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グランド・フィナーレ
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グランド・フィナーレの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点3.36pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全73件 61~73 4/4ページ
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阿部和重氏は長編「シンセミア」を第一部とする三部作を構想中で、その舞台は全て神町になるらしい。「ニッポニアニッポン」と「グランド・フィナーレ」はその中に派生的に置かれる、いわば間奏曲のような作品で、それら全てが壮大な「神町サーガ」を形成することになるようだ。 「グランド・フィナーレ」の舞台神町は、多くの殺人や事故死、洪水が起きたあとの黙示録的な町だ。だから、どんよりとした冬空の下の客の少ない文房具店も、陽の当たらないぼろ屋も、はじめから死の匂いを発している。そしてそこで迎えられる筈の、小六の亜美・麻弥と主人公沢見の「グランド・フィナーレ」、すなわち最終場面はあえて宙づりにされる。ロリコンの沢見が小六の時に手をつけて、以来疎遠になったという少女美江は、自殺の可能性を仄めかされることによって、明らかにドストエフスキーの「悪霊」でニコライ・スタヴローギンに手を出され、縊死した十二歳のかわいそうなマトリョーシャを思わせる。読者は不吉な予感を捨て切れないが、阿部氏はあえてここでは「シンセミア」で試みた、“完璧な構図”を用いない。 代官山の猥雑なクラブにカウガールのいでたちで颯爽と登場し、沢見の罪を糾弾する魅力的な人物Iは、作者本人の予告によれば、沢見とともに別の大きな作品に登場することになるらしいし、しばらくこの「神町サーガ」から目が離せない。 ところで芥川賞の選考では、ロリコンというモチーフがリアルに描けているか、ということが争点になったようだ。しかし、私が期待するのは、息詰まるようなリアルな犯罪小説なのではなく、ある種こちらの期待を上手に裏切り続ける阿部氏の「神町サーガ」生成の場に同時代的に立ちあうことで、そこに紡がれるのは作者本人の自虐的な弁によれば“安っぽい”小説なのかもしれないが、“大作”になることを周到に避けながら突き進む阿部氏の姿には、何か崇高なものすら感じるのだ。 | ||||
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確かに読みやすく、読者を寄せ付けない、疎外感を与える…いや、最後まで客観性を持たせたままでいさせてくれる文体は見事であると思う。 しかし、一部で言われているような「阿部和重は女児殺害事件を予見していた!」というのは、こじつけだろう。 人間の性癖は簡単には直らない。これは、ロリコン男の話である。 | ||||
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芥川賞受賞作品だから読んでみたが、正直面白くもないし、感動もしなかった。幼児性愛嗜好がばれてからの日々が描かれているが、推理小説のような種明かしもなければ、同情してしまうようなエピソードがあるわけでもなく、更生に対する見通しもなく、だらーと始まり、だらーと終わった感じ。辞書がないと読めない字が多かったのも楽しめなかった一因かも。 | ||||
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ロリコンの趣味がばれ、家族も金も友人も無くしてしまう男の話。初めは、同情しながら読み始めだんだん同情が憎しみや哀れみに感じ、最後はガンバレと励ましたくなる。1つの映画を見終わった感覚がした。去年の芥川賞に比べ、さほど話題になっていないが厚みがあるストーリーは読み応えがある。次が知りたくなる終わり方は、おそらく続きのストーリーは読者が作ってくれということなのだろうと私は思った。 | ||||
