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メタボラ
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メタボラの評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.33pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全78件 61~78 4/4ページ
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暗い過去を引きずって生きているのか死を求めているのか、そういうギンジと底抜けに明るい昭光を対照的に描くことでストーリーは展開していく。北陸と沖縄という対照的なステージ。悪いやつ、いいやつ。最後はギンジが献身的に昭光を救うことによって自分の生きる方向を確信したようだ。ストーリー・テラーとしての桐野氏の面目躍如たるところでしょう。 | ||||
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舞台は沖縄。沖縄の雰囲気に相対する、若者達の煮え切らなさ、狡さ、セコさが切れ味鋭く書かれている。私は最初ギンジに肩入れして読んでいましたが、次第に幻滅していき、最後に昭光って清々しい奴だったんだなあと思いました。でも、それは坊ちゃん育ちであるが故。でも全体的に出てくる男が皆ヘタレだなあ。それにしても若者の生きにくさは個人の能力如何の範疇を越えている。若くてこれほどなんだから、もっと上の世代はもっと厳しいのだ。政治家にもちゃんと読んでほしい。 | ||||
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記憶喪失の僕と宮古出身のジェイクこと昭光との奇妙な出会いから、二人の自分探しの旅が始まるのですが、桐野さんらしく、味付けされていて、ただの自分探しでは、終わりません。 格差社会、沖縄問題、ニート、ドメスティック・バイオレンス、集団自殺等々と、現代の闇を巧みに盛り込みながら、めまぐるしく展開するストーリーにすっかり嵌ってしまいました。 他の登場人物も皆、一癖も二癖も有、かなり強烈ですが、不思議とストーリーの邪魔にならず、調和していてとてもリアルなのは、桐野さんの実力でしょうか。 沖縄のカラッとした日差しとは、対照的に読んでいて吐きそうになるくらい重苦しく、息苦しいのですが、途中で辞められない、そんな小説です。 | ||||
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情けない若者たちの、自分殺しの旅・・・ 主人公の妹のように、恵まれない環境の中からも、 しっかりと自分の目標のために着々と頑張る子もいるのですが、 環境や親、社会に押しつぶされてしまう、 流されてしまう子供のほうが多いのでしょうね。 いまどき、年齢の8掛けどころか6掛けくらいの生活力しかないと聞いたことありますが、 確かに、30歳くらいになっても、まだ一人前になれない子多いような気がします。 そんな「負け犬」のサンクチュアリが「沖縄」なのかなあ。 まあ、暑いから凍死することはないし、 なんとかコンビニ賞味期限切れ弁当ゲットできたら、餓死もしないし。 切実な生命の危機とかに晒されることなく生きていると、 反対に命を粗末にするような気がします。 格差社会というけど、そこからのし上がる人はのし上がっているのだから、 「自助努力」ってこと、 もう少し考えたほうがいいのではと。 それこそ、主人公の妹さんのように、自分の未来は自分で切り開いて欲しい。 利用できるものは、利用して。 この本を読んで、「社会が悪い」 という人とは、あんまり親しみたくないな(笑 | ||||
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グロテスクとダークで見限ったつもりだったけど、最後の1冊と思って読んだ桐野本。 やっぱり読んでよかった! 最初から引き込まれて、会社のお昼休みまでページをめくる始末。 読み終えたあとは、自分もあの熱い太陽の下に立っているような気がしました。 救いのある終わり方でよかった。 次の桐野作品も、きっと読むと思います。またこんな本に出会いたいものです。 それにしても、メタボラってなんのことだろう。 | ||||
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「ネット集団自殺」「沖縄移住」「労働者派遣、業務請負」などの今日的な社会問題を織り交ぜた、いかにも桐野夏生!な作品なんだけど、冒頭、ぐいぐい引き込まれていくのは「過去が消失している」っていう主人公の特殊な設定に負うところが大きい。過去がない20歳過ぎの男が一から生活、人格、アイデンティティを形成していくっていうRPGゲームの成長譚みたいな希望。主人公は過去の記憶がないってことにアイデンティティ・クライシスを覚える訳だけど、「記憶のリセットが出来たら...」って羨望する読者も多いんじゃないかな。本書に「他人に語る喜びとは、嬉しい記憶の反芻にある」って言葉があるんだけど、逆に言えば「悲しい記憶は消したいし、語りたくない」。実際、主人公は、記憶消滅って力学が働くほどの、悲しいなんてレベルを遥かに超越した負の記憶が存在していたわけだけど。でも、都合よく部分的な記憶の消去なんて無理で、すべての過去の記憶をひっくるめて引き受けることでしか現在(いま)は存在しないんだよね。