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薔薇の名前
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薔薇の名前の評価:
| 書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.19pt | ||||||||
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全117件 81~100 5/6ページ
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| 「それを決める明確な基準はない」 「なしうる最大のことは、もっとよく見つめることだ」 「わたしたちの精神が想像する秩序・・・手に入れたあとでは、梯子は投げ棄てなければいけない。 なぜなら、役には立ったものの、それが無意味であったことを発見するからだ。 ・・・昇りきった梯子は、すぐに棄てなければいけない」 「見せかけの秩序を追いながら、 本来ならばこの宇宙に秩序など存在しないと思い知るべきであった」 「可能性を全面的に織りこんだ必然的存在・・・ 神の絶対的全能とその選択の絶対的自由とを肯定するのは、神が存在しないことを証明するのに等しい」 「過ギニシ薔薇(=神)ハタダ名前ノミ、虚シキソノ名ガ今ニ残レリ」 | ||||
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| 英訳は省略(削除箇所)が多いので日本語訳より良いとは言い切れません。 ギリシャ人とラテン語について盛り上がれる本です。 宗教部分と人名部分を端折って読むとサクサク進んで面白いです。 ヨーロッパのお城めぐりをしたからでしょうか、情景は目に浮かびました。 | ||||
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| もう語り尽くされているので、簡潔に。 何度読んでも面白い本、というのは実に貴重だ。そうそうめぐり合えるものではない。読む年齢によって、知識が増える分、また感想も違ってくるが、面白いことには変わりがない。最初に読んだとき、横文字に弱い者として、ミステリーとして読むには日本人は不利だと思ったが、意外とそうでもないのかも。 思いっきりミーハーなことを書けば、探偵役のウイリアム修道士がとってもに魅力的。修道士らしからぬ発言の数々及び行動は、ちょっとエリス・ピーターズの「カドフェル」と重なるかな。 映画ではショーン・コネリーが演じていて、これもなかなか良い出来だ。原作の最後の場面、大人になったアドソが現地を訪れるシーンがあれば完璧だったのだが。 | ||||
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| 本作品の舞台は中世イタリア。欧州最大規模の蔵書を誇る辺境の修道院。宗教会議の会場となるその修道院で修道士が変死体で発見される。 修道院院長は元異端審問官のウィリアムにその調査を依頼、ウィリアムが弟子のアドソを連れてこの修道院に姿を現すところから話は始まる。 第2、第3の事件が起こり、修道院は混乱。開催された宗教会議も決裂となるなか、ウィリアムは調査をすすめ真相に迫る・・。というのが大筋。 迷信渦巻く中世において、理性的に科学に基づいて捜査をすすめるウィリアムの知性と師に質問を重ねる弟子アドソの姿が印象的。 ミステリーや歴史ものというよりも、私は著者のエーコが現代社会に対する警句を発している評論のような印象を受けた。 作品のなかでは信仰や学問をテーマに印象的な師弟間のやりとりが交わされる。 「唯一の過ちを考え出すのではなく、たくさんの過ちを想像するのだよ。どの過ちの奴隷にもならないために」 「純粋というものはいつでもわたしに恐怖を覚えさせる」 「純粋さのなかでも何が、とりわけ、あなたに恐怖を抱かせるのですか?」 「性急な点だ」 「恐れたほうがよいぞ、アドソよ、預言者たちや真実のために死のうとする者たちを。なぜなら彼らこそは、往々にして、多くの人びとを自分たちの死の道連れにし、ときには自分たちよりも先に死なせ、場合によっては自分たちの身代わりにして、破滅へ至らしめるからだ。」 「真理に対する不健全な情熱からわたしたちを自由にさせる方法を学ぶこと、それこそが唯一の真理だからだ。」 ウィリアムのこれらのセリフこそエーコのメッセージそのものであると思える。 思いが純粋で、切実であるほどに、生じる「性急さ」や「不寛容さ」こそ、エーコ(=ウィリアム)が警告する「不健全な情熱」であり、この事件の真犯人であると思えた。 善意や正義の持つ両面性、自由に生き、考えることの難しさについて深く考えさせられる作品です。 | ||||
