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Tetchy さんのレビュー一覧

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レビュー数896

全896件 641~660 33/45ページ

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No.256:
(7pt)

どうやら耐性が出来たみたい

耕平&来夢シリーズの第3弾。
今回は最初から怪物が続々と出てきたり、魔術が繰り広げられたり、また耕平も目覚めた力、「物体引き寄せ」を連発したりとファンタジー色をかなり前面に押し出しているのでバランスが前2作よりもよかったように思う。なんせ前2作は耕平のまだ小学生の美少女、来夢にのめり込みすぎてロリコン色が強く感じたのにどうしても同調できなかったし、歪んだ権力を翳す連中が魔力を行使するというのも漫画じみていたし、また一見青春物のような色合いを見せるストーリー展開に不意に入ってくる魑魅魍魎の出現や異世界へのリープが非常に心地悪かった。まあ3作目にして当方が慣れたというのも大いにあるだろう。

田中氏の文体も『銀英伝』や『創竜伝』のそれとは程遠いものの、水準はクリアしている。が、しかし比喩に以前も使われたモチーフを持ち出すのはちょっと空想の引き出しの枯渇を思わせる(「纐纈城」の例えはもういいって!!)。

次作『春の魔術』でシリーズは最後らしいがこれほど待ち遠しくないシリーズも珍しい。

白い迷宮 (講談社文庫)
田中芳樹白い迷宮 についてのレビュー
No.255:
(7pt)

スピード感溢れ、クイクイ進みますが…

落ちてきた漆喰壁を頭に受けたタウンゼントはその日、いつものように家に帰宅するが、管理人の驚きの表情が待っていた。管理人曰くは、もう3年も前に引越したのだという。不思議な気持ちで引越し先を訪れた彼を待ちうけていたのは妻の驚くべき言葉だった。実は彼は3年前に妻の下から失踪していたというのだ。半信半疑のうち、元の生活に戻り、勤務先に復帰したが、彼の帰りを付き纏う謎の影の存在を知る。あまつさえ銃口すら向ける謎の男はやがて彼の塒をつきとめ、襲撃する。執拗な追撃から辛くも逃げ切った彼は妻を実家に帰し、見知らぬ過去と対峙する決意を固めるのであった。

どうだろう、この導入部!アイリッシュならではのサスペンス溢れる設定ではなかろうか。
今回は叙情性よりもスピード感を重視した構成で、アイリッシュ特有の短編を連ねたような追撃劇、殺人劇は成りを潜め、謎の究明に着実に一歩一歩前進していく。だから200ページ足らずの長編にしては話の起伏は濃いのだ。冒頭に掲げた梗概は60ページ足らずの部分でしかない。現在の作家ならば、これだけで800ページ上下巻作品の上巻のラストまでに達するだろう。今回はこの展開の早さのおかげでページを繰る手がもどかしいほどだった。

裏に隠れた事件についてはアイリッシュらしからぬトリックの施されたもので、ちょっと驚いた。しかし縺れた糸を1本1本振り解いていくような筆致はサスペンスの王様の面目躍如といったところで緊張感が持続してよかった。


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黒いカーテン (創元推理文庫 120-1)
ウィリアム・アイリッシュ黒いカーテン についてのレビュー
No.254:
(8pt)

エンタテインメントと本格ミステリの小説作法の違い

ニューヨーク州の北東に浮かぶプラムアイランド。そこは動物疫病研究所の島、つまり細菌研究の島だった。折りしもそのプラムアイランドで働く研究所員夫婦がノーフォークの自宅で殺害される事件が発生する。細菌兵器の持ち出しが真っ先に疑われ、明日にも人類滅亡の危機が訪れるかもしれなかった。捜査で負った傷の療養でノーフォークに滞在していたニューヨーク市警殺人課の刑事ジョン・コーリーはこの夫婦と親しかったこともあり、地元警察署のマックスから捜査の協力を依頼されるのだった…。

デミルの筆致は今回も絶好調で、その勢いはいささかも衰えも見せない。皮肉屋ジョン・コーリーの斜に構えた態度も『将軍の娘』のブレナーを髣髴とさせる好漢である。
パートナーのベス・ペンローズは真面目を絵に描いたような刑事で女性的魅力に欠けていた。どうせジョンのペースに乗せられてラヴ・シーンの1つや2つ演じることになるのだろうと思っていたがこの予想は外れ、ラヴ・アフェアは無く、代わりに途中で登場する地元の歴史協会の会長を務めるエマがジョンの相手となる。

このエマの造詣が素晴らしい。歴史協会の会長がスレンダー美人でしかも恋多き女だったという設定は正に意表を突かれた。このエマの登場で物語に活力が与えられ、彩りが加えられたように思う。

さて、筆致は申し分なく、物語の展開もスピーディーかつ起伏に富んでおり、しかもハリケーンの最中のボート・チェイスシーンもあり、アクションシーンも迫力があり、正に云うところなし、と云いたい所だが実は自分の中ではどうも納得しきれないものがある。
細菌兵器を作り出しているのではないかと噂される研究所プラムアイランドというモチーフを設け、そこに勤める研究所員の殺害で大量殺害できる細菌の国外流出を示唆し、FBI、CIAの介入による妨害もありながら、それらが物語の前半で解決し、後半の早々で実はキャプテン・キッドの宝にあるのだという事件の真相を明かすあたり、デミルの小説作法に疑問がある。私ならば最後まで細菌の流出疑惑を持たせつつ、最後の犯人との対決で実は狙っていたのはキャプテン・キッドの宝なのだと明かすだろう。そっちの方が物語の緊張感も持続させ、最後のあっと驚く真相というインパクトも強いのだと思うのだ。しかしデミルはそうせず、隠れた真相を明かし、そこから犯人を追い詰める手法を取る。あくまでミステリ小説ではなくエンタテインメント小説の設定で物語を進めるのだ。これは好みの問題だといえばそれまでだが、やはり後者ではあの展開に不満が残る(ネタバレに詳述)。

とはいえ、読書中は至福の時間を過ごさせてくれた。上の不満はデミルだからこその高い要求をしてしまう結果なのだ。



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プラムアイランド 下  文春文庫 テ 6-13
ネルソン・デミルプラムアイランド についてのレビュー
No.253:
(8pt)

