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人質の朗読会
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人質の朗読会の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.23pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全69件 41~60 3/4ページ
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一つ一つの朗読に引き込まれます。小川洋子の一つ一つの言葉が響きます。 | ||||
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死に一番近づいた人々が、生について語り合う。 重いテーマをたんたんと語る文体が印象的。 一見軽く扱われたかに見える命の一つ一つに重みや、奥行きがあることに気づかされ、 だからこそ、これを読むことにより、一つ一つのいのちを慈しむことを教えてくれる稀有な作品 いろんな事をこの作品を通して感じて欲しい | ||||
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非常に高い技巧的構成で作者の持ち味と小説の醍醐味とを堪能出来る短篇集。海外でテロリストのために人質となり、結果として爆死した8名の日本人が、人質期間中に順番に朗読を行なったものを文字に起こしたという体裁の物語。最後に総括的な短編が付いている。人質という立場は勿論だが、3.11を意識したものなのだろうか、全編に"死"のイメージが漂っており、題名の「人質の朗読会」を「死者の回想譚集」と読み換えても差支えない。死者の入れ子構造である。また、この構成は漱石「夢十夜」をも意識したものだろう。 私は作者の短編「巨人の接待」を読んで、その不条理性に驚嘆したものだが、本短篇集にもその不条理性と幻想性とが玄妙に混淆している。それでいて、読んでいてある種の郷愁を感じさせるのは、死者(及び死者に対する記憶)への哀悼の意が溢れているからだと思う。更に、人は誰しも語るべき物語がある事を穏やかに主張している様でもある。また、ある短編が本作の成立過程の説明になっている辺り、本作の幾重もの重層構造を改めて感じさせ、本当に巧緻な創りになっている事をシミジミと実感した。 本筋とはやや外れるが、"モノづくり"や数理に対する作者の拘りの姿勢が各編から窺え、これまた楽しい。不条理な"死"に見舞われた人々に対して、静謐かつユーモラスな不条理小説で応える。作者の近年の充実振りを十二分に示した秀作だと思った。 | ||||
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それぞれの語り手と、同じ体験をしてるような もしくはそれを見てるような、 そんな気持ちになりました。 ほのぼのとした、というような。 このひとたちが置かれてる立場を 忘れてしまうような。 | ||||
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というかWOWOW ドラマを知り、急いで原作を読みました。一つ一つの話にその人の世界があり、大変おもしろかったです。 しかしWOWOWドラマがまた優れていました。原作の風景や音、感覚までも、より豊かに表現されていました。 普通はの原作の持つ重み、深みに映画やドラマは届かず、がっかりすることが多いのですが、今回は違いました。 ぜひ原作を読み、ドラマを見ることをおすすめします。 | ||||
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ゲリラに人質に取られると言う、非常に特殊なシュチュエーションです。 でも、そこに書かれているのは、そうした非日常的なことではありません。 そうではなくて、誰にでも「小説」があると言う事です。 どんな人でも一つくらいは「物語」を持っており、そのことがその人の人生に大きな意味を持っていると言うことです。 この小説を読んでいると、その一つ一つの小さなその人にとっての大切な「話」が、実に心地よく胸に響いてきます。 決して、それらは明るい話ばかりではないし、取り止めのない話もあります。 それらは、私にはファンタスティックな雰囲気の中に、人生の深淵を見せてくれている様に思えます。 私にとって、素晴らしい「出会い」だったような気がします。 | ||||
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小川洋子はかえりみられないひとびとをすくいあげて慈しむのが本当にうまい。 やまびこビスケットの吝嗇大家しかり冬眠中のヤマネのぬいぐるみ売りの老人しかり、世間から奇人変人、または厄介者と見なされ忌避され疎外され忘れ去られてる人物と語り手のぎこちない交流を通し、淡く浮かび上がってくるやさしさと哀れみがしみじみしみいる。 そしてこの小説の語り部たちも「忘れられた人々」である。 大前提として、話の開始地点で語り手となる人質は全員死亡しており、どうあってもその事実は覆せない。 しかし彼等一人一人が語る話に理不尽な事件の渦中の悲壮感や絶望感はない。 