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今回の阿部和重の受賞は、4回目のノミネートということもあり、選考委員も、実力のある作家だから、ここらで賞を与えないと、という判断も合ったようです。その判断は一定の意味を持つことを前提に読後感を。受賞作である『グランド・フィナーレ』を一気に読みました。文章は難解でもなかったのですが、整理するために、2回読み返しました。阿部和重の文章はとても巧みで、力量のある作家だということは分かりました。ただ、奈良の少女誘拐殺人事件を思い起こすようなキャラクターの設定でもあり、正直のところ、感動した、その世界にのめり込んだという作品ではありませんでしたね。「純文学」という世界が、非日常の世界を描くことで、フィクションとして存在している、というのは理解していますが、作者の描く世界の中に身を置くことを躊躇するような作品の一つでもありました。一般大衆と遊離したような文学、というものは、「現代音楽」や「現代美術」といったジャンルでも同様の傾向の作品が見受けられます。分かる人に分かれば良い、一部の専門家や編集者の評価、すなわち玄人受けするような作品が、受賞作となると、文藝賞の一般離れを加速するような気がします。芥川賞の選考基準とはなんなのでしょうか。音楽なら技術と表現力で優劣がハッキリするのですが、芥川賞のような作品の評価は、「作曲」部門と「演奏」部門の総合評価のようなもので、選考者の感性と好みに大きく左右される気がします。日本で一番権威がある文学賞の選考基準がまだ理解できていません。なお、読みの浅いところはご寛容ください。 | ||||
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わかっていてもやってしまう。いや、そうなってしまう。男なら誰しも経験のある、あの苦い経験と似ている。好きな子を泣かしてしまったあのときに・・・。泣かせる気などさらさらない。むしろ好かれたいのだが、彼女は泣き、周りの子達は非難の目。友達の男は自分にあきれているあの光景。誰にもそういう面があるのではないか。本書のように、幼児に対することは稀であろうが、恋愛や友情など日常生活には、どこでも存在すると思う。そのせいか、読んでいると感情移入していまう。その視点は人間としての視点は言うまでもないが、父として、夫として、友達として、そして男として。あなたはどの視点から見るのだろうか?。文藝春秋の選評に村上龍が、一番大切な部分がないと書いていたが、それぞれの視点を追うという点ではアリではないか?(ぼくは不満でしたけどね) | ||||
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芥川賞が将来阿部和重に賞を与えていなかったとなったら,困るので,これで受賞となった感がある作品です.阿部和重の作品の中で特に優れているわけではないでしょう.音楽のような小説を構築することに成功していて,現代の小説的小説を味わいたい方はお手に取らねばならない本ではないでしょうか. | ||||
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私は文学は普段ほとんど読みません。ですが、今回、興味本位でちょっと読んでみました。読んで驚きました。作者が「頭で考えて」小説を書いているのです。頭で考えて書くべきなのは学術論文か、取扱説明書ですよね。小説って、そんな風に書くものではないと思います。モノを作るというのはアタマで考えて作っても、受け手は面白くないんですよね。言い換えれば、「アタマで考えた」ことが読者にバレてしまうようでは、まだまだだと思います。これからは「アタマで考えた」ことがバレないぐらいの技術をもって小説を書いてほしいと思いました。 | ||||
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文章は堅苦しくて読みにくい印象なんだけれど、独特の言い回しで笑いを誘う阿部和重の世界。この作品はもちろん、阿部さんの作品の多くの舞台となる「神町」・・・私の住むところに近くなじみのある町だけに、それだけで阿部和重は私にとって特別な意味をもつ作家です。この作品は30代のロリコン男が主人公。小学生の娘を溺愛しているのだが、愛情が行き過ぎてしまっている部分もある男。しかし、その「行き過ぎている」決定的な証拠を妻に見つけられてしまい、離婚。愛する娘に会えなくなり、故郷の神町へと傷心帰郷した男はここで二人の少女に出会う・・・というストーリーです。地域の特色というものがよく出ています。さびれている商店街の様子や、地域の人との繋がり方などは現実のリアルな神町そのもの。実在する施設の名が多数登場し、神町をよく知るものでないと絶対わからないような細かいライフスタイルまでしっかり描写されています。阿部さんの描く主人公は、どの作品を見ても決して立派な大人とはいえない人たち。何かに夢中になっているんだけどその対象や矛先に確実なズレのある大人たち。芥川賞を受賞したことで、今回初めて阿部さんの作品を読むという方はとても多いと思います。