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人質の朗読会
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人質の朗読会の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.23pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全69件 61~69 4/4ページ
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地球の裏側の国でツアー中の日本人旅行客8人が拉致される。犯人グループによって小屋に閉じ込められた8人はやがて、一人一人が想い出話を語り始める。人質救出を目指して盗聴をしていた捜査当局のもとには彼らの物語を録音したテープが残されることになる。 これは“9人”それぞれが紡いだ物語だ。 9つの個々の物語には横のつながりはまったくありません。 一人ひとりが残した物語は、幼き日に名も知らぬ人々との間でかわされた束の間の出会いと別れ、社会のとばくちに立ったばかりの若き頃にすれちがっただけの人との忘れかけていた想い出などです。 淡い記憶の中で原型をとどめないほど形を変えてしまっているようなうろ覚えの回想もあれば、もはや幻想と呼ぶ方がふさわしいような浮世離れした追想もあります。 誘拐という限度ぎりぎりの状況下で被害者たちはこれまでの来し方を思い出しながらも、語る内容というと人生を大きく意味づけたというにはあまりに柔らかな事柄ばかり。当人たちにとっては大きな意義があったとしても、読者がそこに何かを見いだすには少しばかり感応力を必要とするかもしれません。 それでも私は、「第六夜 槍投げの青年」には素直に心動かされました。 30代で夫を亡くした女性が、槍を投擲練習する見ず知らずの青年の姿を目にします。その槍を投げる姿の描写と女性が思う胸の内の心模様。言葉の入念な選択によって作者が紡いでいく文章には感服しました。 この物語を読みながら私は、アメリカ人のアーサー・ビナードが日本語で綴った『釣り上げては』という詩にあった、「記憶はひんやりした流れの中に立って、糸を静かに投げ入れ釣り上げては、流れの中へまた放すがいい。」という言葉を思い出していました。 まさに青年の投げる槍とは女性が亡くした夫の暗喩なのです。 この一編を読めただけでも私はこの本は価値があったと思いたいのです。 | ||||
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小川作品にいつもあふれている静けさの中で、この朗読も始まり、終わる。 おそらく南米か中南米で観光をしていた日本人旅行者たちが、 突然拉致され、監禁される。 彼らは救助作戦のさなか、テロリストたちとともに命を落とす。 のちに、彼らが監禁されていた時にしのばされた盗聴器から、 彼らが行っていた朗読会が発見される… それは、人生を振り返るとかいった大げさなものではなく、 ある人の、人生の中の小さな出来事。振り返って、すぐに気付かないような… 8人の人質が、それぞれの物語を静かに語り、ほかの人質が また全身でそれに聴き入る。 彼らはもうこの世にはいないのだが、そのささやかな物語は人々の胸に残る。 朗読会は、神聖な、宗教的な儀式にも似て思えたのは私だけだろうか。 淡々と、自負することなく、語るべきものがそこにあるから、 そして聞いてくれる人がいるから、開かれた朗読会。 それがたとえどんな状況であっても、人間とは語る生き物なのかもしれない、 と思った。 | ||||
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社会の底辺で黙々と毎日をおくる人々の人生の 尊さを生命の喪失と対比して見事に描ききった 佳作だと思います。 個々の話は日本の社会のモザイクにほかならず、 最後の話でこれは個人の話ではなく 日本という文化への畏敬の念だとわかるのです。 この小説に底流に流れる日本の底辺を支える人々の 強さ、崇高な魂は3.11の震災の跡に被災した東北の 人々により図らずも世界に示されることになりました。 しかし、今の政局を見るに、果たして、最後に 掲げられた日本というものへの信頼、それは本当 社会全体にいえることなのか疑問もわいてきます。 そうした政治家、官僚しか生み出せない社会全体の 問題ではないでしょうか? http://paradimeshock.blogspot.com/ | ||||
