翳ある墓標
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「あとがき」で著者は次のように述べる。「克明な読み方をすれば、本格物の面白さの神髄にふれることになり、推理小説の楽しさがわかって、鮎川哲也の次作を待ちこがれるはずだ。」大した自信である。この小説が発表された1960年には、翻訳物の推理小説の筋をまともに追えない読者が多かったのだろうか。 私にはこの小説の決定的な欠点が分かっているのだが、書き方が難しい。幾分ネタバレになる。 主人公の杉田はトップ屋である。週刊誌や新聞の編集室に属さずに、記事をそれらに売り込むことを生業にする人である。現在のフリージャーナリストに近いのだろうが、杉田はトップ屋のグループに所属しているから、フリージャーナリストとは異なる。(そのグループが会社組織かどうかは分からない。) 小説の冒頭で、主人公の杉田と、同じグループに所属する高森映子が、キャバレのホステスのひふみのインタビューをしたあと、別れる。翌日(12月2日)、ひふみの死体が伊豆で発見される。警察はひふみが自殺したものと見るが、映子は他殺に違いないと考えて、取材をはじめる。ところが、その映子は12月16日に会社に来たきり、その後連絡がない。やがて映子の死体が名古屋の廃屋で見つかる。杉田は映子を殺した犯人を捕まえるために、捜査をはじめる。 当初はひふみの殺人犯を見つけることがこの小説の主筋であると、読者は思う(だろう)が、ひふみの死亡は自動車事故であることがじきに分かり、そこから、欠陥のある自動車を多数、欠陥があることを知った上で売った人間を見つけることが杉田の目的になる。その人間が映子を殺したに違いないと彼は考える。杉田はその人物を突き止めるのだが、その人物には映子殺しに関して鉄壁のアリバイがあった。そこで、犯人と睨んだ人物を警察に捕まえさせるために、杉田はそのアリバイを崩そうとする。 この小説は、この本の5頁から始まって334頁で終わる。犯人が特定されるのは217頁辺りである。つまり100頁以上アリバイ崩しに費やされることになり、アリバイ崩しこそがこのミステリーの眼目なのだ。だから、ややネタバレですけど勘弁してください。 プロットに問題はない。問題は、犯人は中古車会社の一セールスマンであるということである。セールスマン自身が中古車を仕入れるわけではない。中古車販売会社が中古車を仕入れた場合、必ず点検して整備をする。ブレーキの効きが悪い状態の車をセールスマンに売らせるわけがないのだ。ブレーキの効きが悪いのなら、原因を突き止めて、オイルホースなり、オイルリザーバーなり、ブレーキシューなりを交換することで、問題を解決することができる。それほど金額がかさむものものではない。かかった金額は売値に反映させればよいのである。この小説にはほかに走行中にハンドルが効かなくなったという例と、前輪の片方が外れたという例が紹介されている。これらもそれほど費用がかかることなく、あるいは部品の交換なしに修理できるものだ。(この中古車販売会社の社長はまともな人物で、人をだますようなことはしないということになっている。)だから、ミステリーとしてのプロットに問題はないが、話の前提が間違っているのだ。ひょっとすると、著者は自動車や中古車販売についての十分な知識がなかったのかも知れない。 | ||||
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「風の証言」、「準急ながら」、「積木の塔」、「偽りの墳墓」、「憎悪の化石」に引き続き再読。 本作は非シリーズ物で、鬼貫警部や星影龍三は登場せず、「メトロ取材グループ」に所属するトップ屋の杉田が探偵役を務める。 警察官や新聞記者ではない杉田だが、愛する女性のために真相を必ず暴き出すという心情が原動力となっていて、何度か捜査が行き詰っても決して諦めない彼の姿勢に素直に感情移入できた。 シリーズ物ではなくても、手抜きというわけではなく、いつものとおり地道で論理的な捜査過程が楽しめる。 事件が終結した後のエピローグは感傷的ではあるが、くどさはなく、短いが余韻を引く締めくくりに好感が持てた。 なお、併せて収録されている短編「達也が嗤う」は、犯人当てミステリの古典的名作です。 | ||||
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鮎川氏のシリーズキャラクターが登場しない単発長編作品となっている。 アリバイ崩しと二転三転する展開がスリリングで、鮎川作品でも屈指のスピディーさを誇る作品である。 当初の思い描いていた事件構造が一変する展開となる。 オマケとして、鮎川氏が初期に海外の短編を翻訳した作品を収録。 こちらは海外のパルプ雑誌のハードボイルド短編であり、作者も有名でもないものばかりで、本格推理短編でも何でもなく、ありがちな海外のつまらないハードボイルド探偵もので、読んでも面白くはない。 図書館とかで借りた場合は 翳ある墓標だけ読んで、後の短編は読まなくてもかまわないだろう。 | ||||
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「翳ある墓標」はシリーズ探偵ものではないが、しっかりとした構成で論理的推理を堪能できる佳品。「達也が嗤う」は犯人当て小説の最高峰ともいうべき技巧的作品で、何度読んでも見事な伏線の張り方、叙述の巧みさ、稚気溢れる仕掛けに唸ってしまう。 本格推理を愛するファンへの至福の贈り物です。お楽しみください! | ||||
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『翳ある墓標』(初刊1962年)はシリーズ探偵である鬼貫警部も星影龍三も登場せず、傑作揃いの鮎川作品において地味な扱いを受け続ける不遇な長編。当初の構想が外的な事情により変更を強いられ、作者自身も通俗的な作品という評価を下していた為だろうか再刊の機会も他の長編に比べ格段に少ない。確かに発表当時流行していた社会派推理小説を意識したような要素が古めかしく感じる点と終盤の展開がやや唐突なのは残念だが、しかし鮎川哲也の本領発揮というべき読者へのフェアプレイ精神と秀逸なトリックメイカーぶりが堪能できるのは流石で、哀切でロマンティックな結末には著者の隠れた美点である叙情性が他の長編に比べて濃厚に感じられる。とはいえ鮎川作品のビギナーには『黒いトランク』(1956年)や『人それを情死と呼ぶ』(1961年)といった名作を先に手に取られる事をお勧めする。 併録の短編「達也は嗤う」(初出1956年)は掛け値無しの傑作短編。読者に挑戦し、翻弄する超絶技巧に唖然とする事間違い無しだ。出来れば予備知識を仕入れず虚心に読んで頂きたい。 | ||||
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