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西巷説百物語
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西巷説百物語の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.15pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全27件 1~20 1/2ページ
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面白い。林蔵の話 | ||||
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一気読み。登場人物と一体化するほど面白かった。 | ||||
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第4作『前巷説百物語』で大分存在感が増した、靄船の林蔵を主役に据えたスピンオフ的な第5作。第6作『遠巷説百物語』を含め他は6編構成なのに対し、本作は例外的に7編構成となっています。本作第1編「桂男」からして第1作第1編「小豆洗い」のオマージュのような雰囲気が有、本シリーズ特有の妖しい世界観にのみ込まれて行きます。林蔵が「これで終いの金比羅さんや」と決めれば、喪黒福造(笑ゥせぇるすまん)のドーンよろしく、ターゲット or 依頼主の「運命」が定まります。第7編「野狐」は「帷子辻」に並ぶくらいにもの哀しく…。 | ||||
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今までの巷説百物語でちらほらと登場していた林蔵が主人公の物語群です。これまでの”前”巷説や”後”巷説のように時代を以前に遡ったり、または先に進んで江戸から明治になり、山岡百介の思い出物語になったりするのではなく、時代は同じで、事の起きる場所が江戸から大阪に変わっています。これまでのような大掛かりな仕掛けはなく、数人で芝居を組んで物事を解決するといった話ばかりで、その分確かにスケールが小さくなっているので、物足りなく感じる人もいるかもしれません。 この物語でなんといっても特徴的なのは、会話のすべてが関西弁になっていることです。京極氏の文章は、会話と他の部分の繋ぎ方に独特のリズムがあるのですが、その流れが読んでいてなんとも心地よいです。自分は関西の人間なので特にそう感じるのでしょうが、他の地方の方はどうなのか気になりました。京極氏は北海道生まれなのでほぼ標準語のイントネーション育ちだと思いますが、この作品の関西弁はほぼ完璧なので、すごいなと思いました。 この「西巷説物語」が今のところシリーズの最終作になっていますが、「後巷説物語」で時代は明治になり、すでに主要メンバーのほとんどが亡くなっているであろうことが暗示されているので、もし続編が書かれるとしたら、スピンオフ的なものでないと無理、ということになると思います。とても気に入っているシリーズなので、ぜひ続けていっていただきたいのですが・・・。最後の「これで終いの金比羅さんやで。ほなさいなら」の文章に、なんだかしみじみとしてしまいました。 | ||||
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怖がりの私ですが、 怖いのにゾクゾク・ビクビクしながら読んでます。 夜中なトイレは電気点けまくりで、ヒンシュク物ですが!! | ||||
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大坂屈指の版元にして、実は上方の裏仕事の元締である一文字屋仁蔵の許には、数々の因縁話が持ち込まれる。いずれも一筋縄ではいかぬ彼らの業を、あざやかな仕掛けで解き放つのは、御行の又市の悪友、靄船の林蔵。亡者船さながらの口先三寸の嘘船で、靄に紛れ霞に乗せて、気づかぬうちに彼らを彼岸へと連れて行く。「これで終いの金比羅さんや―」。第24回柴田錬三郎賞を受賞した、京極節の真骨頂。 | ||||
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巷説百物語シリーズはとても好きな作品です。今回は中心人物を変えての話でしたが、 おなじみのメンバーの登場もあり、私的に楽しく読ませていただきました。 | ||||
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昔読んだ記憶があり、もう一度読んでみたいという衝動に駆られて探して購入しました。 安定した、京極ワールドです。 | ||||
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星3.5くらいという感じでした。 林蔵が主役の物語。誰もが持ちうる闇の部分、けれど通常は超えないであろう一線を超えてしまい、善悪の判断、愛すらもわからなくなってしまった人をさばいていく。又市がしかけるような大がかりなものではなく、潜入し、信頼させ主として会話の中で対峙していく。 最後にオールスターの登場はあるが、又市ファンとしてはやっぱり物足りなかった。 続きを出してほしいけど、終わりなんでしょうね、、。 | ||||