皮肉な結末と理解できないことの怖さ

前作はエログロ趣味の作品が多かったような印象があり、正直、途中で辟易したが、今回はその傾向は減じられており、「皮肉な結末」ものとでも云おうか、ちょっとしたスパイスを加えたものが多かった。収められた作品について傾向別に以下に述べていこう。

第1集によく見られたエログロ趣味・フリーク趣味の作品は今作品集では乱歩の「踊る一寸法師」、「赤い首の絵」ぐらいしかなかった。
前者を読むのは2回目だが、乱歩はやはり乱歩であるという認識を強くした次第。後者は剥ぎ取った顔を使って整形した女の執念を描いた作品で、ちょっと趣味じゃなかった。

皮肉な結末とでも云うべき一捻り加えた結末を備えた作品は「悪戯」、「決闘」、「魔像」の3作。
ポーの「黒猫」のオマージュとも云うべき「悪戯」、最後に泥沼の略奪愛劇が一大詐欺事件に変わる「決闘」、最後はありきたりだが、個展に必要な最後の写真のおぞましさが怖くていい「魔像」。これらはどれも出来はよく、好感が持てた。「決闘」は怪奇小説ではないかも?

幻想味が強く、観念的な趣向の作品は「幻のメリーゴーランド」、「壁の中の男」、「喉」、「蛞蝓妄想譜」。
この中では「壁の中の男」が今になってみると怖く感じる。かつての自分の恋人と同棲した親友を祝福するために最後の命の灯火を全て投じ、自分でデザインした家をプレゼントするがそれが恋人の気持ちを引き戻すことになり、嫉妬に狂う親友は恋人を殺してしまうという話だが、この建築家の体育会系の爽やかな口調、竹を割ったような性格が後に及ぼす悲劇から考えると、それと感じさせない悪意が秘められているようであとでゾクッとした。このカテゴリーでは他に比べると一番レベルが低いように思い、他の3作品は語るに及ばざるといった感じ。

純然たる怪異譚は「底無沼」、「葦」、「逗子物語」。
この中では短編集の末尾を飾る「逗子物語」が秀逸。趣向で云えば使い古された幽霊譚であるが、文章が格段に素晴らしいため、描写に寒気を感じさせる力があり、読んでいる最中に背筋が寒くなった。しかし、もっとも優れているのは最後の最後で幽霊に救いの手が差し伸べられるところ。逃げるように逗子を発つ主人公に付き纏う子供の幽霊。それに対し、あんな優しい言葉をかけるとは。本当にいい意味で裏切られ、胸を熱くした。また淡々とした文体が雨中の出来事を語る「底無沼」もいい。「葦」は素人が書いたような敬体と常体が入り混じった文章に最初は嫌悪を示したが、ありきたりながらも最後では少し感動した。結構このカテゴリーはレベルが高かった。

最後は奇妙な味とでも云うべき作品。「恋人を喰べる話」、「父を失う話」、「霧の夜」、「眠り男羅次郎」の4編。
「恋人を喰べる話」はまた人喰ものかと思ったがさにあらず、殺した恋人を埋めた庭から生えた無花果の実を恋人の血肉として食する、観念的だがストレートではないところに好感が持てた。「霧の夜」は昔小さい頃に読んだ怖い話に似ている。「眠り男羅次郎」は羅次郎という男が常人とは違うスピードの世界で生きているという設定が特殊。このアイデアから誰にも見えない衆人環視の中での殺人事件を描いた。

そして本作品集でもっとも怖かったのが「父を失う話」。文字通り突然父がいなくなる話なのだが、わずか7ページで繰り広げられるある日の出来事。その内容はネタバレにて。

こう並べてみると第1集に比べ、格段にヴァラエティに富んでいるのが判る。しかもレベルも高いものがそろっており、粒ぞろいといってもいいだろう。
あと残るは第3集のみ。さてどんな物語を読ませてくれるのだろうか。


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怪奇探偵小説集〈2〉 (ハルキ文庫)
鮎川哲也怪奇探偵小説集2 についてのレビュー
No.252:
(7pt)

昔の怪奇の定義とは?

戦前・戦後の探偵作家の怪奇短編を集めたもの。とはいえ、怪奇に対する考え方が現在と当時では明らかに違う。
現在では怪奇とは「何か説明のつかないもの・こと」であり、必ずしも怪異の正体や原因が明かされるわけではなく、むしろ怪奇現象の只中に放り出された形で終わるのに対し、この作品が収められている昭和初期では怪奇とは「恐ろしいもの・こと」や「途轍もなく気味悪いもの」であり、怪奇の正体をセンセーショナルに描く。粘着質の文体で以って執拗なまでにイメージを喚起させる手法が取られている。当時流行ったフリーク・ショーといった見世物小屋の舞台裏に光を当てて怪奇の正体を眼前に見せ付ける、これが現在の怪奇と決定的に異なるところだ。これはこの短編集の名前が怪奇「探偵」小説と銘打たれているからで、「探偵」と名のつく限りはその怪奇現象の謎は解かれなければならない。ほとんどが最後に論理的に怪奇が解決されていたのが特徴的だ。

18編の中には人食、死体愛好もしくは死体玩具主義、殺人願望、異常性欲など江戸川乱歩ばりの変態嗜好を扱った作品が並ぶ。秀逸だったのは「悪魔の舌」、「地図にない街」、「謎の女」の3編か。
「地図にない街」は都会に棲む乞食の世界をベースにある老人の企みを描くアイデアが良く、「謎の女」は平林初之輔の未完原稿を若き日の井上靖である冬木荒之輔が完成させたものだが、この冬木が創作した部分がこの作品の質を高めているのは誰もが認めることだろう。平林のパートでは単に逗留先で知り合った女と突然、東京で仮の夫婦生活をするという設定のみだったのを、冬木のパートではその設定を女の異常な性嗜好から起こる惨劇への序章へ結びつける力技に感服した。
しかしもっともよかったのは「悪魔の舌」。悪食及び人喰嗜好の描写の生々しさはもとより、それに加えてを最後の驚愕の真相を用意していたのが素晴らしい。伏線も活きており、この1編がこの短編集の牽引力を担っていたのは確か。

