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悪意の手記
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悪意の手記の評価:
書評・レビュー点数毎のグラフです | 平均点4.00pt |
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Amazonサイトに投稿されている書評・レビュー一覧です
※以下のAmazon書評・レビューにはネタバレが含まれる場合があります。
未読の方はご注意ください
全28件 1~20 1/2ページ
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Note of Malice | ||||
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中村文則さんの「土の中の子供」がなかなか面白かったので、私はこの『悪意の手記』を読みました。結論から言うと、『悪意の手記』はストーリーに緊張感があり、「土の中の子供」以上に面白く読めました。 『悪意の手記』の主人公は、15歳の時に「TRP」という恐ろしい病気にかかり、病室で世界を憎悪します。彼は残念ながら心が弱かったので、憎悪から抜けきることができませんでした。彼は奇跡的に退院した後も世界を呪い続け、魔がさして殺人を犯します。その後も彼は悪意に囚われ続けた人生を送り、手記を続けます。この小説から発される陰鬱なオーラを、ぜひ多くの人に体感して頂きたいです。 私はこの小説を最初に読んだ時、何という生への呪いに満ちた物語なんだろうと恐怖を覚えました。しかし、改めて読み直すと、この小説の主人公の生もそれなりに祝福されているように思いました。彼の病気が治った時に病院の人々や家族は彼を祝福しましたし、「青い服の少年」の幻影が言う通り、彼は無意識的に自己防衛をしていた節があります。そして主人公の刑罰が軽かったので、彼にもそれなりに生きる権利が与えられていたんだなと思います。 この小説は陰気な小説ですが、「世界を呪っている人や悪いことをした人でも、生きていいんだよ」と遠回しに生を肯定する小説でもあるように、私は思いました。 | ||||
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正直中村文則は純文学でもかなり名のある作家だと思っていたから絶版作品があること自体びっくりした。 こういう自分にひたすら内向的な純文学は読後感になんとも言えない心地よさがあって内容の重さ暗さ関係なくとても好き。あと個人的にはあとがきが一番心に残ったかも。 中村文則のなかでもかなり位置づけられた作品じゃないのかなって読んでて思った。 作家デビューしてまもない初期の作品らしい。 実は中村文則はこれまで3冊しか読んだことなくて掏摸と王国、あとは土の中の子供なんだよね。 掏摸と王国の世界観、圧倒的な力を持った悪とそれに立ち向かう個っていう構図がすごい好きで、とくに悪に対してどうしようもなく無力である個や底なんて決して見えないほどの悪の描かれ方がめちゃくちゃよかったんだよね。 とくに救いのあった王国はかなり好きだった。 ……ってこれは作品の感想じゃない笑 読み終わってすぐに思い浮かんだデジャブのようなイメージで太宰治の人間失格が思い浮かんだ。 純文学でもいろいろジャンルがあると思うんだけど、こういう一人の人生をひたすら追ったものはとても読みやすいし、人におすすめしやすいと思う。まあ内容の暗さ、というか扱っているテーマが重いから軽々しく人におすすめできるものではないけれど笑 個人的に蛇を踏むはマジで何がしたいかわからないやつだし、最近だとニムロッドとかあとぶっちゃけ小川洋子も何がしたいかよくわからないんだよね。 純文学でも個の世界観がその作者にしか描けないものが好き。あー、火花もよかった。 現代の名作のひとつとしてカウントしていいと思うな。なんか教科書に載せるのは憚られるけど、人間失格みたく語り継がれてほしいな。 | ||||
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○心理を明晰な文章で書き続ける作者の力は見事なものだと思う。謎めいた表現や詩的な表現に頼らず、誰もがその意味を理解できる完全に共有された言葉を使うので、その文意は明瞭であり、それでありながらその描写は新鮮でたしかにそんなこともあるのだろうと納得させるだけの力もある。抒情や詩情というものは逃げのひとつなのかもしれない。 ○しかしながら、ストーリーは唐突すぎるかな。深刻な独白を成立させる前提としてこのような物語が必要だったということだろう。現実には、このような境遇の主人公がこのように明晰な言葉を操ってこれだけの独白をできるとは思えない。この作品は基本的には著者の独白なのだが、そのままではエッセイに終わってしまうから、必要な前提を置いて物語という体裁を取ったということなのだろう。 | ||||
