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わたしを離さないで
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わたしを離さないでの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.10pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全544件 121~140 7/28ページ
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犠牲になるべきものとして社会に組み込まれた人達の話。 静かで、丁寧で、ただただ哀しい。 でもこれは別に特別な話でもなくて、今現在もそういう人達はいっぱいいる。 おとなしく、騒がず、静かに犠牲になって欲しいと思われている人達。 問題として取り上げたくない、聞きたくない、なかった事にしたい、その人達に原因があることにしたい。 どうせその人達は大して辛いと思っていないはず。 そこまで来ればあともう少し。 そのまま気づかないふりをして進めば、このディストピアが待っている。 | ||||
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医学の進歩により、もしかして存在するかもしれない未来の話しです。 登場人物の心の揺れ方がとても気になり、 もっともっと読みたくなります。 運命とは?自分は何のために生きているのか?と考えさせられる一冊です。 | ||||
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クローン人間の悲劇、科学がもたらす悲劇として読めば、それだけで終わってしまうだろう。 しかし、この本から、宗教差別、外国人差別、人種差別、格差がもたらす差別などを連想しないではいられない。外見上は同じ人間だが、どこかで線引きされて、区別され、物として扱われる。クローン人間は、人間であって人間ではない。奴隷のように物だと考えれば、人権が入り込む余地がない。物であればいつでも殺傷可能だ。家畜のように。 生れた瞬間に他の人間から区別、差別されることは世界中に存在する。 クローン人間に対する臓器「提供」の通知は招集令状を連想させる。戦地でいずれは死ぬが、いつ死ぬかはわからない。4度目の提供の通知の「名誉」を周囲の者が祝福する場面は残酷である。 胎児性水俣病患者として生まれれば、いずれは死ぬ可能性があるが、死は5年後か、20年後かはわからない。その間、精いっぱい人間的な生活をしたいと考えるのは人間だからだ。それはクローン人間も同じ。この本では、クローン人間としての「使命」を終えるまでの間、精一杯人間的な生活をする人たちの情景が詳細に描かれている。牛は、肉牛としての「使命」を終えるまでの間、精一杯、動物としての生命をまっとうしようとする。それに似ているといえば、残酷だろうか。 戦争では、敵国の兵士や敵国の市民は人間扱いされない。それが原爆投下やジェノサイドをもたらした。クローン人間も物であって人間ではないのだろう。 自爆テロをすべき特攻隊員として生まれた人は、将来の死までの間、人間として育てられることが人間的な配慮といえるのか。 イギリスでも日本でも生まれた瞬間に格差が生じ、人間の運命が定まる点はクローン人間と同じである。格差がもたらす運命が現実化するまでの猶予期間が学校である。温室のような学校生活では格差社会の現実が隠蔽されやすい。格差によって社会的多数者が恩恵を受けるが、不遇な少数者が社会に敵意を持ち、「誰でもよいから殺したかった」という犯罪が起きる。その被害者も社会的少数者であり、そのような事件があっても多数派は平和を安全を享受できる。クローン人間の蜂起が起きないのが不思議だが、従順に育てられた結果なのだろう。殺処分場で従順に自分の死を待つ捨て犬を連想してしまった。「使命」を終えた犬(イギリスでは野犬を保護し、殺処分はしていないそうだが)とクローン人間は、むろん違うはずだが、そのように断言できるだろうか。使い捨てられる人たちは必ず存在する。 発展途上国の犠牲の上に先進国の繁栄がある。水俣病患者の犠牲のうえに日本の経済発展があった。福島原発の被害者の犠牲のうえに東京都民は好きなだけ電力を使用できる。 人間とクローン人間の差別は世界中に存在する差別のひとつであり、その象徴なのだろう。そこでは社会的多数者の利益のために少数者の人権や利益を侵害することが正当化される。クローン人間を見て見ぬふりをすれば、クローン人間から臓器提供を受ける社会的多数者は幸福な気持ちでいることができる。しかし、社会的多数者がひとたび現実を直視すれば、自らの残酷性に平穏な気持ちではいられない。この本はそのような不安感を掻き立てる。この本は人間の自己中心性を考えさせる。 | ||||