個々の挿話は特別劇的ではない、日常に紛れこんだささやかな非日常を取り扱ってはいても日常の大枠からは脱してはおらず、どこにでもいるありふれた人たちのささやかな人生の切片、ゴールも間近、遠く離れてから振り返る通過点にスポットライトをあてたともいえる。 作中の引用「未来がどうあれど過去は決して損なわれない」。 この言葉は従来消極的な意味で使われる。 「決して変えられない、動かせない」 この繰り返しは盤石の重責を帯びた不可避の悲劇の象徴となる。 でも作者はあえて「損なわれない」と表現する。 損なわれないのは何か? 希望である。 閉塞した現在、不可視の、理不尽に断ち切られるであろう不安を秘めた未来。 その時、記憶の中でけっして損なわれず光り続ける過去は救いになる。 声と音を吹きこまれ語り継がれる事によって、彼等の記憶の中に埋もれていた事柄、喪われていた人やものが生き直すことができる。 これを希望と呼ばずなんと呼ぶ? 八人の人質が寄り集まった朗読会。それぞれのトーンで語られるそれぞれの人生の挿話。 のちに人生を方向付ける出会い、秘密めく忘れがたい思い出、束の間のふれあいがもたらした尊いモノ。 世界を創造する鉄工所の火花、机の上に並べられたおちこぼれのアルファベット、縫い目にそって涙がしみた布、片目だけの奇形のぬいぐるみ、カップの中の澄んだスープ、バッティングセンターに響く快音、手に余る花束、地面を這うハキリアリの行列。 その時こそ取るに足らないと見落とされていたものは録るに足るもの、他愛ないと軽んじられていたものは他者の愛に足るものとして、ろうそくの灯が瞬く廃屋の暗闇でひそやかに息を吹き返すのだ。 だからこれは悲劇ではない。 語り継がれる事によって語り接がれた希望の話である。。 | ||||
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短編集のデメリットは一冊に収められた作品のなかに、どうしても出来不出来や好き嫌いが出てしまうことではないだろうか。この『人質の朗読会』に収められた9篇についても同じことが言えて、すべての作品が最上の傑作だとは言いかねるかもしれない。しかしながら、異国の地で人質になった8人の朗読会(+1篇)を描いたこの作品集は、連作という形を取ることによって、個々の評価よりも全体を俯瞰することが常に要求されるために、通常の短編集に与えられる評価軸を巧みに回避することに成功しているのではないか。作品のテーマは、文中にある「未来がどうあろうと決して損なわれない過去」という一節がよく表していると思う。本書のイントロダクションを読めば分かるように8人に未来はないのだが、彼らがどう死んだかということよりも、どう生きたのかということに作者の眼差しは注がれる。それはメディアが扱う、記号や数字のようになりがちな「死」によって隠されてしまう、個々の「生」の匿名性とは対極にあるものだと言える。 | ||||
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読んだ後にしっとりとした気持ちになります。人質となった人たち(後に爆死してしまう)の朗読会といった設定。各章の最後に、ごく短い肩書きが添えられているのですが、その人の過去と現在をつなぎ、その人の歩んできた道、人生が垣間見える様な気がします。短編集でそれぞれ連作ではありません。個人的には『「B談話室』が印象にのこりました。 | ||||
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冒頭の状況説明以降、9話目以外は、全て殺された人質の過去の物語であるから、誘拐事件には一切触れていない。しかも物語は全て、それを語る人質自身に取って、人生を見直す天気になった出来事である。彼らはその体験を糧にその後の人生を前向きに生きてきた。どの話も一様に変わっている。そして、自分の人生を省みて、彼らはあえてその物語を自ら選び朗読する。 だがそれはまるで彼らのこれからを暗示していたように思えてならない。彼らは極限状態の中、それでも希望を失っていた訳ではない。しかし彼らは、静かに集い、自分の未来を暗示する物語を、自らの言葉で語り出す。 直接の描写のないこの情景が物語の本質であると思う。 一読の価値はある。 | ||||
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どの話も、その後がとても気になる終わり方をしている。 終わり方も、話の途中でも、いろいろ疑問が湧いてくる。 それがこの小説を魅力的にしている理由の一つかな。ただ、 気になることがたくさんあって読んだあとモヤモヤした 感じも残る。だから、もう少し説明があってもいいとは思うけど。 全体的にはとても静かで優しい小説です。毎日の生活に疲れて、 何もかもが嫌になっているとき、自分がこれでいいのかと悩んで しまうような時に、今の自分を受け入れる慰めと、少しでも先に進もうと 思う力の両方をくれる。今の幸せに気づきつつ、これからの新しい 幸せへの期待も感じられる。でも、そんな話を語っている人たち 全員が死んでしまったという衝撃が、読み始めて最初から最後まで心のどこかで くすぶっている。だから読んだあとも、嬉しさと淋しさが入り混じったような 気持ちになったのかもしれない。 | ||||
