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地獄の湖



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【この小説が収録されている参考書籍】
地獄の湖 (角川文庫)

地獄の湖の評価: 7.00/10点 レビュー 1件。 Bランク
書評・レビュー点数毎のグラフです平均点7.00pt

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(7pt)

悪事と代償の作用反作用の法則を見せつけられた

この何とも云えない気持ち、読後感。レンデルのミステリを、物語を読むといつもそんな気持ちにさせられる。さてこの思いをどうやって言葉に綴ろうかと。

殺人衝動を持つ男フィンと独身の会計士マーティン・アーバンの話が並行して語られる本書は最初どのような方向に話が進むのか皆目見当がつかなかった。

特にフィンのパートは不気味で暗鬱である。

幼い頃にポルターガイストを発生させる、超常能力を持つ彼はその後ハシシを吸いだしてその能力を失うがそれでも不思議と常人には見えない何かを見通す能力を持っていた。しかし一方で人間らしい感情が欠けている。
彼の最初の殺人は15歳の時だ。父親を亡くして母子家庭となった自分たちを引き取って持ち家に同居させてくれた母の従妹のクイニーが最初の犠牲者だった。それはまさに思春期の少年が持つ、過干渉が鬱陶しく感じるゆえに自分の前から消し去りたいと願う誰もが一度は抱く思いを実行に移した殺人だった。
しかし普通の人間と殺人者の境は心に抱いているそんな恐ろしい願望を実行するか否かにある。それは理性がその衝動を抑え込んでいるわけだが、このフィンは冷静沈着の感情下で殺人を行う。しかもその最初の殺人を母親に見られ、それが原因で母親は精神を病んでしまう。
そしてその後もその衝動はたびたび起こり、母親は息子がどこかで殺人事件や事故死が起きると息子を疑うようになり、そしてまた狂気の世界へと旅立つのだ。

一方、マーティン・アーバンのパートは全く異なる。
会計士という堅実な仕事に就く彼は事務弁護士のエイドリアン・ヴォウチャーチと不動産鑑定士のノーマン・トレムレット2人の友人がいるが女っ気のない独身者で両親の許を毎週木曜日の夜に訪れ、夕食を食べながら父親と税金対策について議論を交わすのが習慣となっている。この全く以て普通の青年が本書の物語のメインパートとなる。

ある日彼はサッカーくじで約10万5千ポンドもの大金を当てるが、その内の5万ポンドを生活に困っている人たちに寄付することを考えつく。ただそのサッカーくじは「ポスト」紙の記者で友人のティム・セイジのアドバイスに従って買ったのが当たったものだったが、なぜか彼は友人にはそのことを知らせず、しかも誘われたパーティーをキャンセルすることで半ば絶縁状態となってしまう。

そして彼の5万ポンドを使った慈善事業は1組のインド人親子のシドニーでの手術費拠出以外は悉く裏切られてしまう。
突然見知らぬ人から大金を寄付しようと云われれば、確かに詐欺ではないかとか危険な話ではないかと疑うのが常だ。そういった状況を想定せずに自分の善意を押し付けるマーティンは少しばかり世間知らずのおぼっちゃんのようだ。
しかしこの寄付行為、つまりチャリティはイギリス人のみならずアメリカ人も積極的に行うようで、『csi:NY』でも特許で大金を手にした監察医が匿名で1万ドルを不特定多数の人々に寄付するエピソードがあった。

正直ここまでのパートは一体この話はどの方向に向かっていくのかまさに暗中模索の雰囲気があったのだが、フランチェスカという女性の登場で一気に方向性が見えてくる。

ある日彼の許に花束を届けてきた花屋の女性が現れる。届主が誰だか解らないその花束を例のインド人親子からの物だと解釈するマーティンはその花屋の女性に一目惚れしてしまう。その女性こそがフランチェスカなのだが、彼女もマーティンのことが満更でもなく、夕食の誘いに応じるが、彼女は作家のラッセル・ブラウンという夫がいることをマーティンは新聞の記事で知る。
しかしフランチェスカはラッセルとの結婚生活を解消したがっているが、彼女には1人娘のリンジイがいて容易に離婚できないので、マーティンとは彼女の都合のいい時に逢う、不倫の関係が続く。

しかしマーティンはフランチェスカをどんどん好きになり、彼女と一緒に暮すことを考え、自分の家に一緒に暮らすことを提案するが、フランチェスカは彼の狭い家では娘と一緒に暮らせないと云って断る。

この時初めて彼は2人の生活にリンジイが存在することを悟る。そしてその娘も含めた家を提供しなければ一緒になれないことに腹を立てる。
この辺りは苦笑物の自己中振りだが、ますます彼が世間知らずであることを思わせるエピソードだ。

しかし彼は思い直してフランチェスカに娘とも一緒に暮らせる家を与えるように考える。サッカーくじで当てた10万5千ポンドの残金半分をその費用に充てることを思い付く。

一方でなかなか進展しなかった慈善事業も3万5千ポンドまで費やし、あとは1万ポンドを寄付しようと考える。そして母親が今も時折様子を見に行っているかつての掃除婦リーナ・フィンに新しい住まいを提供するために寄付しようと思いつく。

しかしそう上手く行かないのがレンデルの物語だ。
この全く交じり合わないであろう2人がマーティンの母親の言葉で交錯し、そしてマーティンにフィンが関わりいくその様はまさに詰め将棋を観ているような美しさを感じた。
しかしそれはロジックの美しさに感動する類ではなく、運命の皮肉がカッチリ嵌り過ぎて怖くなる物語としての美しさだ。寒気が背中に走るほどの。

これぞレンデル。この容赦なさこそレンデルだ。
よくもまあここまで運命の皮肉という詰め将棋を思い付いたものだ。悪事が大きくなればなるほど払う代償もまた大きくなる。
悪事と代償の作用反作用の法則、もしくは等価交換の原理をまざまざと見せつけられたかのような思いがした。

最後の最後の最後までレンデルの残酷劇場は止まらない。こんな物語を読まされた後では、もはやありきたりな運命の皮肉という言葉ばかりが浮かんでしまう。
しかし私が今抱いているのはそんな5文字には収まらない何とも云えない感情なのだ。

そう、もはやこの世は純真では生きていけないのだ。強かさを備えていないと生きていけないほど世界は汚れてしまっているのだ。

新聞記者のティムが云う。
「新聞記事なんて人間が書くものさ。正真正銘の真実を伝えているわけではない」

人の書くものはその人に意思が宿る。それが公に出て、そして売れていく。
このティムの言葉の新聞記事を小説に置き換えると、レンデルの言葉そのままにならないだろうか。

これは小説さ。人間が書くものさ。正真正銘の真実を伝えているわけではない。

つまりここに書かれている悲劇は人の書いたものだから、そんなに世を悲観するのではないよと読者に向けた慰めの言葉なのではないか。

だからこそ彼女は数々の皮肉を書く。人が救われない、報われない物語を書くのは正真正銘の真実を伝えているわけではないのよ、と云いながら。

本書のタイトル『地獄の湖』は原題も“The Lake Of Darkness”とほぼそのままだ。それはつまりこの世はこの地獄の湖ばかりであるという風に取れるのである。そしてその湖こそがレンデルが覗く闇であり、描く人の闇なのだ。

たった286ページに凝縮された残酷劇場。またもレンデルにはやられてしまった。
絶版作品は無論のこと、まだ見ぬ未訳作品が将来読めることを強く望む次第だ。
年を取るとレンデル作品はかなり面白い。


▼以下、ネタバレ感想

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