登山家の加藤との戦いだったような気がしました。 自分の気持ちをうまく話すことができない口下手が故に、異様な愛想笑いで人と接する加藤。 誤解や反感を買われ本意ではない方向に物事が進んでいく。 不本意に自分を追い込んでしまい悶々と苦しむ不器用な加藤。 山に逃げ込み自分を取り戻し、そしてまた苦しむ下界に帰っていく。 そんな話をず~っと読んでいるとだんだん苦しくなってくる。 なんか、暗くて辛くて浮かばれない話だねえ(-_-;) そして最後は予想通りの結末を迎える加藤。 加藤のこの辛くて苦しい人生はなんだったんだ?(ー_ー;) 後読感は決して心地いいものではありませんでしたねえ。 | ||||
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どうして死ぬと分かってて行ってしまったのか。 こどもより大切なものがそこにあったのだろうか? 私にはわからない。 上巻に感動していただけに、下巻の後半ではがっかりしてしまった。 最期まで孤高の人であってほしかったという期待があったからかもしれない。 | ||||
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迅速、な対応で 受け取った商品にも 満足しています、また機会があればよろしくお願いします | ||||
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登山にはロマンがありますね。何年たっても初心者の自分には、ロマンを感じます。 | ||||
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自分は登山家ではないし、山岳小説も初めて読んだのですが、いくつかの点で違和感を覚えました。 タイトルは孤高の人ですが、主人公の加藤は単独登山家で孤独にして孤高、というイメージを持って読みました。 ですが、それは独身時代の話で、加藤が家庭を持ち、それまでの一人でいることの喜びはにせものの喜びであったとの意の記述があり、ガッカリしたと同時にタイトルとのズレを感じました。 山と家庭とが置き換わったとも書かれていて、孤高ではなく普通の家庭人になったように感じます。 しかも、結婚後の登山でパートナーを組み、結果亡くなってしまい、単独登山においては孤高の人といえばそうですが、それならば、結婚以後のストーリーはなくてもいいのでは? 結婚してもなお、単独登山をなすのなら、納得できたのですが・・・。 そして 孤高、という言葉の表現も、加藤が家庭を持ち、それまでの単独登山含め一人でいることの喜びがにせものであったとまで書いてあるというのは、加藤がそれまで一人で積み上げてきたものを否定する表現で、なぜ孤高というタイトルになるのかが疑問だった。 結局 愛をはぐくみ、家庭を持ち、それまでの単独登山の喜びが家庭を得た喜びに置き換わったのなら、孤高の人、という表現はオーバーな気がした。 | ||||
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かなりの分量だが、内容は面白い。一気に読める。登山をする人なら尚更だ。 しかし、共感できない。違和感だけが残る。 小説にはモデルになった人物がいる。 主人公の加藤文太郎はもちろんだが、宮村もその1人だ。 遭難時のパートナーとして徹底的に自己中心的で無謀な若者として描かれている。 しかし、実際は、だいぶ違う。 加藤自身の山行記録「単独行」や当時の文献、同行者の談話を少し調べれば分かることだ。 宮村のモデルである吉田は、加藤に匹敵する実績と力量を持つ登山家であった。 そして、加藤とパートナーを組んでの登攀も初めてではなかった。 実力を見込んで加藤から山に誘われたものだった。 そして、難易度の高い冬山登攀を成功させ、お互いに謙虚に称えあっている。 まさしく信頼できるパートナーであった。 加藤自身も孤独を好む社交下手のように描かれているが、そうではなかった。 チームで上ることも何度かあったし、不慣れというほどではなく、むしろうまくやっていた。 遭難時の槍ヶ岳でも、あかたも急に4人で登ることになったように書かれているが、それは最初からの計画だった。 そして天候は晴れるから行ける、との判断には加藤も加わっていた。 作者は小説の中で遭難の原因を吉田1人にあるかのように書いているが、なぜ事実に反してまでここまで彼を侮蔑的に書く必要があるのだろうか。 小説では作者の意図に合わない都合の悪い事実はすべて隠されており、一言も触れられていない。 「孤高の人」という表題に付けた通り、加藤はあくまで孤独でなければならず、絶対に穢されてはならぬ存在だったのだろうか。 | ||||
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