決して道徳的な作品ではありません。目をそむけたくなる描写もあるかもしれません。けど、つい最近、奈良の女の子の殺害事件という衝撃的な事件があったのにもかかわらず、それでもこのロリコン男のお話を芥川賞に選んだ審査員たちの決意とリスクを考えてみてください。作品の良し悪しに社会の出来事は関係ないとはいえ、社会が怒りに燃えている中で、それでもあえてこの作品に大きな賞を与えた意味・・・。それを考えてみるだけでも読む価値はあると思います。なお、「グランド・フィナーレ」の作中に≪トキセンターでの事件≫とか≪水害≫などといったキーワードがありますが、これは阿部さんの他の著書「ニッポニアニッポン」「シンセミア」の内容とリンクした記述です。なるべくなら先にこの2作品(特に「ニッポニアニッポン」)を読んでおくことをおすすめします。 | ||||
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「あんまりすばらしくない男」を描かせたら、阿部和重の右に出る者はいない。と、思わされる。 本書でも、ロリコン趣味がばれて離婚を余儀なくされ、愛しすぎる娘に会えなくなった30男が主人公。その、人間ならではのぐにゃぐにゃした思考の過程を文学的に巧みに表現する。 そう長くない物語だが、主人公の思考をすっかり追体験してしまうがごとき感覚を得てしまうところが、さすがだ。 伊藤整文学賞受賞の長編小説『シンセミア』も、エログロだが、すごい小説であり、一読をお勧めする。 | ||||
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人によって好き嫌いが分かれる作品だ。基本的に観念小説である。言葉で世界を描写する礎は、作家の観念である。どんなに事実を取材しても、結局は個の捉えた現象を言葉に置き換えるに過ぎない。こういう堂々巡りの思念で書かれているから、言葉がやたらと小難しいのである。書き手が一人称にこだわってしまい、客観描写を排しているので、かなり読みにくい。 大江健三郎に一脈通じるが、それにしては世界観が違いすぎる。大江は切迫した感情で世界を心配している。対して阿部は作中人物のYにも、世界のことは断片を知っているが、結局自分に関わる世界にしかリアリティーがない、と語らせている。 1章のロリコンキャラクターは情けなくてよかったが、2章になると更正しようとするところが中途半端な気がした。 併録の他3編にいたっては、もう何がなんだかわからない。でも、妙に文学チックな気分にはなれる。 | ||||
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発表に前後してロリコンに関係する事件が発生し、評価への影響が危惧されていたものの、「事件と小説は関係ない」という選考委員の理解により芥川賞受賞を成し遂げた阿部和重最新作。主人公はロリコンのために家族、特に愛する娘と別離してしまった男。娘との距離や、特殊な仕事をしていた男の過去が描かれる前半と、離れ離れになってしまう二人の少女と出会う後半に分かれています。時事説明や主人公の周囲の描写に徹する前半とは変わり、後半では過剰なほど悲哀の感じられる二人の少女の登場と、主人公が抱く彼女たちへの疑惑のため、最後の数行まで緊張感が持続し、飽きさせません。過去の作品、『インディヴィジュアル・プロジェクション』や『ニッポニアニッポン』のようなスリリングな展開はありませんが、その分、人間を仔細に描写する、貫禄が窺える良作となっています。 | ||||
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ストーリーについてはご存じの方も多いと思う。ロリコンで少女ポルノ愛好家である主人公はその秘密を妻に知られて離婚を余儀なくされ、仕事も失い、故郷に帰って日々をなげやりにやり過ごし・・・そして。おいおい。こんな話を読んで何になるんだ。最低の男がその後癒されようが死んでしまおうが、関係ないじゃないか。どうして次のページをめくるのだろう。なぜ次のパラグラフを読もうと欲するのだろう。不思議だ。文学の力業は、ここに理解できないがついて行かざるを得ない空間を現出させる。どうしても理解できないこと。謎としか思えないこと。それがあれば生きられる。「全てのことは、わかってしまった」という思い込みは、その人自身の生命力を根こそぎ奪い去る点で、文字通り致命的な錯誤である。この小説は「未知を発見する人は、自然に歩む」という叡智を現代の語法で語る寓話と考えられる。 | ||||
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