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| 1980年のウンベルト・エーコの作品。14世紀のイタリアのベネディクト派僧院が舞台。主人公はドイツ人の見習いの修道士アドソと師匠のイギリスから来たバスカヴィルのフランチェスコ会修道士ウィリアム。ウィリアムはある使命を持ってこの僧院を訪れる。その重要な任務は物語を追う毎に明かされていく。14世紀の西洋のキリスト教世界の権力争いと腐敗。異端審問による迫害とヨハネス教皇派とルードヴィッヒ皇帝派の争い、各会派入り乱れての混沌とした状況が背景にある。そういう背景がありミステリー部分がまた非常に魅力的。主人公達は僧院内で起こった事件の捜査を僧院長に依頼されるのだが、僧院長を始め何か彼らは大きな物を隠そうとしている。そんな中、次々とヨハネの黙示録の記述に擬えて殺人事件が起こるという展開。事件の根源である僧院の主人公達には入る事を許されていない文書館、キリスト教世界で最大の蔵書を誇り、しかも数学的に計算された迷宮の様な造りになっており、各種言語のあらゆる書物が初めて入る人間にはどういう基準で配置されているか分からない、また侵入者を惑わす物質的仕掛けもあるという、館物ミステリーや暗号解きや本好きには堪らなく魅力的になっている。また主人公アドソの肉欲の罪と本能の間で揺れ動く、悩める見習い修道士の恋の心情の描写や彼の夢の描写は驚嘆する程上手い。そしてアドソの実にせつなくも儚い青春と成長の物語でもある。そして彼は師匠とは違う愛の形を求める。最後の所、大勢は始めは一致団結する様にも見えたが結局は惨めにもうろたえ、かの人は満ち足りて笑い、ウィリアムは失われる物に涙し、アドソは師匠の安否を気遣った。この三者三様の行動に人間の全てが語られているといっても過言では無いと思います。あと、私はキリスト教が古代ギリシアで既に全盛にあった人類の叡智を退化させたと思っているし、この考えは一般的かもしれないがエーコもそういう考えが基盤にあり本作を書いているとも思う。だが私はかと言って宗教が必ずしも悪いとは思わないし、叡智の前進が必ずしも人々の幸せに繋がるとは思わない。叡智とは人間が人間たる思考するという事が始まりであり、自分が世界の中心であると思う事を証明している。つまりは思考するとは人間が自己中心である事の証なのだ。人間の本質がその様な物であるから、様は均衡の問題であり、観念や意味になる前の個々の事象を記号として数式化しても人間は自分の卑小さを自覚するに過ぎないし精神の拡がりを潰えさす事であると思う。(下巻に続く) | ||||
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| 「一場の夢は、一巻の書物なのだ、そして書物の多くは夢にほかならない」(本文より) 一流の学者が描く、一流のエンターテイメント。 舞台は中世、修道院。 シャーロック・ホームズとワトソンのような関係の師弟修道士が、文書館をめぐる殺人事件に挑む。 大筋はこんなところだが、もちろんこれだけではない。 エンターテイメントでもあり、学術的でもあり、ミステリーと記号論と歴史と宗教学を同時に含んでいる。 本の迷宮をめぐる物語は、その本自体もまた迷宮のようで、人によって、見方によって、さまざまな読み方ができる。 個人的に、おもしろいと思ったのは、この本の構成。 遠い昔に書かれた書物を、現代の著者が見つけて、訳出していくという作りになっている。 語り継がれて、失われて、そうしたことがめぐりめぐって、今この手元に本がある。 ふだんはうっかり忘れているけれど、多くの伝承や物語に、わたしたちはそうやって出会っているのである。 本の本の本、とでもいうべき多重構造が、なんともさすがというべきか。 学術でもいいし、娯楽でもいい。 そんな本はめったいにないので、たとえぶ厚くてびっくりしても、物語の迷宮に迷いこむ価値はあると思う。 | ||||
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| 神学に関する議論は難しいですが、ストーリーを追うだけなら、とっつきやすく 思ったよりもさくさく読み進めることが出来ました。 表面的なところだけ見れば、何かを手元に留めておきたいという執着が招く 破滅というキーワードで登場人物やそれぞれのエピソードを括ることが出切る のでしょう。 でも、それだけの物語かというと? | ||||
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| 記号学者エーコの処女小説であり,おそらく最高のミステリー.週間文春は,20世紀のミステリーの第2位にこの作品を選んだ. 中世の修道院を舞台に,連続殺人の犯人を修道僧ウィリアムが追うというサスペンスであるが,中世のキリスト教社会,異端思想,反キリスト,神学論争,文書館と書物,迷宮と暗号,そして記号と事物を巡る考察…まさに記号学者らしい衒学の書でもある. とにかく,ラストでウィリアムが語ることの内容が秀逸である.非常に巧くまとめていて,思わず唸ってしまった. そして,作中の「第五日目」の最後の一文,その重み,悲しみを,是非味わって頂きたい. | ||||
