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わたしを離さないで
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わたしを離さないでの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.10pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全544件 221~240 12/28ページ
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10代の頃、最初にはまった海外の小説家。日系人の作家という点にもどこか惹かれ、彼の本を読みまくった。 カズオイシグロの世界観、文章は、今の若い人にこそ合うと思う。こういう作家がノーベル賞を取ったことがとても嬉しい。 | ||||
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最初にレンタルで映画を見ました。 原作者も監修している美しいけど設定に無理のある雰囲気のみの映画だと思いました。(読後は小説を見事に映像化しているとは思いましたがあのキャストで二部構成三時間くらいのテレビドラマのスペシャルだったらと思いました。) 日本でドラマ化されると聞いて、その価値があると思えず逆に原作を読みたくなりました。 読んで最初はやはり延命のために人はここまで倫理観や道徳観を国家規模で捨てれないだろう。たとえ第二次世界大戦後に一気に生物学が進化したりナチスが戦勝していても無理があると思いました。しかしどうにも読みやすい。ページをめくる内に家畜の悲哀のことか、いや私たちの一生のことか?と色んな考えを持たされ続けるうちに、私は設定の無理は例え話のための道具なんだろうなあと納得出来たので一気に読んでしまいました。 とても今まで経験の無い読書をしました。 読後以来、私の中で環境と教育が大切という言葉の重さがかわりました。 廻りだろうとニュースだろうと子供の話が出るといつもそのことが頭に浮かび胸が苦しくなります。 人は記憶がすべて。特に一般人にとっては、輝いていようとねじ曲がろうと捏造しようと自分が生きた証は自分の記憶と周りに居た自分の関わりある人の記憶のなかにしかない。 それを突きつけられます。しかも原作小説でしか感じられない。 この作品がカズオイシグロで一番好きだという人にもとても共感します。 だからこそトラウマ覚悟で 是非とも、パートナーのいる方や子育て真っ最中の方にお薦めしたい。 | ||||
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5年ほど前に読みました。 この作品を読んでからカズオ・イシグロのファンになり、ノーベル賞の受賞でまた読み返しています。 他のレビューにもありますが、まあ、残酷な話です。 ただ残酷という言葉だけではこの作品は語れないと思います。 主人公たちは非常に狭い世界で育ち、生まれてきた理由・使命に翻弄され、苦しみ、でも自分たちがそういう存在であることに強く依存もしている。 そんな印象を受けました。 同じ運命を背負っている沢山の仲間。その仲間たちとの大切な思い出。例え死んでもそれは全て仲間たちと共有され、ある種の連帯感と幸福感を生み出している。 普通の生活をしている読者からすると、そんな世界は残酷だし間違っているように思えるかもしれませんが、私は主人公が運命の中で必死に幸せを探し求め、悔いのないように努力する姿に感動しました。 また、この作品は普通の生活をしている私たち読者の残酷さも引き出していると思いました。 主人公たちの存在を知ってはいるけど、自分たちの利益のために知らないふりをしている”普通”の人たち。 それは現実の私たちにもよくあてはまるのではないでしょうか。 実はノーベル賞の受賞理由を知るまでそこまでは考えていませんでした。 私達はグローバル社会と言われる今を生きていて、本当に繋がっていると言えるのでしょうか? 外国製の安い製品を享受し、物質的・経済的には繋がっていても心までは繋がっていない。 異文化を理解することの大切さ(幻想)を説きながら、実は自分たちの代わりに安い賃金で働いてくれる労働力としか見ていない。 そんな闇があるような気がします。 | ||||
