■スポンサードリンク
後巷説百物語
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!
後巷説百物語の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.38pt |
■スポンサードリンク
Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全52件 21~40 2/3ページ
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
彼の作品はどの作品を読んでも 一度読んでしまったら最後、 あとは最後まで読んでくださいね♪的な 恐ろしい魔力の作品ばかりです。 つまり読んでしまったら最後、読み終わるまで離しませんぜ、 ということなのです。 なので試験勉強前なんぞに読んだらアウトです。 この作品は老人となった百介が出てきます。 そしてそばには… だけれども京極作品を読んでいるあなたなら 彼のそばにいる娘の真相は ある程度読めてくることでしょう。 もちろん作品としてのダントツは 最後に出てくる「風の神」です。 あることが絡む重要な作品なので 鉄板なのであります。 が、他の作品をあえて挙げるのならば 人間と言う存在の恐怖を描ききった 「赤えいの魚」が秀逸でした。 人はあしらい方1つで 崩壊してしまう脆さを備えていること… 人事に思えますが、人事にはちょっと思えませんでした。 面白いけれども きっと最後には寂しく感じることでしょう。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
時代は明治、一白翁こと山岡百介が昔の不思議な話を語り始めます。 シリーズの前2作とは話の作りが違います。 安楽椅子探偵もののようでもあります。 一白翁が語る「過去の話」というのが、哀愁というか、昔を懐かしむ物悲しさがあり、いい雰囲気が出ているんです。 これが物凄くツボにはまりました。 ラストもきれいにまとまってます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
開国を経て近代化した日本。 江戸から明治に舞台が移ったことは、この巷説百物語シリーズを一応の終結に持っていくためには必要なことだったのでしょう。 祟りや奇怪、伝説を頭から「怪しい」と否定する合理主義の渋谷と異国かぶれの倉田。一方近代に順応できず、一白翁の不思議話に心奪われる与次郎。 きっと今まで又市一味の華麗な仕掛けを目の当たりにし、この本を手にとった私は与次郎の心に近いのだと思います。 だからこそ、一白翁の語る又市たちの昔話は心に染みる。 今までずっと又市たちのすぐ近くで「怪」が生きていた時代を見てきたわけだから、簡単に昔話にはできないし、したくない。それでも時代は進み、このシリーズも又市一味の生き様を過去のものとして語るところまできてしまった。 否応なしに、百介同様読者である私達も又市やおぎん、治平が消えてしまったことを受け入れなければならないんですよね。 それが本編を通じて感じた切なさなのかなと思います。 ラストは切ないけれど温かいです、号泣しました。一白翁…百介は、最後の最後でもう一度又市の仕掛けに一枚噛むことができたと思ったと思うのです。だから嬉しかったんじゃないかなぁ。 続で感じた喪失感とはまた違う、淋しいけれど又市の存在を確かに感じることができた温かいラストでした。 出会えてよかった、と心から思えた一冊です! さて、次は前巷説百物語の世界で、もう一度又市に会いに行きたいと思います。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