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優しい語り口調で淡々と語られていく奇妙な日常に、途中で飽きそうにはなりましたが最後にはなんとも言えない温かい気持ちになりました。 いつまでも本棚に置いてあげたいと思える本です。 | ||||
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久しぶりに夢の中にまで、出てきた作品。 翻訳ものは苦手で、好んで読むことはなかったが、テーマに引かれて手にとったが、、 残酷なシーンや直接的な表現もないのだが、それこそが日常なのだと思い知らされた。 動物実験を医療進歩のためには必要とどこかで納得している私達は同じ犠牲をクローン人間にも求めていくことになるのだろう。 それを「使命」として人生ではなく、時間として過ごす日々はあまりにも長く、辛い。 知らされてない現実があるのだろうと考えた一冊。 | ||||
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ファンタジー皆無、人生をあるがままに描写されてることで胸に突き刺さされるものがありました。 | ||||
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全体的にモヤモヤとして薄曇りの町をあてどなく歩いているような不安感を感じさせるストーリー。 最後にすべてが明らかになったとき、何とも言えない重い気持ちになる。 フィクションではあるけれど、でもこれは近い将来これに似た状況が世界のどこかで生まれるのではないか、 それを予め予測し、今から本当にそれでいいのか考えようという呼びかける本なのかなという気がした。 | ||||
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大事件が起こるわけでないし、少し現実離れしているかもしれない。しかしとても胸に刺さる作品。 | ||||
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まだこの小説を読んでいない方には無条件にお勧めしたい至極の作品である。イシグロ氏の作品を読み始めて数冊目の2015年に始めて本作品を手にした。主人公の語る不思議な世界に引き込まれ、想像の物語とは知りつつ、自分の心の中に忘れてしまっている何かを思い出そうとする。もちろん、愛や命とは何か、という根幹的な問いへの感動のせいでもある。しかし、それだけではない。イシグロ氏の全作品に共通して追求する“忘却や記憶”という人間が誰しも持つ目立たぬ日常の経験の世界に自然と引き込まれていった。本書のストーリーとは別に自分が何を思い出そうとしているのかはっきりしないが、その影のようなものを深く感じながら、主人公のキャシーに共感する。この作品を読んだ時点で、いつか近いうちにイシグロ氏はノーベル賞に届くだろうという確信に至り、毎年のように秋になると村上を推す日本のメディアをよそに、友人にはそのうちねーベル賞を取るよ、と言ってこの作品を推してきた。そして、数年後、ついに嬉しいニュースに、自分の感性が悪くはなかったとほっとした。 | ||||
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これは凄い作品ですね。 実話ではないけど、どこかで実際にありそうな、起こりそうな話。 いや、ひょっとしたら実話なのかも。 ある人種にとっては他人の命なんて取るに足らないもの、 自分たちは特別、優遇されるべき人種。 そんな輩が世界を牛耳っている。これからの未来に対する警告か。 人の命の価値を考えさせられました。 | ||||
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「提供者」という言葉や、ヘールシャムの保護官の態度などから、主人公で語り手のキャシーを取り巻く世界が尋常ではなく、違和感を感じながら読み進めていくことになるが、その大きな秘密は文庫本の127ページで早々に明かされる。 第1部はヘールシャムでの出来事、第2部はコテージに移ってからの出来事、第3部はキャシーが介護人となってからの出来事が書かれており、キャシーとルースとトミーを中心に物語は進んでいく。 特殊な運命を背負った主人公たちの迷いや哀しみが物語全体から伝わってくる作品だ。 感情を揺すぶられるような、名場面がいくつかある。 特に印象に残っているのは、『わたしを離さないで』という歌に合わせて、キャシーが枕を赤ちゃんに見立てて踊っているところをマダムが目撃し、涙を流す場面である。 この作品は、週刊文春の『東西ミステリ―ベスト100』で海外編の74位に選ばれている。読めばわかるが全くミステリ―作品ではないし、作者もミステリーとしてこの作品を書いたわけではない。このような作品を『東西ミステリ―ベスト100』に選んだ選者は全くの馬鹿で、次回の選考では絶対に選者から外してほしい。 | ||||