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とても切ない物語。架空の設定ながらも、世の不条理、無常さ、イシグロ氏が受賞インタビューで語っていた〝もののあわれ〟が心に染みます。 現実の世界でも、ヘールシャムのような理想を掲げて活動する方々が、今も理想と現実の狭間で闘っていることでしょう。ある時はその活動の存在が光を放ち、またある時はその光を失って消え去って行く、まるで線香花火のような儚さ。大きな流れに逆らえず、潰えていくこともやむを得ない理想です。 けれども、その理想を実現しようとした人々がいて、一時期あの場所にヘールシャムがあった。主人公たちにとってそれは家であり、大きな家族であり、幼かった彼らを養い育んでくれた思い出の場所。無慈悲で残酷な世界から彼らを隔ててくれた唯一の場所が、そこにあった。ヘールシャムでの懐かしい思い出が、施設を出た彼らの、荒涼とした運命の道筋の果てを、それぞれの子供たちの心象風景として、灯火のように照らしている……。 物語の終盤で施設の運営者から、主人公たちに語られる真実は、胸に迫ります。「聞きたいのなら答えましょう。もう終わったことですから。」このニュアンスが寂寥感を加速させ、とても救いのない、泡のように儚い、影のような、家畜のような存在の子供たちにまとい付く。 まるで怖ろしい呪いのようであり、優しい嘘でヴェールのように包んでくれた善意とも受け取れる告白なのです。 この後襲うのは〝絶望〟でしょう。少なくとも私はそうです。しかし、キャシーは、この物語の主人公は、別の答えにたどり着く。だからこそ、主人公のキャシーが、最終章で独白するシーンに、私は心が打たれるのです。彼女がヘールシャムの思い出にこだわり続けたのは、そういうことだったのか……と、胸に迫ってきたからです。独白はいわば謎解きで、彼女が幼い頃から考え続けていた答えを得るシーンです。キャシーは何故、提供者の側へ行く決心を固めたのでしょうか?キャシーは、現時点では指名を受けいれる決断を先に伸ばすこともできたはずです。優秀な介護人で辞めることを惜しまれていました。だから何故なのかと冒頭のシーンからずっと不思議に思っていました。その答えがここにあるのです。 直接の原因はトミーの死かもしれません。しかし、キャシーはどうしても自分で問いの答えを見つけたかった。「将来に何が待ち受けているかを知って、どうして一所懸命になれます?」とエミリー先生は言いました。〝あなたはしがない臓器提供者です。他のこども達のように未来を思い描くなど、無意味なことです〟と教えられて、どうして真剣に生きられるでしょうか? 知らなかったからこそ、ヘールシャムでの日常が、色褪せない記憶として、ベッドの下の宝箱のように輝きを放つのではないか? そのことにキャシーは気付いたのだと思います。知らなかったからこそ、真剣な友情や愛を育むことができたのではないか? それがヘールシャムとそれ以外の施設の違いなのかもしれません。また、キャシーのように感覚の繊細な子供に特にあらわれるのかもしれません。 そして、ドライブに出かけたノーフォークの荒野で、(失くした物の見つかる場所と信じる所で)塀の有刺鉄線や木の枝に絡まるビニールシートやショッピングバッグをみて、彷徨うものの行き着く場所、受け止めている場所に、自分の求めていた答えを見つけるのです。施設の子供たちの為に役に立とうと奔走したエミリー先生やマダムは何か見返りを求めたでしょうか? 答えは既に知っています。だから次の段階へ進むことにしたのかもしれません。役に立つべく使命が定められているキャシーは、どうすべきなのか? 空想の中でトミーが手を振っています。しかしそれ以上の空想を打ち切り、車を発進させるところで終わります。 このシーンは胸を打ちます。キャシーの心情に寄り添うイメージで、以下の台詞を記します。 「さあ、カウントダウンは始まった。 これから自分も彼らの後にようやく続くのだという決意を込めて、 だから私は、ヘールシャムという思い出に、ありがとうと伝えたいのだ。 そして、私を離さないで。永遠にありがとう……」と。 | ||||
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日本で翻訳発売された当時にハードカバー本を読みました。 その前に「日の名残り」を読んで流れるような翻訳文と作者カズオ・イシグロの作家としての素晴らしさに感動し、映画もまた素晴らしかったこともあって、「カズオ・イシグロの新作だー」とわくわくして期待も大きく読み始めることに。 ストーリーも翻訳も申し分ないのですが、本当に悪い読後感を味わうことになりその後、カズオ・イシグロ作品に手を伸ばせなくなったのは事実です。感想を述べられている多くの方々のように「ああ、あの表現はそういうことで、こう解釈できることから素晴らしい作品です」ということにはなかなかなりませんでした。実は今でもまだ引っかかるような感じを抱えたままで、作品中の少し引っかかる部分をまだ自分なりに解釈して行けない私がいるのは否めません。この作品は、たぶん諸手を挙げて本当に良かった! 読んでみてもう誰にでも勧められるって作品ではなく、読者が苦虫を潰したような違和感とともに読み終わり、読後には心に残った数々の場面を何度も反芻させられ、読んでしまった後にも心が酷くいつまでも囚われてしまう……。そんな素晴らしい作品なのではないかと私は思います。 | ||||