◆「赤えいの魚」 神仏の顔が赤くなると、恐ろしい災厄があるという言い伝え。 それを軽んじた俗人の存在により、その土地そのものが滅びる、 という民間伝承がベースとなっています。 ◆「天火」 「天火」とは、もともと雷光または落雷による天災のこと。 本作では、濡れ衣の罪により、又市が処刑されることに……。 歴史上の大事件とも関わる「大仕掛け」には、驚かされます。 ◆「手負蛇」 親子三代、蛇に祟られた一族の物語。 ◆「山男」 「妖怪」の力が弱まったことを嘆く一白翁に対し、小夜が言う台詞、 「妖怪てェのは、土地に湧くもの時代に湧くもの。 場所や時世を間違えちゃ、何の役にも立ちゃしないのサ」 が印象的。 ◆「五位の光」 〈京極堂〉シリーズ『陰摩羅鬼の瑕』の主要人物・由良昂允元伯爵の先祖が登場。 彼らの一族が「鳥」に憑かれた理由が明らかに。 ◆「風の神」 「風の神」とは、疫病の風邪をもたらす悪神のこと。 小夜のため、そして自分自身のため、百介は最初で最後の「仕掛け」に臨む。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
京極夏彦の最高傑作は何かという質問に、私は今まで「豆腐小僧 双六道中」を挙げてきた。「巷説百物語」の正・続編は優れた読み物であるが、話があまりに陰惨であるために、私には躊躇いがあった。また、又市らが施す仕掛けの危うさに、現実性の希薄さを感じたのも、このシリーズを避ける理由でもあった。しかしこの第三作を読むに至って、やはりこれは、作者にとって最高の作品なのではあるまいか、と考える。 最初の「赤えいの魚」は以前の作品同様に、残酷な描写が歪んだ世界を原色に彩っている。しかしその後の5作品は、次第に雅味を帯びてきて、最終話「風の神」はもはや晩秋の風の如く清爽、また小春の日だまりの如く静穏な趣となり、読後に深い余韻を残す。これまでの長い道のりを主人公・山岡桃介と共に歩んだ読者なら、この味わいがわかるであろう。正に名品である。 現代は怪異の居場所が失われて久しい。妄りに怪力乱神を弄ぶ風潮はまことに憂うべきことではあるが、これは怪異を尊んで語る本来のあり方とは似ても似つかぬ、単なる虚仮威し、金儲けの手段であるに過ぎない。人の世にあって怪異とは憂き世の逃避所のようなもの。山岡桃介は江戸の良心のような粋人であった。彼のような人が生きやすい世の中なら、この世はもっと住みやすいのではあるまいか。現実の方が余程恐ろしい現代にあって、君子ならばこそ、怪異を本来の姿にて語るべき刻であろうと思う。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
巷説、続巷説と続くシリーズ第3弾。 時代は江戸から明治に変わり、 御行の又市や山猫廻しのおぎんも直接は出てきませんが 妖怪を仕掛けとして事の真実を炙り出す手法は健在。 作品最後の「風の神」は 「巷説百物語」の第1話「小豆洗い」を彷彿とさせます。 江戸から明治になってこの世の怪異が否定されても 簡単に人の心は変わらず、虚構に生きたがるものなのでしょう。 シリーズ通してこちら側(読者側)だった百介が 初めて仕掛ける側に回ったことやその後の顛末にちょっとグッときました。 憑き物の本来の姿を明らかにし、真の物語を新たに構築する 京極堂シリーズと対になる作品。 京極夏彦の世界をフルに堪能したい方にはお薦めです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
中善寺の妖怪シリ−ズと双璧をなす作品。 数々の仕掛けを時代を超えて語り、事件を解決に導くと言う前作までとは異なった設定のため、飽きずに読破できます。 数々の仕掛けを語りつくした百介が役割を果たしたように旅立つ姿に涙。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
巷説百物語シリーズの第3弾。 前作までの2作とは、だいぶ時代が後になります。 物語の舞台が、江戸から明治に変わり、摩訶不思議や、異形のモノたちがもはやなくなりつつある時代です。 そんな無粋な時代に、いかなる御行がなされるのか。 ちょっと、ラストで<彼>の心情がいかなるものだったのかと人生を思うと、不覚にも涙してしまいました。 <彼>が誰かは、読んでからのお楽しみ(笑) | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