各編においては最後のオチが三流落語咄の域を脱していないものがあるのも事実で、「怪奇製造人」、「乳母車」、「幽霊妻」などがそれらに当たる。
また最後のオチが誰々の創作だったというのも目立った。
全作品を通じて思ったのは、これらは怪奇小説集というよりも残酷小説集の方が正鵠を射ている事。玉石混交の短編集だが、なぜか妙に惹きつけられた。②巻、③巻も愉しみだ。

怪奇探偵小説集〈1〉 (ハルキ文庫)
鮎川哲也怪奇探偵小説集1 についてのレビュー
No.251: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

幻を掘り起こしては見たものの…

今回収められた作品は4編。目玉は表題作の「鯉沼家の悲劇」、横溝正史の未完短編を岡田鯱彦、岡村雄輔がそれぞれ補完させた「病院横丁の首縊りの家」、そして狩久氏の短編「見えない足跡」「共犯者」の2編。

「鯉沼家の悲劇」は序盤、田舎の旧家の因縁めいた話が訥々と語られる辺り、横溝正史作品を髣髴させ、むごたらしい悲劇の幕開けを今か今かと忸怩たる思いで焦らされたが、最初の殺人があってからあれよあれよとこちらが推理する暇を与えずに鯉沼家の人々が次々と死んでいき、解決も呆気なく、ぽかんとしてる間に終わってしまい、いささか消化不良。恐らく作者は当初並々ならぬ決意で作品を著そうと思っていたのだが、最後の方で枚数制限のため、駆け足で物語を閉じてしまった、もしくはなかなか進まぬストーリー展開に作者自身が飽きてしまったために力業で結末まで持っていったのかのどちらかで作品を終わらせてしまったのだろう。

狩氏の短編は今となってはもはやヴァリエーションの1つに過ぎないもの。両編のメイントリックはどちらも平凡なものだったが「見えない足跡」は最後に探偵役の推理が二重構造になっていたのが救い。「共犯者」は真相を知った後のまゆりの行動に力点が置かれていたが、古さは否めなかった。

結論を云えば、前作の「硝子の家」がそれぞれ強烈な光を放つ作品だったの対し、今回は小粒だった。やっぱり「幻の名作」というものはそうあるものではないのだろう。



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鯉沼家の悲劇―本格推理マガジン 特集・幻の名作 (光文社文庫―文庫の雑誌)
鮎川哲也鯉沼家の悲劇 本格推理マガジン についてのレビュー
No.250:
(7pt)

主人公は一体強いんだか弱いんだか

世間一般では「デミルのハーレクインノベル」と評されている一種の恋愛物。退役軍人として故郷スペンサーヴィルに帰ったキースとかつての恋人アニーとの変わらぬ愛情とそれを陰湿な嫌がらせで阻む彼女の夫、狂気の悪徳警察署長バクスターとの戦い。
今回は物語としては非常にシンプルである。この単純な図式ゆえに上下巻各400ページも費やす事に冗長さを感じたのだ。

まずキースとアニーとの邂逅までが長い。優秀な国家安全保障会議の一員まで務めた退役軍人キースが、昔の恋人と逢うまでに他人の眼を気にしすぎてウジウジ独白を繰り返す日々が訥々と綴られるのが、情けなく感じた。そしてあくまで悪人であるバクスターに対してストイックに負け犬根性的な対応をするのにも軍隊にいたときの凄腕ぶりとは対照的であるし、一度ワシントンに呼ばれるのも物語のエピソードとしては必要だったがあまりにも長く悪戯にページ数を稼いでいるようにしか思えなかった。
さらにアニーとの駆け落ちに関しても逃亡経路やホテルの泊まり方、自車の隠し方など軍人時代の経験を基に微に入り細を穿つような慎重ぶりを発揮するのにもかかわらず、呆気なくバクスターの取り付けた発信機で不意打ちを食らうなど、元栄え抜きの軍人ならそのくらい調べとけよッ!と思わず突っ込みを入れたくなった。キースという人物の設定に対してあまりにアンバランスなストーリー展開なのだ。
またバクスターの、妻に対する歪んだ愛情も、虚勢張りの小心者という設定までは納得できるものの、片や数々の修羅場を潜り抜けてきた軍人を相手に先手先手を取ったり、キース以上に勘が鋭いといったところなどもやはり人物設定とストーリー展開とが融合していないという印象を受けた。

以上述べたように今回はバランスの悪さが目立ち、結構批判的な眼で読んでいたのだが、最後の、キースのアニー奪還劇はかの『チャーム・スクール』を髣髴させる緊迫感をもたらしてくれ、カタルシスも得られた。7ツ星謹呈というよりも8ツ星までは届かないというのが正直な感想だ。

さて、前回気付いたトゥロー作品の特徴がデミルにもあるのかという話だが、これは五分五分だといったところか。トゥローの決めゼリフは正に小説向けのセリフで華やかさをまとっているがデミルは短いセリフで物語の継続を促すセリフであり、章の引き締めというよりも次章への触媒となっている。だからトゥローの場合は各章の最後のセリフが心に刻まれるがデミルはあまり気付かされなかった。
どちらも文巧者だが、比べてみるとこのように結構違いがあるのが解り、これもまた発見だった。



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スペンサーヴィル〈上〉 (文春文庫)
ネルソン・デミルスペンサーヴィル についてのレビュー
No.249:
(8pt)

キンドル郡を楽しく歩く

トゥローの描く架空の郡、キンドル郡を舞台にしたリーガルサスペンスは過去に登場した弁護士、判事、検事らが重層的に混在して登場し、さながら一大サーガを展開しているようだ。主役が各作品で違うため、それら主人公達から描かれるレギュラー出演者も各々の主観が入り、面白い。その描写は第1作から終始一貫して登場人物らの性格は変えず、違和感なく物語に入り込めるのがトゥローの素晴らしい所だ。
特にサンディ・スターンは今までのシリーズ全てに顔を出しており、自叙伝『ハーヴァード・ロー・スクール』に彼のモデルになる人物(名前もそのまま)を作者は高く評価していることからこのキンドル郡サーガにおいてなくてはならない人物だと捉えているようだ。