この小説読んで分ったことは、性格とか人格って過去によって既定されてしまうってこと。主人公は過去の記憶を取り戻した途端に攻撃的な態度を表したりする。過去の記憶を物理的に消し去ることは出来ないけれど、過去を抱えつつも、新たな記憶、新たな人格、新たな自分を上書きしていくことは可能なんだよね。過去は変えられないけど、現在(いま)を上書きすることで未来は変わっていく。 本書には「辛い環境の中では、現実を見ないようにして、誰もがファンタジーの中で生きたがる」って言葉も出てくる。それも一時的な処世術ではあるけど、きっと本質的な上書きにはならないってことなんだろうな。 それにしても、この本、結構分厚いんだけど、とても面白く読めて、ここで書いたような解読以外に、なんか別の魅力が存在している気がする。言葉に出来ないんだけど。 | ||||
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ある夜、沖縄の山の中で記憶喪失の「ギンジ」と 宮古島出身で職業訓練塾から脱走したジェイクこと昭光が出会う。 その2人が沖縄とギンジの過去の地を舞台に繰り広げる叙事詩。 ワーキングプア、沖縄の政治問題、家族の絆、生きることの意味、 恋愛に翻弄される人間、多彩な人間群像・・・などサブテーマも 満載なので、人によって読み取ることは変わってきそうだが 底に流れる一番強いというか激しい読者へのメッセージは 「あなたは誰ですか?」 「あなたは本当にあなたですか?」 「あなたは自分を生きていますか?」 という問いかけだと思う。 この問いをこの叙事詩に溶け込ませるところがすごい。 最初4分の1ぐらいまではちょっと退屈しそうになるところも あったが、その後は物語の面白さとテーマの重厚さに ぐいぐいと引き込まれていく。 ラストも人によって解釈はいろいろかも。 読み終わった人同士で感想を話し合うのが面白そうな本でもある。 桐野夏生の名作「OUT」以上に後世に伝わっていく作品だと思う。 ワグナーの名曲集で「トリスタンとイゾルデ」などを聞いていたら 自然と「メタボラ」の一節一節が楽曲と溶け合って蘇った。 桐野夏生もついにワグナーと肩を並べたのだろうか。 | ||||
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サスペンスの、どちらかといえば正統派として当初登場したこの作者は、ある時期から徐々にエグさを増し、面食らってしまうような異端や絶望を紹介しながら、前作まで至ってきたように思います。ただ、本作品はちょっと違う。若者の暗くどうしようもない、頑張っても報われないさまざまな現実の断片を描いていながら、この主人公には救いを与えています。 若者といわれる年代をとうに過ぎた私は、読み通せるかどうか不安もありましたが、頁を繰る手は止まりませんでした。是非にとお薦めしたい秀作です。 | ||||
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「OUT」で、お弁当工場に働くパート女性の描写で日本の「底辺」を描いていた作者が、今回はホストクラブや工場派遣(実は請負)労働の描写で未来の不確かな若者達の「貧しさ」「希望のなさ」「底辺」を描いています。そして、これは単なる小説のお話ではなく、今、現実にこの国のどこかでこのような生活を送っている人々がいるのがこの国の現実であることに暗鬱たる気分になります。 でも、私は、このラストは希望に満ちていると思います。(友人はこれは悲しい終わり方だといい、解釈が二つに分かれてしまいましたが。) 作者は相変わらず、弱かったり、愚かだったり、自分勝手だったりする人間を描くのがうまいなあ、と思いました。 今、少し頑張れば、ちょっとマシな生活に移れるのにズルズルと安楽な方に流されて、搾取される側に回りそうな若い人に読んでもらいって、知恵をつけてもらいたいと思います。しかし、そういう人は、この小説は読まなかったり、読んでもその教訓を受け取らないかもしれないですね。 | ||||
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これまで多かった性的描写は全くなく 内容は、現代の家庭問題や沖縄の置かれている立場など 時事問題を折込んだストーリー。 主人公の置かれる立場を、 「無」から「貧しさ」「向上心」「無気力」など、 人間の慣れと飽くなき向上心見たいのものを描写している。 自殺者の行動や地方の工場への労働派遣の描写などとてもリアリティがあり 以前のたちんぼの女性や中国の出稼ぎもそうだが、 この人はどうやってこの手の取材しているのだろう。 ただ、「メタボリック」とは関係がない。 | ||||
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まずタイトルがよいですよね。 メタボラって、それだけでなんだろうか?と読みたくなります。 それなりに重いテーマなのですが それをいつもの桐野さんよりは、重々しくない印象で書かれています。 もちろんすばらしい出来であって、満足できました。 | ||||
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記憶喪失なんていう古典的な仕掛けが、今日的な小説にこんなに効果的に活用されるなんて信じられませんでした。沖縄という、若者の勤労意欲を微妙にはぐらかす環境設定も見事。 非日常はいつしか日常に置き換えられてゆくし、新しい思想や生き方は、今までの価値観に取り込まれていく。 そんな背景を切り裂いて、自分が自分として生きること=アイデンティティーをストレートに描いています。桐野作品の暴走スタイルが、テーマと文体に完全合致した、ジェットコースター・ストーリーでした。 | ||||