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絶望感にどっぷり浸りたい時に読みたい本。 ここまで救いが無い話はなかなか無い。 途中救いがありそうに見せるが、結局救いが無い。 読後の後味の悪さが最高な名著。 | ||||
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読む前は少し気持ち悪い気もしたが、読後、臓器移植のニュースなどを見て将来はこんなことが日常に行われるようになるのかなと、そらおそろしい。そのためにだけ作られた人にも生きる権利はあるのではないかと。 | ||||
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とても不思議な設定のお話ですが、その不思議さを違和感なく物語に溶け込ませ、主人公達の心の動きを巧みに読み込ませます。現代的テーマを扱い、なる程、ノーベル文学賞受賞作家なのだなと感じました。英国の天気の様に沈んだ感じで、けっして明るい内容ではないので、一作ずつタイミングを見つけて他の作品にも触れたいと思います。 | ||||
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2016年1月に鳴り物入りでドラマのコマーシャルがあったので、内容を早く知るために映画のDVDを見てから、原作の小説を読んだ。結果的に「正解」だったと思う。 予備知識ゼロでこの小説を短時間で読み切るのは難しい。最初のうちは話が遅々として進まず、「早く先を教えてくれ」という気持ちになるが、一向にスピードアップする気配がない。映画を先に見ていると、ストーリー展開がわかる、すなわち「地図を持っている」から、映画では描かれてないところがあっても、次に何が起こるかわかる。「今日はここでやめた」とたいしてページが進まないのに本を投げ出すことがない。 著者のカズオ・イシグロ氏も参画した映画は、文庫本で439ページの内容を104分に凝縮させている。さすがに短すぎるが、小説を読み進めていくと、重要な部分はほぼ映画で再現されていることがわかる。また、1回目は映画では何のことかわからなかったことが、小説を読み終えてから映画を見直すとものの見事に意味がわかる。小説と映画は「一心同体」なのだ。 以下、本日ひさしぶりに小説の第三部を読んだ後の感想である。 映画のラストシーンでキャシーが「私たちと私たちが救う人たちの違いは何か。誰もが終了する。誰もが生きることの意義を見いだすことなく、生きることの短さを嘆くのだろう」と独白していた。原作の小説には書かれてない映画オリジナルである。 著者はインタビューで「この物語(小説)が、物質的な財産や出世の道よりも、愛や友情、そして我々がそれらを経験した大切な記憶が、本当は価値があると思わせてくれることを願います」と言っている。映画のキャシーの独白は「現実にはそれが難しい」ことへの悲嘆なのだろう。 わたしはそれ以外に、「人類が便利になれば何をしてもよい」という「極端な科学技術信奉」に著者は一石を投じたかったのではないかと思う。 | ||||
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高校1年の長女の課題図書になったのですが、カズオ・イシグロの作品ということで、私も読んでみました。ストーリーや評判については、全く予備知識無し。解説の柴田元幸氏もコメントしていますが、予備知識が無かったのが良かったと思います。 主人公のキャシーの、淡々とした起伏のない語り口で語られるストーリーは、何かが引っかかるような語りで、微妙な違和感、というか異物感を感じ、これは何だろう、と感じながら、引き込まれてしまいました。 そして、ヘールシャムの子供達の恐ろしい事実が少しずつ明らかになりますが、その時にはストーリーに完全にハマっていました。科学技術が進歩する中で、「もしかしたら、将来にあるかも。」と思っていたことを突きつけられた気がします。 自分達を待つ恐ろしい結末を知りながらも、ピュアに生きるキャシー、トミー、ルースの思いが伝わってくる感動的な作品です。忘れられない作品になりそうです。 | ||||
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以前これを原作んしたドラマ?を見た気がするのです。 その時はあまり印象深くなかった。 この本を読んで、ドラマでは無理だと思った。 原作にはかなわない。 | ||||
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綾瀬はるか主演のドラマを見て、原作を読みました。 原作も面白いですが、ドラマのほうが良かったですね。 | ||||
