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薔薇の名前
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薔薇の名前の評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.19pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全117件 1~20 1/6ページ
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| 本自体は満足いくものだったが、輸送による本の角や隅のかすれが思った以上にひどい 以前はもう少し丁寧に梱包されていたと思うのだが… | ||||
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| 作品は素晴らしい。ここで書くことではないでしょうが、私もコレクションとして限定カバーを手に入れたいので予約しました。届いたら紙袋包装で破れており、中身の書籍本体は折れ、全体的に擦れて傷がありました。高額なのと楽しみにしていただけにショックです。今回、作品のレビューを書くところで、配送の不満を作品評価に反映すべきではないと思って星は純粋な作品評価にしています。只、他にも同じ方が多かったようなので購入方法の参考と改善の足しになればと思い投稿します。 | ||||
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| 14世紀のイタリアの修道院で連続殺人が起こり・・・というお話。 以下、訳者の河島さんのあとがきからの引用(ネタばれあり)。 「ところで推理小説はその構造上、周知のように、まず発端となる事件(たとえば死者)があって、何等かの決着(たとえば犯人の発見や逮捕)へと向かうのであるが、その間に、作者=探偵=読者にとっては、解決しなければならない関門(たとえば謎)が控えている。長篇『薔薇の名前』には、推理小説のための小道具や大道具が十分に揃っていて、この糸をたぐっていく読者は、たとえば、あの異形の建物のなかへ入りこみ、迷宮の謎を解いていく過程で、大きな知的喜びを味わうであろう。しかしやがて、それらの複雑な謎もみな解明され、一連の事件を決着へ向かう。その時点において、すなわち、山上の僧院が炎上して、まさにすべてが灰燼に帰さんとしているとき、その光景を前にしながら、ウィリアムはアドソに向かってつぎのように言う。その科白に、賢明なる読者は、ぜひ注意していただきたい。『一連の犯行を支えているかに見えた、『黙示録』の図式を追って、わたしは○○〇にまで辿り着いたが、それは偶然の一致にすぎなかった。すべての犯罪に一人の犯人がいるものと思い込んで、わたしは○○〇にまで辿り着いたのだが、それぞれの犯罪には結局、別の犯人がいるか、誰もいないことを、発見したのだった」敢えて、繰り返しておく。ウィリアムは犯罪には別の犯人がいるか、誰もいないことを発見した、と言っているのである。この科白は、尋常ではない。ウィリアムは(彼はもはやエーコであって、ホームズではない)その先に続けて言う。『邪悪な知能に長けた者の企みを追って、わたしは○○〇にまで辿り着いたが、そこには何の企みもなかった。あるいは、○○〇自身が初期の自分の企みに圧倒されてしまっていた。と言ってもよい。一連の原因の鎖が、原因から派生した原因の鎖が、相互に矛盾する原因の鎖が、つぎつぎにたぐられていくと、それらが勝手に独り歩きをして、初期の企みとは無縁な別個の諸関係を生み出してしまうのだった。わたしの知恵など、どこに居場所があろうか?」 〇になっているところは固有名詞で伏字にしました。この感想がこの作品の端的な要約になっていると思いました。 ジョージ・オーウェルの「一九八四年」にピンチョン先生が悲痛なラブストーリーとしても読める、と言ったり、レムの「ソラリス」もそういう部分があったりする事を鑑みて、この作品を読むと、 「ヨハネの黙示録」に見立てて犯罪が起こるは、マザーグースの童謡通りに犯罪が起こるサスペンス 「アフリカノ果テ」という文章を調べるのは、暗号解読 迷宮の文書館を調べるの所は、館ものの推理小説、その中を調べるのは洞窟探検の冒険小説 という風に、娯楽推理小説とも読める、とこう言いたい訳です。 実際は推理小説の枠組みを借りた神学問答で、その進学問答に、キリストの清貧、愛し合っている関係での性愛が許されるか、異端と正統の違いを組み込んだ作品に思えました。もの凄く個人的な感想を申せば、「黒死館が出てくる『虚無への供物』」という風に思いました(珍説ですが)。著者のエーコさんがイタリアの人で、イタリアがローマ法王庁とかあって、キリスト教の総本山とういう事で、キリスト教をある程度知っていないと判りずらい所もありますが、総じて面白く読めました。 個人的には、夫婦同志の性愛、子作りの為の性愛もあまりよくないというのが、夫婦間のセックスレスがよくないと言われたり、LGBTが普通になった二〇二五年終わり頃に読むと、隔世の感がありました。 題名に関しては、著者覚書で、「書名は読者の考えを方向づけるのではなく、それを混乱させねばならない」という事で、勝手に解釈しますと、薔薇が実際咲いて萎れますが、見た人の心には残り、信仰心を持っている人もいずれは死にますが、他に生きている人にその信仰心は継承される、という風に解釈しております。ケインの「郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす」もケインの家にくる配達の人が二度ベルを鳴らす人だった、という単純な理由で付けられ、後付けでいろいろな解釈が生まれたという事で、本書もそれぞれが勝手に解釈していいらしいです。 今回の改訂版は、以前のエディションとどこがどういう風に代わったか比較してないので、判りませんが、知っている方がいらっしゃれば、ご教示して頂きたいです(自分でやれと言われそうですが)。前に読んだ際よりも面白かったので、☆は一つ増やしました。 昔のキリスト教の神学問答を推理小説の枠組みで再現した感じの作品。是非ご一読を。 蛇足ですが、この作品と直接の関係はないですが、「エドガルド・モルターラ誘拐事件 少年の数奇な運命とイタリア統一」というノンフィクションで、イタリアの宗教事情が判ります。 また、似た感じの作品で、ポトツキという人の「サラトガ手稿 完全版」、オルハン・パムク氏「私の名は赤」もお勧めしておきます。 | ||||