今回はキンドル郡の法曹界に蔓延る贈収賄事件の一斉摘発がテーマ。贈収賄に関わる判事ら、特に首席裁判官であるブレンダン・トゥーイを摘発せんとセネット判事はその中心人物の一人、ロビー・フェヴァー弁護士を囮としてFBI捜査官と共に手練手管を使って証拠を掴み、容疑者の連鎖の綱からトゥーイを捕まえようと企む。FBIのハイテク機器を駆使して判事らの証言を取得する中、実はロビーが無免許弁護士だったと判明する。捜査も大詰めの中、セネットは不退転の決意で捜査の続行を決意するのだが...。

主人公は題名にもあるとおり、囮となる弁護士ロビー。プレイボーイで口達者な一筋縄でいかない曲者弁護士として描かれるが、彼の根底にあるのはルー・ゲーリック病に冒され、日々衰弱していく妻ロレインへの愛だった。プレイボーイである彼が妻への献身のため、FBIの囮となる事を了承する、一見ありえない設定だが、これをトゥローは実に説得力豊かに描いていく。特にロビーの秘書として付き添うFBI女捜査官イーヴォンの眼を通して幾度となく語られるロビーの妻の看病シーンはとてもこの物語のサイド・ストーリーとは思えぬほどの濃密さである。
実際、今回の登場人物で最も印象に残るのは捜査の中心人物セネットでもなく、囮弁護士のロビーでもなく、また時に狂言回しとして使われるイーヴォンでもなく、このロレインだった。特にロレインがイーヴォンに語る、ロビーへの愛。これが綺麗事ではなく、寝たきりの身でさえロビーの体が欲しくて堪らないという動物的本能の吐露だというのが実に激しく胸を打つ。本当の夫婦とはこれほどまでに愛や肉欲が深いのかと感嘆した。最後の幕引きもやはり夫への愛に満ち足りている。恐らくロレインの眼には笑顔で手を差し伸べるロビーの姿が映ったことだろう。

2つ星を減点にしたのには二つ理由がある。まずイーヴォンの性格にあまり感情移入出来なかった事。頑固な禁欲主義者という設定から隠れレズビアンだったという移行はあるものの最後まで魅力を感じなかった。嫌っていたロビーに徐々に心を開いていくのは寧ろ物語の常道であるから特に語る事はない。
もう一つはロビーが無免許弁護士だったという設定。これは捜査の致命的な打撃になったがその後、これによって捜査が大幅に沈滞する事も無かった。何故この設定を持ってきたのか納得いかない。物語の起伏を持たせる因子としてはあざとく、寧ろ不要だったのではなかったのだろうか?

さて、今回気付いたトゥロー作品の特徴がある。それは各章の終わりを決めゼリフで括る事。これが非常に効果的で、物語を段階的に引き締め、心に印象を強く残すのだ。さらに登場人物に決めゼリフを云わせることで徐々に彼らの性格付けを読者の心に浸透させていくのだ。もしかしたらデミルもそうかもしれない。注意して読んでみよう。

書きたい事は実はまだまだ沢山ある。セネットという人物の、正義を旗印にかかげているのならば何でもしてもよいといった倣岸な性格付けの見事さ、クラザーズ判事を化け物じみた威厳の持ち主として設定したことでこの物語への介入が更に深まった事、贈賄の証拠を掴むまでの数々の駆け引きはアイリッシュの長編を髣髴させるそれ自体が1つの短編のようである事などなど。しかしこういう濃厚な作品を十全に語る事は非常に難しい。ここに書かれない千にも渡る数々の感想は胸に秘めておこう。

後に出た『死刑判決』を先に読んだ御蔭でジリアン・サリヴァンという人物を実に深く心にとどめることが出来た。今回では単なる贈賄事件に関わった判事の一人としてしか描かれず、登場人物表にも載っていない。もし先にこの作品を読んでいたら『死刑判決』でのサリヴァンの復活は再度想起させられる事はなかっただろう。
トゥロー作品は刊行順に読む必要はない。いや寧ろ、最新作から第1作へ遡って読む方がキンドル郡を愉しく歩けるのかもしれない。

囮弁護士〈上〉 (文春文庫)
スコット・トゥロー囮弁護士 についてのレビュー
No.248:
(7pt)

打率ならば大記録

打率は5割といったところ。野球の記録ならば大記録だろうが、アンソロジーでは上のような点数になる。

今回の作品の中では「キャンプでの出来事」と「暗い箱の中で」が良かった。前者はキャンプに同行した友人が遠く離れた人にメッセージを伝えるといった稚気溢れる好編で、真相はアンフェアぎりぎりだが、小説として愉しめたのが大きい。後者は現在現役ミステリ作家である石持浅海氏のアマチュアデビュー作で停止したエレヴェーターの中で起こった殺人を扱ったもの。昨年好評を持って迎えられた『月の扉』のように閉鎖された極小空間で限定された人物で織り成される設定でこの頃から現在の萌芽が垣間見れるのが興味深い。主人公が一介のサラリーマンに過ぎないのも、今の作者の姿勢がそのまま現れている。

その他笑い話のような「イエス/NO」、クリスティの『オリエント急行の殺人』を髣髴とさせる「黄金の指」、ショートショート並に短いながらも強い印象を残す「この世の鬼」などがよかった。

最後の3編はガチガチの本格過ぎてパズル以外何物でもないという印象が強い。とくに最後の「つなひき」はあまりにも高等すぎ、また作中作も冗長で途中でどうでも良くなってしまった。

前巻が良かっただけに今回の一種退行したような作品群に失望を禁じえない。

本格推理 〈11〉奇跡を蒐める者たち (光文社文庫―文庫の雑誌)
鮎川哲也本格推理11 奇跡を蒐める者たち についてのレビュー
No.247:
(7pt)