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異国で反政府ゲリラの人質となり爆死した日本人達が、 生前に囚われの日々の中でそれぞれ印象に残った思い出を記し、それを互いに朗読し合う、というのが本書の設定である。 冒頭にその設定が淡々と書かれ、人質たちが残した思い出が後続の各章で明かされる、といった構成だ。 (最後の章だけ人質以外の人物が語っている。) それぞれの思い出が綴られる個々のエピソードは非常に良かった。 病気の母に食べさせるスープを一心に作る女性の話や、怪しいぬいぐるみを売る老人など、 不思議な登場人物との不思議な出来事がどこか覚めた語り口で描かれていていて、 その文体は最後まで飽きない魅力を感じさせてくれる。 個人的には整理整頓好きのおばあさんとクッキー工場に務める女性との交流が印象深かった。 やり投げの青年の話は、おそらく女性ならもっと共感するところがあるだろう。 しかし、それぞれのエピソードは秀逸でも、 私にはこれらのエピソードがなぜ『人質の朗読会』という設定の上で語られるのか、その必然性を感じる事はできなかったし、 『人質の朗読会』という設定の存在意義も感じられなかった。 理由は二つある。一つは個々のエピソードの文面が思い出を淡々と語ることに終始しているため、 人質に取られ明日には殺されるかもしれない、という極限状態に置かれているはずの当事者の気持ちに関する描写がほとんどない事。 もう一つは、これが大きいのだが、思い出として語られるそれぞれのエピソードはどれも『他人との交流』を描いたものばかりであるという事。 普通こういう状況なら家族とか恋人とか親しい友人とか、もっと自分と近い人たちとの思い出を語るものと思われるのだが、 物語の中心となる登場人物はみんなこぞって「自分」と「他人」である。 アパートの管理人、普段交流の少ない隣の人、見知らぬ槍投げの青年、公民館の受付嬢、とかそんな調子である。 『人質の朗読会』という設定の中で語るには少々不自然に感じる。 『人質の朗読会』。この設定そのものは十分刺激的だし、読者にさまざまな想像や思考を喚起させる上でもプラスになると思う。 だが、本書は結局それどまりである。個々のエピソードと『人質の朗読会』をつなげる決定的な糸はどこにもなく、読者の想像に丸投げされているだけだ。 他のレビューでは時期的に『東日本大震災』と結びつけて評価している人がいるけど、それはとんでもない話である。 もし本書が本当に『東日本大震災』を背景にして、日常生活の中で起こったどこか非日常的な人間同士の交流と、 知らない異国でゲリラの人質になるという非日常の全てを結びつけようとしているのなら、 卑怯だし短絡的だし平和ボケもいいとこだと私は思う。思いませんか? (初版は大震災の直前なので実際にそういう意図は本書には無いはずだけど。) さて、ここまで書いてしまうと私は本書がすごく嫌いだと思われるかもしれないが、実は決してそうではない。 私はこれが例えば『小川洋子短編集』だったら普通に良い印象を持ったと思う。 それだけ一つ一つの物語は面白いものであったし、とても良かった。 刺激性を売りにするため『人質の朗読会』という余計な添加物を加えた結果、 それによって作品が本来持っているはずの味わいが損なわれてしまったのが本書の姿なのだと私は考えている。 | ||||
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これって、書き溜めてた短編に書いた人間のプロフィールをつけて、 その人間たちが反政府ゲリラに捕らわれて結果死んでしまったっていう 設定を後付けしただけじゃないの? それぞれの話が全くつながってない上に最後の「まとめ」の章でもなんの オチもなかった。 これが本屋大賞の5位だって? なんでも奇をてらった設定の本を推せばいいってもんじゃないんですよ。 ていうか、この本読んで「生きる勇気をもらった」とか言ってるヤツとは 何があっても分かり合えないな(笑) | ||||
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地球の裏側の名もない村からもたらされたのは、日本から遺跡観光に出かけた人たちが拉致されたと いう衝撃的なニュースだった。そして、事件から100日以上経過したとき、犯人そして人質全員が 死亡するという悲劇的な結末が訪れた。命を落とした人質8人が遺したものとは・・・。 今はすでに亡くなってしまった8人。その8人の声がテープから聞こえてくる。静謐な時間の中で、 それぞれが自分自身のことを冷静に語っている。幼い頃の思い出を語る人、人生の転機になったでき ごとを語る人、自分が遭遇した不思議な体験を語る人・・・。彼らはどんな想いで語っていたのだろう。 少しは未来に希望を持っていたのだろうか?けれど、読み手である私は知っている。朗読している人 たちに未来がないことを。いつもの日常生活に戻れないことを。その過酷な現実が、心に突き刺さって くる。胸が痛い。 彼らがどういう状況下におかれていたのかについては、まったく描写がない。けれど、描写がない分、 よけいに悲惨さや哀切さが強く伝わってくる。今はいない彼ら。朗読会の声だけが、彼らの生きていた 最後の証だなんて悲しすぎる。人は生きなければだめだ。生きて生きて生き抜かなければだめなのだ。 どんなことがあっても。そのことを強く感じた。「命」について考えさせられた、余韻が残る作品だった。 | ||||