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正直この本でワーキングプアーの現実を知ったと言ってもよいと思います。 フリーターという言葉からうける身軽さと異なり、そして一昔前の工員とも 異なり、なんか心身ともに磨り減っていくのがよくわかりました。 この小説が新聞で連載されているころはまだワーキングプアーはそれほど 注目されていませんでした。それにいちはやく目をつけた桐野女史は相変わらず 時代をきりとるのが上手だと思います。 | ||||
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今回の作品は桐野作品独特の毒々しさはあまりなく、平坦な感じがするのですが、個人的には好きでした。 登場人物の男達。男が持つ愚かさだとかが鋭く描写されていて、男として恥ずかしくなりました。 今回も出口なしのお話でしす。涙 | ||||
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いまどき自分探しの旅だけはやめよう。 というニュアンスの本がおおくあるなか。 ストレートにくるこの作品に読み方を少しだけ 修正した。なんとなれば、若者が動き出すという 事をのぞんでいるからだ。 親のすねかじりのニートにもそれなりの訳が あるだろうが。個人的には自分のために体を 動かし苦難承知で旅だった青年を生み出した作者は良いと おもいたい。 ぜひ一読推薦します。 | ||||
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594ページの長編なのに、読後一番の感想は消化不良。 『魂萌え』でおばさんの今の気持ちを主人公に書いたから、次は今の自分探しをする若者を描こうとしたのかもしれない。 昭光とキンジの二人が交互に描かれた本だが、その先が気になって読み手が緩むことはない。 ただ、この二人に共通するのは家から逃れて自分探しをしていることだ。 家から飛び出し、帰る家を拒否する自分探しの旅。 自分探しは親から逃げることで、他人と競争するのは腑に落ちない。 欲しいものの価値観がとても小さな世界で、挫折が目に見えてしまう。 桐野夏生が感じた今の若者がこの二人のように感じた。 つまり、桐野夏生はとても歯がゆいのではないか。 何がしたいの!って、本当は今の若者に桐野夏生が問い糾したいのが作品になった気がした。 | ||||
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21世紀初頭を代表する恋愛小説の成果であると思う。 人を思う心が本当に通じあう「時」があるのであろうかという 普遍的な人々の問いに、桐野夏生は「メタボラ」で現代を生きる 登場人物を通し、皮膚感覚のレベルで切り取ってみせる。 そしてこの大著を読み終えた僕は、大きなため息をつきながら うなずく。人を思う心が自分の中で確実につながる「刹那」があると。 マイケル・チミノの傑作「ディア・ハンター」を思い出した。 青春時代を共有し、ベトナム戦争に共に従軍し、精神に異常を来し失踪した クリストファー・ウォーケンをロバート・デ・ニーロが迷宮のようなサイゴン の街でようやく見つけ出す。ウォーケンはロシアンルーレットのスターとなっ ており、もはや幼なじみのデ・ニーロを認識することができない。ウォーケン を見つめながらデ・ニーロは「アイ ラブ ユウ・・」とつぶやく。 ウォーケンは拳銃の引き金を引き、喧噪の中、ゴミためのような賭博場で 死んでゆく。デ・ニーロがつぶやくその「刹那」が人の心を打つ。 時代を超えて、人が生きていくことには困難さがつきまとう。 その困難さを混乱と共に桐野夏生は鮮やかに切り取る。 あたかもフレッシュな肉はレアほど旨いと言いたげに。 | ||||
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読み応え充分過ぎる。たっぷりと世界にはまった。 登場人物は、宮古島出身の少年、アキンツこと昭光。そして記憶喪失の若者の二人。 沖縄は、やんばるのジャングルを抜けた夜道で、お互いに「逃げた者」として出会う。 そして物語は、各章ごとに、二人の登場人物の一人称で書かれている。 暗い物語なのだが、アキンツの明るさと、弾けるような宮古島弁で、ずいぶんと救われる。 桐野夏生が作者だと言う事を忘れるほどに、堪能して読んでいた。 どこまで正確かは分からないけど、その宮古島の言葉で語られる部分は秀逸である。 最後に記憶を取り戻した青年が語る、そのあまりの悲惨には、正直参った。 でも、この言葉は響いた。 愛し、愛される。許し、許される。 甘え、甘えられる。信頼し、信頼される。 確かな人間関係を持たない限り、僕は破滅するかもしれない。 主人公は、孤独そのものである。 誰よりも孤独で、苦しみや寂しさを忘れるために酔い、 ある人物を攻撃するのをやめなかった。 ある人物とは、僕自身だった。 最後のシーンは、あまりにも切なくて、震えてしまって、涙が流れる。 極普通の人間こそが生きにくい世の中なのだろうか。 その描かれた孤独の世界には、切ないほどの永遠が見えそうに思えた。 | ||||
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