『巷説百物語』シリーズ第三弾。 今作は、『続巷説百物語』から四十年以上経った明治が舞台。 個人的には又市の仕掛けもストーリーの面白さも前作『続巷説百物語』は完璧だと思っているので、舞台が変わるということもあり、読む前から少々心配だったのだが、やはり一つ一つの話の出来は前作の方が上で、読んでいる途中に考えることは前作の方が面白かったなあということだけだった。 が、ラストまで読むとその印象は一変。 斬新というわけでもなんでもないが、このシリーズは第一作の『巷説百物語』から始まって、今作までで一つの作品なのではないかと思うような、そんなラスト。 まだこの先『前巷説〜』や、最近連載が始まったばかりの『西巷説〜』があるが、時系列の関係からいっても、山岡百介の関わりからいっても、この三作品がひとまとまりなんだと思う。 最後の最後でガッカリさせられるものが多い中で、久しぶりにラストが気に入った作品。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
タイトルどおり、これまでの巷説シリーズの後のお話です。 舞台は明治10年。 主な登場人物は不思議な話が嫌いではない変わり者の与次郎、同じくその手の話が嫌いではない一等巡査の剣之進、剣術使いの惣兵衛、洋行帰りの正馬。 剣之進が持ってくる奇妙な相談事を四人で談義し、結論を出せずに一白翁(百介)のところに相談に行き、そこで一白翁がかつて又市と経験した事件を語る、という形でお話が進んでいきます。 どのお話もとても面白いのですが、今回のシリーズでは切なさも強く感じさせられました。 維新後、江戸時代よりもさらに妖怪が信じられなくなり駆逐されていく当たり前さとさみしさをそこここに感じられて、これまでのシリーズとはまた違った味わいがありました。 あと、相関図が挟まれていて、他のシリーズとのリンクがわかるのもファンとしてはうれしいです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
オリジナルは2005年11月リリース。京極夏彦の直木賞受賞作である。ただ本作を直木賞に選んだことについてははなはだ疑問が残る。時代を明治に持ってきて、百介を老人にして回顧させながら物語を語るという仕掛がはっきり言って懲りすぎだと思う。おかげで又市の動きがいつもと違って遠い彼方にあるように伝わりにくい。真の直木賞は『嗤う伊右衛門』か『続巷説百物語』だ。 ただこの作品集では『五位の光』がなかなか傑作だと思う。由良が登場して京極堂とリンクする。2つの世界が繋がった瞬間である。そういう楽しみもある作品集だ。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
叉市たちの活躍は、隠居となった百介の回顧譚なので、淡々と語られるのみとなり、前作までの現場での生々しさ、シャープさが見られないのはちょっと寂しい。 しかし、叉市やおぎんの消息を感じられる場面は、百介の視点で懐かしく、うれしく思う。 また京極堂シリーズにつながる人物や、キーワードが発見できます。 読後、百物語シリーズや京極堂シリーズを読み返したくなります。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
前二作を受けての三作目。本作は直木賞受賞作品でもあります。 ただし、続巷説百物語を読んで続きと思って購入すると強烈な肩透かしをくらいます。同じ世界観に基づいた別作品と割り切らないといけないでしょうか。 前作から時代は下って明治になり、百介が老いてからの昔語り。それぞれの編は読み物としてとても面白く、非常に完成度は高いです。ただ、前作の読後の寂寥感や飢餓感は埋まりません。京極氏はいつかそこを埋めてくれる作品を世に出すつもりがあるのでしょうか。半端な出来では納得できそうもありませんので、逆に出さない方が無難かもしれませんが。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
著者の本は姑獲鳥の夏から始まり結局何だかんだで全部読ませて頂いている。著者の本の中では爽やかさが感じられる著です。それは山岡百介がさっぱりしているのと、それを慕う登場人物が若く爽やかなせいか。京極堂シリーズが憑き物落としとすれば、又一シリーズはその仕掛けを楽しむ本と思ってます。その意味ではシリーズ三作目、加えて『覗き小平次』も又一さんか、も十分仕掛けを楽しめます。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