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非常に良いセラー! | ||||
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私はいつも、自分を見失いかけているときに中村文則さんの本と出会い救われているのですが、この方の本を読むと、人を信じてみようと思えます。 | ||||
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死に至る病から奇跡的に生還した少年は、闘病中に膨らませた世の中への憎悪から、発作的に親友を殺してしまう...で、それからという、とても辛気臭いお話。 陰々滅々とした内容の手記を延々と読まされると、ネガティブな気分が伝染してしまいそう。手を差し伸べる人がいても、内へ内へと籠ってしまう主人公。せっかく助かった命の無駄遣いともいえる捻くれっぷりは共感できない。文学としての味わいは良いのだろう。 ラストは想定内。それでも、人は何故、人を殺してはいけないか、という哲学的議論になんとなく答えをだしているような。なんとなくだけど。 | ||||
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「教団X」が面白いと聞いたので手に取った作家(図書館に「教団X」がなかった) 生きる、善と悪、罪、復讐、良心、悪意 「人を殺した」主人公の生と死 | ||||
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親友を殺した主人公の葛藤のお話。 自殺として処理されたけれども、罪の意識との葛藤が延々と書かれています。 ページ数が少ないため、あっという間に読めるのですが、色々と考えさせられることも多く、むしろ時間のあるときにゆっくりと味わいたい作品でした。 | ||||
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作者の純文学指向(だった?)がわかる典型的な小説。 が、二十代で(だから、というべきか)こんなベタな話を書けるのが作者の強みだと思う。 | ||||
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『薄暗く、近くにあったどの喫茶店よりも味が悪かったが…』という描写が第三の手記の冒頭頁にあります。 殺人によって、率直に幸福を感じることが出来なくなった『私』がどうしてそんなことを知っているのか、理解に苦しみました。 幸福を感じられない人間は、沢山の喫茶店に通って、味比べなどするでしょうか?美味しい、不味いなどの比較は、味を楽しんでいる人間のいわゆる幸福な比較ですよね。幸福を感じないのであれば、味なんて、店なんて、どうでもいい……そう思うはずです。 となると主人公の心理描写も、「これはもしかすると、ただの自己陶酔なんじゃないだろうか」と思えてきます。 こういった小さな矛盾が、第一の手記から、少しずつ、少しずつ積み重なり、最終的には物語の現実味を奪っているように感じます。 心理描写に関しても、どことなく稚拙で、空言めいています。 登場する人物、会話もご都合主義の感が否めず、筆者の思惑通りに事を進めるためにすべての出来事と会話があるように感じてしまいました。 | ||||
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致死的な病気から生還した主人公は,親友を殺してしまう. 殺人の過去は,その後の人生に影を落としていく. ドロドロした心理描写がとにかく濃密である. 瀕死状態に陥った入院中の経過から,殺人に至るまでの経緯, その後の短い半生での心理状態まで, これほど自己の精神状態を詳細に語れる人間がいるだろうかと思うほど, 濃い描写である. この種の殺人の加害者像としては,人格障害のような罪の意識の希薄な人物像が 描かれる小説が,最近は多い気がするが, この小説で描かれるのは,普通の人間が,自暴自棄になり,犯罪の露見に怯え, それを誰にも告白できない苦悩を抱えるという共感可能な姿である. これでもかと続く独白を読むのは精神的に疲労するが, それに見合う読み応えがある. ただ,それだけに,大病をしたからといって, 虚無な性格となり,殺人を犯してしまう経緯には今ひとつ説得力がない印象を受ける. むしろ逆に,生命の喜びを実感できるようになるのが 自然な流れではないだろうか(ステレオタイプではあるが). そのあたりの不自然さが少々ひっかかったのが残念. | ||||