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既読の知人から紹介され、同時にとても奇怪に思える設定を耳打ちされ、思わず「その様な内容でノーベル賞作家の作品なの?」と感じ、確認したくて早々に読み始めました。 最後の数頁。キャシーの淡々とした語りに、思わず胸が張り裂ける感動に襲われ嗚咽してしまいました。 この「他の人間の命を救う臓器提供の為だけに生まれ、育てられ、やがて使命(正に命を使う!)を受け入れ、静かに全うして生涯を閉じ行く」と言う、現代人の倫理観では到底受け入れ難い設定ですが、読み終えると作者の静謐な文体と相まって、主人公たちの「短い人生の儚い青春を、(画伯 ターナーの絵画に描かれているような)美しい光りで包み込む」舞台装置に見事に転じさせている事に驚きます。 「こんな他の命の為に彼らが従順に犠牲になり続け反乱しないのはおかしい」とか、「IPS 細胞等の医療技術の革新がある昨今となっては陳腐だ」とかの批評を拝見致しましたが、臓器提供の為に死んで行くという設定は、この物語で作者が描きたかった事をより鮮明化させる「仕掛け」に過ぎないのではないでしょうか。それにほんの70数年前に、国家国民の為と称して青年たちの命を有無を言わさず殲滅させてしまった「特別攻撃隊」という痛ましい行為を、私たちは既に過去に現実化させてしまっているではありませんか。 主人公の3人はいつもぶつかり合う程本音でないと生きられず、故に真っ直ぐに互いに対して正直に成長して行きます。そして限られた時間故に、生命と言うものと逆にしっかりと向き合い、その生涯を閉じて行きます。「どんな時代でもどんな状況下に置かれていようとも、人が生を全うする事の尊さ」、それが作者イシグロ氏の本作の主旨だと感じました。 欠けがえのないルースも最愛のトミーも喪い、最後にキャシーが3人の想い出の地であるノーフォークにまた向かいます。それは有刺鉄線や高い木の枝が彼らの「生きた証」をしっかりと掴み止め、決してここから「彼らを離さない」運命の地である事を象徴しています。 この本に出会い、こんな歳になっても感動を与えて貰い、私は本当に幸せです。 | ||||
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まさか、これほど人間について考えさせられるとは思わなかった。 小説世界はSFで、設定が破綻ギリギリのところに成立していると思うが、それでもその欠点を補ってあまりある繊細的な描写のおかげで、この小説世界にはおおいに感動させられた。 ひとつひとつの場面の素晴らしさは筆舌に尽くしがたい、まさに驚異的である。ここに描かれている子供時代は、自分とはまったく関係ないのに、自分の子供時代を彷彿とさせ、共感することができた。これはまさに作者の力量であり、驚くべきことだと思う。 問題は、最初に述べた、人間について、である。 果たして生徒たち(クローン)は人間だろうか、やはりクローンは人間ではないのではないか、マダムやエミリ先生などの保護管たちが彼らに対して恐怖や不気味さを感じたように、ぼくは彼らに疑いの目を向けずにいられない。 なぜなら、彼ら生徒たちはあまりに従順すぎる、保護官や自分たちの運命に対して。もし人間なら、彼らの中の少なくない人が戦うだろう、反抗し、危険をおかし、権利を主張するために戦うだろう。しかし彼らはそういうことをなにもしない、作者はあえてそれを書かなかったのだろうか? 作者は彼らが人間であるとはっきりさせず、曖昧にしたかったのだろうか? しかし、彼等は明らかに人間なのだ。そういう風に書かれている。人間特有のある側面が非常に丁寧に、繊細に描かれている。子供時代の人間関係や、微妙な心理、優しさ、滑稽さ、愚かさ、友情…… 一方、人間の暴力性は、トミーの切れやすさに込められているにすぎない。 イシグロはいわば、弱い力を扱う作家だ、あるいは決して声高にではなく、あくまでも間接的にささやくように訴えかけてくるような。しかしその弱い声が、まあよく心に響くのである。 そのおかげで、読んでいるうちに、クローン人間と自分の人生が重なっていくという、他ではあり得ないような体験に誘われていくのである。生徒たちクローン人間を自分のことのように思うのは、ちっともおかしなことではない。なぜなら、生徒たちの人生も、自分のそれも、遅かれ早かれ終わるのだから。そして、人生は残酷で厳しい。過去の楽しかった記憶がどれだけ支えてくれるか。それがないよりあった方が断然いい。 後半、「将来に何が待ち受けているかを知って、どうして一生懸命になれます?無意味だと言い始めたでしょう」と書かれているが、終わりが見えた時、人は少しでも楽しもうとし、愛する人をもっと愛そうとするのではないか。そういう前向きな人は少なからずいるだろう。だから、トミーはエミリ先生よりルーシー先生の方が正しいと言ったのだと思う。真実を知ったことによって、生徒たちが凶暴化する、という恐れが保護官たちにはあったのかもしれないし、生徒たちをコントロールできなくなるのを心配していたようではあるが。 最後の場面はほんとに素晴らしかった、こんな美しい終わり方があるのだろうか、というほどに。すごい作家である、カズオ・イシグロは。 | ||||
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