作者の代表作の1つだが…

場末のダンスクラブで舞台ダンサーを夢見ながらも、挫折感に打ちのめされる毎日を送るブリッキー。いつもの仕事を終えたある夜、彼女の後を追う奇妙な男性に逢う。彼の名はクィン。彼はある富豪の家の現金を盗んだというのだ。
最初は心を開かなかった彼女は彼が同じ街の出身でしかも隣り同士だった事を知り、二人で故郷に帰ってやり直すよう促す。それをするにはまず盗んだ現金を返して身を綺麗にしてからだという事になり、富豪の家に戻る事になる。その富豪の家で遭遇したのは屋敷の主人の遺体だった。このままでは帰れない!このままでは殺人の容疑まで受けてしまう!なんとしても二人が旅立つ6:00までには犯人を捜し出し、身の潔白を証明するのだ。かくして二人の夜の捜索行が始まった。残された時間はわずか5時間…。

上の梗概を読んでいると筋が通っているように思うが、別に殺人の容疑を晴らすのはクィンの指紋を消せばいいのであって、犯人を捜す必要はないと思うのだがどうだろう?つまりはこの設定に無理を感じ、どうもノレなかった。
今までのアイリッシュのタイムリミット・サスペンスと違い、この探索行に至るまでの前置きが非常に長く、それに至るまでにニューヨークという大都会に呑まれた若い男女のウジウジとした心境が語られ、なんとも陰鬱なムードが延々と続くのが疎ましい。この話はタイムリミット・サスペンスの意匠を纏った若い二人の挫折からの再生物語であるわけだが、もっと説得力のある設定が欲しかった。あまりに観念的だ。やはり自分が好きなのは『幻の女』や『喪服のランデヴー』に見られるアイリッシュ・パターンとも云うべき容疑者・被害者一人一人を描くエピソードの短編小説的畳みかけであり、この作品も犯人の探索行における複数の容疑者を追い詰めるエピソードがもっとも面白かった。

最後に怒涛の如く真相を話すクィンの姿が冒頭の優柔不断さと180°変わっているのに違和感を覚えたし、この物語の締め方の性急さも気になる。世評ほどでは…というのが正直な気持ちだ。

暁の死線【新版】 (創元推理文庫)
ウィリアム・アイリッシュ暁の死線 についてのレビュー
No.246: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(8pt)

4人の強烈な個性のぶつかり合い

トゥロー久々の作品は冤罪裁判をテーマに扱った重厚な作品。
重厚といってもそれは本の厚みであり、内容は今までの作品とは違って暗いトーンがあるわけではない。もしかしたらいつも出ている文藝春秋じゃなくて講談社からによるフォントや字組みの違いからくるのかもしれないが、今回はクイクイ読めた。今までの経験上、トゥローを読むときは1時間に40ページぐらいしか読めなかったように思うのだが、今回は60ページ強をコンスタントに読めた。

発端は死刑執行を間際に控えた殺人犯ロミーが無実を訴え、再審を要求する所から始まる。その裁判の公選弁護士として選ばれたのはアーサー・レイヴン。30も半ばを過ぎているのにも関わらず、いまだ独身で本人も自身の人間的魅力に疑問を持ち、異性に対し、奥手な性格。しかし仕事に懸ける情熱は人一倍。彼は当時有罪の判決を下した元判事ジリアンと接触し、事件の詳細を調べる。やがてある人物からの衝撃的な告白を聞き、ロミーの無罪を勝ち取るべく奔走する。迎え討つは当事ロミーを有罪へ追いやった次期キンドル群検事候補と名高い“怖れ知らず”のミュリエルとミュリエルの不倫相手であり、ロミーから自白を勝ち取った刑事ラリーの二人だった。二転三転する衝撃の事実、果たしてロミーは有罪か無罪か、裁判の行方は?

原題は“Reversible Errors”。これは法律用語で「破棄事由となる誤り」という意味で控訴審で一審判決を大いに覆すような重大な誤りを指す。この題名が非常に素晴らしい(翻って邦題の何というショボさ。いくらトゥローの既訳作品の題名が漢字四文字が多いとはいえ、これはひど過ぎ!凡百のリーガル・サスペンス作品と何ら変わらんではないか!!)。
文庫の帯にもあったがこれが単純に法律用語の意味を指すのではなく、アーサー、ジリアン、ミュリエル、ラリーら主人公四人の現在における過去の、元に戻すことが出来る過ちを指している。
この四人の中でもっとも印象的だったのがやはりジリアン。ロミーに有罪判決を下した判事であり、それを覆そうとするアーサーと恋仲になるという、この二律背反なセッティングが極めて興味深い。しかもヘロイン中毒という強烈な性格付けもしており、最後の最後までアーサーにはそれを隠している。最後にその事実が途轍もない一撃となって裁判を揺さぶるわけだが、この辺りの設定の妙はトゥローならではだ。
またラリーも印象が強いキャラクター。決して己の主義を曲げず、一途なまでにミュリエルを愛し、ミュリエルのためなら決定的な証拠を破棄することも辞さない不器用さが男の悲哀と共に語られ、最後には敗北者となる。

しかし、もっとも感動的だったのは主人公四人が高潔であったこと。彼ら彼女らは決して自分の立場が不利になる事実、真相、証拠が現れてももみ消そうとはせずに、開示する。そして法の下に従っていかに自分たちに有利に働かせるかと試行錯誤する。これは法曹界では当たり前であるのだろうが、新鮮であり清々しい。鑑定結果を引き裂いたラリーは実は最も私たちに近いのかもしれない。また主人公四人以外の登場人物もそれぞれの人物造型がしっかりとしており、名前で誰が誰だか判らなくなる事も皆無であった。

今回は上下巻800ページ弱あるにもかかわらず、上巻241ページで真犯人がわかってびっくりした。それ以降、どう物語が展開するのか心配したがやはりトゥロー、二転三転四転五転の展開を見せ、新たなる真相をも準備してくれた。彼ら四人の特異な人生を語るに加え、アクロバティックなロジックを組み込むこの贅沢さ!また中に散りばめられた警句や描写など心に残る物が数多くあり、ここでは書き切れない。満腹状態だ。
最後に最も印象に残った一文を書き出して終わることにしよう。この文章は今後私の人生で大きな力になることだろう。

“自らやった過ちは歴史に残らないほど取るに足らないもの、そう考えると楽になる”


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死刑判決〈上〉 (講談社文庫)
スコット・トゥロー死刑判決 についてのレビュー
No.245:
(8pt)

現役作家のアマチュア時代の作品もあり、見逃せないかも!