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| 「完全版」にかこつけて、単行本より800円も高い文庫本ってどうなんでしょう? 非常に高価なので、書店でビニール包装して陳列するようになるのかな? | ||||
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| 新刊なのに天の角部分の一部が潰れていた。読書に支障はないが、気分が悪い | ||||
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| 作品内容に文句はないです。 文句なしに面白いです。 ですがアマゾンには文句言いたい。 なぜ箱でなく紙袋で配送したのでしょうか。しかもビニールで二冊固定してないせいで、暴れまくったのでしょうね、角は剥げ、折れ線ができてます。いつも、複数冊と時は箱で発送してもらってただけにショックでした。最近そんなツイートとか評価が少なくないのに、いい加減商品を大事に扱って欲しいです。 せっかくの完全版で初版なのに。 仕事中からワクワクしながら待ってたのに悲しいです。 アマゾン側の問題なので星は減らしませんが、版元のサイトからの購入を強く勧めます。 | ||||
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| 紙袋に素のまま入れて届きます。 気にする方は注意しましょう。帯と角がよれた状態でした。 版元のサイトでの購入をおすすめします。 なお作品内容は文句なしに面白いので、そちらもまたおすすめします。 | ||||
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| ウンベルト・エーコの薔薇の名前は、史上最高のミステリー作品です。 | ||||
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| かなりの読書家でも、『薔薇の名前』(ウンベルト・エーコ著、河島英昭訳、東京創元社、上・下)は読み終えるのに苦労したという声を何度か耳にしました。 この小説では、中世の北イタリアの山上の由緒ある修道院で起こった奇怪な連続殺人事件の謎に、当修道院を訪れたフランチェスコ会修道士、バスカヴィルのウィリアムと、その弟子のベネディクト会見習い修道士、メルクのアドソの師弟が挑む1327年11月末の7日間が描かれています。 鋭い頭脳の持ち主であるウィリアムは、謎解きの途中で、この事件の原因は修道士同士の争いや復讐ではなく、修道院の敷地内に建つ巨大な迷宮構造を有する文書館に秘蔵されてきた禁じられた一巻の書物が関係していることに気づきます。 諦めずに最終ページまで読み通すために、3つの補助線を引くことをお勧めします。 第1の補助線は、宗教の線です。ウンベルト・エーコが物語に重々しい雰囲気を与えようとして詳細に綴った当時の宗教界の事情をざっと理解したら、このことに必要以上に囚われないようにしましょう。 共にベネディクト会の流れを汲むフランチェスコ会(「小さき兄弟会」がその中核)とドミニコ会が正統か異端かという勢力争いをしていること、そして、これがフランチェスコ会の後ろ盾の神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世と、ドミニコ会の親玉たる教皇ヨハネス22世の代理戦争でもあったことを知っておけば十分でしょう。 第2の補助線は、推理の線です。シャーロック・ホームズの大ファンだったエーコは、これでもか、これでもかというぐらい、次から次へと複雑な謎を仕掛け、ウィリアムに解かせているが、コアな推理小説ファン以外は、この部分ではあまり頭を使わずに、謎解きはウィリアムに任せておきましょう。 その代わり、最後の最後で明らかになる一番重要な謎には真正面から向き合ってください。この謎こそが、本書の肝だからです。そして、「笑い」について、改めて考えてみましょう。 第3の補助線は、学識の線です。エーコは自身初の小説である本作品に論理的かつ重層的な骨格を与えるべく、持てる学識の全てを注ぎ込んでいます。ウィリアムは、「オッカムの剃刀(かみそり)」で知られる実在した「オッカムのウィリアム」の親友ということになっています。この学識部分は、軽く、はい、はいと頷いておけばいいでしょう。 何しろ、語り手があちこちで、「この老いたる僧は、あまりにも横道へ足を踏み入れがちであるから」、「またしても私のペンは、横道に逸れて、語る必要のないことまで語ってしまった」、「どうやら、私の物語は冴えない脇道へ入りこんでしまった」と言っているくらいですから。 個人的に気になったのは、物語の末尾のアドソとウィリアムの、「・・・神が存在しないことを証明するのに等しいのではありませんか?」、「おまえの問に、然りと答えたならば、学僧である身としては、どうやっておのれの知識をこれから先も伝えていけるであろうか?」という、修道士らしからぬ会話です。 そして、死を目前にした語り手は、「ほどなくして、わが始まりの時と私は混ざり合うであろう。そしていまではもう私は信じていない、それがわが修道会の歴代の僧院長が説いてきた栄光の神であるとも、あるいはあのころ小さき兄弟会士たちが信じていたような栄光の神であるとも、いや、おそらくはそれが慈愛の神であるとさえも。<神トハタダ無ナノダ・・・>。私はすぐに、その広大無辺な、完全に平坦で果てしない、無の領域へ、入りこんでいくであろう。そこでは、真に敬虔な心が安らかに消滅していくのだ。私は神聖な闇のなかに、まったくの沈黙のうちに、捉えがたい一体感のうちに、深く深く沈んでいくであろう。