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宇宙の暗闇が身体を貫くような 淋しく光る音色が沁みこんでくる物語です。 完全な悪意だけの存在に 最期までなれなかった主人公の姿は危うくて、 心にずっと沈んでいます。 | ||||
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中村文則さんの作品は、自分の弱さに徹底的に向き合う勇気と言うか覚悟をもたらしてくれます。 今グダグダと思い悩んでいることを放り出すのは簡単なことだが、逃げずに向き合い、自分の弱さを認めて克服したい、そんな想いにさせてくれる話でした。 | ||||
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この「悪意の手記」は、中村文則さんのデビュー作「銃」から「遮光」を経て出された第三冊目の小説ということになる。しかし、私が読んだ順番は「掏摸」が最初で、その後「悪と仮面のルール」、それからデビュー作「銃」に戻り、私を救った「何もかも憂鬱な夜に」を経て、「遮光」「教団X」「あなたが消えた夜に」「土の中の子供」「王国」と遠回りして、この「悪意の手記」に至っている。 この作品にたどり着くまでに時間がかかったのは、ストレートな題名にその悪意の正体に触れてみる勇気がまだなかったことと、題からドストエフスキーの「罪と罰」が連想され、既にそのテーマには触れている気がしていたので、まだ必要になるまでは読まなくてよいと敬遠していたからだ。しかし、私の本好きの友人に中村文則さんを薦めたところ、先にこの本を読まれて、とてもよく出来ているから読んだほうがいいと逆に薦められ、また最近読んだ姜尚中さんの「悪の力」でも、この「悪意の手記」が引用されていたため、そろそろ読む時期が来たのかなと思い、手に取ることにした。 読み終わって、やはり今読むべき作品だったなと感じた。 小説を読むのにも、タイミングというものがあると思う。読む時期ではない時に読むと、何も心に引っ掛からず、場合によっては嫌悪すらする。しかし、ここぞという時期に読むと、心を救われたり、ずっと息詰まっていた問題の解決の糸口が見えたり、読んで本当に良かったと愛着が湧き、その作品が自分の中で旗印となる。 ではいったい、そのタイミングはどうやって見つけるのかと問われれば、それは常にアンテナを張っているしかない。それを強く欲すること、その想いがあれば自然とあちらからこちらへとやってくるだろう。そうとしか答えられない。 そして、この「悪意の手記」も、向こうからやって来てくれた作品だった。 この小説には、人を殺してしまったことに苦しみ、それでも生きる意味はあるのかともがく姿が描かれている。なぜ、それをテーマに描いたかはあとがきを読めば理解できるだろう。 私も以前、「なぜ人を殺してはいけないのか」というテーマで短い小説を書いたことがある。 だから、中村さんが人を殺した側から描いてみたいと欲求した気持ちも少しは理解できるような気がする。私も彼らの中に何が生じたのか知りたかったし、それは自分とは無縁ではないと思われたから。でも、私のアプローチの仕方は自殺を経験したものとしてのアプローチであり、殺人への衝動に苛まれたもののアプローチではない。だから、中村さんが描くほどに濃密なものにはならなかった。でも、同じ虚無が死の衝動を呼び寄せるのだということは理解できる。この「悪意の手記」の主人公の中にも生じた、世界への憎悪と虚無感、それはおそらく自殺者の中にも同じく芽生えるものだと思える。 この「悪意の手記」は、手記1、手記2、手記3の三部構成になっている。この三つの中で、私が強く心を揺さぶられたのが手記2であった。 手記2は、人を殺してしまっても、それに苦悩しない人間になるために、あえて悪に、より深い闇に沈んでいこうとする主人公が描かれる。その過程の描写も痛々しいのだが、その中でも戦慄を覚えたのが、主人公が幸福を与えてくれる可能性のある女性に出会うも、それを許さない自分が生み出す幻覚と対話する場面である。この場面は、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」で、イワンが自分で生み出した幻覚である悪魔と対話する場面を想起させる。ここで幻覚が主人公に指し示す真実は絶望的だが、この場面を描ききる中村文則さんの決して自分から逃げようとはしないその真摯なまなざしに頭が下がる。 