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恥ずかしながら、京極夏彦さんのシリーズはこれまで読んだ事がなく、 この西巷説百物語で初めて世界に入り込んだのですが、想像以上の面白さですでに虜です。 六百頁以上にもおよぶボリュームですが、一頁として退屈することがありませんでした。 本書では七つの異なる面妖な物語がおさめられており、共通の登場人物が柱となって全体を支えています。 それぞれの物語で違った面白さ、驚きがあるのですが、 なんとも言えない、色気、匂い、湿り気のようなものが物語全体から漂っていて、 読んでいるときの心地よさを覚えました。 特に、最終話”野狐”は、すごい。 すーーっと心の深い奥まで入ってきて、読んでいて自然に涙がでていました。 女性の、というか女の、言葉には出来ない渦巻くような葛藤と淋しさを どうしてこんなに自然に描けるのか、素晴らしくて圧巻です。 | ||||
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“女ァ怖ぇ” このハナシの仕舞い『野狐(のぎつね)』読了後に感じやした。 巷説シリーズのはじまり『巷説百物語』の仕舞い『帷子辻(かたびらつじ)』とこの『野狐』は対をなす物語に思えたンで。 男の情は 惚れた女を失ったとき 地獄の底まで追い求めてその乳をねぶるの願うモノ 女の情は 惚れた男が振り向かぬとき 地獄に落としてでも振り向かせたいと願うモノ と云う構図になってるようで。 いえ、 しあわせな相方との付き合いをなさってる時はこの世の極楽でしょうし、この世の人口が70億を越えてるってぇコトは大概のお方がしあわせな相方を持ってらっしゃると云うコトでやしょう。 でも、 ちょっと何かがオカシクなったら............修羅の道 と恒に怖れてないでやすかね。 いやいや、 アナタの生きる荒波を解決するようなハナシはございません。 けれど、 今の心持ちをかえてくれるモノとも思えやす。 おっと、アタシの語りたい口が日ィ暮らしちまいそうで。 雑誌『怪』に連載されたハナシ6話に書き下ろしの都合7話。 各話80頁ほどの読み切りでやす。 それぞれ章立てが『壱』『弐』『参』『肆』『後』。 読み始め 暗がりン中ボゥと蝋燭の灯りで始まりやす。背筋に冷たいモノ感じたと思いきや、いつの間にか仕掛けに嵌まって 心の臓ォ掴まれており............ですが、最期ォ街中の雑踏......この世に皆さまを戻してくれる、 そんな造りになっておりやす。 巷説シリーズ5作目でやすが、前作知らずとも ちゃあんと彼岸と此岸を往き来できやす。 むしろ巷説シリーズの始めにおあつらえむきかとも。 読んで間違いなしの太鼓判ですぜ | ||||
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主人公が代わって、靄舟の林蔵である。 だから、御行の又市のような、 痛快な妖怪仕掛けを期待すると裏切られる。 巧みな口述でターゲットの本音を引き出すという手口は、 かなり地味ではある。 しかし、それこそが林蔵の技。 又市と比べてはいけない。 この作品は、 林蔵の技を楽しむための作品なのだから。 後半は又市ばりの大掛かりな仕掛けも出てくるが、 最後にオールスターで百介まで出てきてしまうのは如何か。 いいところを持っていってしまわれた感もある。 おもしろいのはおもしろいが、 これまでの巷説シリーズの固定観念を解いて、 新しい作品、サイドストーリーとして、 力まずに読むのが良いと思う。 | ||||
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好きになったので無条件買いです。 好き/嫌いで別れそうですが、前作を気に入ってるならアリだと思います。 | ||||
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京極夏彦の書く本の「仕掛け」がすごく面白いです。 個人的に、いつもその「仕掛け」に挑んでいますが、 なかなか看破できません。 この本の「仕掛け」もとても面白いです。 | ||||
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久々の巷説物語だけど、主人公が変わってる! しかも、語られる時期がシリーズ初期と同時期 登場人物も益々増えて、原点回帰なのか? 仕切りなおしなのか? 内容も、シリーズ一冊目とよく似てるけど、 語り口が円熟味を増した分、むしろ一作目より面白く読めた気がする 作者は百作で百の妖怪を主題にするつもりだそうなので、 こりゃシリーズの最期は東西の登場人物総登場の百鬼夜行になるのかなあ? と妄想が膨らむ一冊 | ||||
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『巷説百物語』シリーズの上方版です。 本作は,シリーズの読者か否かで好みが分かれるかもしれません。 既刊シリーズと登場人物が大きく異なることに加え,作品の雰囲気が少々異なるからです。 また,本巻では,既刊のキーパーソンの一人である「山岡百介」が一話を除き登場しません。彼のようなニュートラルな立ち位置にいるキャラクターをあえて登場させないことで,「しかけ」がストレートになっており,「林蔵」の存在が際立つともいえます。これも好みが分かれるところでしょう。 ちなみに僕は全巻を読んでいますが,本作は本作なりの味があって良いのではないかと思っています。 ただ,『遺言幽霊 水乞幽霊』『鍛冶が嬶』のように,「それはないかな」と思わせるような,やや強引な筋立てが見られる作品もあり,評価を下げる方もおられるでしょう。 なお,最終話『野狐』で「又一」や「山岡百介」が登場するのは,シリーズ読者へのサービスといったところでしょうか。 最終話では,続編があるともないともいえないニュアンスのエンディングになっていますが,個人的には続編を期待したいです。 | ||||