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何処まで突き進んでしまうんだろう。 こんな世界は悍ましいと強く思うのに、自分自身と愛する人の為ならば…と揺れる気持ちが正直有る。 人間は業欲で罪深い。 語り部の静かな語り口がより悲しさを、絶望を募らせて苦しい。 | ||||
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本当の本当の本題は何なのか、 壮大な比喩になっているのか、 それともど直球なのか。 じわじわ真綿でくるまれるような、 来たるべき日までの生活。 その過程の味わいは、 本当に本書特有なものでした。 せんから、内容は紹介されている有名な本書ですが、 昨今のマスコミ様 (映画化、ドラマ化、ノーベル賞を含め)、 ここへ来て、はっきりしたネタバレはして欲しくなかったです。 どうせ分かることかもしれませんが、 本書の魅力は、 「それ」をあらゆる角度から想像させることだと 思うのです・・・。 | ||||
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登場人物たちの置かれている現実はあまりに苛烈で悲しい。 なのになんだか懐かしい、もっと知りたいという欲求があるのに、一人称で語られる物語ではこれ以上は求めるべきではないとも思わされる。 余白余韻が素晴らしかった。 | ||||
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本は読む方で、本を読んで泣くことなんてほとんどないひねくれものですが、これはやられました。素晴らしい作品です。 | ||||
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ノーベル賞をとったので1度読んで見ようといつ届くかわかりません。速く届くことを祈ります。 | ||||
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イギリスのとある片田舎にある閉鎖的な施設を中心とした物語。登場人物の多くは「提供者」と呼ばれる数奇な運命をもつ子供たち。その運命のため、子供たちの身体は少しずつ切り刻まれ、やがて死を迎えていく。その中で生に向き合う登場人物たち。その経過は淡々と語られるのみで激しい文体は出てこないことが、逆に強烈なコントラストとなって読者に伝わってくる。なかなか重い読後感ではあったが、題材・語調・心理描写、いずれもが静かに調和した傑作のひとつであると思う。カズオ・イシグロ先生、ノーベル文学賞おめでとうございます。 | ||||
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私たちは例外なく、自分のまわりの肉親、身内、友人、学校、職場の仲間等々、星の数ほどの人々との結びつきがあって、いま、自分に成っている、自分たらしめられている。そして、その逆に、自分自身も誰かや誰かにつながり、その人々たらしめている存在でもある。物語は、見ず知らずの、誰かや誰かに自分の臓器を差し出す運命にあるクローン人間の成長過程、存在への自問、葛藤が描かれる。読者は、英国のとあるクローン養成寄宿学校の生徒の会話や行動、暮らしぶりを追ううち、自分もそのクローン生徒の一員と違わない感覚に見舞われる。幼少期の生徒たちの細かい所作、言葉、気持ちの動揺、感傷的なエピソードなどが、自分の保育、幼稚園時代の記憶と次第にリアルに、微笑ましく、重なっていくからだ。彼らクローンにも、青年期になると恋愛、性欲等、感情のはげしい起伏が生じる、そして、成人すると、臓器提供という決められた運命への憤り、嘆き、悲しみ、諦念が首をもたげてくる。私たち現実を生きる人間同士も、臓器でなくとも、自分を削って、大切な何かを互いに与え合って生きて来たのではないか。幼少期から青年期に矛盾や葛藤を覚え、得ることだけでない世界に気づく。だからこそ、成人して、犠牲にせざるを得ない自分もいれば、同時に誰かに与えられ、救われる自分もいること、運命の不思議を知る、のではなかろうか。多くの読者は、読後、この小説「never let me go」は、「never let you go」でもある、と讃えるに違いない。 | ||||