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| ボリュームもあり、簡単に読める本ではないが、面白さは超一級。間違いなく、今までの人生で読んだ本の中で、最高の1冊(上下で2冊)である。ただし、中世ヨーロッパ文化に対するある程度の関心は必要である。それがないと、最後まで読み続けられないかもしれない。 舞台は中世、イタリア北部の陰鬱な修道院、季節は晩秋、登場人物はほぼ僧侶ばかりと、ひたすら「重厚」ムードだが、スリルありサスペンスありホラーありユーモアもあり、読み始めたら止まらない。難解な神学論争などは、まずは飛ばして先に進んでも問題はない。作者の創造した世界に浸って、「小説」というものの楽しさをじっくりと味わうことのできる作品である。 | ||||
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| 本書は暗黒時代とも呼ばれる中世イタリアの修道院で起きる連続殺人事件の謎を 修道士ウィリアムと若い修練士アドソが解き明かしていく歴史ミステリー。 ホームズとワトソンを連想させる師弟コンビが徐々に事件の謎を解明していくという、 探偵小説の王道ともいえる形式をとっており、 特に冒頭で修道士ウィリアムが脱走した馬について推理する場面は、 ホームズのパロディーの様でもあり、思わず苦笑してしまう。 しかし本書は単なる推理小説ではなく、 キリスト教における清貧論争や異端などについてのペダンティックな議論や記述が延々と繰り返され、 全てを十分に理解するには、かなりの教養が必要とされる。 本書は歴史ミステリーの傑作として名高い反面、 読解困難かつ読了困難な難攻不落小説としても有名であるが、 暗黒時代の迷宮の謎を解明させる苦難を実感するのには丁度良いのかも・・・ (上巻を頑張って読めば、下巻は比較的容易に読めます) 中世イタリアの神秘なる世界へ入り込んだかの様な貴重な読書体験を味わえるだけでも十分に読む価値あり。 | ||||
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| 読了後いろんなことを差し押さえて脳裏に浮かんだのは「ついにあの「薔薇の名前」を読み終えてやった」であった。エベレスト単独無酸素登頂に成功したかのようなすごい達成感を味わえるので一読をおすすめしたい。キリスト教にまつわる宗教的知識、中世ヨーロッパの歴史的背景に精通していればさらに無上の読書体験が得られるのかも知れないが、まっさらな状態でもなんとかなった。「これは歴史ミステリなんだ」と強く念頭に置いて、複数挿入される事件解明停滞部分を怒涛の勢いに任せて読み切ってしまう。「フーコーの振り子」や「前日島」(共に文春文庫)よりは難易度が低い印象があった。さらに物語性が強い。13世紀のイタリアが舞台なのだけれど、オカルト的な興味が手伝ってか、現代の物語を読んでいるかのようにスムースに読み進めることができた。「ちょっとかしこくなったかも」と思えるオマケつき。 | ||||
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| 宗教を題材にした名作といえばダビンチ・コードがあるが 本書はそれ以前に書かれたミステリー。 ウンベルト・エーコの小説は難解さで理解しがたい書もあるが、 とにかく、一気に読まないと登場人物と宗派の関係が分かりにくくなる。 宗教においてのもう一つのタブーって、 こういうこともあったのかということが描かれている。 いろんな解釈はあるが、最後のどんでん返しは面白いとは思う。 | ||||
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| 中世ヨーロッパ、険しい山の上にある不気味な僧院、断崖と一続きに聳え立つ異形の建物。情景に冒頭からそそられ、僧院の見取り図と文書館の迷路が一気にその世界に引き込む。踏み込んだらもう逃げられない。…この臨場感。想像力の逞しい方には特にお薦め。 欲望の渦巻く僧院で起こる数々の不可解な事件。複雑なパズルを一つずつ解いていくような手応えがある。さすが記号学者。 それにしても、人間の愚かさを見せつけられた気がして、宗教界って…というより、人間社会って進歩がないなあ、と悲しい思いがしたのは私だけだろうか。 | ||||
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| べすとせらーというので英語版を早速買って二回も読んだが、さっぱりわからんという無知蒙昧をさらけ出す結果となった。日本語版も買ったがやっぱりよくわからん。まあ、猫にはちょっと難しいわな。 よくわからんがこれだけ面白いという小説も稀有だろねえ。 当然、pendulumも買った。こっちはますますよくわからん。良くわからんばっかしいってるが、このままよくわからん状況で人生終わるんだろうなあ、悔い改めることも無く。 | ||||
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| 面白かった!久しぶりに夢中になって一気読み。ワタクシも映画が先で、原作が後でしたが、もう映画と同じぐらい引き込まれました。こどもの頃の読書の快感が甦りました。あんまりこう推理小説みたいなエンタテイメントって読まないんですが、これは違った。ただの犯人捜しじゃありません。最近のダヴィンチ・コードもこんな感じかなあ〜・・?と期待していたんですが、しっかり裏切られました。ガックリ。 是非ご一読をお奨めします。難しい事抜きで面白い!この本読んだワタクシ、古典ギリシア語を習いました。年寄りの冷や水?全然覚えられませんでした。でも楽しかった!老いては事を仕損ずる?老いては子に従え?くくく・・まだ子供なんかのいう事聞いてたまるか!って関係ありませんね。 面白さ100万馬力のウンベルト・エーコの大作。キリスト教が好きになる教養栄養満点のスグレモノです。 | ||||