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最初から主人公である8人の人質は死んでしまったと、わかって始まる8人の物語に静かに耳を傾けられるのだろうか。痛みばかりではなくいとおしさをもって寄り添いながら読み進められるのだろうかと恐る恐るページをめくった。しかし人質たちが物語を語ることになったいきさつを語った冒頭部分ですでに物語にからめ捕られていく。「いつになったら解放されるかという未来」ではなく「自分たちの中にしまわれて」「決して損なわれない過去」に耳をすませることが必要なのだ。と、小川ワールドに深く静かに潜っていけるのだった。 それぞれのささやかな日々の生活の中のささやかな物語が、どれほどいとおしくどれほど生の輝きを持ってこちらに迫ってくるか。だからかわいそうというのではない。読後に残る涼やかな印象はなんだろう。彼らは生きているのである。物語を通して生き続けているのだ。 全編を読み終わった後に「もしも自分だったら何を語るだろうか」と考えた。そして物語ることの意味、物語ることの必要性を改めて考える。物語のイメージを左手に握りしめ、右手で今自分のできることを一つ一つ丁寧に生きていこうと、勇気をもらった一冊。こんな時代だからこそ多くの人に読んでほしい一冊。 | ||||
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日曜日から次の日曜日まで、毎晩夜10時に放送されたラジオ番組「人質の朗読会」 そこで朗読した8人の人質たちは、全員ダイナマイトの爆発により死亡した。 その劇的な最期にも関わらず、人質達が思い出して語った「未来がどうあろうと決して損なわれない過去」は 平凡で些細な話でしかない。 それでも、だからこそ、できそこないのビスケットやコンソメスープやバッティングセンターや公民館の話が おそらく犯人グループのメンバーや、ラジオを聞く人や、この小説を読む人の心へ静かに流れ込むのかもしれない。 | ||||
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小川洋子独特のいつもの世界に心地よく浸ることができた。 大震災というスパイスが夢中にさせたのかもしれない。 私の心は、自分も知らない間に疲れていたんだなとわかる。 小川洋子の作品は心のひび割れにそっとしみ込み、静かに、騒ぎ立てることなく 癒してくれる。 なんでもない日常が本当は一番輝いていた。そんなことに気が付くのは 緊張を強いられる非日常の環境におかれているから。 環境が変えられないなら、あの日の気持ちだけでも取り戻そう。 賢明な人質たちは気が付いた。今このときも日常なのだ。朗読はそれを取り戻す ための手段。自分が生きてきたことの記録。 毎日を静かに、丁寧に、ゆっくり生きていこう。 覚悟を決めたら楽になる。 すぐに何かが変わるわけじゃない。 今このときも自分の大事な人生の時間なんだ。 手の届かない問題に振り回されたら損だよ。 自分を大事に、周りの人を大事に生きていけばいいだけなんだ。 そんな気持ちにさせてくれる本かな。 | ||||
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異国でテロリストに誘拐され、その救出作戦が失敗し爆死した8人の日本人が、拘束時に慰みに行なった朗読会の記録という形で、前作「原稿零枚日記」にも似た日常から非日常へと迷い込んでいく8つプラス1の記憶が語られていく。 前作以上に、章毎のつながりはなく、鮮明に描かれる記憶の断片が、何を伝えるものなのかは、むしろ一層不明確である。 最初に「非日常」という表現をしてしまったが、おそらく、8人は各々の話を初めてしたのではないかと思われる。日常において関わる者に話して受け止めてもらえる内容でもないし、なぜ鮮明に記憶されているのか本人すら分からない内容もある。