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ノーベル文学賞受賞で、注目の作家の わたしとしては、一番読みやすく心に残る作品だ。 日本での発売当初、本屋さんで見かけ、 なんの予備知識もない作家のこの本に、なんとも興味をひかれて読んだことを思い出す。 読み進めながら、え? これはもしかして、もしかすると臓器提供のことなのか、 そのためだけに育てられている子供たちのことを描いているのか、、、 そうなのか、でも、それって、、、 と慄きながらページをめくった。 その後、映画や舞台やドラマで話題になっているので、 ノーベル文学賞を身近に感じる人も、わたしをはじめ多いことだろう。 この機会に読んでほしい本だ。 ただ、こういう内容の本と知って読むのは、 え? これって、、、 というあの感じは味わえないのかな、とちょっと残念なような気もする。 | ||||
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カズオイシグロさんがノーベル文学賞を受賞されたこと、とても嬉しく思います。 本当におめでとうございます。 改めて読んでみて、描かれる生に胸を掴まれています。 キーアイテムであるこの表紙もいいのですが、 私が購入した頃の表紙は、友風子さんというイラストレーターさんが描かれたものでした。 作品の空気感が伝わってくる絵で、 またぜひ、この機会にイラスト版の表紙も復活させていただきたいです。 | ||||
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ノーベル賞受賞おめでとうございます。 ○上さんのような絶望的であまり希望が見えない作品に比べて人間の愛を実にきれいに評者できる人こそノーベル賞にふさわしいです。 | ||||
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ノーベル文学賞受賞おめでとうございます。 カズオイシグロさんのことは、テレビで見るまでは知りませんでしたが、これを機に購入しました。 読むのを楽しみにしています。 | ||||
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主人公達は、“特別な”人たちです。 しかし、どう“特別”なのかは、半分ほど進まないと明かされませんでした。 イギリスの香りを感じました。 科学と人間。 主人公達が“特別”なのに、自分自身と、何も変わらないとも思いました。 考えさせる作品でした。 | ||||
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これは、私の住んでいる場所とは全くかけ離れた世界の物語なのに、読んで行くうちに、ああここは私の住んでいる所だ‥と思えてくる。そして私の「これまで」と「これから」がこの本の中にあると。 子供時代から続く友人関係の中での心の動きが繊細に綴られている。ちょっとした心の動きも見逃したりはしない。言葉で一つ一つの動きを表現していく。強い者に思わず遠慮してしまったり、場の雰囲気を感じて沈黙してしまったり、疎ましく思いながらも相手の気持ちがこちらに向いてきたと思うとまた楽しくなったり。経験はあるが意識の外へ流してしまっている心の細やかな動きが、次から次へと言葉となり繰り広げられる。そうだった、あの時私もこんな気持ちだったんだ‥と思いながら読み進んだ。 成長した子供達を待ち受けているのは「死」だ。 キャシーに対していつも支配的であろうとしたルースの最後の姿は胸を打つ。 ルースは心の底にある悔いをキャシーに告げ、二人はルースの死の淵で心を結び合せる。 キャシーは何かとうるさい存在のルースを大人になった時点では避けることもできたのに、それをしなかった。ルースに関わることをやめなかったキャシーに、ルースは最後に応えたのだと思う。 トミーとキャシーの最後の日々は切ない。二人で生きていきたいという思いが、溢れるような思いが、物語が紡いでいるその時間を静かに満たしていく。 ルースもトミーもそれぞれの死を迎い入れる。 そしてキャシーも程なくしてそうなるのだろう。 充足した死‥という言葉が浮かんでくる。 作者は三人の関係を幼い頃から描いていて、最後にこの結末に導いていく。 この本から豊かな時間を与えられたと思う。 | ||||
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やはりイシグロさんは視点が違うと感動しました。また違う本を買いたいと思っています。 | ||||
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この方の本は有名どころは全て読みましたが、間違いなくこれが最高傑作です!! 心にいつまでも後遺症が残ります。 この世界観。。。悲しみの中に希望を見出すところ、切なくも目が離せません。 「わたしをはなさないで……」と歌うシーン、秀逸です。 | ||||
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