「巷説」が大好きで、「続巷説」を読んで悲しくて泣いて、この第三作を読むことを躊躇っていたのですが、読んで良かった。感動の余り、号泣しました。又市さんの、京極先生の、ひとつの大きな仕掛けが、やっと完成したというような・・・・感じなのです。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
物語の舞台が江戸から明治時代になり、 年老いた山岡百介が、困難な事件の助言を求めて 彼のもとにやってくる巡査らに、 御行一味の話を語って聞かせるという内容になっています。物話全体に流れる雰囲気に、もう過ぎ去ってしまった、 そして百介が又市一味と行動を共にした、 ほんの数年だが彼が一番活き活きとしていた江戸という時代に対する 切ない懐古の念が感じられました。前作とは違った形式をとりながらも、 あっと驚く仕掛けで困難な依頼を可能にする 又市一味の魅力は色褪せていません。全三作の中でも最も好きな作品です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
巷説百物語シリーズの第三弾。 扱っている題材が妖怪や物の怪なだけで、 中身は極めて現代的な内容となっています。物語の中で起こる事件の背景が、祟りはそれを受ける方の心持ちが発生せしめるもの、 比較の対象がないと人は自らが置かれた状況を判断するのは難しい、 世の中の不思議の多くは単に私達が知らないことだということ、といった、今にも通じるトリックで実にうまく説明されています。シリーズの三作目ではありますが、本作単体でも充分楽しめる内容です。 京極夏彦作品のファンは無論のこと、 中身の濃い一冊を読みたいという方にはお勧めの一冊です。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
長くシリーズを読み進めてきたので、なんだか読了してしんみりしました。三部作のそれぞれが大巻であったことから、直木賞受賞後もしばらく手が出ませんでした。小説世界が広大であるだけに、飛び込んでいくのに覚悟が必要でした。 いやいや、堪能させてもらいました。しかも近代の無粋な世につなげていくところが、この三巻目の仕掛けかもしれません。作り物のはずの小説世界が、なんだか本当に昔あった出来事のように感じられてしまうのです。 人がいてこその「怪し」。されば、かくも人のひしめき合っている現代にこそ、「怪し」はあるのではございませぬか。見ようとせぬだけで…。 ここで「りん」と鈴でも鳴らないものか… | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
生まれて初めて「読み終わらなければよかった」と思った作品。 話によると今後もこのシリーズは続いていくそうだが、これを読んだ時点ではそれを知らなかった。その上でもった感想が「読まなければよかった」である。あちらとこちらの境、その境にあったのが山岡百介でその境にあるのが、境をあらわすのが百物語ならば、この本は私にとってまさに山岡百介であり百物語であった。 少なくとも一度この本を読み終えることによって、私はあちらを覗くすべを失ったように感じた。御行と別れた百介のように。そう感じさせることがどういうことなのかまではまだ考えようと思わないが、あの感覚はそう味わえまいと思う。 入り込めない人は入り込めないだろう。どれだけ否定の文章を見ても驚かない。けれど入り込んでしまう人は、連れて行かれそうになる。 「後」で京極氏は、その落とし前をつけた、ような気がした。 | ||||
| ||||
|
| ||||
| ||||
---|---|---|---|---|
京極夏彦の『後巷説百物語』に収録されている「赤えいの魚」が、良かったですね。 不思議な世界に引きずりこまれ、その中で翻弄され、ドキドキさせられました。読んだあとには、なにやら、現代の文明批評の匂いも感じました。この『赤えいの魚』のイマジネーションには、どこから生み出されるものなのでしょうか。不思議な世界に引きずりこまれ、作者の手の中で振りまわされる感覚は、他の作家では得られない体験でした。彼の一連の作品の延長線上にあり、「おどろおどろ」した作風は変わっていませんが、読みやすく仕上げています。 一般に受けないと支持は広がりません。「京極ワールド」をもっと多くの人に知らしめる良い作品だと思いました。 | ||||
| ||||
|
■スポンサードリンク
|
|
新規レビューを書く⇒みなさんの感想をお待ちしております!!