そしてそのように沈みこんでいくいなかで、あらゆる同じものも、あらゆる異なるものも、失われていくであろう。そしてあの奈落のなかで、私の精神はおのれを失っていき、平等も不平等も、何もかも、わからなくなっていくであろう。そしてあらゆる差異は忘れ去られ、単純な基底に、何の異同も見分けられない荒涼とした沈黙のうちに、誰もがおのれの居場所さえ見出せない深い奥底に、私は達するであろう。形あるものはもとより、揺らめく映像さえない、無人に神聖な沈黙のうちに、私は落ちこむであろう」と、物語を結んでいます。 そこで、ChatGPT5に「ウンベルト・エーコは神の存在を信じていたのですか?」と聞いてみました。「ウンベルト・エーコ(Umberto Eco)は、厳密な意味では『神の存在を信じていた』わけではなく、伝統的な信仰者でも無神論者でもない、非常に独特な立場をとっていました。彼の考え方は、神学・記号論・哲学が複雑に絡み合ったもので、しばしば『不可知論的(アグノスティック)』と評されます。・・・(略)・・・まとめ:信仰というより思想 ▶幼少期は信仰的な環境 → しかし成人後は非信者、▶『神の存在』は証明不能としつつ、その『文化的役割』を重視、▶神学や記号論を通じて、神を『問い続ける』姿勢を維持、▶信じる/信じないではなく、『神をめぐる意味』を考察した思想家」という回答が即座に返ってきました。私の無神論に近いことを知り、エーコに親しみを感じるようになりました。 | ||||
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| 比較的若いときに読みました。 再読したいのですが、重いし、字が小さいし、高齢読書人には高いバリアーが聳えています。 ぜひ、読書バリアフリーに協力を。 | ||||
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| 比較的若いときに読みました。 再読したいのですが、重いし、字が小さいし、高齢読書人には高いバリアーが聳えています。 ぜひ、読書バリアフリーに協力を。 | ||||
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| It was delivered as scheduled. The condition and quality is very good. | ||||
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| The delivery was as scheduled. The condition and quality is very good. | ||||
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| 定価より230円安かったので おかしいとは思ったのですが購入しました。 届いた本は 帯には皺がより一部裂け 内側の折り返しは折れている状態。 本体も数ページが折れていました。 がっかりして返品しました。 | ||||
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| やろうとしてることはすごいと思う! でもまるでウィキペディアを読んでいるような味気なさでした。残念。 やっぱメルヴィルってすごい! | ||||
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| ちょっと分かりにくいところもあるけど!良い本‼️ | ||||
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| 文庫を出して欲しい! 重い! ストーリーは少し難しいけど | ||||
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| 理解できない部分をすっ飛ばして読んだ。キリストの教義、中世ヨーロッパ、権力争い…。こうしたことを取り除いても愉しめる。本は読みたいように読むべし 知らなくても恥ずかしくないことはいっぱいにあるんだから | ||||
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| 本書は中世からルネッサンスへと時代が移りつつある14世紀前半のヨーロッパが舞台となっている。 普遍的真理がイデアのように実在するという常識が揺らぎはじめ、普遍的真理/イデアと感じてきたものが実は「名前」のようなものであり、主観的概念に過ぎないという考え方(オッカムのウィリアムの唯名論)が広まりつつあった頃の「時代のゆらぎ」が描き出されている。 教皇庁は「真偽」や「善悪」が文脈によって変わりうることに多くの人が気づき始め、それが権力闘争に結びつくことを怖れる。そして、時代の流れに逆らって神の真理の一義性を守ろうとする。それが異端審問や魔女狩りの流行といった、時代に逆行する社会現象として顕在化する。 それに対して、主人公のバスカヴィルのウィリアムは、どの文脈が「真理」になるかをあらかじめ決めることはできず、事実に基づき仮説検証で決めるしかないという考え方を取る。この発想の転換が、後のヨーロッパの科学革命、産業革命へと繋がっていった。なぜヨーロッパで産業革命が起こったのか。その起源を覗き見ているような印象を受けた。 また、著者のウンベルト・エーコは記号論の学者でもある。記号に文脈が与えられた瞬間、自己と世界との関係が定まる。それが事実に裏づけられて安定するのか、幻影に終わるのか、あるいは笑いを生むのかは本人にも分からない。そんな記号と自己との関係が巧みに描き出されているようにも感じた。 | ||||
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| 推理小説としては三流、物語としては四流。学者が知識をひけらかしてるだけ。 | ||||
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