市井の一市民の心に止まる記憶の断片、共有するものもなく失われるはずだったものが、本人が存在を残せぬまま死ぬという形で、彼ら・彼女らの生の証として、彼ら・彼女らに関わるものに最後に残されたメモワールとなってしまう皮肉。 しかし、誰もそれを皮肉と思わず、よく分からない断片から失われた者へのメモワールを紡いでいくのだろう。プラス1の記憶が、まさに8つの記憶に触れた者から語られたように。 このバラバラのメモワールから何を感じ取るかは、読者個々に大きく委ねられているが、これこそが前作に続いての作者の意図するところだろう。 実際、本書発行から間もなく起きた311の大惨事によって、私達は、無数の見知らぬ誰かの記憶の断片を否応なしに突きつけられるという非日常的な体験をしている。 震災と付随した火災が中心だった阪神淡路大震災では、遺品の多くは死者と紐付けられ、焼かれず遺った者は所有者が生きていれば、多くはその者に還っていった。 しかし、今回の惨事では、持ち主も明らかでない遺物が、もはや持ち主とも住み処とも切り離され、まさに記憶の断片として打ち捨てられている。家族旅行、結婚式、おとうさん・おかあさんありがとうの絵、自分の夢を語った作文、久々に老父母と撮ったスナップ、本来は幸せとその所有者が明らかな記憶が、そのつながりを失ったことで、第三者の想像と悲しみに補完されるだけの遺物となる恐ろしさを体感したことで、私達は本書を明らかにそれ以前とは違う読み方を余儀なくされるし、そこに触れぬものはただただ虚しいレビューではないだろうか。 いまのところ、ポスト311文学は生まれていないが、311の直前に本書が生まれたことが偶然なのか時代の息遣い等からの必然であったのか個人的には興味を持つところである。 | ||||
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地球の裏側で、思いがけず誘拐され、人質になってしまった日本人ツアー客達。 しずかな、、人質生活のなかで、 人質達が、思い出話を記録し、、朗読しあった物語、、という設定。 足を挫いた鉄工場の青年のために、子供らしいひたむきさで杖を作る話、、 隣りの”おかしい?”娘さんが、自分の母親のためにコンソメスープを作る話、、 因業大家さんとの、出荷できないビスケットを通じた交流、、 談話室のいろいろなセミナーに参加し続ける話、、 固めの不自由なぬいぐるみを作る老人との交流、、 どれもこれも、不思議な余韻の残る話でした。 静かで、、ある意味、日常の話なんだけど、 あるとき、どこからか、、 どこか違う世界とつながっている感じで、、。 | ||||
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地球の裏側にある異国で人質になった八人が、自分の人生の忘れがたい思い出、過去の記憶をそれぞれ一つずつ書いて、朗読し合おう。八人の人質の誰が言い出したのか分からない、彼ら一人一人の人生の物語を、八つと一つの全部で九つ収めた連作短編集です。 九つの物語はどれも、語り手がまだ子供だった頃、あるいは何年、何十年か前の昔の忘れ得ぬ体験、出来事を綴ったものばかり。人生の途中で出会い、心を通わせた人物に対する語り手のあたたかな気持ち、その思い出を大事に心にしまっておいた語り手の思いの深さが伝わってきて、何だかしんみりとしてしまいましたね。ささやかだけど、素敵な人生の一コマを垣間見せてもらった、いや、聴かせてもらったみたいな。祈りにも似た、密やかで静かな調べを湛えた物語たち。しんと、心に響くものがありました。 「中央公論」2008年9月号〜2010年9月号に掲載された九つの物語のタイトルは、「杖」「やまびこビスケット」「B談話室」「冬眠中のヤマネ」「コンソメスープ名人」「槍投げの青年」「死んだおばあさん」「花束」「ハキリアリ」。 不思議なインパクトを持つ登場人物たちのなかでも、「やまびこビスケット」に出てくるアパートの大家さん、「B談話室」に出てくる公民館の受付の女性、「槍投げの青年」に出てくる青年の姿が印象的だったな。 同時期に執筆された『原稿零枚日記』(2009年1月号〜2010年4月号にわたって、「すばる」に掲載)もとても魅力的な作品だったけれど、こちらも、しみじみとした味わいが心に満ちてくる一冊でした。 | ||||
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