同シリーズの前巻とはうってかわって珠玉の短編集であった。特に文章の巧い作者が多いのが特徴で、単なるパズル小説に堕しておらず、小説として、読物としての結構がしっかりしていた。
13作品中「手首を持ち歩く男」、「エジプト人がやってきた」、「飢えた天使」が白眉で次点で「ダイエットな密室」、「紫陽花の呟き」、「夏の幻想」、「冷たい鍵」を推す。

「手首を持ち歩く男」は全てが間然無く納まり、最後に冒頭のプロローグが二重の意味を持っている事を示して終わるのが心憎い。今回は次点の「ダイエットな密室」もそうだが、最後に心憎いオチを用意している辺りが今までの作品よりも頭1つ抜き出ている。
現在ミステリ作家として活躍する大倉崇裕氏の「エジプト人がやってきた」も前代未聞のトリックでよくこんなの書けたなぁとしばらく呆然した。それぞれに散りばめられた布石には気付いてはいたが、それらが最後のオチにこんな形で納まるのかと非常に感心した。今までのこのシリーズの中でトップに推す面白さである。
「飢えた天使」も現在ミステリ漫画の原作者として活躍する城平京氏の作品で、まず文章が非常にしっかりしており、読み応えがある。最後のペシミスティックな終わり方といい、ストイックな物語運びが非常にツボに嵌った。
次点の作品も通常の同シリーズでは1、2を争う出来だが、今回は相手が悪すぎたという思いが強い。それぞれの作品の文章もしっかりしており、クイズの正解だけではない何かを胸に残す。

その他残念だったいくつかの短編について。「鉛筆を削る男」は最後の真相が最も純文学的で抽象的だったのががっかりした。これを真相とするならばそれまで繰り広げられた他の推理を選んだ方がマシだった。
読者への挑戦が挟まれた「肖像画」はちょっと奇抜すぎる。驚愕の真相を狙ったのは買うが、ちょっと極端に行き過ぎた感がある。

しかしこの感想を書くにあたり、大体今までのシリーズではほぼ内容を忘れていたのが7割はあったのに対し、今回はほとんど全てが内容を憶えている。これは私にとって最もインパクトが強かった事を意味する。このシリーズ、ここからが本統の真価を発揮するのかもしれない。次巻も愉しみだ。

本格推理〈10〉独創の殺人鬼たち (光文社文庫―「文庫の雑誌」)
鮎川哲也本格推理10 独創の殺人鬼たち についてのレビュー
No.244:
(7pt)

硝子の家は読む価値あり

この本格推理シリーズにおいて初めて『このミス』’98年版にランクインしたアンソロジー。2004年現在、この作品以外にランクインしたこのシリーズの本はない。そういった背景からかなり興味深く読んだ。

本書には3つの作品と3つの評論が掲載され、3つの作品はそれぞれ長編、中編、短編となっている。
まず表題作の『硝子の家』。一番初めに驚いたのは昭和25年に書かれた本作が平成の世においても読みやすかった事。また風景描写に違和感が無かったことだ。作者島久平氏の筆致は隙が無く、しかも読み易い。
この作品においては4つの殺人が成されるわけだが、それらが全て何らかの形で『ガラス』が関わっているのが特徴。4つの殺人の内、加戸雲子(しかし、なんというネーミングだろう…)に成された遠隔殺人については容易にトリックは判ったが、大峯幸之進と黒部医師の殺人のトリックはあまりこちらのカタルシスを誘わなかった。
しかし、一番最後に明かされる大峯幸一郎の殺人は密室が成立する真相が非常に面白かった。なぜ被害者は自ら密室を作ったのか?それは犯人を再び入室させたくなかったから。ではなぜ被害者は犯人を二度と入れさせまいとしたのか?
このロジックの畳掛け、そして身の凍る、これならば絶対に犯人の入室させたくないであろうという理由が平成の現代においても読んだことの無いほどのおぞましい内容で脱帽した。しかもこの真相も『ガラス』に纏わるもので、題名にダブルミーニングを持たせている。この作品の評価は☆☆☆☆であった。

次の中編『離れた家』。これは自宅で男友達を読んでトランプに興じていた女性が突如消え、10キロ以上離れた家に現れる、それも死体となって…。題名はこのメインの謎による。このメイントリックについては解ったが、そこに隠された二重三重のどんでん返しは解らなかった、というよりも解る人は存在しないのではないかというぐらい複雑さを極めている。
鮎川哲也氏の序文に寄れば元々短編だったのを複雑すぎて解りにくいという事で中編に改稿してもらったのが本作で、鮎川氏が短編のままだと掲載を躊躇したのも頷ける話だ。真相部分に付されたタイムスケジュール表がなければ30%ぐらいしか理解できなかっただろう。これは☆☆☆といった所。

しかし最後の短編『鬼面の犯罪』は☆のみ。天城氏の作品はその文体のペダンチックさがどうも私には性に合わなく、内容の10%―事件の謎と解明の部分だけ―しか理解できない。最後に付されたあとがきもこの傾向はあり、気障な印象を受け、苦手だ。

第2部として掲載されたヴァン・ダインの『探偵小説作法二十則』、ノックスの『探偵小説十戒』はなぜ載せられたのか、意図が不明である。現代本格の下においてはその内容はもはや古典的であり、失笑を禁じえない。この論文に基づいて本格をものする人が果たしているのだろうか?

