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(短編集)

エラリー・クイーンの冒険



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エラリー・クイーンの冒険の評価: 7.00/10点 レビュー 1件。 Aランク
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(7pt)

これは別の世界のミステリ

現在エラリー・クイーンの諸作の新訳が創元推理文庫のみならず角川文庫からも相次いでなされており、本書もその一環として刊行された。
通常私はこういった新訳版は既読作品では手を出さなく、本書も最初はそのつもりだったが、旧訳版では収録されていなかった「いかれたお茶会の冒険」と序文が収録された、完全版であると知ったため、改めて入手して読むことにした。

従ってそれ以外の短編については感想は書かず、ここでは未読作品である「いかれたお茶会の冒険」とその他旧訳版との相違や当初気付かなかったことについて述べていきたい。

さてその「いかれたお茶会の冒険」はエラリーが友人のリチャード・オウェン邸に招かれたところから始まる。
邸の主人の失踪事件が本書のメインだが、正直この事件の犯人は読者の半分は推測できるに違いない。そしてその動機も読んでいると自ずと解る、非常に安直なものだ。

しかしそこから死体の隠蔽方法、更にエラリーの犯人の炙り出しが面白い。

アリス尽くしのガジェットに満ちた作品なのだ。

派手さはないがクイーンの見立て趣味とまた犯人を特定するためには罠をも仕掛ける悪魔的趣向などが盛り込まれた作品でエラリーがロジックのみでなく、トリックも施すことを示した作品だ。

今回この「いかれたお茶会の冒険」以外は再読だったが、改めて読むとクイーン作品のリアリティの無さに再度苦笑せざるを得なかったと云うのが正直な感想だ。

およそ現実の警察捜査とは思えない、パラレル・ワールドで繰り広げられているエラリーの特権的立場がどうしても今読むと違和感を大いに覚えてしまう。父親が警視としても素人に堂々と事件現場を入らせて、手袋もせずに証拠となりうる物品を触らせたり、移動させたりすることは到底あり得ないし、更には警察と同等の職権を保証する許可証を持っているといった飛び道具まで登場する。そんな探偵、いや推理作家はどこを探してもいないだろう。
子供、学生の頃であればそんなエラリーを特別な存在として尊敬し、その超人的頭脳によるロジックの美しさに感嘆もするだろうが、やはり今この歳で読むとあまりにも受け入れ難い。もしかしたら私自身古典の本格ミステリを受け付けなくなってきているのかもしれない。

さて冒頭にも述べた旧版との比較をここからしてみよう。

まず「アフリカ旅商人の冒険」ではエラリーを大学に招いた教授の名前が旧訳版ではアイクソープ教授となっているのに対し、本書ではイックソープ教授と表記が改められている。 “イッキィ―退屈でつまらないと云った意味”、“イック―いやな奴という意味がある―”といった洒落が出ていることから恐らくはこちらが正しいのだろう。

また旧版とはタイトルが若干変えられているのもあり、冒頭に挙げた未収録作品だった「いかれたお茶会の冒険」は当時は「キ印ぞろいのお茶の会の冒険」となっている。このキ印という言葉、2018年の今ならばほとんど死語だろう。「きちがい」の隠語として使われていたが、今となってはそんなことを知る人も少なくなり、また「きちがい」もまた差別用語となっているから、変えざるを得なかったのだろう。

また「三人の足の悪い男の冒険」も旧版では「三人のびっこの男の冒険」だったが、これも同様に「びっこ」が差別用語に指定されていることによる改題だろう。

また久々にクイーンを読んで気付かされるのはエラリーが事件を介して美女と出逢う機会が多く、そして明らかに口説こうとしている節が見られるところだ。

「ひげのある女の冒険」で住み込みで働く看護婦クラッチの連絡先を知りたがったり、「見えない恋人の冒険」で絶世の美女と評される容疑者の恋人アイリス・スコットにはもう少し早く出会いたかったと他人の恋人であることを嘆き、「七匹の黒猫の冒険」で出逢ったペットショップの店長ミス・カーレイもその大きな瞳に惚れ、助手よろしく彼女と共に事件解決に乗り出す。また最後の短編「いかれたお茶会の冒険」でも女優のエミー・ウェロウズといい雰囲気になって一緒に列車に乗っていく。

そしてご存知のようにそれら全ては行きずりの女性であり、エラリーはニッキー・ポーターという相性のいい女性と何作か組みながらも結局生涯のパートナーを得られずにシリーズを終える。つまりはエラリー・クイーンにはロマンス要素を持たせるのはあくまで読者の興味を惹くための一要素として扱うに留まり、それを発展してクイーン自身の人生と事件とを結びつけるまでには至らなかったということだ。

その後のクイーン作品がロジックと探偵の存在意義について長く思考を巡らせていくことからも解るように、人間としてのエラリー・クイーンの深みをもたらせるのを捨て、ミステリそのものについて考えを深めていくことになった。それが日本の本格ミステリファンにとってクイーンの絶対的存在性を高めることになったのは事実だが、逆に本国アメリカでほとんど忘れられた存在となっているのがこのキャラクター小説としての深みに欠けるからだろう。


▼以下、ネタバレ感想

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