手記3で出てくる幼女を殺して平気でいられる少年は、この主人公のように人を殺した罪に苛まれてはいなかったと思われる。そういう人間はおそらく身体性を欠いている。おそらく自分のことすら他人事のようで大切にできない人間なのだろう。しかし、この主人公はその種の人間ではなく、「生きる」という意味と死が訪れるまで真剣に向き合っているひどく真面目な人間である。たとえ人を殺してしまったとしても、真面目にその意味と向き合うことができるのなら、殺してしまった人間の分まで生(の苦しみ)を実感しようとするならば、それはある種の償いであり、生きる意味はあるのだと思う。 殺してしまった人間に、幸福は許されるのであろうか。 これは、現実に在る殺人者たちに常に問いかけられている問題だろう。 この罪は許されるのか。許されないとするなら、どんな罰を受けるべきなのか。 果たして、他人が与える罰は本当に罰になるのか。 罪を犯した人間に与えられるべきものは、本当はいったいなんなのだろうか。 この作品で与えられた命題は、おそらく中村文則さんが後に書いた他の作品に受け継がれている。 それは、「何もかも憂鬱な夜に」でも見られるし、「あなたが消えた夜に」にも描かれている。私がこれから読もうとしている「最後の命」にも、おそらく徴があるだろう。 これはおそらく、中村文則さんが死ぬまで書き続けることなのかもしれない。 闇を抱かない人間は、おそらくいない。 虚無を知らずに終わる人間も、おそらくいない。 なぜ人は、罪を意識するのか。悪を抱くのか。そして、光を求めるのか。 簡単に答えの出ない、この矛盾した世界を生きることの意味は何なのか。 私も、あきらめずに、できるだけ真摯に向き合っていきたい。 | ||||
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期待していたほどではなかったけど、大江健三郎はこういうの好きなんだろうなぁ~。 | ||||
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朝のニュースを見るようになってから、毎日のように誰かが殺されていることを知った。 某殺人事件をきっかけに、人間の悪意について関心を抱くようになった。 どうして他人の命を奪えるのだろう? なにも感じないのか? 人間の悪意を知るために、フィクションである小説を読むのはおかしいかもしれない。 しかし、本作を読まずにはいられなかった。きっと、答えがそこに書かれているような気がしてならなかった。 中村文則さんの作品を読むのは二作目だが、テーマはデビュー作の銃と同じで、アプローチの仕方が違うだけ、という印象を抱いた。 そのテーマというのが、「人間の悪意」なのではないか、と考えている。 もっと知りたかった。こんなものか、と正直思った。 それは、私の想像力が及ばないからなのかもしれないけれど。 教団Xで一躍脚光を浴びている著者だが、あえてまだ読まずにいる。 こんなものではないのだろう。 中村文則さんの作品をこれから読み進めていくのだと思うと、とてもわくわくする。 | ||||
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・・・そう思ってしまい、読んで憂鬱になりました。 しばらく読書したくないです | ||||
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鬱屈とした重苦しい雰囲気の中に微かな光が見える中村文則らしい作品。主人公の三つの手記で構成された衝撃的な小説。 十五歳でTRPという極めて死亡率の高い病気から奇跡的に生還した主人公は、自殺願望と殺人衝動に苛まれる。 年々増加し、過激化する少年犯罪。そうした犯罪を犯す少年の心の闇を中村文則なりに解き明かそうと果敢に挑んでいるかのようだ。油断すれば、いつ押し潰されるか分からない現代社会の中で、自分の心のバランスを保つ事の難しさ…善と悪が明確だった昔に比べ、現代は複雑な時代へと移り変わったようだ。そして、複雑な時代に対応出来る程、我々は成長していない。 | ||||
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中村文則の小説は読む人を選ぶ。合わない人には全く合わないのだろう。 僕はこの著者の作品を読むたびに、心を作品の持つ世界にさらわれる気がします。 新作が待ち遠しい作家の一人です。本作もいつも通り、読んで損はない作品。 | ||||
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