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1話読み終えて、今までの巷説とは明らかに違う違和感を感じる。2話3話と読み進めるに従って、それははっきりしてきた。登場人物が変わっている事はともかく、全4冊とは違って、扱う事件がもの凄くスケールダウンして、何ともみみっちいのだ。ほとんどが家族身内のいざこざの解決に終始し、世界観がすごく薄っぺらい。いつも頭をよぎるのが、「こんな解決のために、そんなに人がいるか?」。おしまいにはこの小説は本当に京極夏彦が書いたものだろうかと疑問まで抱いた、最後の野狐を読むまでは…。ラストには感動させられたが、やはり巷説には、又市が不可欠だ。 はっきり言って今回の主人公林蔵と言うキャラクターには全く魅力も存在感も感じなかった。 何度も読み返すほどの大好きなシリーズだけに非常に残念。 次回作に期待したい。 | ||||
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「巷説百物語」シリーズの最新版。もう終ったかと思っていたシリーズの関西版だが、期待外れの内容。幽玄の味わいがカケラもない。仕掛けの中心人物を又市から林蔵に変えただけだし、何故舞台を関西に移したのかも意図不明。本シリーズは後になる程出来が悪くなり、公平に見て、初作の冒頭談「小豆洗い」が一番の出来とあっては情けない。 主観と客観の落差から生じる人の心の中の漆黒性・異界性を描くというコンセプトは継続しているが、普通はシリーズが進むに連れ、落差を演出する仕掛けの方法が巧妙になる道理である。その仕掛けは読む側にも施される筈であり、「一体どうなっているんだ ?」と読者にも思わせないと作品として失格であろう。本作は舞台設定や仕掛けが平板であり、漆黒どころか明るいコン・ゲームを読んでいるかのようである。特に「遺言幽霊 水乞幽霊」は酷く、先頭2頁だけで読者には全貌が悟れるのに、登場人物当人だけが分かっていないという喜劇的創り。他の作品も大同小異だが。無理して使っている関西弁(風)の言葉も座りが悪い。土佐弁(風)の言葉も使っており、方言練習台の趣きさえある。作者がどのような信条を持って本作を書いたのか見当も付かない。「これで終いの金比羅さんや--」の決め台詞も上滑りしている。江戸の戯作者を気取ったつもりなのだろうか ? 最終談での又市や山岡の顔見せもサービスというよりはアイデア不足の感が否めない。 私が本シリーズに求めている物とは異なり、退屈感しか覚えなかった。もっと玄妙な心持ちになれる物語の筈である。惰性でシリーズを続けてもらっては読む方が迷惑である。見切りを付けるか新たな工夫を凝らすかして欲しいと思う。 | ||||
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まだまだ続くと思っていた「巷説百物語」のシリーズ最終巻らしいです。 以前仕掛けや話の中等で少し出ていた又市の相棒「靄舟の林蔵」が主人公のシリーズなのですが、他の方が書いていたように、又市の仕掛けと林蔵の仕掛けは違いますね。 なんというか、又市の仕掛けだと読後感がしんみりしたり、ほっとしたりしたものですが、林蔵の仕掛けは何処か突き放すというか、ただ哀しいといった印象があります。 話毎の主役がその場からいなくなるからそう感じるのかもしれませんし、比較的サクサクと話が終わっていくからかもしれません。 嬉しかったのは最後の「野狐」で又市や百介を見ることが出来たことです。 もう会えないと思っていたキャラクターに会えたのはとても嬉しいのですが、これで終わりと言うにはあまりに寂しい気がします。 最終巻はてっきり「終(ついの)巷説百物語」と勝手に思っていたので… 話の大筋はついたけど、ケリはついてないように思えるのでもう一度「御行奉為」を聞きたいなぁ…と。そう思うのは贅沢なのでしょうけれども。 | ||||
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シリーズ最終作で、主人公も違う人物ということであればこうゆう風に終わるのかな。全体に寂寥感を感じました。このシリーズ、3作目ぐらいまでは、夢中で読んだのですが、前作くらいからちょっと読むのが億劫になってきました。ワクワク感、ドキドキ感が感じられなくなりました。さらにこの作品では、使われている関西弁がとても気になりました。関西弁のなかにも男性語と女性語、階層別の言葉や尊敬語の区別があるわけですが、この場面で、そんなお嬢さんがそんな言葉を使わはるんかなぁ、などと、ちょっとした違和感があったのです。 一方的な感想で、低い評価をつけるのは恐縮なのですが、星は3つにしました。 | ||||
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