全体を通してみればやはり表題作の『硝子の家』が突出しているといった感じで、後は前述の通りである。これらを総合的に評価して星7つが妥当といった所か。

硝子の家―本格推理マガジン (光文社文庫)
鮎川哲也硝子の家 本格推理マガジン についてのレビュー
No.243: 1人の方が下記のレビューは「ナイスレビュー!!」と投票しています。
(7pt)

ブロックよ、いい仕事したなぁ

ウールリッチの未完原稿をローレンス・ブロックが後を継いで完成させた本書。

生活に絶望した女、マデリンは以前からある古びた拳銃で自殺をしようとしていた。しかし、その拳銃からは弾は発射されず、自殺は失敗するが、それを勝ち得た生と信じた彼女は喜びのダンスを踊る最中に拳銃を落としてしまい、その拍子に屋外へ誤射してしまう。果てして弾丸は通りすがりの若い女に直撃し、彼女は絶命する。目撃者はおらず、誰かが通りがかりの車が殺して去ったという言葉が証言となり、彼女は容疑の外へ。マデリンは自分が命を奪った女、スタアの無念を思い、彼女の生前の願いを適えようとする。それはかつて幸せな結婚生活を奪った女とかつて幸せな結婚生活を築いた夫の命を奪うことだった。

設定は正にウールリッチらしく、流れるような文章で陰鬱な状況が語られる。特に冒頭の誤射の殺人の容疑からマデリンが外れるあたりの都合のいい件(くだり)はウールリッチそのものだ。ウールリッチはその設定の面白さを愉しむことに意味があり、この辺のおかしさは気にならず、むしろウールリッチ・テイストに酔ってしまった。
しかし、詩のように流れる優美なウールリッチ節はその後、成りを潜めるかのように文章が前よりも論理的で整然としているのが見受けられた。解説では冒頭と結末の方をブロックが補綴し、中間はほとんどウールリッチの手になるものだとのことだったが、私は読書の最中、ブロック自身が、物語のムードを継承しつつ、自身の作家としての矜持も保ちながら書いていると思っていた。違うとなれば、ほとんど区別がつかないわけで、ブロックの練達の筆巧者ぶりに全く以って脱帽である。

プロットとしては最後の一撃については結構驚かされたものの、読み進むにつれ、いささか使い古された手法であったと気付く。しかしそこはブロック。前に散りばめた布石を固め打ちして、設定の弱さを上手くカヴァーしている。特に最後にマデリンがデリックを撃たない場面は下手な三文芝居に堕さないぎりぎりのところで踏みとどまったという感があり、また最後の結末について読者に複雑な想いを抱かせる辺り、憎らしいほどである。
しかも、冒頭の一文、「はじめに、音楽があった」に呼応する形で終わる、これが非常に巧い!!はじめにある音楽と最後に聞く音楽は全くその意味が異なり、相反するものである。この冒頭文及び結末がブロックの追記によるもので、これによって物語としては一クラス上に行った感がある。

筆を進めるに連れ、ここいらの始まりと終わりのアレンジはやはりブロックの作家としての矜持を覗かせる心憎い演出で、この二つの、云わば物語にとって最も肝心要の部分において最高の仕事をした、それだけでブロックの手腕は評価に値するのである。

夜の闇の中へ (ハヤカワ・ミステリ文庫)
コーネル・ウールリッチ夜の闇の中へ についてのレビュー
No.242:
(7pt)

この“恐怖”は解る

実にウールリッチらしい佳作。
結婚を間際に控えた花婿が一夜の情事から他の女と遊んでしまう。これが彼にとって破局の始まりだった。その後彼女は彼をゆすり続け、とうとう彼は逆上し、首を締めてしまう。そしてそれから見えない警察の魔の手を恐れるようになり、辺鄙な街へ移り住んでは新たに現れる彼を取巻く不信な人物達に彼を捕まえに来た警察の一派だという見えない恐怖の手に絡まれていく。

この恐怖は私にも判る。何も事なきを得て人生を重ねてきた者や犯罪めいたことが日常茶飯事として起きている者にとってはわからないかもしれない。
人は何がしか社会の中で匿名性を求める。それで安心を得ているのだが、一度普通人のレールを外れると実はもうかつてのようには戻れなくなる。その事は今後も心に澱のように溜まり、折に触れ想起されるのだ。安定を求めるが故、侠気に走る主人公マーシャル。エリート街道を進む人間の脆さがここに描かれている。

最後のエピローグはウールリッチ特有の皮肉だ。しかし、この物語はウールリッチでなくても誰かが紡いだ話である。しかし題名は秀逸。
そう、誰もが何がしかの“恐怖”を抱き、生きているのだ。それに打ち勝つ者もいれば打ちひしがれる者もいる。それが人生なのだ。

恐怖 (ハヤカワ・ミステリ文庫 10-3)
コーネル・ウールリッチ恐怖 についてのレビュー
No.241:
(8pt)

意外な掘り出し物♪

島田荘司氏の御手洗シリーズでもなく吉敷シリーズでもないノン・シリーズ。今までこれらのノン・シリーズには作者の手遊(てすさ)びであり、正に作品自体もその域を脱していなかったのだが、これはなかなかに面白かった。

老人ホームに住む中でも人生の落伍者である「青い稲妻」チーム。彼らの趣味はゲートボールであったがこれが何度やっても上手くならず全戦全敗を記録していた。そんな矢先、この老人ホームのオーナーが失踪し、明らかにヤクザと思われる集団がこのホームに乗り込んでくる。彼らはオーナーからこのホームを買い上げたというのだ。しかもこのホームを潰し、レジャーランドを建設しようと企む。彼らは悪質な悪戯をしかけ、老人たちを追い払おうとするが、ひょんなことから滞在の延長をしたければゲートボールで勝負し、勝ったらその条件を飲むという展開になる。老人たちの運命をかけたこの試合に「青い稲妻」チームが借り出されることとなったのだが…、というのが大筋。

この小説は殺人事件が起こるものの、明らかに作者得意の本格推理ではない。殺人事件はあくまで物語の1つの因子であり、中心ではない。ここでは「青い稲妻」チームの個性的な面々の日常とホームの存続を賭けたゲートボールの白熱した試合、そしてクライマックスで繰り広げられるかつて一流の素人レーサーだった老人たちの華麗なるカーチェイスが主になっており、老人たちの再生と青春の復活がメインテーマなのだ。
しかし、島田氏は他の本格推理作家と一線を隔し、無類のストーリーテリング振りを発揮する。ゲートボールのルール自体知らない私に手に汗握るゲーム展開を叙述し、しかもそれらがするすると頭に入っていくのだ。
この筆力は只事ではない。またクライマックスのカーチェイスシーンは車好き、特にポルシェ心酔者である島田氏の独壇場である。