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| ショーン・コネリーとクリスチャン・スレーターの競演作である同名映画の原作本。 話の筋は、中世暗黒時代・・・とある修道院で連続殺人事件が起こる。たまたまそこに立ち寄った修道士とその見習いは、修道院の謎を調査することになる。 その修道院には開かずの塔や、異端宗派闘争、隠された本などさまざまな秘密があった…と、こう聞けばミステリーっぽいのですが、この本の真髄はそこにあらず!! 問題は同じキリスト教徒であるにもかかわらず、ちょっとした問題で異端だとして火あぶりにしまくった中世キリスト教の暗黒時代を丹念に描いていると言うこと。 そして、自分達こそ正統だ!と主張している人々(正統じゃないと殺されてしまうとんでもない時代なんだが)が、本を読んでいる私たちから見ても、明らかに挙動不審なのだ。 『私たちの使命は聖書を保存することであって、探求は異端だ』とかのたもーていますが、じゃあ、その教えはどっから来てんだよ!と突っ込みながら高校時代に授業ほっぱらかして読んだ。 迷路のように入り組んだ塔、見習いが言葉も交わすことの無かった美しい少女、調査する修道士(コネリー)の暗い過去等エンターテイメント性もあり。 キリスト教の基礎知識があって初めて興味深く読める本であって、日本人にはなじみが薄いのは否めないが、異端審問のながーい議論(数十ページに及ぶ)を読む自信が無くても、是非読んで欲しい一冊★ | ||||
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| 自分は愚鈍の者だとしみじみ感じました。しかし、そんな私のような者にも読破できるように、しっかりエンターテイメント性を盛り込んでいるところがこれまた凄いですね。映画もよかったですが、原作の方が格段に面白い。 英米が世界のリーダーであり、英語が世界共通語とされている現在において、イタリア語で書かれたこの大傑作が世に出た意義は大きいと思います。イタリアにおける学問の深い歴史と、その知の後継者である著者のプライドが感じられました。 | ||||
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| 本書は「あとがき」にもあるように、70年代イタリアの「鉛の時代」を色濃く反映している。反逆の季節を70年代までひきずったイタリア。弾圧の時代は本書の異端審問に匹敵する。本書に出てくる異端者は、審問にさらされながら己の非道と初心の理想を率直に語っていく。各々の時代の断面がぴったりと重なっているかのようだ。 主人公の「探偵たち」こそがエコ自身である。エコの内面を2つの実体(ホームズ・ワトソン関係)に分割したんだろう。記号をめぐる闘争が、次々殺人事件を引き起こしていく。保守と進歩の間での記号をめぐる闘争が、エコの豊かな知識と表現で描き出されていく。燃え落ちる僧院をみながら「探偵」はこういう「それでも記号にかける」。好奇心に満ち溢れた暗い時代の「探偵」は、進取の野心を記号に託したのだ。 | ||||
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| さすがにドイルやポーは読んでますが、特別なミステリー好きというわけではありません。最近の日本のものなどはとんと不案内です。 そういう「ふつうの読者」(普通じゃないかも ^^;)にとって本書はどうだったかというと、「二十世紀のミステリーで第二位」に本書が位置するかどうかまではわかりませんが、十分楽しめたことは確かです。本書を読了した後、西洋史関係の本を読んでいると、エーコがこの作品で使用したと思われる史実がいろいろと出てきて「ああ、あれだな」と納得します(例えば「読むと死んでしまう本」とか)。そういう意味でも、読了後も楽しめる本ということでは他にはなかなか求められないのではないでしょうか。 推理小説としての構成も見事です。結末は予想できませんでした。次の「フーコーの振り子」はこの続編かと思ったのですが、まったく違う作品だったというのも意表を突かれました。本書に関しては予想は最後までよい意味で裏切られたように思います。 | ||||
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| イエス・キリストは、生涯に笑ったことがあったのか、なかったのか?この問題は、欧州では数百年に一度の周期で論争となるそうです。他愛の無いことと思うかもしれませんが、未だ決着がついていません。この小説は色々な読み方があり、テーマがあると思いますが、この問題を少しでも念頭に置くと、また違った読み方が出来ると思います。 | ||||
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