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以下感想というよりは個人的な解釈に近いので、不快に感じられたらご容赦願いたい。 作中の人質が語る、各人生のひとコマひとコマは恐らく死についてである。 象徴的であっても、死に深く触れた記憶。 自身が事故により死に瀕したり、交流をもった故人、子供の死を抱え続ける親たちの集まり、様々な人から語られる亡くなったお祖母さん、悲しみを抱え朽ちゆく老人と生命力にあふれた少年の対比。母へ捧げる最後の料理、夫を亡くした喪失感からの昇華、顔も知らない他者を丁寧に悼む気持ち。 それらは、当然ながら見送る側のエピソードである。彼らは死んだ事がないのだから。 異国の地で囚われ、監視され続けるなか、迫ってくるのは死の恐怖であり、不安である。 名前も上手く発音できないような土地で迎えた最悪の結末に、しかし彼らは固く抱き合い、ひとつの塊となって亡くなった。その死に様はどこか穏やかで、かつ彼らの絆を十二分に伺わせる。それは彼らが、自分の痛みを仲間と分かち合い、死の記憶を共有し、今度は送り出される側になる自分たちの立場に向き合ったからではないだろうか。 最後のエピソードは彼らを悼むと同時に、言葉を語ることの力、朗読という形をとった人の営みの慎ましい美しさを表し、総括している。 それぞれのエピソードが少々美しすぎるので現実感には欠けるが、この話が心に響くのは、人質という立場になくても、私たちが日々死に向かって、死と触れながら生きているからであろう。その時を穏やかに迎えるために、私たちには「朗読」が必要なのだ。 | ||||
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人質になった8人とその魂に寄り添った一人が書いて朗読した内容はあまりに静謐で異常な事態に起きた奇跡の産物を聴いている気持ちになりました。 ただ、第一夜の「杖」と、第二夜の「やまびこビスケット」は、文体やモチーフがいかにも小川ワールドで、人質になった人が書いて朗読したのを忘れて小川洋子の短編を読んでいる気持ちになってしまい苦慮しましたが、人質によるものと騙されることにしました。 「少なくとも遺言を残すという深刻な心境ではなく、人質グループとの間にコミュニケーションも生まれ、徐々に命の危険を感じる恐怖は薄れていた」とはいえ、異常事態であるにはかわりない。 生死にかかわる切迫した状況に直面すると言葉には何の意味があるだろうと遠巻きにしている人たちには黙るという選択もありますが、当該者たちはどんどん自分の話を紡いで朗読してゆく。生存に最低限必要な食べ物や切るものだけでなく文化を必要とし育まれているのに胸を打たれました。 | ||||
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一方的な話し手と一方的な聞き手。 そこには何も接触は無いけれども、感動はじわじわ伝わってくる。 恐怖の中での自分の告白。 この感動は凄いあぁ。 | ||||
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なんとなく表紙にひかれてかった作品です。 地球の裏側で人質になった人たちが、それぞれに 自分を語る小説を書く。 発想はすごくいいと思います。 ただ私には小川さんの作品が 肌に合わない感じがして 「博士の数式」と同様に 入り込めなかっやのが 少し残念でした。 | ||||
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異国で反政府ゲリラに拉致された8人の日本人。 いずれ爆死する運命の人質は、監禁されている間、朗読会を開く。 テキストは、自ら書き記した過去の出来事。そこにどんなルールを彼らが設けたのかは、 8人の話を記録した盗聴テープを通して想像するしかない。 しかしいずれの話も、 他者との邂逅によって、人生の「善きもの」を受け取り、それを忘れずに生きてきた人々の述懐である。 語る言葉をいったん文字として書き記すことにより、彼らの記憶は純度と硬度を増している。 9話は、盗聴器から聞こえる朗読の声に耳を傾けていた特殊部隊の男の話である。 この最後の男の話が、8人それぞれのバラバラな記憶を、1点に凝縮する役目を果たしていて、秀逸である。 小説の末尾の数行は、私には忘れられないものとなりそうだ。 本書が刊行されたのが2011年2月。 その時日本には、1か月もしない内に想像だにしなかった状況下で自らの生を終える人々が、2万人以上いて、 日々のささやかな日常を生きていたのだ。 彼らもまた8人の人質のように、若者も老いた者も、働き者も怠け者も、気立てのいい者もひねくれ者も、 みなが人生におけるなにかしら「善きもの」を抱いて、死に向かって生きていたのだ。 もちろん、いまだ生きている私も、同じ流れの中を生きているのだと思う。 | ||||
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作中の9人の朗読の語り口調に、国境や年齢、性別の違いが反映されていない感じがして、 一つの小説、物語として作品に入り込むことが出来なかった。 最初の「杖」は、小川洋子さん特有の描写テクニックが冴えていて少し期待したのですが、 全体のドラマとして、後味が足りないと感じました。 誰の目線で見て感じて、誰の言葉で綴られるのかにモヤモヤさせられます。 なんだか1人の人間の作り話だとゆう印象を受けました。 | ||||
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