しかしこれらの場面を活き活きとしているのは「青い稲妻」チームの面々が個性ある人物としてきちんと描かれているのに他ならない。
正にこれは意外な掘り出し物である。普段、本を読まない人に薦めたい、そんな作品だ。
ひらけ!勝鬨橋 (角川文庫)
島田荘司ひらけ!勝鬨橋 についてのレビュー
No.240:
(7pt)

ちょっと上向き

全12作。その出来映えにかなり明暗が分かれたアンソロジーか。
以前までは全体の内、1,2作ぐらいの割合でこちらを唸らせる作品が見られた程度だったが、今回は4作が秀作だった。
それは黒田研二氏の『そして誰もいなくなった・・・・・・のか』、小波涼氏の『少年、あるいはD坂の密室』、剣持鷹士氏の『おしゃべりな死体』、そして林泰広氏の『二隻の船』である。

まず黒田氏は現在新進気鋭の本格ミステリ作家として活躍しており、このクリスティの名作をオマージュにした短編もその片鱗を見事に見せている。約30~50枚程度の枚数で連続殺人事件を描き、しかもそれに効果的なオチをつけているあたり、小説巧者の萌芽が早くも見られる。最後のオチはこちらでも判ったが、判った上でも楽しめる一編だ。
次の小波氏の作品はまずその文章の上手さに驚く。現在彼は作家としてデビューしてないのだろうか?また他の作品とは一線を画した、犯人が捕まらなく、その後の展開をほのめかす余韻あるラストも秀逸。

剣持氏は既に短編集を出しているプロの作家であるが、約10年近く経った今も次作は出ていない。彼は非常にゲームに徹した書き方をする類い稀な筆巧者。まさに本格ミステリのゲームマスターといった感じである。最後の解決の文章に減点のカウントダウンをつけるといった趣向とそれを実現させる文章力に脱帽。

最後の林氏は私の好きな本格ミステリである、トリックやロジック以外の心に響く何かを備えた作品でタイトルに殺害方法と登場人物同士の関係のメタファーを盛り込み、末尾を飾るに相応しい内容となっている。

こうして見ると秀作ばかりで7ツ星というのはいささか厳しすぎるように思われるが、それ以外はやはりどれも似た設定の繰り返しで、食傷気味である。これだけの数の本格を読まされるのだから読者を飽きさせない舞台設定というのがインパクトとして非常に重要な要素となる。
まあ、素人にそこまで求めるのは酷かもしれないが、やはり金を出して買う商品であるからには損をさせてはいけないという見地からもこの考え方は妥当だと考える。
でもレベルアップしてきたのは間違いない。次回に期待。
本格推理〈8〉悪夢の創造者たち (光文社文庫)
鮎川哲也本格推理8 悪夢の創造者たち についてのレビュー
No.239:
(7pt)

最後になって解らなくなりました




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ワイオミングの惨劇 (新潮文庫)
トレヴェニアンワイオミングの惨劇 についてのレビュー
No.238:
(7pt)

案外好きだなぁ、こういうの

読後の今になってこの題名の示唆する意味が仄かに立ち上って来て、カーもなかなかやるな、とちょっと心地良い余韻に浸っている。
前回読んだ『疑惑の影』のようにこちらも毒殺物だが、それに加え、密室の中で重い石の棺が独りでに開くというクイズみたいな謎があり、カーの味付があちらよりも濃い。

事件は小粒だが、今回はヒステリー症という病例を上手くトリックに盛り込み、物語に二面性を持たせているところを高く買う。こういう一見、何の変哲もなさそうな事件なのに何かがおかしいというテイストがセイヤーズを髣髴とさせており、カーの中でもちょっと珍しい部類に入る。しかもこれが冒頭述べたようにこの謎めいた題名の意味を徐々に腑に落ちさせる所もカーらしくなく、手際が良い。
二番目の石の棺が自然に持ち上がるトリックは大方予想がついた。最近の推理マンガ『探偵学園Qシリーズ』によく取り上げられる類いのもので、ある意味、このマンガの原作者のルーツかもしれない。

個人的な事情により途切れがちな読書であったが、それなりに愉しめた。云いなおせば、通常であれば星8ツ物であったかもしれない。
読んでいる最中は結構キツイ所もあったが、それはやはり途切れ途切れに読んだからだろう。じわじわ来るこの読書の悦楽が僕にそう思わせる。

眠れるスフィンクス (ハヤカワ・ミステリ文庫 カ 2-16)
No.237:
(7pt)

本格ミステリ作家志望者の哀歌

相変わらずセミプロ気取りで自前の探偵を出すのが鼻につく。しかもほとんどがまるで事前に合わせたかのように同じ設定。
曰く、「昔、ある事件でたまたま居合わせた(探偵)が、鮮やかに事件を解決して以来、何かと(刑事)が相談に来るのである」。これだけ同じ設定を読まされると飽きてくるのは事実。まあ、実際素人なので上手く本格推理小説に名探偵を無理なく登場させるのにバリエーションを持っていないのだろう。

今回のシリーズでは『三度目は・・・』と『漱石とフーディーニ』が秀逸。特に後者はほとんどプロ並みの筆力の持ち主で、他者と違い、素人名探偵を登場させず、しかも当時の風俗などをたくみに絡ませて、単純なパズル小説に終わっていない。ロマンめいたものを感じた。また前者もパズル小説に終始せず、プラスアルファとなる人情味を絡ませて情理の2面での解決がよい。
最後の作品『真冬の夜の怪』も結婚式のスピーチを絡ませるという技巧を凝らしているが効果はあまり出ていない。俺ならもっと心に残るように物語を終わらせるな。

しかし、この7冊目まで来て、その後作家として活躍しているのが柄刀一氏と村瀬継弥氏と北森鴻氏の3名だけとはあまり効果が上がっていないようにも思われる。まあ、このシリーズ、更に続いていくからまた続々と後の作家達の名前が出てくるのかもしれない。



▼以下、ネタバレ感想
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本格推理〈7〉異端の建築家たち (光文社文庫―文庫の雑誌)
鮎川哲也本格推理7 異端の建築家たち についてのレビュー